77.侵入者
荷車の振動が体に響く。
隙間からわずかな光が零れているのものの、狭い木箱の中は真っ暗だ。
荷物に紛れて城に侵入する。使い古された手だが、手筈さえしっかりとしていればこれほど有効な手は無い。
『若造、この中に入れ』
これはアルテリオスの案だ。昨夜、答えの出ない話し合いのあと、藪から棒にそう言い出した。
強化された城の警備は完璧で、地下水道にすら兵が立っている。貴族の差し向ける暗殺者対策で、鼠一匹潜り込む隙がない。
アルテリオスの持つ権限であれば客人として城に招く事もできる。しかし今はそれすらもできない状態だ。
アルテリオスが持ち出した木箱は小さな物で、子供がギリギリ入れるかどうかの大きさしかなかった。
『いや、絶対に無理ですよ』
『見ておれ』
アルテリオスが木箱を中心に何かを描いていく。
この世界に来てそれなりの月日が経ったが、話に聞くだけで実際に目にするのは初めてだ。
魔方陣による魔法の生成。
時間をかけて入念にチェックしたあと、アルテリオスの詠唱が始まる。
『――真理の壁を打ち砕け、小人の部屋』
魔方陣をぼんやりとした光が走り、中心に収束する。
『ほれ、入ってみよ』
アルテリオスはそう言うが、木箱に変化は見られない。
やれやれと思いながらも木箱に足を突っ込む。大人の体格で入れるわけがない。
『あれ?』
学人の体がすっぽりと収まった。
『空間魔法で中を広げてやった。魔方陣を必要とするものが多いのが欠点じゃがのう』
自慢気にケタケタと笑う。
さすが宮廷魔術師というだけあって特殊な魔法を持っている。アシュレーたちも初めて見るらしく、目を丸くしていた。
『行商には金を掴ませる。後の事は儂に任せよ』
まさか小さな木箱に侵入者が潜んでいるだなんて、誰も夢にも思わないだろう。
搬入の際、荷物のチェックが入るはずだが、そこはアルテリオスの事を信じるしかない。
『よーし、止まれー』
揺れがなくなった。ようやく裏口に到着したらしい。
『今日はやっぱり多いな。おい、荷物を確認しろ』
荷物の検査が始まる。知らない声ばかりで、アルテリオスはこの場にいないようだ。
品目を読み上げる声と荷物をまさぐる音が近付いて来る。一体どういった話を付けているのか、その内容は知らされていない。
『おい、その木箱は何だ? リストに無いぞ!』
『あ、いえ、これは』
心臓が波打つ。
兵士は木箱の事を知らされていないかったらしく、不審に思ったようだ。商人も明らかに動揺した声をあげている。
『おい、調べろ!』
非常にまずい。見つかってしまう。
こうなれば蓋が開いた瞬間、飛び出して逃げるしかない。捕まってしまって、異人である事がバレれば処刑される可能性が高い。運良く命が助かっても監禁でもされれば意味が無い。
蓋を留めている釘が鈍い音を鳴らし、わずかに光が差し込んだ。
『なんじゃ、随分と早かったのう。それは儂が頼んでおいた物じゃ』
アルテリオスの声だ。蓋を開ける手が止まる。
『アルテリオス様、またですか』
『すまんすまん、申請が間に合わなくてのう。ほれ、何をしておる? さっさと中身を確認せんか』
『い、いえ、大丈夫です。おい、開けるな! 絶対に開けるんじゃないぞ!』
蓋が閉じられて、箱の中に暗闇が戻る。
『なんじゃ、つまらんの。悪いが儂の部屋まで運んでおいてくれ』
『はっ! おい、早く運んで差し上げろ! お前達も手伝え! 絶対に落とすなよ、責任は持てんからな!』
兵士の声には恐怖が滲んでいる。アルテリオスは城内では恐れられている人物なのだろうか。
『おい、どうした。畜生! やっぱり開けな――』
兵士の声が遠くなる。危機は脱したようだ。
『もうよいぞ』
アルテリオスの声を受けて箱から飛び出す。いくら空間を広げたからと言っても窮屈だ。体の節々が痛い。
周囲を見回す。
宮廷魔術師の部屋なのだから、何か研究室のような場所なのだと思っていた。しかし予想に反して、そこは小奇麗に片付いた普通の部屋だった。
『思ったより普通の部屋なんですね』
人並みの感想を述べる。普通と言っても城の部屋だ。豪華である事には変わりないのだが。
『ふむ、研究室も見てみるかの? あやつらのようにトラウマになっても知らんぞい』
あやつらとはさっきの兵士の事だろう。
彼は一体何を見たというのだろうか。
『若造、これを肌身離さず持っておれ』
そう言って渡されたのは紋章が刻印されたプレートだ。
『それが儂の助手である証となる。身分の提示を求められたらそれを見せよ。……まぁ、多少は同情的な目で見られるかもしれんがの』
城で働く人の数は多い。多少はうろうろしていても大丈夫との事だ。
無事潜入できたのはいいが、問題はこれからだ。具体的にどうするといった案も無いまま、結局アルテリオスに言われるがままにここまで来てしまった。城に入ったからといって都合よく何かがひらめくわけでもない。時間だけがただただ過ぎていく。
窓から外を覗く。
城はもちろん城壁に護られている。美しい市壁とは違い、こちらは少し息苦しさを感じる威圧感のある壁だ。
手前には庭園というには少し寂しい空間が広がっており、中央には塔が立っている。あれが話に聞いていた、攻城戦の際に領主が立て籠もる塔だろう。
想像していたよりも高く、強固な造りになっているようだ。今いる部屋もそれなりの高さがあるが、塔はそれよりも高い。
『城の見取り図とかは無いんですか?』
『あるわけなかろう。ここは居館の四階じゃ、これより上には行かんようにな』
『居館?』
『城の本体じゃ。二階は近衛兵の居住区や詰所、三階は使用人、ここ四階が役職者の居住区になっておる』
『じゃあここより上は?』
『領主の間じゃ。ノットもそこにおる』
大まかな城の構造を聞いておく。特に聞いておくべきは立ち入り禁止区域だ。知らずに立ち入って捕まったのでは洒落にならない。
アルテリオスはどこかへ出掛けてしまい、一人部屋に取り残される。
じっとしているよりは、と学人も部屋を出た。いざという時に、どこに何があるかわかりませんでは話にならない。
役職者の居住区だけあって廊下に人気は無い。左右を見渡す。
豪華絢爛というよりは落ち着いた趣だ。石像が点々と並び、壁や柱には精密な彫刻が施されている。
右方向の奥は行き止まりで、突き当たり付近には窓があって日が差し込んでいる。
左方向に進む。
敷かれた赤い絨毯は見事な物で、厚く柔らかく、踏みしめる度に反発力が足に伝わってきた。
扉の連なる廊下を進むと右手に脇道が出てきた。どうやら並行に走る向こう側の廊下に繋がっているらしい。遠くに見える廊下から、この城の広さが窺える。
奥よりもその途中に目が留まった。中央付近にある大きな扉が開け放たれたままになっているのだ。丁度誰かが入って行ったようで、白いフリルの付いた黒いスカートの端が中へ消えて行った。
そういえば扉があるのは片面だけで、こちら側の壁には無かった。何か大きな部屋でもあるのだろうか。
興味をそそられて脇道に逸れる。
扉の先は聖堂だった。学人はあまり入った事はないが、キリスト教の教会といったイメージだろうか。拝廊を抜けると長椅子の並ぶ身廊が伸びていて、奥の内陣には祭壇がある。
祭壇には台座が残されているだけで何も奉られていない。おそらく創世の女神を奉っていたに違いない。先の女神大戦で信仰が失われてしまい、石像か何かが撤去されてしまったのだろう。
天井は高く、吹き抜けになっているらしい。祭壇前では身廊が十字になっていて、一際明るくなっている。そこから見上げると、窓が光を取り入れていた。
色とりどりのステンドグラス、魅惑的な石像。本当にこれがこの世界の技術なのかと疑ってしまうほどの、見事な芸術品に学人は息を呑む。
誰かが入って行ったと思ったのだが、誰もいない。気のせいだったようだ。
「んんッ?!」
戻ろうと踵を返したところで背後から突然口を塞がれてしまった。同時に喉元には冷たいナイフが光る。
『動くな……』
くぐもった声が耳元で囁いた。




