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世界混合  作者: あふろ
第四章 未来への道程
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97.鐘

 鼻の内側がチクチクとする。"鼻毛が凍る"という感覚だ。いくら毛皮の外套が暖かいとはいえ、あまりの寒さの前には気休めにしかならず、冷たい空気が肌に痛い。

 気温はまだ下がっているようで、ここまでの冷え込みは学人にとっても初めての経験である。気を失っている兵士を見て学人に迷いが生じていた。このまま放っておいてもいいのだろうか。こんな場所に寝かせていては間違いなく凍死してしまう。

 自分の外套を重ねる事も考えたが、それでは今度は自分の身が危うくなってしまう。

 シャーウッドに任せてどこか暖かい場所に運んでもらうという選択肢もある。しかしそれでは侵入者がいると大騒ぎになってしまうだろう。


『彼らをどうにかしないと。このままだと』

『いや、構わない。今日はいつもより多く交代するから死にはしないだろう。どの道こうするつもりだったんだ、ちょいと手間が省けただけさ』


 兵士の身に着けたレザーヘルムを剥ぎ取りながらシャーウッドが言う。


『誰がやったのか知らないが俺たちには関係ない。交代の兵が来たらそいつらにも眠ってもらう』


 知らない。

 シャーウッドは味方が何人いて、どういった人物がいるのか知らされていないようだ。学人の目的こそ知っているものの、アルテリオスからあまり多くは聞いていないらしい。

 放って寄越されたヘルムを受け取る。

 見れば少し光沢があり、滑らかであるにもかかわらずふわっとした弾力で触れている指が押し返された。今までに感じた事の無い肌触りである。

 きっとこの世界特有の革で、しかも高級品なのだろう。周辺街で見た警備兵の物とは全然違う。


『これは?』

『それを被ってフードで顔を隠せ。警備を終えた兵になりすまして三階まで上がるんだ』


 無茶だ。それが学人の素直な感想だった。城で働く人間がどのくらいいるのか知らないが、使用人は自室待機で城内をうろつく者は限られている。さすがに警備をしている者同士、お互いの顔や声くらいは把握しているはずである。呼び止められたら一巻の終わりだ。

 シャーウッドは学人の心情を無視するかのように、今度は兵が腰から下げている剣も取り上げる。


『他に方法は?』

『これも持て。他に道なんて無いね。上に行く階段は大広間のひとつだけ――』


 突然言葉が切られた。


『シャーウッドさんも聞こえましたか?』

『ああ』


 ペルーシャとノアも頷いて肯定している。今たしかに、これから進もうとしているのとは逆の方向から、かすかな物音が聞こえた。

 城の裏手に回る方向となる。


『あっちにも警備が?』

『近衛兵だ。もしかしたらこいつらをやった奴かもしれない』

『どうして?』

『大広間は監視の目がひとつやふたつじゃない。向こうに行ってれば今頃大騒ぎになってる』


 物音の正体はソラネだろうか。だとすればジェイクも一緒なのだろうか。もしかしたらジェイクたちが自分の事を探し回っているのかもしれない。いや、アルテリオスが逐一状況を報告していたとしたらそれは考えられない。一直線に地下牢に来ているはずである。

 今の状況がわからないので考えがまとまらない。音のした方を凝視して耳を澄ませるも、それ以上何も聞こえてこない。

 何かがバランスを崩して音を立てただけなのか……。そもそもソラネが城に侵入したという確証も無い。進むべきか様子を見に行くべきか、学人に迷いが生じる。


『確かめに行きましょう』


 少しでも可能性があるのなら無視はできない。


『そうだな……誰だかは知らんが、ちょいと騒ぎでも起こしてもらおうか。そうすればこっちが動きやすくなる』


 その物言いに少し引っ掛かった。誰か他に侵入者がいたら、その人物を囮に使おうと言うのだ。

 ソラネとは違う第三者だったとしても、他人を足蹴にして前に進むのは学人の倫理に反する。仮に悪党だとしても、今は敵ではない。もっとも、味方でもないが。


『駄目です。こんな場所で兵に追いかけられたらただじゃ済まない』

『なんだお前、面倒臭い奴だな。じゃあこうしよう、俺は俺の仕事をする』


 シャーウッドは元々龍の影の人間である。その彼が城内で不審人物を見かけて、排除にかかったとしても至極当然の事である。

 結果的に騒ぎを起こさせるという点に変わりはないが、こう言われてしまえば学人は何も言い返せない。


 シャーウッドが片手剣を抜き、警戒しながら廊下を進む。続いて学人、ノア、ペルーシャと続いた。

 学人も抜刀しておこうと柄に手を伸ばすが、握ってからその手を止めた。素人が抜き身の刃物を持って行動するのは危ない。もし襲いかかられても受けるだけなら鞘に収まっていてもできる。

 食堂を通り過ぎて、さらにいくつかの扉も素通りする。


『念の為にフードを被っておけ』


 T字路に差し掛かろうかとした時、シャーウッドがそう指示した。何事も無かった時に兵士に顔を見られるのはまずい。ヘッドギアのようなヘルムを被って、さらに外套のフードを深く被る。

 先頭のシャーウッドが壁に背を預けて、そっと廊下の様子を窺う。正面となる右方向を確認したあと、背面の左方向に顔を向けた。


『何か見えましたか?』

『やはり誰かいるらしい。兵が二人倒れている。やった奴は見えない』


 目に見える動きが無い事を確認すると、気配を殺して進み始める。

 確かに兵が二人倒れている。さっきの物音はおそらくそれだろう。首元には先程と同じく絞められた跡が残っていて、さらにすぐ近くにある扉が開いていた。

 物音がしてからさほど時間が経っていないので、その先に何者かが潜んでいる可能性が高い。

 開いた扉に近付くと、シャーウッドがこちらに振り向いて小さく頷いた。


『だ』


 誰だ! と声を上げようとしたのだろう。剣を構えて躍り出たシャーウッドの声は、暗い部屋の中から伸びてきた何かに遮られた。

 二本の縄のような物がまるで生き物のように、首に、手首に絡み付く。


『わああッ!』


 縄の動きがどう見ても不自然だ。直感でソラネではないと感じた学人は体が咄嗟に動いていた。ほんの数ヶ月前であれば、突然目の前に現れた正体不明の何かに、ただただ呆気に取られているだけだっただろう。

 剣を抜き、縄を目掛けて垂直に振り下ろす。

 振るわれた剣が縄を切断すると、視界の外から短い悲鳴が上がり、切断面からは何か液体が飛沫した。

 すかさずシャーウッドの隣に並んだノアが弩を発射する。

 学人も恐怖を堪えて後に続く。すると目に移った人影は首に矢を受けて呻き声を発していた。


『ハァッ!』


 最後にシャーウッドの剣が半円を描いて頭部に突き刺さる。頭蓋を割って脳にまで達した刃がそれの命を奪った。


『魔獣……?』


 中は箒や桶、布などが多く置かれていて、どうやら召使いたちの倉庫になっているようだ。

 仰向けに倒れたそれを改めて確認する。下半身は蛇、ドレッドヘアのような髪は主が絶命しても尚、ウネウネとした動きを見せている。よく見ると先端が裂けて口になっていて、ひとつひとつがまるで蛇の頭のようだった。


『ラミア……じゃないな、なんだこいつは』


 学人の目から見た印象はメデューサだったのだが、どうやらこの地には生息しない魔獣らしい。なぜ城内に正体不明の魔獣がいるのか……シャーウッドとノアは動揺を隠せずにいながらも、未だに動き続ける髪に物怖じせず死骸を調べる。


『どこから来たんだ……』


 何気なく呟かれたシャーウッドの言葉が、学人の記憶と重なってデジャヴになった。

 ペルーシャに目を向けると視線が合った。きっと同じ事を思い出しているのだろう。


――あの蜘蛛はどこから来たんだろうか。


 ショッピングセンターでの出来事だ。あまり時間が経っていなかったのにもかかわらず、一階に糸を張り巡らせていたあの巨大蜘蛛。さも初めからあの場にいたような、それもペルーシャも知らない魔獣だった。

 なんとなく今の状況と似ている気がする。


『おかしいな……。いや、おかしい所だらけなんだが』


 調べ終えたシャーウッドが首をかしげている。首の矢傷と脳天の裂傷以外に外傷は無く、この魔獣は四人の兵士を無傷で倒した事になる。状況から見て犯人はこの魔獣に間違いなさそうだ。


『どう見ても蛇だ。きっと寒さには弱いんだと思う。現に締め付ける力が結構弱かったからな』


 なのに戦闘能力の高い近衛兵を絞め落としている。

 蛇がこの極寒の中で、長い間十分なパフォーマンスを発揮できるとは思えなかった。つまり、弱ってしまうまでの短い時間で兵を倒したのだ。仮に地下水道を伝って来たとして、体温調節のできない変温生物が、果たして凍死せずにここまで辿り着けるものなのだろうか。無理だ。

 魔獣の足取りはある程度想像できる。しかしそれは、どうしても生じる矛盾に目を瞑ればの話だ。“どこから来たのか”その答えを導き出せず、シャーウッドは首をかしげるしかなかった。


『たぶんどこからも来ていない。ここに現れたんだ(・・・・・・・・)……』

『どういう事だ?』

『以前にも似たような事がありました』


 中継都市にも現地の人間が知らない、正体不明の魔獣がたくさんいた。考えられる事は、異世界召喚の前触れ……若しくは召喚時の副産物だ。

 となると、魔獣がこれ一体とは考え難い。ショッピングセンターでは幸い一体だけだったが、中継都市の周りにはたくさんいたのだから。

 学人の懸念が的中したらしく、静かだった城内に物々しい鐘の音が響き渡った。


『これ一体じゃないって事か。まあ、どっちにしても好都合だな』


 魔獣は多ければ多いほど良い。パニックに陥った城内なら、いちいち他の者の顔など気にはしていられない。上階へ行くなら今だ。






『ジェイク様? もう声はしませんわ、どこかへ行ったみたいです。早く参りましょう』

『いや、もう少し待つ』


 警報の鐘が鳴る少し前、地下水道を突破したジェイクたちは井戸の底で息を潜めていた。よじ登ろうにも上から人の声がしていたため、行動に移せずにいた。

 静寂が訪れてからしばらく、もう大丈夫だろうと判断したソラネに、ジェイクが待ったをかける。ここまで来て、また“待て”だ。ここ数日で募り募ったソラネの我慢は限界に達していた。


『一体何を待てとおっしゃるのですか! こうしている間にもガクト様は――』


 ソラネの怒気を孕んだ無声音に鐘の音が覆い被さる。ただでさえ耳障りな音が狭い井戸の中で激しく反響する。


『これだ。ソラネとワッツはガクトを探してくれ。どうせ地下牢にでも放り込まれてんだろ。アシュとカイルは――』

『待って、どうしてこうなるとわかっていたんだい?』


 アシュレーが当然の疑問を投げかける。こうなる事を知っていなければ、待てるものではない。


森林族(エルフ)の第六感だよ。城内に魔獣が現れてるはずだ』

『魔獣が……後でちゃんと説明してくれよ。それで、ボクは守護の塔を調べたいんだけど、いいかい?』

『守護の塔? なんでだ?』

『ボクなら、普段立ち入れないそこに何かを隠す』

『そうか、じゃあカイル、アシュと一緒に行ってくれ』

『ジェイクさんは?』

『俺はちょいとひと暴れして来る。魔獣だけじゃあ頼りないからな』

『いや、無茶だよ! 捕まったらどうする気だい?』

『そうだな、そいつの功績を讃えてリスモア一周の旅に招待してやるか』

『いや……そうじゃなくて』


 呆れた溜息が出る。アシュレーやソラネは緊張で高鳴った心臓が口から飛び出そうだというのに、ジェイクは平然とくだらない事を言ってのける。踏んだ場数の違いだろうか。

 鉤縄を掛けて井戸を登る。


『既にやられてるな』


 ヘルムを被っておらず、武器も持っていない兵が井戸の前で倒れている。

 魔獣がそんな物を奪うだろうかと少し引っ掛かるが、今はどうでもいい。ジェイクは大広間に向かって廊下を右へ、アシュレーたちは食堂を抜けて外に向かう。

 外で二手に別れたアシュレーとカイルは守護の塔へ真っ直ぐに進んだ。


『塔の扉って開いてるのか?』

『中に誰もいなかったら大丈夫なはずだよ』


 塔は打掛扉になっていて、中からでないと施錠する事ができない。もし閉じられていたら通気窓までよじ登って入るつもりだったのだが、試しに引いてみると簡単に開ける事ができた。中には誰もいない可能性が高い。

 ランタンに火を入れて螺旋階段を駆け上がる。

 途中、通気窓から居館の様子を窺うと、慌ただしく動く火の光がいくつか確認できる。


『なんて長い階段だよ、くそ』


 息を切らせたカイルがぼやく。体力を奪う造りになっているのだから当然だ。

 頂上に到達し、開放されたままの天守の間に入る。月明りが無いのでここも真っ暗だ。

 部屋の柱にはいくつもの照明器具が掛けられているが、魔法結晶を利用した物なので使えそうにない。手に持っているランタンだけが頼りだ。

 部屋の中を照らすと、何か資料と思しき紙が散乱していて、中には焼けて焦げた物もある。


『アシュ、なんだそれ?』

『魔力嵐に関する資料みたいだね。でもどうして焼けてるんだろう?』


 燃やす理由がわからない。部屋の奥に視界を転じると、何か大きな塊が置かれている。


『あれは?』


 光を向けると、どうやら一部が焼けた布のようだ。何かを包んでいるらしい。きっと魔法具か何かだ、アシュレーは自分の予想が当たっていると確信し、布の下にある物を確認しようと掴んだ。

 布に引っ張られて中の物が転がる。


『おい……これは』


 ランタンの光で映し出されたそれを見て、二人は息を飲んだ。露出した部分は真っ黒に焦げているが、どう見ても人の形をしている。焼死体だ。

 なぜこんな所に死体があるのか。顔は原形をとどめていないので誰だかは判別できない。しかし、燃え残っている衣服には見覚えがある。


『アル……テリオス……』


 道理で連絡が無いはずである。

 アルテリオスはここで殺されていたのだから。

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