87.一騎打ち
ユージーンは悪寒を感じていた。いつの間に接近を許してしまったのだろうか。
一騎打ちはそれが成立するまでの間、かなりの危険を伴う。流れ弾に当たったとしても文句は言えないからだ。周囲には十分な警戒を払っていた。なのに気が付かなかったという事は、相手が相応の実力を持っているという事になる。
ユージーンの経験と本能が警鐘を鳴らしていた。目の前の少女は、決して侮っていい相手ではない。
眼前に構えた剣が一騎打ち成立の合図となった。
『アオキ、一騎打ちよ。絶対に手を出さないで、それがこの世界のルールよ』
ユージーンを標的にしようとした青木を、ジータが制止した。
いまいち納得がいかないし、異世界の住人である自分たちには関係のない事に思えた。だが、郷に入っては郷に従えという。
反論の気持ちを抑えて、言葉を飲み込んだ。
ユージーンが大剣を薙ぐ。剣圧に吹かれたかのように、ミクシードの身体が宙を舞った。それは一枚の羽根を連想させる、柔らかい跳躍。背面から回転すると、その姿勢のまま銃口をかざした。
『はい、どーん!』
発射された魔法はほとんど視認する事ができなかった。澄んだ青空にはとても似合わない、雷鳴を轟かせて閃光がほどばしる。
雷撃はユージーンの甲冑を伝い、地面へと逃れていってしまうが、動きを止めるには十分だった。
着地と同時に填め込まれた魔法結晶を取り替え、ミクシードの攻撃が続く。
銃身を取り囲んで四つの火の玉が浮かび上がった。
『夢幻の弾丸!』
詠唱は無く、名前だけが呼ばれる。引き金を絞る前に魔法結晶を通して魔法を生成。そこからさらに銃本来の魔法が乗る。
混合魔法は生成が難しく、どうしても時間が掛かってしまうものだ。短時間で繰り出される混合魔法に、咄嗟に対応できる者はあまりいないだろう。
魔法銃という未知の技術を前にしても、ユージーンはそこまで想定していなかった。しかも雷撃で身体が痺れ、防御の体勢を取る事すら叶わない。
無防備で大きな標的にミクシードの魔法銃が襲いかかる。
四つの火の玉が高速回転を始め、螺旋を描いて大きな弾丸へと変貌した。着弾すると小さな爆発を引き起こし、標的に壊滅的な衝撃を与える。
直撃を免れなかった巨体は土埃を巻き上げ、その位置から姿を消した。
『キミ、本当に人間族?』
ミクシードが顔を歪める。
本当なら四肢爆散、肉塊と化した胴体が豆粒に見えるくらいに吹き飛ばされるはずだった。
瓦礫を薙ぎ倒して二本の溝が伸びている。自由を奪われているのにもかかわらず、ユージーンは踏み止まったのだ。
大穴の空いた甲冑から岩盤のような胸板が覗く。皮膚が真っ黒に焦げるほどの火傷を負っているが、その眼光は揺らがない。
その甲冑はアクセサリーか何かかな? そう思わせる姿だ。
ミクシードは次の一手を模索する。まだ雷撃が影響しているのか、動きを見せない。
今の魔法を連射してしまうと銃がもたない。ユージーンを凝視したまま、結晶の入ったポーチに手を伸ばす。
瞳に映る体躯がわずかにぶれた。殺気を感じ取って一歩、後退りながら額を拭う。
「あれ……?」
額に触れた手の甲がぬるりと滑る。ミクシードはいつの間にか大量の汗を流していた。
緊張しているのか。違う。
暑いのだ。明らかに、不自然なまでに気温が上がっている。
何かされている、そう悟った時には遅かった。頭に血がのぼり、全ての感覚が遠くなる。
このままじっとしているのはまずい。そう判断したミクシードは重心を後ろに移動させ、ふらふらと後退った。そして、それは正しかった。巨体からは想像も付かない素早さで、ユージーンが肉薄していた。
『ふんッ!』
大振りの剣が振り下ろされる。騎士とは思えないお粗末な斬撃で、簡単に見切って躱す事ができる。
当然、ミクシードは左に身を躱して剣から逃れた。銃で受け止める選択肢は無い。力で勝る道理は無いし、受け止められたとしても動きが封じられてしまう。
そう、避けて当然なのだ。
「あっ……は……ッ!」
ユージーンの脚がミクシードを捉えた。
死角から繰り出された蹴りに対応できず、脇腹に鈍痛が走る。
間髪入れず溝落ちに受ける衝撃。左拳がめり込んでいた。肺の空気が強制的に吐き出され、視界が暗転する。
宙に投げ出されたミクシードは、身体を何度か瓦礫に打ち付けて転がった。
「いった……っ」
『そのまま眠っておけ』
ユージーンの声がさらに遠くなる。痛みは既にあまり感じない。なのに、手足が言う事をきかない。完全にのぼせあがって、感覚が重鈍なものになっていた。
這いつくばりながらミクシードは唇を噛んだ。まだ呼吸をしている、心臓も動いている。つまり、手加減をされてしまったのだ。
あまり感覚の無い手で銃を握ろうとするも、その手は空虚を握る。どうやら拳を受けた時に手放してしまったらしい。
魔法銃を失ったミクシードはもはや脅威ではなくなったと判断したのか、ユージーンの意識は既にジータに向けられていた。まだ動ける、終わってはいない。腰に差していた物を手にすると、ユージーンにそれを向ける。
淳平からもらったフリントロックピストルだ。魔法銃に比べれば玩具みたいな物だが、十分に殺傷力はある。
『おにーさん、気が早くない?』
通り過ぎて背を向けるユージーンに声を投げる。分厚い甲冑を貫くのは、この銃ではきっと難しい。狙うのならば露出した部分、魔法で砕いた胸部だ。
振り返ると同時に引き金を引いた。爆発音と硝煙が上がった。
狙いは確かだった。距離もあまりなく、ミクシードからすれば外す方が難しい。
なのに、弾丸は風に煽られたように軌道を曲げ、狙った胸部を外して肩に命中した。やはり貫通する事はできずに、弾かれる虚しい金属音が響いた。
目の前にある男の姿がわずかに波打つ。さらに増える汗の量、これは熱気だ。
ユージーンから発せられる異常な熱気が小規模な上昇気流を生み、弾道を曲げてしまっていた。
『敵襲ッ!』
突然、怒声が上がった。
布陣の横合いから矢が降り注ぐ。南側を防衛しているはずの部隊だ。ぐるっと大きく回り込み、廃墟の中から姿を現した。
『障壁をぶち破れッ!』
まだ残された建物の上に弓兵が並び、陰からは前衛が雪崩れ込む。
正面からではその存在を把握できなかったが、布陣の後方で待機していた集団が動きを見せた。重装兵よりも軽装の兵隊が目立つ。
“暴風のサルローネ”が率いる遊撃部隊だ。
『奴らを近付かせるなッ!』
すぐに弓矢による応戦が始まり、戦場は矢の雨あられとなる。
敵の進軍が緩むやいなや重装兵が次々に飛び出して、さらに軽装兵が続く。
ついに両軍の衝突が始まった。
南側。前衛部隊がほとんどいなくなったこの場所では、都市民がパイクを構え、その隙間を埋めるように日本人がマスケットを握り締めて警戒をしていた。
もし今ここを攻められたら……。誰もがその不安を抱きながらも、決して口には出さない。ここにいるほぼ全員が素人、不安を煽る発言をしてしまえば、一気に瓦解してしまいかねない。
『敵襲ッ!』
不安は現実のものとなった。
西門にいる軍隊に動きがあれば、すぐに伝達されるはずだ。となると、偵察の報告には無かった部隊がいた事になる。
目の前の廃墟から、五十人ほどの一個小隊が姿を見せた。




