80.復讐者
『ありがとう、助かった。また頼むぞい』
『へ、へえ。できればちゃんと申請を通してからにしてほしいものです。そのうちにあっしまで怒られてしまいますよ、アルテリオス様』
荷物の搬入を終えた商人に成功報酬を渡す。荷馬車を見送り、ふと守護の塔を見上げると、天守の間に人影のようなものが見えた。
一瞬で見えなくなってしまったので誰かはわからないが、ヴォルタリスでない事は確かだ。
裏口警備の指揮官に声をかける。
『これ、天守の間に誰かいるようじゃが?』
『あぁ、ノット様ですよ。なんでも魔力嵐の観測がしたいとかで、特別に許可が下りているんです』
暢気なものだ。
『アルテリオス様、こちらにおいででしたか!』
アルテリオスが踵を返そうとした時、近衛兵が慌しい様子でやって来た。
『なんじゃい?』
『ヴォルタリス様がお呼びです。領主の間に来るようにと』
『わかった、すぐに行く』
領主の間に入ると、アルテリオスは慇懃に頭を垂れた。
『お呼びでしょうか、領主様』
その態度に、ヴォルタリスが眉根を寄せる。
『テリーが礼儀正しいのは気持ちが悪い。今は二人しかいない、いつも通りでいい』
『ならばそうさせてもらおうかの。儂も丁度お主に用があったんじゃ』
『リスモア出兵の件か? それともノット先生の件か?』
言って、紋章が刻印されたプレートをちらつかせる。アルテリオスが学人に持たせた物だ。
侵入の手引きをした事はバレてしまっている。ならば無理に誤魔化す必要はない。
『自らを異人と名乗る侵入者が持っていた。説明をしてもらおうか』
『なんじゃ、あの若造もう捕まってしまったのか。ちと早すぎやせんかの』
『ノット先生がヒルデンノースの壊滅を企んでいるなどと、戯れ言を言っていた。その話を聞いての事か?』
『もちろんじゃ』
『そんな事をして先生に何の利があるというのだ。お前とは長い付き合いだ、何を考えているのか正直に話てくれ』
『儂にはノットが信じられん。それだけの事じゃ』
きっぱりと言い切る。
対して、ヴォルタリスは諭すように話す。
『テリー、ノット先生は俺やユージーンの師であり、親とも呼べる人だ。誰よりも信頼できる人だと思っている』
『だから何じゃ? 儂からすれば、ただの胡散臭いウィザードにしか見えんわい』
これだ。ヴォルタリスはノットを妄信している。
普段は物事をあらゆる角度から見つめ、決して色眼鏡で判断を下す事は無い。アルテリオスの裏切り行為を知っても尚、こうやって事情を聞き出そうとしているあたり、いつも通りの冷静沈着さだ。
なのに、ノットが関係すると妄信というよりは狂信的。一種の呪いのようにも思えた。
『サイモリル……』
アルテリオスが初代姫の名前をぽつりと口にする。
『儂が血族に入った時は既にアリスが姫じゃった。初代の事も、ノットの事もほとんど知らん。だから教えて欲しいんじゃ』
『……言ってみろ』
『サイモリルとノットの関係じゃ。儂にはノットがただの軍師であったとは思えんのじゃ』
ヴォルタリスが瞑目する。
なぜ今、初代の話が出てきたのか。全く理解の外だった。
『今は関係の無い話だろう』
『いいや、重要じゃ。ノットの動機を知る上でこれほど重要な事はない』
アルテリオスの真剣な眼差しを受けて逡巡する。
話を逸らしたり、何か時間稼ぎをしている風にも見えない。
『儂もあの若造とジェイクから聞いた話じゃ。疑っておるわけではないが、完全に信じてもおらん。最終的な判断は自分の見たもので決める』
『やはりジェイクか……』
『もちろんノットが正しい可能性もある。あの若造は、もしもの時のための人質じゃ』
なら尚更、ヴォルタリスには学人の話を信じる事ができない。信頼を寄せる人間が敵だと断言した相手、しかも自分と袂を分かった人間が口にする言葉と同じだ。
『では訊くが、魔法の消滅はジェイクにとって何の利があるんじゃろうな?』
ヴォルタリスは観念したかのように口を開いた。
『初代と先生は……孤児だった。幼い頃から助け合い、ルーレンシア領で生き抜いたと聞いている』
『となると、その頃は血族が治める前、“紅空”の時代か』
初代龍の血族がルーレンシアを統治する以前、騎士団“紅空”の領主は私腹を肥やす事しか頭に無かった。まともな政治が行われず、貧困を極めた暗黒の時代だ。
孤児でなくとも生きていくには過酷な環境だ。子供二人が泥水をすすり、這いつくばって必死にその日を生きる姿が目に浮かぶ。
国に定められた税収の一部を納め、貴族にさえ影響を及ぼさなければ、悪政であったとしても国王は一切関与しない。不満があるならばその手で勝ち取る、これがアイゼル王国不変のルールだ。
そんな腐りきった地の領主になろうとする者は当然おらず、宣戦布告をする騎士団は皆無。領民が何度となく剣を手に立ち上がったが、領主交代に至る事はなかった。
警備隊も満足に機能しておらず治安は最悪、窃盗や殺人は日常茶飯事。領民全体が飢えていた。
疲弊しきった領民が絶望に沈む中、現れたのがサイモリル率いる龍の血族だった。領主を討ち取り、荒廃した領を再建。領民からすれば英雄に他ならない。
だが、皮肉にも復興した事により、ルーレンシアに宣戦布告をする騎士団が現れ始めた。力の殆どを領地復興に注いでいた龍の血族が耐えられるはずもなく、サイモリルの統治が長く続く事は無かった。
こうやって言葉にしてしまうのは簡単だ。しかし血の滲む努力と、数え切れない死線があった事は想像に難くない。
ハイエナの如く領主の座をかすめ取られた、その無念は如何ほどのものだろうか。
親子ほどの関係の人間が初代の意志を捨て、その相手に媚態を示す。その憤慨は如何ほどのものだろうか。
『……なるほど、その憶測が正しければ、たしかに先生には動機がある。だが先生は領主になってからも力添えをしてくれている。それにサイモリル崩御と共に騎士団を抜けたのだ! 意志を捨てたのは先生の方だろう!』
怒鳴り声が響いた。
ヴォルタリスにとって、ノットは親も同然。どうしても認めたくはなかった。
『やはりアリスから何も聞いてはおらんのか……』
『アリスは後継者を選ばなかった。初代の意志はそこで潰えたんだ。俺は俺の道を行く、それが当然だ!』
『ノットはお主を裏切り者としか見ておらぬ。なにせ仇の手を借りてまで他領の領主になったんじゃからな。奴は復讐者じゃ』
『違うッ!』
アルテリオスは深いため息を吐く。
ヴォルタリスは珍しく感情的になっていて、言葉で何を言っても無駄だろう。証拠……証拠となるものが必要だ。
あるとすれば、それはおそらく……。
『儂とは長い付き合いだと言ったな? ならひとつ、儂を信じて待っておれ』
『何をするつもりだ?』
『阿呆の君主のために尻尾を掴んで来てやろう。守護の塔への立ち入り許可をもらうぞい』
『いや、駄目だな。それならば俺も一緒に行こう』
『お主はすっ込んでおれ! 今やノットだけでなく、貴族からも命を狙われているという事を肝に銘じておけ! 今死なれると面倒じゃわい!』
領主の間を退出したアルテリオスは、そのまま守護の塔に向かう。
中を覗くと明かりは点いておらず、魔力嵐の影響で冷え切った空気が肌に触れた。
傍らにあったランタンに魔力を込める。
普段通りに何気なく明かりを灯したつもりだった。なのに、ランタンは激しく点滅したあと、光を失ってしまった。どうやら思っていた以上に魔力が荒れてしまっているらしい。
気を取り直して、今度は集中して魔力を注ぐ。
まさかこんな所に罠を張っているとは思えない。アルテリオスは無警戒に階段を昇り始めた。
階段は長い。寒さも相まって、老体には少し堪える。
老いた自らの体を嘆きつつ、足を進めていった。
ノットがどういった方法で異世界を召喚するのかは、未だに見当が付かない。
もし人知れずに準備を進めているとすれば、この場所以外にはありえない。必ず証拠になる何かがあるはずだ。アルテリオスは確信に満ちていた。
天守の間に到着する頃にはすっかり体も暖まっていた。息を切らしながらも扉を押し開ける。
『やれやれ、もう二度と登らんぞい』
先ほどまでノットがいたはずだが、部屋に入るとそこには誰の姿も無かった。“興奮”を期待していたアルテリオスとしてはがっかりだ。
部屋にあるのは偉そうな椅子、そして床一面に散りばめられた紙。魔力嵐観測用と思われる、水晶の形をした魔法具もあった。
目に付いた紙を拾い上げる。アルテリオスは魔力の流れに関して専門ではない。それでも、この紙に書かれているのはただ難しい言葉と図形を羅列しただけの、全くでたらめなものである事がわかった。
(やはり観測などしてはおらぬ。ならば、奴は何をしておるんじゃ)
意味の無いらくがきが散らばっている以外に、怪しい所は見当たらない。
魔方陣が無ければ、それらしい魔法具も無い。もっとも、この部屋に収まり切る程度の魔方陣で、異世界の召喚が為せるとも思えないが。
観測をしていないという事実だけでは、証拠としてはあまりにも弱い。何か見落としがないか、必死に考える。
水晶を見やる。
試しに魔力を注いでみると、周辺一帯の魔力の流れが投影された。
『んん? なんじゃこれは』
映し出された水晶に見入る。
普通魔力嵐とは、中心に向かって渦巻く綺麗な円を描く。なのに水晶のそれは、今までに見た事のない渦を形成していた。
すぐ側に落ちている紙に目を移す。
『やあ、アルテリオス。どうしたの? 魔力嵐に興味があるのかな?』
ふいに背後に声を受ける。振り返ると、扉の向こうにノットの姿があった。
『これはこれはノット殿。こんな良い場所で観測など、そうそう無いのでな。少し様子を見させてもらっとったんじゃ』
言いながら、紙に目を通す。
『そこらに散らばっておるのは、過去のデータかの? 儂にはでたらめな物にしか見えんかったんじゃ。そしてこれが、今回の物かな? 実に興味深いのう、これはまるで――』
『あのさ』
ノットが言葉を遮った。
『君ってジェイクと仲が良いんだってね?』
突拍子もない事を言い出したノットの意図が掴めない。少し困惑しながらも返事をする。
『……それがどうかしたかの?』
『私は彼の事が気に入ってるんだけどさ、どうやら嫌われちゃってるみたいなんだよね。どうやったら仲良くなれるのかな?』
『一度死んで生まれ変わってみてはどうじゃ』
『んん……それは難しいなぁ。でもさ、ジェイクはひとつ面白い事を教えてくれたんだよ』
『ほう、何じゃ?』
『真っ先に死ぬ奴って、どんな奴だと思う?』
『そりゃあ決まっておる。年寄りの話を聞かんマヌケじゃ』
ノットの顔が狂気に歪む。
『違うね、知りすぎた奴さ!』




