現在。
そういえば、今は、あの本たちはどうなっているのだろう。
借りる者もなく、たいして面白い内容でもなかった気がする。
キョーが学園物と王道ファンタジーの物語とイメージ画をそれぞれかき、みゅーはファンタジーのほうに挿絵を提供した。
儀式先生の描いた絵もあったか。
それにボクは短編を書いた気がする。あれは……――
「……オル?」
姉の気遣うような声で現実に意識を戻すと、自分の手に箸がおさまっていないことに気が付いた。
手に力が入らない。それを意識して指を曲げ、のばすと、もう普段どおりに戻っていた。
器を落としていないのは、もともと手で支えていただけで、テーブルから浮かせてはいなかったからだ。
ついに、この時が来たか。もう、隠せないところまできているようだ。
そんな感情を表に出さぬよう意識して、箸を拾う。形だけは、うまくつかめた。
「マオ、なんかヘン。」
みゅーが箸を止めて言った。
「体調でも、悪い?」
キョーがボクの顔を覗く。
「何でもありません。」
「うそ。」
みゅーが間髪も入れずに否定した。
「嘘ではありません。」
「うそ」
「……この間の検診では、何も異常はありませんでした」
これは、嘘ではない。
いつもどおり、経過観察を要すると言われた。
ただ、予想以上に悪化している様子は見られない。と。
「……本当だよ、ふたりとも」
姉さんが言う。
「――マオ、本当に、問題無いんだよな?」
キョーが、いつもの――外で見せるような作った顔ではなく、本当の顔で、確認してくる。
「本当です。」
検診を受けた時点では。
「ほんとうに?」
「本当です。」
みゅーは、腑に落ちていないようだ。
じっとボクの方を見て、目を反らさない。ボクも目を見返す。
本当に、大丈夫だから。
心配しないで。
ボクは、キョーとみゅーと共に三人で、この学校を、卒業するのだから。
それまでは、絶対に……一緒に、学校生活を送るのだ。
「……わかった。」
そうは言いながらも、目に見えて元気がなくなった。
「いっしょに、卒業しようね。」
みゅーは、笑顔を作る。それが作りものだと、誰の目にも明らかな笑顔を。
この時のボクは、本当に、この三人で共に中学を卒業し、それぞれの進路へと進んでいく未来を、信じて疑わなかった。
この後にあんなことが起こるなんて、想像できる者は、いないだろう。
「ごちそうさまー」
途中から雰囲気の悪くなった食事を終えると、キョーが無理やり明るく言った。
「やっぱりオルの料理って最っ高!」
「おいしかったーっ」
食後の後片付けを終えると、今日は3人で部活で使う素材を買いに行く予定だ。
「この後まずはどこ行こっか」
「布では?」
「おとーさんが、布もらいに行けるって言ってたよー。」
みゅーの父には、洋裁学校の同期に布屋や染屋、養蚕家に大手ファッションメーカーのサンプル制作に携わる者などがいた。在学中に作ったその人脈は、今でも趣味に生かされている。彼らは気前のよい者ばかりで、必要なものを安値で融通してくれた。
みゅーの母の方にも布屋や手芸屋、ミシン屋などの知り合いがおり、その方面ではこの部活の皆がとても世話になっている。
「リボン足りないー」
「じゃまずは洋裁屋か」
「ネットも買ったほうがよかったような」
「ここからだとホームセンターが先か?」
食器を洗いながら計画を立てていると、
「あ、よかったらこれ使ってー」
姉さんが安売りに遭遇して衝動買いでためたボタンやビーズ、花などの小物の詰まった籠を持ってきた。
「使うっ!」
「ありがとーアミちゃん!」
「画用紙も大きいサイズは切らしていたと思います」
「儀式先生が探してきてくれるって言ってたからそれは保留で――」
「マスキングテープのカラーもバラつきが……」
「揃えよう」
「あ、あとねあとねぇ――」
と、そんなこんなでホームセンターから画材屋に寄って洋裁屋、手芸屋を経由して書店で目当てのものを購入すると、帰路についた。
キョーとみゅーが二人で大きめの布を持ち、その前を小物の詰まった袋を提げてボクは歩いた。
途中、みゅーが疲れたと言い出したためキョーが一人で布を持ち、代わりにキョーが持っていた大きめの素材たちをみゅーが抱えた。
青信号の横断歩道に足を踏み入れる。
長めのそこは、あまり車が通らない、幅の広い道を横切っていた。
ボクが渡り切り、足を止めて振り向いた時、歩行者用信号が点滅を始めた。
いつの間にか距離が空き、中ほどにいたキョーが、大きめの布を肩にのせて走り出した。
少し後ろにいたみゅーも、荷物を抱えて走ろうとする。
身長の差もあり、二人の走るペースには違いがみられる。
二人の距離が、離れていく。
キョーが渡り切るかどうかという時に、歩行者用信号が、赤に変わった。
エンジン音が、近づいてくる。
みゅーはまだ、半ばよりもこちら側を渡っている最中だ。
自動車用信号が、黄色に変わる。
エンジン音が、すぐそばで聞こえる。
ウィンカーのチカチカという電子音が、ひどく耳障りに聞こえた。
大型車のタイヤが、アスファルトを擦る音がした。
ブレーキ音は、聞こえない。
ここは丁字路。
曲がる方向は、一つしかない。
視界の端に、トラックの前面が見えた。
手を伸ばしても届きそうにない位置に、みゅーがいる。でも、反射的に、手が動いた。
声は出ない。
隣で、キョーの声が、聞こえた気がする。
みゅーが顔を正面から背ける。
目線の先にあるのは、迫りつつあるトラック。
トラックの運転席は、高い位置にある。
もう、みゅーとトラックの間には、少しの距離もない。
自動車用信号が、赤に変わった。