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あの世の文学  作者: もののふいつかみ
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あの世のルール

あの世から現世へと戻って来た勇介は、死因を探しに学校へ行く。

 ジェットコースターに振り回されるかのような内臓の反動を受け、僕は現世にやってきた。

 身体は緩い回転の後、綺麗に地面に着地した。住宅地の通りらしく、奥には一軒家が立ち並び、傍にはオートロック付きのマンションが建っていた。

 違和感が無いのは生前の記憶がまだ生温かく、この身に纏わり付いているからだろうか。人間だった頃の感覚はあの世に居た時と同じく鮮明で、一つ問題点を挙げるとするならば、重力の概念が極端に薄くなっている事だった。


「ここは、僕のいた街……。なのかな」


 空を仰いでみる。

 青空が当たり前のように広がっている。あの世は見えなかった。この空を見ていると、あの世の極彩色がどれほど美しかったかが窺える。夏が呼ぶような重厚な色の厚み、そう思えるのは夏の光が強いからだと誰かに教わった。そう、確か父親に。

 しかし、現世はどうやら秋のようだ。空の色は掠れていて、薄雲が伸びている。風が吹くと同時に、銀杏の葉が地面を滑っていった。どうも温度を感じない。まあ肌がないのだから、当然なのだけど。


「……よっ」


 縁石へ飛び乗ろうと軽くジャンプをしただけで、音も無く浮いて、まるで意思を持ったシャボン玉のように緩やかに滞空した。空中では身動きが取れないかと傍の家へ意識を向けると、屋根の上に降りることができた。


「おおっ! これは、生きてたら楽しかっただろうな」


 思わず笑いが込み上げる。死んだばかりで塞ぎ込むかと思いきや、この有様。


「まあ、じゃあ取りあえず死因を探るってことで」


 辺りを見渡しながら、そういえば期限などはないのだろうかと暢気に考えた。こんなに楽しい身体になっては、一日二日では自分の死因を探す気にもならない。僕は死因についての心当たりは無いし、このまま暫く遊んでいてはだめだろうか。

 きっと人によっては、このままでいいなどと呆けて死因究明を怠ける者もいるだろう。しかしそう呆けていられないのも事実だ。僕は死んだ人間らしくあの門を潜らなければならない、それがルールだ。

 屋根から飛び降り、近くの電信柱を調べる。住所からすると、どうやら知っている場所だということがわかった。角を曲がって大通りに出れば、以前通っていた学校の通学路に着けるはずだ。


「やれやれ、死んだと思えば死因探しとは、結構忙しいな」


 人は死んだらふわりと魂が浮いて、極楽浄土で毎日笑って過ごすようなもんだと思っていたが、自分のケツは自分で拭けと言わんばかりに、死の状況を放置されてしまっている。

 死んだのだから楽にさせてくれ、などというのは生きてる人間の戯言らしい。


 便利な身体を有効活用し、僕は屋根伝いに目と鼻の先にある学校まで飛び跳ねていく。街の風景は相変わらずで、人がそこらに蔓延り、道路が街中を縫っている。大通りには歩道橋や街路樹が飾られ、僕は器用にそれらを足場にしながら飛んで行った。


「飛んでいけたらいいのにと常々思っていた事を死んで実体験できるなんて……、超科学も項垂れる事実だな」


 学校に着くと、体育の授業をしているクラスを見つけた。学年色をみると赤だったため、一年生であろう。僕は二年生で青、三年生は緑だ。授業の頭にある周回ランニングをしており、ふざけながら走っていた生徒が教師からホイッスルを鳴らされていた。


「えっと、僕のクラスはどこだったか……」


 グラウンド側の二階、教室が並ぶその中間を、僕は外から窓越しに巡って行った。僕はそこで初めて、意識さえすれば宙に浮いたままでいられることに気付いた。

 教室には僕と同じ制服を着た学生等が、首を上下に動かして授業を受けていた。懸命にノートを取るその様子は傍から見るとちょっと異様で、まるで催眠術にでもかかっているように、無言な作業だった。けれど無言で勉強する姿勢は、別に悪い事ではない。ただ当事者であった僕から見ると、なんだか変な感じがするなと思っただけだ。そう、まるで学校をズル休みして覗きにきているみたいな……。


「あれ、僕のクラスが無い」


 見紛うてしまったのか、僕は三度に渡り二階の教室を順に巡ったが、やはり無かった。

 どういうことなのだろう。実は僕は存在なんてしてなかった人間で、今の幽霊の自分は空想夢想の生活を引きずり出して、目の当たりにした事実との大差に困惑している。

 そんな馬鹿な妄想をしたところで、やっとのこと真理に至った。


「……教室が変わったんだ」


 驚愕せざるを得ない。僕の記憶は一年前で止まっていたのだ。


「ってことは、三年の教室がある一階に……」


 身体の高度を下げると、そこには僕のクラスがあった。見慣れた顔が席について、やはり異様な光景を見せていた。どこかなつかしい風景だった。

 当然のことなのかもしれないが、僕のクラスからは席が一つ消えていた。

 しばらく喉の奥がぎゅうと閉まる感覚に襲われたが、泣きたくなるその衝動が正常であることを、僕は嬉しく思う。きっとまだ二階のクラスだった頃は、僕の机の上には花瓶が置かれていたに違いない。そしてユリかなんかの花が活けられていたのだ。きっと、忘れたわけじゃない。


「死んだってのに、この悲しいのはなんなんだろう。これは何かの罰か? なんの罪だ。僕はなにをしたんだ。普通に生きていたはずなのに、これはあんまりじゃないか。これじゃまるで、僕なんていらなかったような……」

「つまりを言うと、それは罰じゃない」


 後ろのフェンスにセーラー服姿の少女が座っていた。秋風に抱かれて揺蕩う様なその少女は、僕が不思議そうに眺めていると、きょとんとした顔をして続けた。


「あれ、答えが欲しかったんじゃないの? そうねえ、普通に生きていたら罪なんか無いし、君はみたところ普通の男の子でしょう? だったら罪だって罰だって無いはずよ」


 指を振って言い聞かすように言う。長い黒髪が靡いて、酷く良い香りがした。

 僕の高校は男女共にブレザーな為、セーラー服の少女はこの学校出身ではない。何者であるかという問いが喉元まででかかったが、僕は既に彼女が何であるかを理解していた。彼女も幽霊なのだ。


「君も、幽霊なのか?」

「私も、幽霊よ。君と同じく、死んだ人間」


 そう言って、彼女は話を戻した。


「そして私にだって、罪も罰もなかった。……きっと」

「僕はそんな事はわかっているんだ。僕はたぶん罪の無い学生だった」

「そうね、君はたぶん、現状に苛立ったんだよ。漠然とした仕打ちを受けた時、人は自分の罪を見つめるでしょう? 俺が何したっていうんだ! って」

「そう、きっとそういうことだ。……と、思う」


 少女はひょいとフェンスを降りると、歩いて近寄ってきた。何故だか彼女からは人間のような重さを感じられ、ひょっとして本当に人間なのかもと疑った。


「私の名前は、マリアンヌ」


 彼女が近づくと同時に、また良い香りが僕の鼻を擽った。僕が何かを言おうと口を開くと、マリアンヌと名乗った少女は失笑した。

 自分で名乗って自分で絶え切れず、笑った。


「からかってるのか?」


 僕は少し責めた口調で言った。


「ごめんごめん、でも言いたいことはわかるでしょう?」

「なんにもわからないよ。誰の事だマリアンヌって」

「もー、謝ってるのになあ。マリアンヌって、どこかで聞いた事ない?」

「どこでだって聞いた事あるような名前だ。マリアンヌだなんて、演劇の役でもありそうじゃないか」

「ちょっと近いかなあ。じゃあ、ウジェーヌ・ドラクロワって知ってる?」

「……まあ、絵画でなら」


 確かフランスの画家だ。作品の中に『民衆を導く自由の女神』というものがある。


「正式名称は『民衆を導く自由』。一八三〇年のフランス七月革命を題材として描かれた絵で、女神がフランスの国旗を手に民衆を導いているのが印象的な歴史画よ。女神マリアンヌは当時、フランス絵画で自由と真実の象徴として描かれたの」

「……それで?」

「もう、わからないかなあ。私があなたを導くってことよ」


 彼女は僕を導く存在として、自己紹介も込みで名を名乗ったらしい。ウジェーヌ・ドラクロワという画家と作品を借りて。なんて回りくどい紹介なのだろう。余計にわかりづらい。

 つまりは幽霊の先輩ということを伝えたかったらしい。


「本名は?」


 僕は改めて訊いた。


黒江夕那(くろえゆうな)


 今度は素直に答えた。彼女は悪戯な笑みを浮かべてながら、僕の反応を楽しむかのように横を向き、視線だけをこちらに寄こした。本名も外国人の様なその少女は、長い黒髪を優雅に揺らして紫紺の瞳を煌めかせていた。

 どうしてそんなに深い色の瞳をしているのか、不思議ではあったが、幽霊というのもそもそも不思議なものなのだから、きっと気にするようなことではないのだろう。


「夕那さんはどうしてここに?」

「いきなり名前呼びかあ! チャラいな君。私の名前の次は、君の名前でしょ?」

「僕は船木勇介だ」

「勇介ね。言っておくけど、私先輩だから」

「夕那さんはここの生徒じゃないでしょう?」

「“幽霊”の先輩ね」


 先輩は指を振って言い聞かすように言った。


「まあ、もうなんでもいいけど。それじゃあ先輩は、ここで何をしてるんだ? まさか、本当に現世の幽霊を案内しているわけでもないだろ?」

「先輩に対しての口のきき方がなってないなあ。……まあでも確かに、私は別に案内人ではないわ。そうね、何をしているのかっていうと、勇介と同じような感じになるかな。私も迷える子羊の内の一人なんだよ」


 先輩はポケットからあの世で貰ったパスポートを取りだし、僕に見せてくれた。

 僕のと同じく真珠層のカードには、確かに認証印は押されてなかった。先輩は僕が十分に見た事を確かめるとカードをしまい、意味も無くけんけんぱをしていった。

 すぐ傍では授業をしている教室がある。なんてシュールな光景なのだろうと僕は思った。


「その制服、ここらへんの生徒じゃないよな」

「そうなの、私は隣街から飛んできたのよ。風に乗ってひゅーいとね」

「死因を探さなくていいのか?」


 先輩はそこでくるりと翻して、僕の方を楽しげに見つめた。彼女が何故こうも楽しげで、まるで生き生きとしているのかは、僕にはわからなかった。ただその姿に、僕は少し好感をもった。前を向こうと、死んでもなお彼女は明るい性格だった。


「死因を探して、認証印が押されると、カバ男の案内で門が潜れて、輪廻に帰れる」

「そう、それがルールだ」

「あの世ルールね。私も初めて聞いた時はウンザリしたわ。危うくカバ男に飛びひざ蹴りでもかましちゃう所だった」

「……カバ男は大きな口を開けて飲み込んでしまうかもしれないぞ」

「そう! それが怖かったのよね。アイツ帽子を深く被ってるせいで目が見えないじゃない? まあそれで、結局今はこんな状況なんだけど……」


 先輩は再び近寄って僕の顔を下から覗くように、ずいと顔を寄せてきた。ふっと、また。この香りの正体を、僕はわからないままでいた。先輩はサプライズを用意しているかのようにうきうきとした。


「……なんだよ」

「ちょっと案内してあげよっか」

「ここは僕の住む街なんだ。案内なんかいらないよ」

「そうじゃなくって、幽霊の説明。取り説があるのよ」

「幽霊の、取り扱い説明書?」


 僕は思わず笑いを溢しながら訊いた。だって幽霊の取扱説明なんて、ゲームじゃあるまいし。


「そう、身体の動かし方はわかっているみたいだけど、その他にもできることってあるのよ?」

「例えば?」


 先輩は答えを言わず、学校の屋上の方へ飛んで行ってしまった。姿が見えなくなってしばらく、何かを取りに行ったと思っていた僕も、そういえば幽霊なのだったと思い後を追うように飛んだ。

 先輩は屋上を浜辺で遊ぶかのようにぽてぽてと歩いて、僕を待っていた。


「……例えばね、こういうことも、できたり」


 後姿が妙に不安に思ったその時だった。突風が僕の身体を吹きつけ、空高く雲が揺蕩う辺りまで飛ばした。僕はなんとか踏ん張って宙にとどまり小さくなった屋上を見ると、先輩の姿は消えていた。

 背後から腹を抱えて笑う先輩の声がした。


「あっはっは!」


 悪戯な先輩の態度に、僕は拗ねたように褒め称えた。


「……ほほお、すごいなあ。風でこんなことができるのかあ、あーすごいなあ。幽霊って素晴らしいなあ」

「ごめんごめん。そんなに不貞腐れないでよ。実際に体験してもらった方が早いでしょう? 意識さえすればね、できないことはないんじゃないかなって思うよ」

「練習すれば、さっきみたいに突風を吹かせる事もできるってわけだ」

「そうね、私がこの技を身につけたのはもう随分前だけど」

「……先輩は、一体いつから幽霊を?」


 そう尋ねると、彼女は少し遠い目をした。話の着地点を決めかねているような、あるいは誤魔化そうとしているような、そんな感じがした。

 やがて視線を下に広がる街並みに向けて、すこし戸惑った様子で言った。


「いつからかな、記録をしていこうと思った事もあったんだけど……。そんなことしたらきっと、時間が私に付いて回るでしょう? 幽霊になって、現実から切り離されて、カバ男に死因を確かめてこいなんて言われて、その上時間に追われてしまうようなことになったら、それはさ――――」


 先輩はそこで口をしっかりと閉じた。僕は彼女の言葉を待った。

 

「それはさ、もう幽霊でもなんでもなくって、ただの人間だった私の残りかすなんだよ」


 彼女のその言葉が、何故だかとても胸に刺さった。幽霊だということに気付いてから、どこか頭の中で逃げてきた問題を、その答えを突き付けられたような、そんな感覚だった。

 人間だった僕の残りかす。つまりは、僕はまだ、自分が生きている人間であると錯覚していることに気付かされたのだった。


「残りかすって、どういう意味?」


 先輩の答えが欲しくなり、僕は尋ねる。


「そうだなあ。そもそも幽霊ってのがさ、私達の場合ちょっと違うのかもって思うんだよね。生きてた頃の印象とは全然違うじゃない? 地縛霊とか怨霊とか、そういうのとは違う。実際幽霊なんてのはこんなものなのかもしれないけど、やっぱり私は生きてた頃の感じを失っているわけじゃないもの。そう考えると、生きてないけど、生きてる。そういう気持ちになるのよね。だから肉体から剥がれた残りかす、なのよ」


 そう話す先輩の表情はとても穏やかだった。そして清廉で、優美で。

 無垢で。

 木蓮の香りと長い黒髪が。

 どうも僕の心を奪ってならなかった。

 淋しげにも見えるその瞳も。

 彼女の姿が、この世にないことがその美しさを引き立たせたのかもしれない。

 

「でも……、ても、それなら幽霊とはなんだ? 残りかすと言っていい程、幽霊と言うのは生前の影響を受けているものじゃないか」

「生前の影響か。例えば?」


 僕は少し考える素振りをしたが、いざ説明をしろと言われると突然頭に何も浮かばなくなった。それでもなんとか絞り出して、僕は口を開いた。


「例えば、……この姿とか、声とか、仕草や感情だって」

「じゃあ現世に君の姿と、声と、仕草や感情はどこにあるの?」

「現世には、ないよ。僕は死んでいるんだから」

「そう、私達死んでるの。幽霊なのよ。そして幽霊ってのは、世界の成分の中には含まれていないの。私達はもう、存在してはいけないものなのよ」


 先輩はとても、賢者のような、おおよそ莫大の知識を得た人間のような目をして言った。まるで神様に尋問をされているかのような錯覚に、僕の身体は次第に感覚が麻痺していく。


「じゃあ幽霊って……」

「なんなのか、知る必要ある? 私は無いと思うのよ。つまりは私達幽霊は人間だった残りかす。なんにもなくて、でも私達は幽霊としてあの世のルールに従って死因を探さなきゃいけないの。そしてあの門を潜って、輪廻に帰って、生まれ変わる」


 そう、これはルール。人間の感情や理論なんてものは一切関与しない、あの世のルール。僕達はあの門を潜って輪廻に帰らなければいけない。いや、それすらも、帰らなければいけないということでさえも、僕等は考えてはいけないのかもしれない。


「なんとなく、わかった気がする。本当に、なんとなくだけど」


 僕がそう言うと、先輩は微笑を浮かべて当ても無く空を踏んで歩いて行った。それが僕にとっては許しの様にも思え、いつの間にか緊張していた筋が解れていた。

 人間だった感覚が、今の幽霊である僕をこんなにも重くしてしまっている。生きていた喜びなんかは毛ほども無く、虚しさがひたりひたりと僕の心の中を静かに歩いて行った。


「ねえ!」


 大分離れた所で振り返り、先輩は僕に呼びかけた。


「街を歩いてみようよ! 勇介の死因探し、手伝ってあげる!」


 僕は返事をしようかと思ったのだが、あまり大きな声を出すのが得意ではない。開きかけた口を閉じ、空を蹴って傍へ寄った。先輩はそれを了解したと誤認したらしく、楽しげな表情を浮かべて泳ぐように下りていってしまった。そういえば、この香りは幽霊のものなのだろうか、それとも生前の先輩のものなのだろうか。

 僕は少し、気になった。

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