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3/6

3・・・始まりの場所へ

 紗映子さえこたちは日高のいる病室にたどり着いた。


 その病室に至るまでのいっそう厳重な警備を、牧宮(まきみやはうまいこと言いくるめて突破していった。もっとも、その厳めしい顔つきで有無を言わさず突き進んでいるだけのようにも見えたが。


 ともかく、その病室に牧宮と紗映子は無事に到着した。

 通常の大部屋よりもずっと広い。間仕切りの壁を壊して、2つだった部屋を1つにまとめているようだった。


 病室に足を踏み入れると、ぐらりと体が傾くような感覚に襲われた。


 ――ああ、嫌なにおいだ。


 ベッドが並んでいて、それぞれクリーム色のカーテンで仕切られている。2つの6人部屋を貫いているので、あわせて12台のベッドがある。そのうち、稼働しているのは10台だ。


 つまり――



 10人いる、のか。



 静かだ。医療機器の音と、巡回するスタッフのわずかな足音だけが響く。窓にもカーテンが引かれており、外から中の様子を窺うことはできないだろう。


 あの薄い幕の向こう側に、日高がいる。

 あの映像で見た、怖気のする光景が――。


「行くぞ。比較的しゃべれるのは『4番目』と『9番目』だ」


 牧宮が、カーテンで仕切られたベッドのひとつに歩み寄る。


「何をしている、来い」

「…………」


 重い足取りで紗映子も続く。

 カーテンの手前には、白衣のスタッフが立っていた。牧宮が目配せをすると、その男は軽くうなずいて、中へと誘う。めくられたカーテンの隅から、ベッドの端がわずかに覗く。


 ――嫌だ。


 立ち竦む紗映子の目に、

 黒髪が。


 ベッドに横たわる血色の悪い女性。2人が入ると、目だけが動いた。ぞっとするような視線が紗映子を捉える。映像で見た日高美奈だ。


「話せるか?」


 ベッド横の丸いすに腰かけ、牧宮が日高にたずねた。日高は仰向けになったまま、軽くあごを引いてうなずいた。紗映子は牧宮の背後でその様子を観察する。


「初めまして、で良かったな?」

「――はい」


 か細い声だが、割合しっかりしている。


「自己紹介をしてもらおうか」


 牧宮にうながされ、彼女は語り出した。

 自分の名前、年齢、血液型、家族構成、通っている大学――


「あ、ああ」


 唇が小刻みに震えだした。


「無理をするな」


 相変わらず無骨な口調だが、どこか労りを含んだ牧宮の言葉。


「大学のことは、いい」


 どうしても例の男子学生たちのことを思い出すのだろう。強姦の加害者。彼女にとっての忌むべき記憶。


 そのあとも、彼女は自身の個人的な記録を、ぽつぽつと語りつづけた。紗映子は、事前に日高の個人情報について牧宮から書類を渡され、頭に入れている。内容に齟齬はない。


『4番目』の彼女は、日高美奈のオリジナルの記憶を持っている。


『増えた彼女たち』は、それぞれ交流を持たない。互いに面通しさせるという実験を試みるとき以外に接触はない。だから、記憶をすり合わせて、口裏を合わせる時間などない。


「すまんな、少し休め」


 言って、牧宮はそのベッドをあとにする。紗映子も軽く会釈をして辞する。


 次に牧宮は、隣のベッドに――9番目の被害者のベッドに――向かう。


 カーテンを開け、同じようにして挨拶を交わし、同じような話をする。やはりその内容に食い違いはない。牧宮からの質問にも、似たような感性で応答し、似たような反応を見せる。まったく同一の記憶を持っている、としか思えなかった。


『4番目』と『9番目』のベッドは大部屋の対角に位置しており、会話の声も小さかったので内容を聞き取れるはずがない。


 紗映子は、牧宮と九番目の会話をどこか遠くで聞いているような気分になった。


「…………」


 頭痛が襲ってくる。

 この空間にいると狂ってしまいそうだ。


 牧宮が『9番目』に礼を述べて立ち去ろうとしたとき、病室に悲鳴が轟いた。甲高い奇声。牧宮が飛び出す。紗映子も続く。向かいのベッドだ。すでに数人のスタッフが駆けつけ、カーテンを剥ぎ取っていた。


「せ、先輩!」

「……ちっ」

 

 死にたがり(、、、、、)が始まったのだ。

 その何番目かの日高は、髪を振り乱し、みずからの爪を喉に突き立てている。がりがりと掻きむしったらしく、すでに首や病衣の襟は赤い。押さえ込もうとすると、獣のようなうなり声をあげる。


「こんな――」


 だが、紗映子が青ざめるのはその光景そのものに対してだけではなかった。


 振り返る。

『9番目』の彼女はベッドで上体を起こして、その壮絶な光景をぼんやりと見ていた。そして、


 ――笑っている?


 かすかに、口の端で笑ったように見えた。それがぞっとした。自分(、、)が死のうとしている姿を見て、ほほ笑むなんて。


「おい、手伝えこの阿呆!」


 牧宮は他のスタッフに混じって彼女を押さえ込んでいた。紗映子もやや正気を取り戻し、日高の細い足首を押さえる。強い力で暴れている。


 悲鳴と怒号が病室に響く。

 だがそれでも――誰かがそばで笑っているような気がして、紗映子の悪寒は消えなかった。



 ■ ■ ■


 夜の景色が車窓を流れていく。

 市内の住宅街を過ぎると建物はまばらになり、とうとう山道に入る。裏野ドリームランド跡地に向かう道だった。


 助手席の紗映子は、うろんな視線でその景色を眺めていた。


 事件解決に現場を踏むのは定石ではあるが、いかんせん紗映子はこの事件の担当ではない。だが、無関係だと言い張るには少々踏み込みすぎた。あの光景を見てしまったからにはもう簡単には逃げられない。


(なんだかなぁ……)


 牧宮の思惑通りに『共犯者』に仕立て上げられたような気がして、もやもやとする。運転席でハンドルを握る牧宮は、気の利いた言葉を投げかけるでもなく、ひたすら黙って前方ばかりを見ている。


 牧宮の薬指には指輪がある。特に意図があるでもなく彼の左手に視線を投げていると、牧宮のほうから話しかけてきた。


「別に、未練があるなんてしみったれたモンじゃないぞ」

「や、そういうつもりは――」

「今は距離を置いているだけだ」

「はあ……え、それって、まだ奥さんとは繋がってるんですか?」

「まれに料理を届けてくれたり、あとは部屋の掃除くらいか」

「へぇ――」


 物好きなもと奥さんですね、と言いそうになってやめた。しかしどういう経緯で別れたのだろうか。今の互いの心情は? 職業病というわけではないのだが、好奇心の虫がつい騒ぎ出す。


「俺のせいだからな」

「離婚が、ですか?」

「六年前に妹が死んだ」

「…………」

「ひき逃げでな。犯人は捕まっていない」


 六年前といえば、紗映子はまだ大学生だ。ちょうど被害者の日高と同じ年頃だった。県外の大学に通っていたのでその事故――いや、事件のことは知らない。


「相手は分かってるんだがな」

「分かってる? 犯人が?」

「ふん……」


 牧宮は左手をハンドルから離し、こめかみを揉む。


さる御方(、、、、)ご子息(、、、)でな。ストップが掛かった」

「…………」

「正直言って、その小僧のことはまだ殺したいほどには思っているが、私刑なんて時代でもないからな」

「まあ、ええ……」

「家族のこともあった。俺が殺人犯になって、嫁と娘を路頭に迷わすわけにもいかんだろうしな」

「まさか――」


 私的な復讐を果たすために、身軽になるために家族を――


「それで離婚を」

「阿呆」


 本気で苛ついた顔をして、牧宮はため息交じりに言った。


「そんな阿呆なことがあるか。それとこれとは別だ……いや。関係はある、か。俺は酒に逃げた。妹を失ったこと、犯人に罰を与えてやれないこと。警察にいながら、何もできない。無力だった」

「…………」

「家で荒れてな。あやうく娘を殴っちまうところだった。だから互いのために――なんてのは詭弁かな――ともかく、嫁と話し合って別々に暮らすことにした。それが四年前だ」

「そう、ですか」

「――ちっ。湿った話をするつもりじゃなかったんだがな」


 ではどういう話をするつもりだったのか。もしかしたら、この車内の重苦しい空気を紛らわそうとしたのかもしれないが、そうだとすれば逆効果だ。つくづく、不器用な男である。


「今回の事件――」


 紗映子は本題に踏み込む。


「もしかして、先輩、その……」

「なんだ」

「いや、怒らないで聞いてくださいよ?」

「場合による」

「うっ……。あー、その、不謹慎なのは重々承知なんですけど、もしかして、被害者の日高と妹さんを重ね合わせてる、とか」

「…………」

「あ、ごめんなさい、なんていうか」

「構わん。続けろ。どうしてそう思った」

「はい――」


 助手席で小さくなりつつも紗映子は続ける。


「年齢もちょうどハタチですし、加害者は捕まらないし、捜査は事実上、私たち県警の手を離れているようですし――どうにかしたいって、思ったのではないかと」

「…………」

「あと、それに――」 

 

 後部座席を振り向き、紗映子は言う。


「あんなものまで……よく許可が下りましたね」


 シートの上に、ホルスターに収められた拳銃が一丁、無造作に転がっている。


「まだ犯人が近くに潜伏してるとでも? そうだとしても、単独でこんな」

「ふん。お前にはまだ話していなかったな」

「は、はあ」

「聞きたいか」

「嫌って言っても話すんでしょう? いいですよ、もうここまで来たら」

「実は、今回の犯人――加害者はもう捕まっている」

「は!?」


 驚いて牧宮の横顔を見る。


「ど、どういう――」

「『事件』は解決している。加害者のうち、1人は死体で見つかった」


 それは知っている。山道に駐まる軽自動車の車内で、その男子学生は死体で発見されている。


「――ことになっている」

「なっている? え、じゃあ本当は逃げて」

「いいや。3人とも死んでいた」

「は、え?」

「男が2人と女が1人だ。今回の事件、どうにも真相は、加害者4人に被害者が1人という構造らしい」

「え……」


 ためらいつつも、紗映子は牧宮の言葉を理解しようと考えをめぐらせる。


 肝試しに臨んだのは5人。

 男が3人に、女が2人。


 そして加害者は4人。

 車の中で死んでいたのは3人。

 逃げたのが1人。


 被害者は――1人。


「……まず、強姦の被害に遭ったのは日高1人だった、ということですか。その友人の女子大生も加害者側だった――日高美奈を罠にはめるための」

「そのようだ。外堀はおおかた埋まっているんだが、こんな状況になっちまったらどうにも、な」

「ええっと、それで、3人とも車内で死んでいた? どうして、そんなことになったんですか。事件後もそんな発表はなくて――1人だったって」


 となると、事件当初から警察は虚偽の発表をしていたことになる。


「特定できたのが1人だった――というのが、上の建前だがな」

「他の2人は特定できなかった? でも、男性2人に女性が1人なんですよね。少なくとも女性の死亡は確認できるのでは? どんな風に死んでいたのか分かりませんが――」

「圧死だ」

「は?」

「だから死因だ――圧死だった」

「ら、落石でもあったんですか? 車が押し潰されたとか」

「いいや、内側からだ」

「内側?」

「爆発的に増えたらしい」

「ふ――」


 増えた。

 また(、、)だ。


「3人が、それぞれ増えたんだ。ドリームランドから逃走する車内で、増えた。運転手も増えた。運転を誤り、道の脇の木の幹に衝突して車がストップ。混乱しているうちに、全員が増えた」


 ――増えた。

 加害者も、増えた。


「いち早く逃げ出した1人だけが山中へ消える。恐らく、車から逃げ出したときにドアを閉めたんだろう」

「……残りの3人は?」

「車中で増えたんだ。さらにな。状況からすると、あの日高の増え方の比ではなかったようだ。どんどん増えた。次々増えた。定員オーバーもいいところだが――あまりに加速度的に増えたせいで、ドアを開ける余裕すら失った」

「…………」

「肉と肉が密着して、骨は折れ、それでも増えるのをやめなかった。止まらなかった。内臓は破裂し、『同じ人間』同士で混ざりあって――」


 ぐしゃりと、

 潰れた。

 肉団子の軽自動車。


「遺留物――主に衣服から、その3人であろうとは推測できた」


 想像するだけでぞっとした。

 肉団子の中に混ざった衣服。

 それも、日高の例を見るにまったく同じ服が複製されていたのだろう。


 それを取り出し、検証する作業のことを思うと――うっと喉に込みあげてくるものがあった。


「吐くなら外に吐けよ」

「……優しさ、身にしみます」


 牧宮は淡々と続ける。


「発表された『1人』というのは、その車の所有者だ。『3人』であることはほぼ確実だとしても――そんな状況、まさか正式発表するわけにもいかんだろう」

「ですね。あ、じゃあ、逃走している1人――その車内から遺留物の見つからなかった最後の加害者だけが、行方不明なんですね」

「いいや」


 牧宮は小さく首を振る。

 あたりはすっかり山道だ。ヘッドライトの明かりだけが暗闇を頼りなく照らす。


「自首してきた」

「は?」

「事件発生の2日後、奴は麓の交番に自首してきたんだ」

「え、じゃあ事件解決してるじゃないですか!」


 超常的な現象は起こっているが――起きすぎているほど起きているが、しかし、犯人のうち3人が死んで、1人が自首。これはもう、本当に紗映子たちの出番はないのではないか。


「そうだ。だが、まだどこかに潜んでいるかもしれん」

「え……? あ」


 もしかして――


「その、出頭してきた加害者っていうもの、その」

「ああ」


 牧宮はうなずいた。


「奴も増えた」

「は、あはは……。なんですか、それ。じゃあ、そうなんですね、まだどこかに『加害者たち』が――その分裂した別の『その人たち』が潜んでいるかもしれない、と」

「そういうことだ」


 この暗闇の山中に、蠢いているかもしれないのだ。

 彼らが。

 加害者が。

 そして被害者も。

 増えて。


 紗映子はもう一度後部座席を振り向いた。

 拳銃を。


 ――ああ足りない。

 あんなものでは足りない。

 


 牧宮の運転する車は、

 裏野ドリームランドに着いた。

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