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世界混合  作者: あふろ
第四章 未来への道程
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82.公平無私

――ヴォルタリスが領主となった時、彼の心の中にあったのは虚しさだけだった。

 言い方は悪いが、最初からどうでもよかったのだ。サイモリルの意志も、アリスティアの意志も。


 ヴォルタリスは最高位のヒルデンノース貴族の生まれで、八歳の時に家を捨てた。

 理由は父親との決別である。一切の感情を見せない人間で、笑う所すら誰も見た事がなかった。

 貴族に必要とされるものは多方面に精通する能力はもちろん、最も重要なのは“公平無私”である。

 公平さを求められる上で、個人の感情は一切認められない。そういった意味では、父親は非常に優秀な人間だった。


 ある日、三番目の弟を乗せた馬車が盗賊団の襲撃に遭った。

 護衛は全滅、弟は誘拐されてしまった。当時、ヒルデンノースで大暴れしていた盗賊団で、その被害には領主も頭を抱えていた。

 盗賊団は一夜も明けないうちに身代金を要求してきた。父は眉一つ動かす事もなく、私兵にこう命じた。


『あれも私の息子だ。覚悟などとうにできている、取引には応じない。賊を誘い出し、殲滅せよ』


 当然ヴォルタリスは猛反発した。

 しかしそれも虚しく、弟は取引現場で盗賊と共に命を落とす事となった。

 怒り狂ったヴォルタリスは、父の喉元にナイフを突き付けた。それでも、その表情が動く事は少しもなかった。

 父はあくまでも冷静に、“公平”とは何か、今回の決断がいかに正しい事であるかを説いた。もし誘拐されたのが弟ではなく、見ず知らずの領民だったなら、果たしてヴォルタリスはどうしていただろうか。

 きっと歯牙にも掛けなかっただろう。

 ならば弟であっても、同じ態度を取らなければならない。これが父の言う“公平”だ。


 貴族は勅命により領主に仕えていて、本来の主は国王だ。よって、領主が誰であろうとも、貴族の地位や立ち位置が変わる事は決してない。

 領主と言えど、貴族をどうこうする事はできないのだ。もし貴族をどうこうしたいと言うのであれば、王城を攻め落として国王になるしか方法が無い。もっとも、アイゼル王国が始まって以来、王城が陥落した事は一度も無い。事実上不可能と言ってもいいだろう。

 城を攻め落とせば誰でも領主や国王になる事ができる。明日、自分たちの仕える領主が変わるかもしれない、ここはそんな国だ。

 もしかしたら次に領主となる人物は、とんでもない下衆かもしれない。たとえどんな良主であっても悪主であっても、貴族は自分を押し殺して公平に仕えなければならないのだ。


 ヴォルタリスは納得しなかった。

 次の日、何の準備も計画も無く、屋敷を飛び出した。公平さのために肉親を見殺しにしなければならないのなら、自分に貴族は務まらない。何より、父を許す事ができなかった。


 すぐに私兵が追いかけて来たが、連れ戻される事はなかった。彼らが持って来たものは追放状だった。

 わざわざ家を追放する旨を伝えに来てくれたのだ。元より帰る気など無い、馬鹿馬鹿しい。

 剣士としての訓練を受けていたものの、外の世界に出た事の無い、八歳の少年が独りで生きて行けるほど世の中は甘くない。

 どこをどう彷徨ったのか、いつの間にか悪政で掃き溜めと化したルーレンシア領に流れ着いていた。

 薄汚れて一部の崩壊したような建物が目立つ。臭いも酷い。汚水や汚物、死体の悪臭が入り乱れる場所だ。少し目を向けると、そこらじゅうに見窄(みすぼ)らしい人間が横たわっている。

 その中の一人に声をかけてみても返事が無い。揺すってみると、鼻や口から蛆が零れ落ちた。死体だ。

 逆に、死体だと思って近付いたら生きている人間だった、なんて事もあった。

 まるで生と死の境界線が取り払われてしまったかのような、ヒルデンノースとは全く違った光景を目の当たりにした。


 通りがかる貴族たちは、そんな凄惨な光景に目もくれない。これが父の言う“公平”の結果だ。

 国王や貴族が悪政をする領主を糾弾しないから、このような惨状になっているのだ。

 こんなものが正しいわけがない。


『民衆よ、再び立ち上がるのだ! 正義は我らの手にある!』


 食べる物が無く、衰弱しきって瓦礫の一部になろうとしていたヴォルタリスの耳に、周りの空気にそぐわない勇ましい声が届いた。声を辿って視線を動かすと、そこには薄汚い集団が立っていた。リーダーとおぼしき女が天に向かって声を張り上げている。

 話を聞いていると、彼女らは“龍の血族”という騎士団で、ルーレンシア城奪取を目指して共に戦う者を募っているようだ。


 懸命な女の声に応える者はいなかった。

 そこらに転がっている浮浪人は、一度は決起したものの敗北し、全てを失った者たちだ。もうそんな気力など残ってはいない。

 それ以外の者は、いつか誰かがこの現状を変えてくれる事を祈って、苦しい日々に耐えているだけの他力本願な者たちだ。初めからそんな気概は無い。

 ただ、たとえそうでなくても、結果は同じだっただろう。彼女たちは騎士団には到底見えなかったのだ。

 力を誇示する鎧や、身を守る鎧を纏っている者はおらず、大半がボロ切れの重ね着。良くても継ぎ接ぎだらけの革鎧のような物(・・・・)だ。武器にしても、木材を尖らせただけの物が目に付く。そこらの浮浪人と大差がない。

 どう考えても気が違ったか、そうでなければ自殺志願の集団だ。


 ヴォルタリスは最後の力を振り絞り、その集団に手を伸ばした。

 死にかけの子供を拾うなんて、彼女たちにもそんな余裕は無いだろう。当然、相手にされないと思った。

 それでも一縷(いちる)の望みをかける。どうせこのままでは餓死を待つだけなのだ。




 ヴォルタリスが龍の血族の一員になってから数年後。騎士団は見違えるまでに大きくなり、ルーレンシア奪取がいよいよ現実味を帯びてきた。

 騎士団を育てたのはサイモリルの手腕。

 数々の戦果を上げたのはノットが居てからこそ。二人は正に一心同体だった。どちらかが欠けていれば、ここまで辿り着く事はできなかっただろう。

 ヴォルタリスはいつの頃からかノットの右腕として、戦術から魔力の使い方まで、様々な事を叩き込まれていた。

 親友のユージーンと訓練に明け暮れる日々。ノットの指導の下、二人は魔法を取り入れた剣術を得意としていた。

 まだまだ幼いながらも大の大人に引けを取らない。特にユージーンの炎を纏った大剣を振るう姿は勇猛で、恵まれた巨体も相まって見る者を圧倒した。それはまるでドラゴンのようだと賞賛され、竜騎士という二つ名まで付いていた。


 最初はただ餓死から逃れるためという、ただそれだけの理由で騎士団に入った。

 しかしこの頃になると、自分の歩むべき道を見出せるようになっていた。


 いずれは独立をして、ヒルデンノースを目指す。

 追放したはずの息子が、ある日突然自分の上に立つ。その時、父はどういった反応を見せるのか。

 “公平”に跪くのか。……そんなはずがない。きっと屈辱に顔を歪めるに違いない。その無感情な仮面を剥ぎ取ってやる。“公平”とやらを自らの手で否定させてやる。

 これがヴォルタリスの、父親に対する復讐だった。




 龍の血族が無くなったその日、天が与えたチャンスだとさえ思えた。

 仕える主から解き放たれ、手に残ったものは精鋭揃いの分家騎士団、龍の影。それも、自分に忠誠を誓った者たちだ。龍の血族の面々も、大半がヴォルタリスに付いて行く事を表明した。

 新しいルーレンシア領主は真っ当な統治をしていたし、領主の交代は国に定められたルールに則った、正当なものであった。恨みを持つのはお門違いだとヴォルタリスは考えていた。サイモリルも、殺されるその覚悟はあったはずだ。

 もはやルーレンシアに執着の無かったヴォルタリスは、ヒルデンノースを攻める決断をした。


 龍の血族がルーレンシアの助力を得て、ヒルデンノースを攻めるという偽情報をどう受け止めたのかはわからない。こちらを危険視していたルーレンシア領主にとっても、これは得であると判断したのだろう。

 噂を否定するどころか、ヴォルタリスに協定の打診をしてきたのだ。その内容は噂の通りである。


 嘘から出た真。ヴォルタリスは見事ヒルデンノース城を攻め落とし、領主の椅子に座った。




 戴冠式の前日、ノットが血相を変えて城にやって来た。おそらく自分を非難しに来たのであろうと思った。

 ヴォルタリスにとってサイモリルは母親、ノットは父親のようなものだ。二人がいなければ、あの時に拾われていなければ間違いなく野垂れ死んでいた。なのに、恩を仇で返すような真似をして、この地位に就いたのだから。

 どんな罵倒も受け入れる覚悟だった。


 だが予想に反して、ノットの口から出たのは賞賛の言葉だった。

 ヴォルタリスはこの時、自分は間違っていないのだと確信した。




 新しい領主に戴冠をするのは、代々ヴォルタリスの家の役目だ。つまり、父親から領主の冠を受け取る事になる。

 そして戴冠式の日。

 ヴォルタリスが待ち侘びていた瞬間が訪れた。

 勝ち誇った顔で父を見下ろす。仮面が剥がれ落ちるその瞬間を目に焼き付けようと、嬉々として眺めていた。

 しかし、ヴォルタリスの望んでいたものはそこには無かった。


 父は何の感情も示さず、事務的に戴冠式が執り行われた。

 何も感じなかったはずがない。ヴォルタリスは当て付けるかのように、用事が無くても度々登城を命じた。

 政務に関する報告書に目を通し、重箱の隅をつつくように粗を探した。些細なミスを見つけると、これでもかと言う程に罵倒した。

 それでも父の仮面が剥がれる事は無かった。


 これが父の正義、“公平”だ。彼は決して折れる事が無かった。

 ヴォルタリスにあったのは虚無感だけだった。

 しかしここで敗北を認めてしまうわけにはいかない。数え切れない仲間の屍を踏み越えてここまで来たのだから。


 遠い記憶となったルーレンシアの惨状を思い出す。

 “公平”が生み出した、あの悲惨な光景だ。

 ヴォルタリスは“公平”を否定して家を出た。ならば、それを否定した者がより良い方向へ、幸福へと王国を導いて行く。いつかはこの貴族の制度を撤廃させてみせる。

 たとえ本人が何とも思っていなくても、それは敗北と同義なのではないかと思い至った。


 王国のため、父の存在を否定できるのであれば、命を投げ打っても構わない。

 魔力を喰らい尽くす異人の殲滅は、歴史に名を刻む大儀である。国王の意に反してでも、リスモアとの戦争が勃発してでも、長い目で見ればそれは王国の……エルゼリスモア大陸のためになる。

 事が済めば自分は国王に処刑されてしまうだろう。それも仕方ない。今は無理でも、いつかは自分が正しかった事が証明されるはずだ。

 貴族制度に異を唱える遺言を遺して逝く。自分でできなかったのは残念だが、誰かが意志を継いでくれる事を願って。



……。



 守護の塔へ行ったアルテリオスの帰りを待つヴォルタリスは、先ほど交わしていた会話を反復していた。口ではまだ確定していないとは言っていたものの、どこか確信がある様子だった。

 仲の良いジェイクの言だったという事もあるだろう。でも、それ以上の何かがあるような気がした。


 思いを馳せていると、扉がノックされた。居住まいを正すと、入室を促した。


『何か見付かったか? テリー』


 扉が開くと、アルテリオスが入室する。そして、気まずそうな表情を浮かべた。


『すまんかった、ヴォルタリス。儂の思い過ごしじゃった、許してくれ』


 その言葉に心底安堵した。

 やはり、自分の慕う人間がヒルデンノース壊滅などと、そんな事をするはずがないのだ。




――そう、自分は間違ってなどいない。

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