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世界混合  作者: あふろ
第四章 未来への道程
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99.草食動物の反撃 1

 緊張状態から酸欠気味になっているのか、頭の中はのぼせ上がったように、ふわっとしていた。視野の端から闇が滲み出て、中央に映る被写体を残して黒で塗り潰していく。

 学人は全ての意識を目の前の男に集中させていた。

 ほんの僅かな動きでも見落とせない。上半身がブレて視界が揺れてしまわないよう、すり足でゆっくりと後退する。

 少し息苦しさを感じて鼻息が荒くなる。凍った毛が中で擦れて痛い。

 口で思いっきり呼吸をしたいところだが、吐き出した白息で視界を遮りたくはない。


『震えてるけど?』


 ノットが鼻で笑う。

 指摘されるまで気が付かなかった。

 寒さもあるが、それ以上に恐怖心からくる震えだった。いくら抑え付けたつもりでも、本能からくる部分まではどうにもならない。

 どうするか。これからの“予定”を頭の中に思い浮かべる。


 勢いだけで突っ切るか? きっと学人の剣は届かない。日本でなら、振り回すだけでも十分な威嚇になるだろう。

 眉ひとつ動かさないノットと、そしてあっさりと死に見舞われる自分の姿が見えた。これは自殺行為に等しい。

 ここは物置だ。とりあえず、手当たり次第に物を投げてみるのはどうだろう?

 さらに酷い、馬鹿馬鹿しい。醜態を晒すだけで、隙のひとつも作れやしない。コメディ映画のように、投げたレコードが頭に突き刺さる、なんて展開はあり得ない。

 学人に今できるのは、可能な限り距離を取る事だけだった。


 ノットの足が階段を一段降りると、それに反応してビクリと体が跳ね上がる。意思とは裏腹に、体は実に正直である。

 その様子を見たノットから失笑が漏れた。


 ふと、その手に何かが握られているのに気が付いた。拳大の物だが、暗がりでそれが何であるのかはわからない。

 学人の視線を辿ったのか、ノットがそれを持ち上げてみせる。


『これ、見覚えがあるだろう?』


 見せ付けられたのは魔法結晶だった。

 見覚えがあると言われても、結晶など色と大きさを除けばどれも同じにしか見えない。一見真っ黒のようだが、かすかに赤みを帯びているようだ。結晶という大きな意味でなら見覚えがある、しかし特定の物として指しているのなら「わからない」と答える他なかった。


『君から採取した魔力だよ』


 見覚えがあるはずがない。あの時は白くぼんやりと光を帯びる、美しい結晶だった。それがどうだ、今は酷く禍々しい色をしている。


『変異前のものだったんだけどね、採取したあとも変異は収まらなかった。もはや私ですら操作できない』


 学人は静かに耳を傾ける。

 今それを見せたという事は……。


『魔力の強制操作ってどうやるか知ってるかい? 自分の魔力を浸食させるんだ。大地に根を張る植物のようにね』


 言われてもあまりピンとこない。

 以前にヒイロナがそれらしい事をしていた気もするが、学人にとって魔力という概念はふわふわとしたものでしかない。


『拒絶されてしまうんだよ。なんて言えばいいのかな……一寸の隙間も無い、金属を触っているかのようでもあるし、水の塊に触れているようでもある。何者も干渉する事ができないんだ』


 つまり、何の役にも立たない産業廃棄物と言ってもいいだろう。


『でもね、調べていくうちに面白い事がわかった。これはこうやって使うんだよ』


 結晶に光が混ざる。

 何かをする気だ。そう身構えた直後、頭上からジャラジャラとした金属音が降り注いだ。


『な……これはッ!』


 何もなかった天井から、学人に向かって鎖が襲いかかる。先端が丸い枷になっていて、それは中世映画などの牢獄で見る、囚人の拘束具だった。

 踵で咄嗟に床を蹴りながら、迫りくる鎖を剣で辛うじて弾く。

 どうやら射程圏外に出たようで、鎖はピンと張り詰めたかと思うと、力無く頭を振り始めた。

 押し殺した笑い声が物置に響く。


『これは拒絶の魔力とでも名付けようかな。干渉はできない。でも、通す事はできる』


 ノットが何を言わんとしているのか、学人には理解が追い付かない。振り子になっていた鎖は急激に透けて消えていった。

 また新しく飛び出してくるかもしれない。一本だけでなく一度に複数でかかられると、とても避けきれるものではない。


『この魔力を通して生成された魔法は、干渉されないという特性を持ってね。こうして嵐の中でも問題なく使えるってわけさ』


 元々魔法で拘束するつもりはなかったのか、ノットは魔法を生成する素振りも見せずに、一歩、また一歩とこちらへ歩み寄って来る。

 まさか新しい発見を自慢するために、わざわざここに足を運んだわけではないだろう。ようやくノットの目的に思い当たった。

 魔力の補充に来たのだ。


『それ以上近付くんじゃあないッ!』

『大丈夫、痛くはないよ。何も命まで取りはしない』


 信じるな。

 その言葉を聞いて、一瞬だけ安堵の感情が浮かび上がる。しかし、それはすぐに掻き消される。

 ほんの少しだったとはいえ、相手に殺意が無いと知ると、安心を覚えてしまった。恥ずべき事だった。

 この期に及んで、無意識に鵜呑みにしてしまったのだから。


『良い事を教えてあげよう。私は今、あまり魔法を使えない。さっきのような鎖を出すのが精々さ』


 聞くな。相手にするな。これ以上近寄らせるな!

 学人の思考が警鐘で埋め尽くされる。


『私は運動が苦手でね。筋力だけだったら、もしかしたら君の方があるのかもしれない。つまり君は今、ただの男と対峙していて、その気になれば簡単に出口を抜けて逃げられるわけだ。なんだったら殺す事もできるよ』


 それは小さな昆虫を甚振(いたぶ)って遊ぶ、子供の気まぐれと同じなのかもしれない。

 丸い線で囲い、見事越える事ができれば見逃してあげる。暗にそう言われている気がした。


(ふざけるなッ……!)


 自信や自惚れではない。それは絶対的な確信。

 学人は階段まで辿り着けない。ノットにはその確信があった。


『ほら、どうしたの? それをちょっと突き出すだけで、私を殺す事ができるんだよ? そうすれば万事解決さ』


 剣の切っ先にノットの胸が当たる。

 本当に少しだ。少し力を込めるだけで、肉を裂いて肋骨を砕き、心臓を貫く事ができる。

 ジェイクなら、この世界の人間なら、既にそうしているだろう。


『――けるな』

『ん、何かな?』

『ふざけるなッ! 必ずお前に裁きを受けさせてみせる!』

『どうやって? 私はまだ何も成していない。それに、君に証明できるのかな?』


 剣が払い除けられ、細い右手が学人の首を掴んだ。

 指が喉に食い込み、強烈な圧迫感に咳がこぼれ出る。剣を落とし、学人はその腕を掴むも、思うように力が入らない。


『ああ、ごめん。痛くないけど苦しいかも』


 全く悪びれる様子のない謝罪を口にしたあと、血が逆流しているような、体温が移動するかのような感覚に襲われる。

 手から逃げるように、ふらふらと後ろへ下がる。それに合わせてノットも前進する。とうとう壁際に追いつめられて、木箱に手を打ち付けてしまった。

 やがて何も考えられなくなり、手足の感覚も無くなる。首を圧迫された苦しささえも感じなくなり、視界が真っ暗になった。


『君はまだ使えそうだ。だから生かしておいてあげる』


 ノットが何かを喋っているらしいが、もう頭の中までは届かない。




『――ト、ガクト!』


 次に気が付いた時には、ペルーシャの顔が大映しになっていた。

 そういえばペルーシャとの最初の出会いも、こんな感じだった。そんな事を考えながら、朦朧とする意識でさっきまでの記憶を手繰り寄せる。

 今のは夢だったのか、幻だったのか――。


『ニャにがあった!』


 頬を叩かれ、ようやく思考が正常なものになる。

 手の甲を見れば、怪我をして血が流れている。あれは現実で、血が凍ったり固まったりしていないことから、意識を失ってから全く時間は経っていないらしい。

 手を借りて立ち上がろうとするも、脚に力が入らずに崩れる。魔力を使い切ったヒイロナも、これと同じ状態だったのだろうか。二日酔いになった時のように、頭に響く鈍痛と嘔吐感。

 魔力を奪われてしまったが、それ以上に大きな収穫があった。命があっただけでも幸運と捉えるべきだろう。


『まだ……これからだ』

『ガクト?』

『行こう。ノットにもう用はない。領主と話がしたい!』


 力強くそう言うと、学人はとりあえず嘔吐した。

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