95.黄金の足
完全な日没と共に、牢獄内の気温は一気に下がった。学人はボロ切れと言っても差し支えない毛布をペルーシャと自分の体に巻きなおす。
二人いる看守は外套で身を包み、篝火で寒さを凌いでいる。その火の暖かさがこちらにまで届く事はない。
ペルーシャは蹲ったまま一言も言葉を発さず、荒い息遣いだけが相変わらず聞こえてくる。
ずっと格子を眺めていた学人にふと、疑問が浮かんだ。鉄でできている風に見えるが、果たしてそんな物で囚人を監禁し続ける事ができるのだろうか。
この世界には魔法がある。今は魔法が使えないからいいものの、鉄ごときでは簡単に破られてしまうのではないだろうか。
『ねえ、ペルーシャ』
『……ニャんや? 臭い、喋んニャ』
気怠そうにしながらもペルーシャが応じる。
その声には苛立ちのようなものが見え隠れしていた。一応人類と分類されているものの、本質は猫だ。やはり狭い場所にずっと閉じ込められているとストレスが溜まるのだろうか。
そんな事を考えつつも、学人の関心は格子に向けられたままだった。
『この檻って何でできてるの?』
鉄なのかどうかはわからない、だが学人には鉄ではないという確信があった。なら、一体何でできているのか、金属である事に違いはない。
重要なのはこの寒さだ。事前に聞いていた魔力嵐に関する情報では、ここまで冷え込むとは聞いていない。つまり、領都が今までに経験した事のない大寒波である。
――低温脆性。金属に詳しいわけではないが、そんな言葉を聞いた事がある。なんでも氷点下を超える温度で金属が脆くなるという現象だ。
学人の記憶が正しければ、何十年も前にベルギーの運河で橋が二度に渡って崩落した、なんて話があったと覚えている。
どういった種類の金属が、その程度まで脆くなるのか……そこまではさすがに知らない。でも、金属のその特性を利用して何かできるのではないかと考えた。
しかしペルーシャの返答を聞いた学人は唸る事となる。
『ゼルメタルや』
地球には無かった名前が出てきた。
ただし、聞いた事はある。鉱山都市で採れる鉱石にたしかその名前があったはずだ。
学人が危うく殺されそうになった黒いスライム――ブラックジェルというらしいが、その死骸が他の鉱物と混ざり合って生成される金属である。
学人に、日本人にとっては未知の金属だ。どういった物なのか見当も付かない。
『変わった金属でニャ、魔力吸収しよんねん』
それを聞いてなるほど、と納得する。魔法社会のこの大陸において、まさに牢獄にはうってつけの金属というわけだ。
ともあれ、想定していないであろうこの気温が、こちらに味方してくれるかもしれない。このままでは朝を迎える前に、二人仲良くシャーベットになっても不思議ではない。
看守に怒鳴られるのを覚悟で、学人は色々と試してみる決断をして立ち上がった。
『どニャいしたん?』
『いや、ちょっと……』
とは言ったものの、使えそうな物が水桶くらいしかない檻の中で、できる事なんて数えるくらいしかない。
とりあえず格子をノックしてみる。
『あれ?』
石を叩いたような感触があった。
そしてノックした手が、そのまま動かなくなってしまった。
『ちょ、え? あれ?』
直に触れてはいけない物だったのだろうか。
焦りながら力を入れて腕を引くと、金属に張り付いた指の皮膚が剥がれ、血が出てしまった。どうやら思った以上に冷えてしまっているらしい。
今度は思いっきり蹴ってみる事にした。
格子の前に立ち、なんとなくファイティングポーズをとってみる。気分だけはアクション映画のマッチョな主人公だ。
『ハァッ!』
掛け声は重要だ。ただの気休めに過ぎないが、シャウト効果で筋力の出力を最大限に高める。どうせ怒鳴られるのだから大きな声を出しても問題ない。学人の頼りない横蹴りが格子に炸裂する。
すると、思いもよらない結果が出た。
学人の蹴った部分が切断され、そこから一メートルほど上が小枝の如く折れてしまった。
千切れ飛んだ格子は明らかに鉄の物とは違う、重鈍な音を立てて床に転がる。かなりの重量があるらしく、これでは武器や防具、落とし格子には向かないだろう。
『おい、貴様ッ! 何をした!』
当然すぐに二人の看守が怒鳴りながら向かって来た。
まさかこうも簡単に折れてしまうとは思っていなかったので、看守をどうするかだなんて考えていない。ペルーシャも体調不良だ。
相手は訓練を受けた兵士が二人、普通に考えて学人が敵う道理などない。だが、ここでチャンスを逃してしまうと、もう脱獄の機会は永遠に無くなってしまうだろう。
やるしかない。学人は腹を括って、壊れた場所から外に出た。
看守はどちらも武器を持っていない。これは万が一脱獄された際に武器を奪われるのを防ぐための措置なのだろう。
学人は少し腰を落とす。殴りかかるよりはリーチのある蹴りの方がいいと考えた。
露出した顔面までは届かないので革鎧に守られた胴体を狙う事になるが、一人を蹴り飛ばして動きを止め、その隙に残ったもう一人に掴みかかる。
咄嗟にはこのくらいの事しか思い付かず、後は野となれ山となれである。
『う……』
看守が揃って足を止めた。すぐに押さえ付けようとはせず、何か警戒しているようだ。
(そうか……)
看守の視線を見てわかった、蹴りだ。
おそらく二人は、檻を破壊した学人の蹴りを警戒している。彼らは間違いなく勘違いをしている。
『僕は君たちを殺したくない。僕に蹴らせないでくれ』
どうであれ及び腰になっているのなら好都合だ。
少しにじり寄ると、それに合わせて看守が後退する。勝ち目の薄い勝負に出るよりは、このままハッタリで押し切った方がいいに決まっている。
……が、看守の言葉に青ざめた。
『お、応援を呼んで来い!』
その発想は無かった。焦りは禁物だ。強いのであれば、ジェイクのように悠然たる態度を見せ付けなければならない。
『やめておいた方がいい、僕に背中を見せて無事でいられると思うのかい? 黄金の足から繰り出される衝撃波が君たちを貫く!』
『お……黄金の足ぃ?』
看守は顔を見合わせると、表情を怪訝なものへと一変させた。少し調子に乗り過ぎた。
『いいから行け、ここは俺が引き――』
看守が喋っている途中、学人の顔のすぐ側でヒュッという風を切る音が聞こえた。
かすかに風が頬を撫でたかと思うと、看守の一人が仰向けに転倒する。見れば鼻から血を流して、傍らには氷の詰まった水桶が転がっていた。
『でかした、ガクト!』
ペルーシャが投擲していた。
慌てて背を向けたもう一人に飛びかかる。組しだかれた看守が抵抗しようとペルーシャに向き直った瞬間、首筋に手刀を受けてそのままぐったりと動かなくなった。あっという間の出来事だった。
首チョップで気絶させるなんて、漫画やドラマの中だけの話だと学人は思っていた。
『起きたらうっとおしいし、トドメ刺しとこか……って言いたいとこやけど』
ペルーシャがジトっとした視線を学人に向ける。そして溜息を吐くとゆっくり立ち上がった。
殺すとどうせ学人がうるさい。こんな場所で喧嘩をする気はなかった。
『ペルーシャ、体調は?』
『ん、知らん』
ペルーシャの動きは病人どころか、むしろ生き生きとしていた。学人はやっぱり仮病だったのかと安心する反面、無理をしているのではとも考えた。強がりであの俊敏な動きをするのは無理がある。とりあえずは檻から出られたのだから、もう演技の必要はないという事だろう。
倒れた看守をまさぐる。出口へと上がる階段にも格子が設けられており、開けるには鍵が必要だ。応援を呼ぶと言っていたのだから、きっと出口に走ろうとした方が持っているはずだ。
……がしかし、どれだけ探しても、もう一人の方を探してもそれらしい物は出てこない。これでは外から開けてもらわない限り、彼らもここから出る事ができない。
『変だな、どうやって応援を呼ぶつもりだったんだ?』
学人の知らない、この世界特有の何かで開けるのだろうか。だとしても、それならペルーシャが気付くはずである。
『あれや』
『え?』
ペルーシャの視線を追うと階段の隣、壁に丸い鉄板のような物が張り付いている。
触れてみるとそれは薄く、何かの蓋になっているようだ。開けると中は管になっていてずっと奥まで続いている事がわかる。これは伝声管でどこかに繋がっているのだろう。蓋がされていたので、今の騒ぎが伝わっていない事を祈るしかない。
こちらの格子はゼルメタルとはまた別の物でできているらしく、蹴ってもびくともしない。こうなっては看守を人質に、外から開けてもらう以外に方法は無さそうだ。
だがここは城の中だ。そうやって出たところで逃げおおせるとは思えない。
学人が頭を悩ませていると、格子の向こうから鉄扉の開く音が聞こえた。今の騒ぎを聞き付けたのか、それとも交代なのか。どっちにしろ一緒だ、まずい事に変わりない。
隠れないと、と思うもそれが無駄であるとすぐに気付く。死角に入るにしても倒れた看守を短時間で移動させる事はできないし、檻の中に誰もいなければ不用心に開けて入って来る事もしないだろう。
そうこうしている間にも足音が降りて来る。おそらく二人組、交代なのだろう。
『お、やるね。自力で出たの?』
姿を見せたのは予想通り二人組で、学人から見ればあまり違いがわからないのだが、半森族の男女だった。慌てる素振りなど一切無く、男が感心した風な声を学人に向ける。
『待ってて、今……開ける……』
女の方が小さな声でそう言うと、鍵を開け始める。
何か企みでもあるのだろうか、それとも自分たちの腕によほどの自信があるのか。さすがの学人も警戒せずにはいられない。
『ガクト、開いたら速攻でしばくで』
ペルーシャが小声でそう呼びかける。
『おっと、オレらは敵じゃないからね。間違っても襲ってくるなよ』
『敵じゃない……?』
『テリーだよ。ジェイクが動いたら君らに協力するように頼まれてたんだ』
『ジェイクが? 今どこに?』
『さあ、城の外で暴れてるみたいだけど、詳しくはわからない』
アルテリオスは学人を見捨てたわけではないようだ。代わりの者を寄越したという事は、自由に動ける状態ではないのかもしれない。
『あの、アルテリオスは?』
『かわらない……ワタシたちも……三日、見てない……』
その問いには女が答えた。
聞けば彼らに言づてて守護の塔へ向かったあと、それ以降二人は姿を見ていない。塔から戻ったアルテリオスが領主の間に向かうのを近衛兵が目撃しているが、その後の足取りは誰にもわからないとの事だ。
『君たちは?』
『オレ? シャーウッドだ、そっちの声小さいのがノア。ジェイクとテリーとは同期でね、まああの二人は出世頭だったんだけど』
『そうじゃなくて……こんな事をして大丈夫なの?』
『大丈夫じゃないね。でも、龍の影も一枚岩じゃないって事さ。ヴォルタリスよりもテリーとジェイクの方が絆は深い。何より、ノットはオレらも信用してない』
監禁しておいて今更罠に嵌める理由は見当たらない。きっとこの二人を信用しても大丈夫だろう。
『あの……これ』
ノアから包みを受け取る。開けてみると、それは学人とペルーシャの荷物が入っていた。ジェイクからもらった剣は侵入の際に邪魔になるため宿に置いて来てしまったので、ペルーシャの鉤爪と投げナイフが頼りだ。
それとは別に、フードの付いた毛皮の外套も受け取る。
『ガクトだっけ? 君にも何か武器が必要だな、途中で調達しよう。得意な物は?』
得意な武器なんてない。学人が言葉を詰まらせていると、ペルーシャが口を挟んだ。
『いらんいらん、ガクトには檻壊すほどの"黄金の足"があるから』
『黄金の足? なんだそれ?』
『ニャ? 頼りにしてるで、お・う・ご・ん・の・あ・し!』
調子に乗るんじゃなかったと後悔する。中二病全開でとても恥ずかしい。




