86.開戦
太陽が真上に差し掛かる。廃墟に伸びる軍隊を見て、青木は疑問を抱いていた。なぜすぐに侵攻せず、わざわざ開戦の時を決めて待っているのだろうか。
この大陸で最も重い罪は“卑劣な手段”である。正面からぶつかり合う、これがこの大陸での騎士道である。ならず者であればともかく、領主の騎士団がそういった手段に訴えるわけにはいかない。
戦争において奇襲は“卑劣な手段”であり、それがたとえ正しい行いであったとしても、糾弾は免れない。
青木にはあまり理解できなかった。正面からぶつかり合う事で死んでしまっては元も子もないだろうに。もちろん、この空き時間を利用して都市周辺の状況を調べるためでもあったが。
ユージーンが兵隊たちに向き直った。開戦の時である。
『我らは殺し合いをしに来たのではない、大陸の未来を守りに来たのだッ!』
直立不動の体勢で、一紙の乱れもなく美しい整列を見せる兵隊が、静かに耳を傾ける。
『都市への被害は最小限に抑えよ! こちらに被害が出たとしてもだ! 異人に限り、やむ終えない場合は殺してしまっても構わん!』
なかなか無茶な注文だ。剣を交える以上、どうしても死者は出てしまう。つまり適度に手を抜いて、抵抗する都市を無力化しろと言うのだ。
内部に戦場が移ると、生かしておいた者が再び立ち上がり、取り囲まれてしまうのは目に見えている。当然、軍の被害は通常よりも大きく拡大してしまうだろう。
しかし、ユージーンに反論する者はいなかった。
彼らも覚悟はできていたのだ。これが“龍の影”として剣を振るう、最後の戦いとなる。
兵隊たちは剣を天に掲げ、自らを鼓舞するかのように鬨を上げた。
その声は城壁の上にまで届いていた。
いよいよ始まる戦を前に、それぞれが思い思いの表情を浮かべる。戦場に背を向けて回廊に並ぶ部下に、青木が声を張り上げた。
「これは殺すための戦いではない、護るための戦いである! 引き金を引く事に抵抗を覚える者もいるだろう。だが、その引き金によって、一体何人の命を救う事ができるだろうかッ!」
これは射撃訓練や人外に向けたものではなく、自分たちと同じ人間との実戦だ。撃てば当然人が死ぬ。もちろん今までに誰も人に向けて銃を撃った事はない。
殺人に対するストレスは、きっと考えている以上に大きいものだろう。たとえ、威嚇射撃のつもりが不運にも命中し、命を奪ったとしてもだ。
第二次世界大戦においても、米軍の敵に対しての小銃の発砲率は二、三十%に止どまったという話もある。
「諸君らは、私の号令で引き金を引く、ただそれだけだ! 士気旺盛にして、強靭不屈かつ勇猛果敢に――」
『どいて邪魔』
背後から急に押されて青木がよろける。
不機嫌そうな顔をしたジータが、回廊から狭間の上に飛び乗ると、何かの詠唱を始めた。
――シャラン。
幻聴か。澄んだ鈴の音色のようなものが頭に直接響いた。
それは軍隊にも届いていたようで、聞こえていた鬨が一瞬のうちに止んだ。青木が何事かと外を覗く。
軍隊は動きを止め、都市までもがしんと静まり返っていた。
――あたしはジータ・クルーエル。ヒルデンノース軍に警告してあげる。
続いてジータの声が響いた。
大陸の人間にとってこれは恐怖の象徴だった。誰もが知っている、悪夢の様な記憶が甦る。女神が降臨した時の、心に直接話しかけられる感覚だ。
『ユージーン様、虹姫ですッ!』
城壁の上に現れたジータに、全員の視線が注がれる。
――危害を加えるなら、相応の覚悟を持っていらっしゃいな。あたしが叩き潰してあげる。
ほんの一握りだが、念話を行う事のできるウィザードは少なからずいる。しかし、それは膨大な魔力を必要とし、至近距離にいる一人に対しての短時間ですら非常に難しい。
それを広範囲に渡って、大勢の人間にやってのける。常識では考えられない事だし、もはや人間業ではない。
莫大な魔力を消費しても尚、軍隊を相手取る魔力を秘めている。自分の力をそう誇示するための、これはパフォーマンスだ。
女神大戦の記憶はまだまだ人々の記憶に新しい。女神の猿真似に過ぎないが効果は絶大だった。
恐怖心を揺さぶられた軍隊の士気が下がり、それに反比例して都市が沸き上がる。
『虹姫は俺が抑える! 皆は構わず陣形を取れ!』
二の足を踏む中で、ただ一人だけ動じない者がいた。ユージーンだ。抜いた両手剣に火炎が纏わり付く。
その姿と言葉に勇気付けられたかのように、軍隊が再び動き始める。
『おい……まずくないか?』
城壁の上で誰ともなく呟いた。
門とは少し距離を置いて、正面にウィザードを中心とした陣形を取り始めたのだ。
固まったウィザードの前にウィザードが横に並び、さらに重装兵が防波堤を作る。
開戦までの間に周辺を調べていたので、南側の状況は彼らも知っているはずだ。それでも、門を打ち破る正面突破を選んだのだ。
「射撃用意ッ!」
青木の号令で隊員たちが小銃を構える。
「正面、敵中央、十発連射! ……撃てッ!」
細かい銃声が轟いた。撃ち出された銃弾は、一ヵ所に固まったウィザードを横に割ろうとするが、彼らに到達する事はなかった。
盾要員のウィザードによる魔法障壁だ。弾けた金属音を奏で、無数の火花が散る。
障壁を前に銃は無力だった。何度撃ち込もうとも、相手の魔力が尽きない限り結果は変わらないだろう。
一体どのくらい魔力が持つのか、青木には見当も付かない。そもそも、どういったタイミングで魔力が消費されるのかすらわからない。放っておけばいずれは尽きるのか、それとも攻撃を加えない限り消耗されないのか。
青木の目は、軍隊のすぐ側にあるタンクローリーに向けられた。それは残酷で、さすがに躊躇いがあった。使わずに済むのであればそれに越した事はないと思っていた。
だが、強固な障壁に護られているのであれば、被害は小さくて済むのかもしれない。
「射撃用意!」
意を決し、再び号令を出す。
「第三小隊、右タンク一斉射撃! ……撃てッ!」
少し遅れて、南側で待機していたクレランスに戦況報告が届けられる。
『馬鹿なッ! 罠はどうした!?』
万が一のために配置しておいた罠、タンクローリーにも守りが回され、点火する事ができずにいた。
前線のすぐ後方には支援部隊が所狭しとひしめき合っている。前衛部隊が人並みを掻き分けて西門へ向かっていては、到着する頃には門は破壊されてしまっているだろう。
クレランスは考えが甘かった。都市の運命を他人に委ねていてはいけないと、使命感に駆られたのが裏目に出ていた。戦争経験の無い彼が全体指揮を執るべきではなかったのだ。
この時まで、敵が南から攻めて来ると信じて疑っていなかったし、臨機応変に対応する事ができなかった。
『道を空けろ! 前衛を西門に向かわせるんだ!』
端から見たクレランスは、頼りないの一言に尽きた。
焦りを全面に出し、指揮を執る者としてはこの上ない大失態である。それを見かねたバーニィが前に立った。
『構うこたぁねえ、前衛は前進するッ! クレランスのダンナ、号令を出せ!』
『どういう事だ?!』
『どてっ腹に風穴空けてやんだよ!』
クレランスが頷く。部隊は街の外へと飛び出して行った。
「撃てッ!」
西門では無駄だとわかっていながらも、射撃が続いていた。ただ指を咥えて見ているわけにもいかず、弓兵による射撃も加わっている。
ジータが一度大きな魔法をお見舞いしたが、距離が離れていて十分な威力を発揮する事ができなかった。障壁を突き抜けても、重装兵の盾によって阻まれてしまう。遊撃がいないのをいい事に、遠距離攻撃だけを意識した陣形は崩れる事がなかった。
その鉄壁を誇る布陣から、大きな人影がひとつ躍り出た。
『我が名は竜騎士ユージーン! 虹姫ジータとの一騎打ちを所望するッ!』
大気が震えたかと錯覚するほどの咆哮。
十分な威力でないにもかかわらず、障壁の一部を破ったジータを、ユージーンは危険視していた。万が一、懐に入られでもすれば、いいように引っ掻き乱されてしまうだろう。ジータはジェイクとよく似ている。多勢に無勢が通用しない相手だ。大勢で掛かればむしろ的が増えてしまい、水を得た魚になってしまう。
ジェイクと違う点は、一騎打ちでもそれが変わらない所と言えるだろう。討ち取る事ができずとも、時間を稼げる者がこの場にいるとすれば、それはユージーンただ一人だった。
自衛隊員や弓兵はその迫力に圧されていたが、見下ろすジータの眼は冷ややかなものだった。
馬鹿馬鹿しい。
騎士ではないジータに受けて立つ理由は無い。
『ねえ』
ユージーンは耳元で囁かれた気がした。
そちらを見やると、耳の尖った白銀の髪の少女が大きな瓦礫に腰掛けている。見た事のない種族だ。
ミクシードは満面の笑みを浮かべる。
『おにーさん、わたしとシよっか?』




