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世界混合  作者: あふろ
第四章 未来への道程
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94.前座

 目標がいよいよ眼前に迫った時、突然ザットの視界で星が瞬いた。

 次いで鼻腔に灼けるような熱さを感じ、黒に近い雨雲の空が上から下へと移動する。背中に衝撃があるとジェイクの声が聞こえた。


『何のつもりだ、気色悪りぃ。男と乳繰り合う趣味はねえよ』


 鼻から止めどなく流れる生暖かい液体を拭うと、自分が頭突きを受けて倒れたのだと理解した。

 金属的な匂いが鼻の奥いっぱいに広がっている。これではしばらくの間、自慢の嗅覚は役に立ちそうにない。

 急に視界が暗転してザットは自分が少し混乱していた事に気付いた。今はそんな事よりももっと大事な事があるはずだ。

 手からこぼれた剣を掴むと同時に慌てて身を起こす。追撃に備えなくえてはならない。死んでしまえば嗅覚もクソもない。

 しかし、目の前には既にジェイクの姿は無かった。厄介な鼻を叩いた事で簡単には追って来れないと判断したのだろう。

 ザットは息を吸い込んで天を仰いだ。




『いたぞ、こっちだ!』


 ジェイクは行く先々を兵に塞がれていた。奇襲は数人、残った者はもしもの時のために宿付近を包囲していたらしい。

 さっき聞こえた遠吠えが合図になったのだろう。包囲網は徐々に狭められ、このままだと百を超える兵に追いつめられる事になる。

 さすがに一人でそれだけの相手をするのは、今のジェイクには無理だ。


 軒を連ねる家々の上に視線を向ける。

 屋根伝いに逃げるか……。そう考えもしたが今日は嵐のおかげで風が強い。しかも水が凍るほどの寒さだ。不安定な屋根の上は楽しいくらいに滑りやすいだろう。

 屋根は却下だ。最終手段として頭の片隅に置いておくに留めた。


『おーっと、こっちもか』


 先にある路地から外套を羽織った兵が雪崩れ込んできた。後ろからも濁流のように兵が迫っている。挟まれてしまった。

 前方が完全に塞がれてしまう前に、一気に突破しなければ他に逃げ場はない。


『止まれッ!』


 道を塞いだ兵が槍を構える。突進すれば串刺しだが、ジェイクはお構いなしに疾走を続ける。

 懐から深紅の結晶を取り出すと、兵の壁に向かって投げつけた。彼らに見せ付けるように、高々と結晶がアーチを描く。

 赤い結晶は総じて火炎系の物で、深い紅は大抵が爆発の類であると相場が決まっている。飛来する結晶に兵士たちから動揺の声が上がった。


『た、退避ぃーッ!』


 爆発を恐れた兵が我先にと散らばり、転がった結晶を中心に道がぽっかりと開かれる。

 狙い通りの結果だが、ジェイクの内心に少しばかりの落胆があった。

 結晶が正しく機能するわけがない。そんな事にも気付かずやすやすと道を明け渡す。

 ジェイクの知る、以前の龍の影は精鋭揃いだった。それがどうだ、人数が増えた事によって質が落ちているのは明白だった。


『しまった、追えーッ!』


 ジェイクが駆け抜けたあとになってようやく、兵士たちはいっぱい食わされた事に気付く。

 怒声を背にジェイクは走る。無数の足音が追いかけて来るが、もうどうでもいい。防寒対策でチェインメイルの下に何枚も服を重ねているのだろう。動きは鈍く、前に障害さえなければそんな連中に追い付かれるほど鈍間ではない。


 北へ北へと進路を向けていると、正門から続く大通りに出た。この通りは西にある門から一直線に東の城まで続く。

 普段はそれなりに人が行き交っているはずだが、今日はひとつも人影が無い。西を見れば遠くに領都の大門が見える。

 目を凝らすと今まさに外へ出ようとする四つの人影が見えた。たぶんアシュレーたちだろう。どうやら閉門に間に合ったようだ。

 その様子を最後まで見届ける事なく、再び北に走り始める。少し立ち止まったおかげで追手との距離が少し縮んでしまった。


 ある程度北に進むと、今度は出鱈目に角を曲がり続ける。

 兵士たちの視界から逃れるように何度も何度も。


『くそッ! 奴はどこに消えた!』


 どうやら上手くまいたらしい。息も絶え絶えにもかかわらず、親切に大声を張り上げてくれている。

 声の主がどこにいるのかはわからない。しかし隙間無く立ち並ぶ家々を反響して、強風の中でも十分にジェイクの耳に届いていた。


『筒抜けだ、阿呆』


 何となく悲しい気持ちになった。一体いつからこんなマヌケ集団に成り下がってしまったのだろうか。


 アシュレーたちは顔が割れていないので、正門から堂々と出る事ができる。手配書を撒かれて一躍有名人になったジェイクはそうもいかない。

 これだけのマヌケが相手なら強行突破もそう難しくないだろう。だが、そうすれば周辺街でまいたとしても、そこらじゅうを徘徊されてしまう。うっとおしい限りだ。

 つまり、領都の中に潜んでいると思わせておいて、誰にも気付かれずに抜け出すのが好ましい。領都を囲む壁は他の都市の物と比べても一層高い。よじ登って、なんて事は現実的ではない。

 となると、道はひとつしか残されていなかった。


 領都は美しい。景観を第一にして築かれているのだからそれもそうだろう。今いる道を見渡しても、路上にはほとんど何も置かれていない。景観を損なう行為、例えば路上に物を置くのは原則的に禁止、案内板など以ての外だ。酒場の前に置かれている樽などは、わざわざ申請を出して許可を取った物なのだろう。

 どの道も整然としていてたしかに美しい。だが、この土地の人間でなければどの道も同じに見えてしまう。来訪者にとっては不親切極まりない。


 道を抜けると少しばかり開けた十字路に当たった。周囲からの目が無い事を確認すると、ジェイクは中央にある穴を覗いた。井戸だ。

 いくつか見て回らないといけないと思っていたのだが、この井戸ならば問題なさそうだ。運がいい。


 所々に氷が張り付いた井戸を、滑り落ちてしまわないよう慎重に降りていく。

 底に貯まった水は完全に凍り付いていて、人一人が乗ったところでビクともしない。気温だけでなく、吹き荒れる魔力も手伝っているのだろう。


 この街の井戸は独特な形態をしている。底は水が貯まるよう広げられており、常に新鮮な水が送られるように両サイドから水道が貫いている。全体像を見れば蟻の巣状に巡らされていて、部屋の部分が井戸のある場所になる。

 ジェイクは半分が氷で塞がった横穴に身を潜り込ませた。


 氷の冷たさを肌に感じながら狭い水道を這う。

 しばらく進むと、両脇に通路を携える広い水道にぶつかった。主水道だ。流れが緩いとはいえ、こちらも完全に凍ってしまっている。

 これだけ寒ければ、明日の朝には少なからず凍死者が出てしまうかもしれない。


 ジェイクはこの魔力嵐に疑念を抱いていた。

 ノットが宣言通り、亜空間に取り残された異世界――日本を召喚し、領都を破壊したとしよう。きっとそれだけでは壊滅とまではいかない。それは中継都市が既に証明している。

 皆殺しとなると、他に決め手となる何かが必要だ。

 嵐によるこの寒気は魔法の使えないこの状況で、かなりの打撃となるだろう。そう考えると、いくら何でも嵐が来るタイミングが都合良すぎる。

 おそらくノットが行動を起こすのは今夜だ。


 ジェイクは真っ暗な水道を上流に向かって走る。聞こえるのは壁を反響する自分の足音だけで、きちんと管理された水道では魔獣と遭遇する心配はない。

 大きなカーブに差し掛かるとその先に気配を感じ取り、ジェイクは足を止めた。

 こんな時に点検という事は考えられない、まさか兵が見回りでもしているのだろうか。水道はご覧の通り氷の道と化していて、足を踏み外して落ちる危険はない。

 地下に監視の目はないと断定したのは早計だったかもしれない。ジェイクは息を殺して様子を窺うが、おかしい事にすぐ気が付いた。

 気配はすぐ近くなのに、それ以外に何も感じないのだ。


 明かりすら見えないところを見れば、夜目の利く獣人族(ウォルフ)森林族(エルフ)という線も考えられる。散々足音をまき散らしていたのだから、当然向こうに存在はばれているだろう。

 つまり待ち伏せだ。


 少し待ってみても仕掛けては来ない。溜息をひとつ吐くとジェイクは背の弓に手を伸ばした。

 あまりもたもたもしていられない。

 深く息を吸うと矢を番えて飛び出した。見えた人影はひとつで、身を隠すどころか堂々と突っ立っている。武器のような物は確認できなかったが、こんな場所にいるのが一般人なはずがない。弦を引き絞る。


『うおっ!』


 弓が地面に叩き付けられる音が木霊した。矢を放つよりも速く、何かに手から弾き落とされてしまった。

 その何かを確認する間もなく、今度は身体を太い何かが巻き付いて絞め上げる。

 魔法……そんなはずがない。魔力嵐は屋外も屋内も地下も関係なく、どこも等しく魔力を乱す。


 人ではなく魔獣だった。

 人間の上半身に、脚の代わりに鱗で覆われた尻尾を持つラミアだ。巻き付いた尾の力が増す。

 この辺りでラミアがいるという話は聞いた事がない。しかも、ジェイクの知るラミアよりもサイズが大きく、上半身では無数の目玉が仕切りにギョロギョロとしている。

 無駄とも思える数の眼を持つラミアは、中継都市近辺で見た謎の魔獣を想起させた。


 上流が立ち入り禁止に指定されているのは、水が汚染されたり水道が魔獣の巣窟となるのを防ぐためだ。

 嵐のどさくさに紛れて入り込んだ可能性も否定できないが、それでも腑に落ちない。

 この見た事もない魔獣はどこからやってきたのか。もし、異世界召喚と共に出現したのだとしたら……。


 おそらく、召喚は既に始まっている。

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