91.メルティアーナ
夕暮れ時、ジータはミクシードとヒイロナ、そして小鳥にクレランスを連れて廃墟を行く。
目的地は迷宮のあった地点、メルティアーナを保護した場所だ。
争いは思いの外、簡単に鎮まった。ユージーンは天使族の存在を異人よりも脅威と見なしたのか、停戦の申し出をすんなりと受け入れた。軍隊は異人を見て、都市民は軍隊を見て唇を噛んでいたが、双方の指導者による説得の末、今は感情を押し殺して生存者の救出に当たっている。
説得の方法は簡単だ。天使族が魔法で皆の心に入り込み、戦争を引き起こすように仕向けた。それに気付いたのが異人で、天使族は異人を見て逃げ出した。
天使族は異人を恐れているらしく、もし戦いになれば異人の力が大いに活躍する、そう説いた。
かなり無理のある話だが、半信半疑ながらも全員がそれで納得した。
人は信じたいものを信じる生き物だ。天使族の手引きでこの度の争いが引き起こされた事にすれば、遺恨は残るものの全面戦争だけは回避できるだろう。誰も王国とリスモアの全面戦争なんて望んでいない。
メルティアーナは逃走の際、日没に迷宮跡にて待つ。そう言い残した。
おそらく何らかの説明があるのだと思われる。今後の身の振り方もあって、自分だけが聞いても仕方がない。そう考えてジータは異人の代表と都市の代表を随伴していた。
『こそこそしてないで、出てきなさいよ』
ふいにジータが足を止め、背後に呼びかけた。観念したように物陰から大男が姿を見せる。ユージーンだ。
手当を受けたあと、都市から出て行くジータたちを見て不審に思い、尾けてきたのだ。
甲冑はミクシードに破壊されてしまったため、巻かれた包帯の上にチュニックを重ねただけの姿だ。剣も持っていない。
『天使族の討伐に向かうにしては、貧弱な面子だと思ったのでな。加勢に来てやった』
白々しく言う。どう見ても戦う恰好ではないし、その怪我では足手まといにしかならない。
つまり、これから密会があるのだとお見通しというわけだ。
ここで追い返すわけにはいかないし、口封じに殺すわけにもいかない。仮に殺すにしても、そうやすやすと殺らせてくれる相手ではない。武装をしていなくてもそれなりの抵抗で騒ぎになり、誰かに気付かれてしまうだろう。
どうしようか、そう考えを巡らせているとユージーンが続けた。
『警戒しなくてもいい。あの天使族は謂れのない事を被ってまで争いを止めてくれたのだろう?』
真剣に考えたのが馬鹿らしくなった。
軍隊を率いるだけあって、鋭い観察力を持ち合わせているらしい。
『襲っておいて妙な言い草ね』
『俺たちの目的は異人だけだった。都市への被害は極力抑えるつもりだったのだ。だが……』
破城砲を放つ辺りから暴走した、そう言いたいのだろう。
『何が起きて何をしたのかが知りたい。あの時、部下は正気を失っていた』
『勝手にすれば。あなたの兵たちには呪縛がかけられていたらしいわよ』
『呪縛?』
ジータはそっぽを向くと再び歩を進めた。
ユージーンがヒイロナを見る。
『お前はたしか、ジェイクと一緒にいた……』
『ヒイロナだよ』
『ジェイクは何を企んでいる?』
『企む?』
ヒイロナは首をかしげた。言っている意味がわからない。
ジェイクから聞いているのは、ノットというウィザードに森林族に伝わる秘宝的な物を奪われて、樹が枯れた。
その秘宝的な物はとても危険で、領都と異人が危ないという、かなり大雑把なものだ。
『ついて来るのはいいけど黙ってて。メルティアーナと顔を合わせるまで誰とも喋らないで』
ジータが横やりを入れる。双方に大きな認識の違いがある事は、今の会話からでも十分にわかった。
言葉を交わせばきっと面倒な事になる。そういう判断だった。
迷宮跡に入る。もう全く脅威ではないが、まだ少し魔力が残っている。たまに現れる異人のアンデッドを蹂躙して進む。もう二、三日もすれば魔力は完全に散り、元の廃墟に戻る事だろう。
中心部に到着したのは、もう日がほとんど姿を隠した頃だった。
メルティアーナはこちらに背を向けて、斧槍を高く掲げていた。薄く輝く斧槍の周りで無数の光の球が遊んでいる。
廃墟を儚げに照らすその光景は、王都大聖堂を飾る一枚の絵よりも美しい。
『待っていた』
メルティアーナは人並みな言葉でジータたちを迎えた。
今、何をしていたのか……ジータは警戒する。動揺しないあたり、見られてまずいものでもなさそうだが。どちらにせよ自分に関係のない争いを止めた事といい、目的が全くわからない。
警戒するあまりメルシアーナに応えないジータをすり抜け、誰よりも早く前に出たのはユージーンだった。
『龍の影のユージーンと申します。身を呈して皆を止めていただき、感謝の言葉もありません』
跪いて頭を垂れる。騎士が主にしか見せない礼だ。ユージーンなりに最大の敬意を表しているのだろう。
その姿を見たメルティアーナは自嘲の笑いをこぼした。
『構わない。どの道私は畏怖されているのだろう? さて、何から話そうかと考えていたんだが……』
口ではそういうものの、語気には迷いがない。まず最初に話す事は決まっていたのだろう。
『私はお前たちに、我が主の奇行を償わなければならぬ立場にある』
償う。その発言にジータは失笑を禁じえなかった。女神が何をしたのかちゃんと理解できているのだろうか、それすら疑ってしまう。たった一人が償おうとしたところで、一体何ができると言うのだろうか。
たとえ死をもってしても、到底償いきれるものではない。
『それはご立派な事ね。仮にそうだとして、どうやってそれを証明するつもり? 誰も信じないわ』
『む……先の行動では証明にならないか?』
『そうね。信用させておいて、裏で何か企んでるっていうなら信じてあげるわ』
ジータの頭の中で、いくつもの訊きたい事が浮かんでは消えていく。質問が多く、何から問うべきかと思案に暮れる。
そこで、ヒイロナから聞いた事がひとつ浮上した。部屋を出たあとの話だ。
『あなた、ジェイクがどうとか言ってたらしいわね。あたしのジェイクとどういう関係?』
『あたしの……?』
メルティアーナはきょとんとした顔をする。少し考えて言葉の意味を理解すると、
『お前の思っているような間柄ではない。ただの腐れ縁だ』
含み笑いで答えた。
メルティアーナの口からジェイクとの関係が説明される。
ジェイクはお伽話の時代から生きていて、その時からの知り合いだという事。
『ありえない。馬鹿にしてるの?』
当然、ジータたちには信じられなかった。
『私は訊かれたから答えたまでだ。信じられなくても、少なくとも私はその時代から生きている』
もっとも、メルティアーナの場合は大半の時間を亜空間で過ごしていたからだが。
淀みのない声と真っ直ぐな目から、嘘を吐いているようには見えない。だが、それを証明する手段がない。
話に飽きたヒイロナは髪を弄び始めていた。
『で、あなたは今何をしていたの?』
次の質問に移る。メルティアーナは漂う魔力を操作して、何かをしようとしていた。
『あの方角だ』
メルティアーナが西を指す。ヒルデンノース領都のある方向だ。
『生命の魔力が渦巻いている』
『生命の魔力?』
『女神様に対抗するために、お前たちの祖先が作った禁断の魔力。多くの人間の命と引き換えに、変様層にまで昇華されたものだ』
また知らない単語が出てきた。そう言われればあの時も似たような事を言っていたのを思い出す。
『層とは魔力の質みたいなものだ』
普段、人々が使っているのが一番下の序開層。熟練したウィザードの使う上級魔法が浅短層に当たる。
その上が天の魔力である乖離層、生命の魔力はさらに上、変様層に位置する。
上に行けば行くほど強力になり、その性質も大きな変化を見せる。
空中庭園を満たしていた、女神本来の生命の魔力は新奇層。創世の魔力は女神層となる。
『女神様のいなくなった今、あの魔力は役目を果たしお前たちに必要ないはずだ。私ができる、まず最初の事が生命の魔力を排除する事だと考えた。行き過ぎた力は身を滅ぼす。あれは二度に渡る女神様との戦争で生まれた、負の遺産だと言える』
『それで?』
『兵たちに植えられた呪縛から、あの魔力が感じられた。何者かが使役しているのだ、心当たりは?』
『ヒイロナ、なんだっけ? あの、なんとかっていう魔術研究者』
唐突に話を振られたヒイロナが慌てた声を出す。
『え? あ……ノット。ノット・マーシレス!』
ノットの名前が挙がった瞬間、ユージーンが顔色を変えた。
『さっきも虹姫が言っていたが……呪縛とは何だ?』
『深層心理に植え付けられた、本人の意思とは別の感情だ。かつてお前たち全員にも女神様の呪縛がかかっていた』
戦争に明け暮れた歴史の理由がそこにあった。現に、女神がいなくなってから、王国では一度も戦争が起きていない。
女神大戦の傷跡があるにしても、歴史を顧みればこれは奇跡とも言えた。しかし、タネが明かされるとそれは奇跡でも何でもない、必然だった。
おそらく殺し合いをせずにはいられないような、ドス黒い感情を植え付けられていたのだろう。
『ノット先生がそんな事をするはずがない!』
ユージーンは声を荒げる。
その言葉に、ジータはクスクスと微笑した。
『あら、誰もノットがやったなんて言っていないけど?』
『今の話の流れではそういう事だろう!』
『男のヒステリーはみっともないわよ』
メルティアーナは咳払いをする。
『とにかく、私の目的は償いだ。今、転移魔法の準備を進めている』
『転移? そんな事ができるの?』
『ここにあったのは迷宮ではない、亜空間監獄だ。生命の魔力は未だに残留する創世の魔力に干渉して、亜空間を手繰り寄せようとしている。まだ残っている監獄の魔力で上手く使えば引き寄せられるはずだ』
『そう、じゃあ同行させてもらうから』
『構わない。生成にはまだ時間が要る。それまでに出発の準備をしておけ』
魔法の生成に戻ろうとするメルティアーナを、クレランスが呼び止めた。
『今回の出来事は、黒幕がいて彼らの意思ではないと捉えて問題ないのかな?』
『全てとは言わん。行動を起こしたのは自分たちの意思だろうが、ここまでする気は無かったように見えた。そこの大男を見ればわかる。彼だけは正気だった』
クレランスがユージーンを見やる。
『国王からの使者が来るまでの間、強力してもらうぞユージーン殿』
『心得ている』




