85.交渉
西門周辺は廃墟が撤去されていて、ちょっとした広場になっている。軍隊は広場手前で行進を止め、アスファルトの道に長く伸びていた。
撒かれた瓦礫と、あからさまに怪しく佇むタンクローリーに警戒したのだろう。
落とし格子が開かれ、クレランスとその護衛が彼らに向いて歩き始めた。
瓦礫に足を取られて何度か転びそうになる。
その姿を認めた軍の一人がゆっくりとした動きで、跨った恐竜から地に降りた。その男が軍の指揮官であろう事はクレランスにも一目でわかった。
巨躯という事もあるが、それ以上に威風堂々とした振る舞いが圧倒的な存在感を放っていた。
広場の丁度中央、両者が対峙する。クレランスは筋肉こそ無いものの、身長には恵まれている。高さだけなら鉱石族にも引けを取らない。
指揮官は、そんなクレランスでも見上げなければならないほどだった。
並んだ二人を例えるなら熊と人間。それがぴったりだった。
『王国の軍隊がリスモアに何用かな?』
その問いに、巨躯の男が静かに答える。
『ヒルデンノース騎士団“龍の影”、ユージーンと申します。中継都市に巣食う異人の身柄を引き渡していただきたい』
ヒイロナの読みは的中していた。
彼らが交渉に応じる気はないだろうし、こちらも腹は決まっている。即答で断りたいところだが、その前に確かめなくてはいけない事があった。
『突然軍隊を送り込んでくるなどと……これは王国の意思か?』
否か応か。これによって、今後の展開が大きく変わってくる。前者であれば、他の地方に飛び火する事なく、この場限りで話を収める事もできるだろう。もっとも、それは相手の出方次第ではあるが。
後者であれば、今出している救援要請の他に、新たに伝令を出さなくてはいけない。もちろん、全面戦争に備えるための伝令だ。
期待する返答とは全く違う言葉に、ユージーンは眉根を寄せたが、
『我らが主、ヒルデンノース領主ヴォルタリスの独断だ。全責任は我らが負っている、国王陛下は一切関与していない』
あくまで責任は自分たちにあると、念を押すように答えた。
誰だって王国とリスモアの全面戦争は望んでいないだろう。勝てば領主の椅子という戦利品がある王国とは違い、リスモアに勝利したところで得られる物は無い。損得を抜きにしても、その気があったなら、それは既に起きていたはずである。
クレランスは質問を続ける。
『異人の引渡しを要求する目的は?』
『魔術研究者が、彼らが魔力を吸収し、近い将来に喰い潰してしまうと警鐘を鳴らしている。早急に然るべき対応を取る必要がある』
『研究者の名前は?』
『ノット・マーシレス』
ジータの見立てとは食い違いがあるようだ。急を要するとは研究者の誤診なのか、それとも意図的なのか、それは今この場で判断する術はない。
魔術研究者が活動する魔法図書館は、過去の国王が設立した国家機関である。そこの研究者の言葉であるなら、王国の人間が鵜呑みに信じたとしても仕方がない。
だとしても、明らかに不自然な点がある事に着目した。
国王だ。
その研究者の言う警告は、おそらく国王の耳には入っていない。知っていたとすれば、たかが一領主の暴挙を許すとは思えなかった。
然るべき対応とは言っているが、具体的な内容を何も提示していない。巣食うという言葉から、好意的な感情を持っていないのは明らかだった。
『彼らは都市の一員である。引き渡せと言うのなら、然るべき対応とやらの具体的な説明、研究者ノット・マーシレスの見解の提示。それから国王に、本人が直々にここへ来るか、直筆の書面を送るよう伝えよ。これは一領主が独断で進めて良い話ではない』
できる限り強く言う。ここで弱みを見せてはならない。毅然とした態度で対応しなければ、彼らの思う壺になってしまう。
ユージーンはその問いに答える事はせず、クレランスの向こう、門の方に目をやった。
『ところで、やけに警備の人間が多いな。我らの動向と、その目的も知っていたと見える。撒かれた瓦礫なども見ると、争う覚悟が既にあったと思うが』
『軍隊が何の通告も無しに来たとあれば、警戒するのが当然だと思わんか? それだけの人数で動いていれば、嫌でも耳に入る』
『国境都市では、突然出現した迷宮の救援部隊だという噂が持ち上がっていた。その噂を聞きつけていたとすれば、そちらからの使者も無しに警戒するとは思えない』
二人が睨み合う。
『拒否するのであれば、望み通り強硬手段に出させてもらう』
『馬鹿な……。そんな事をして、ただで済まないのはお前たちの方だ。戦争になるぞ』
『戦争にはならない。全ての責は我らが負う』
つまり、領主は自らの命を投げ打つ覚悟であるという事だ。クレランスには、どうしてもそれが理解できなかった。
国王に判断を仰げば済む話なのだ。思うような判断が下されるとは限らないが、果たして領主が命を懸けてまでやるべき事なのだろうか。
待てない、一刻の猶予も許されない、などという逼迫した状況なのであれば、さすがに研究者でなくとも異常に気付くだろう。
ノット・マーシレスという研究者は信用に値しない。
『今この都市には有能なウィザードが居てね、異人の魔力を調べてもらったのだ。君の言う通り、確かに魔力は消滅しているが、それは微々たるものだと言っている。見解が全く違う。事を急かずに、もっと詳しい調査が必要なのではないか?』
これは、できれば口にしたくなかった。魔力の消失を知っていた上で、異人の肩を持っている事を認めてしまうからだ。
下手をすれば、矢面に立たされて不利な状況に追い込まれてしまう。しかし、今にも宣戦布告を出されそうな状況で、賭けに出る他なかった。
冷静な思考であれば、強硬手段は思い止まってくれるはずだ。
『……陽が真上に来た時、開戦とする』
ユージーンは揺るがぬ決意を持ってそう告げると、踵を返した。
交渉は決裂。予想していた最悪の結果に終わった。
……。
部屋にはヒイロナと天使族だけが残されている。
結局、見張りを任されてしまったのだ。最悪の場合、都市から連れて逃げる役目も担っている。
しばらくは呆けていて口を開かなかった天使族だが、
『ここは地上なのか? 女神様は……亡くなられたのか?』
ふと、疑問を口にした。
ヒイロナは怪訝な目を向ける。妙だ。
聞いた話では、宮殿の外にいた天使族ですら女神の死を感じていたという。なのに、なぜ彼女はその事を知らないのだろうか。
(知らない振りをしてる……?)
それはあまり考えられなかった。そうする意味が見つからないからだ。
迷宮に魔力を吸われたショックで、一時的に記憶が混乱しているのか。身構えて返事をしないヒイロナに、天使族が首をかしげた。
『ジェイクはどこだ? あそこから私を助け出すなんて……あいつ以外に考えられない。話をさせてくれ』
天使族の口から出たその名前に困惑した。
大戦中、ヒイロナの知らないところで何か交流があったのだろうか。それとも同名の別人か。
『ジェイク・エイルヴィス・イーストウッドという森精族だ。彼を呼んでくれ』
『森精族?』
ますますわけがわからない。
森精族はお伽噺に登場する、今では絶滅して存在しない種族だ。そもそも実在していたかも怪しい。
ヒイロナはジェイクの過去を知らされていない。何百年も生きているとは露知らず、混乱するばかりだった。
ようやく、天使族もヒイロナの様子がおかしい事に気付く。
『違うのか? なら、私は一体どうなったのだ?』
『あなたは迷宮に囚われていたらしいわ。さっきまでここにいた、ジータっていう娘が助け出したの』
『迷宮に……監獄ではなく、地上の迷宮なのか?』
とにかくお互いに知る事が必要だ。ヒイロナは自分の知っている限りの事を慎重に教えていく。
女神のお伽噺の事。
二年前の大戦の末、女神が死んだ事。
こちらにはもう敵意は無い事。
突然現れた迷宮に囚われていた事。
それをジータが救出した事。
大陸の人間は天使族を恐れているので、部屋からは出ない方がいい事。
一通り話を聞くと、今度は天使族が自分の事を語り始めた。
『私は女神様に異を唱え、亜空間監獄に幽閉されていた。その女神大戦とやらの直前の話だ。そこから私の記憶は途切れている』
『幽閉? 何を言ったの?』
『地上に降りて、遊ぶと言い出したのだ。私はそれをお止めした』




