7.成れの果て
空っぽのザックを背負い、シャベルを片手に外出の準備をする。
二人にも同行してもらいたいところだが、ジェイクはあの怪我だ。無理はさせられない。
なので、今回は周囲の偵察だけに止めておく。学人一人で図書館まで行くのはあまりに危険だ。
近くで食料などを調達できればいいが、それすらも難しいかもしれない。最悪の場合は他に鍵の開いている部屋が無いか探すしかない。
二人にはここで待つように伝える。
『うん、わかった。準備するね』
学人のジェスチャーに頷いたヒイロナが、パタパタと寝室へ走って行った。
頷いたのだから上手く伝わったのだろう。そう思い、玄関に手をかけたところで、寝室から二人が出てきた。
振り返った学人は愕然とする。
ジェイクは腰に剣を携え、弓を背負っている。ヒイロナは特に荷物が無いものの、かなりやる気に満ちた目をしていた。
完全に外出する気だ。付いて来る気だ。
二人の間で何らかの話し合いが行われていたのだろう。学人が行くのなら、自分達も一緒に行って当然という顔をしている。
「いや、そうじゃなくて……」
待ってて、というジェスチャーをどう受け止めたら、一体そんな事になるのか。
ジェイクが学人の肩に手を置いて、脇をすり抜ける。
『行くんだろ? ボヤボヤしてると置いて行くぞ』
ジェイクは昨日と比べて調子がいいようだ。少し脇腹を気にしているものの、足取りは軽い。
今回はあくまで周囲の偵察だ。無茶な事をしなければ大丈夫だろう。
そう考え、結局三人揃ってマンションを出た。
外は妙な臭いが漂っていた。
今までに嗅いだ事の無い、僅かに酸っぱさの混じった嫌な臭いだ。
この暑さで放置された死体の腐敗の進行が早いのだろう。
「あッ!」
道路に視線を巡らせた学人は、思わず声を上げた。
乗り捨てられた車の向こうに人の姿があった。
まだらに血で赤く染まっているが、白いワイシャツ姿の中年男性だ。こちらには気付いておらず、背を向けてよたよたと歩いている。
両手を振り、その人物に呼びかける。
「おーい、そこの人! 大丈夫ですか?」
中年男性は歩みを止めたあと、ゆっくりとこちらへ振り返る。どこか怪我をしているのか、返事をしないまま近付き始めた。
すると、ジェイクは不機嫌そうに舌打ちをし、ヒイロナには口を塞がれた。
人差し指を口に当て、しぃーっとジェスチャーをしている。この仕草はどこの世界でも共通らしい。
そこで我に返る。
生存者を見つけた事に興奮してしまい、大声を出してしまった。当然、近くを徘徊する怪物を呼び寄せてしまうだろう。
学人はそういった意味での“静かに”だと、そう思った。
おもむろにジェイクが弓を構える。狙いは中年男性に向けられていた。
「おい、何する気だよ!」
慌てて止めさせようとする。
ジェイクの腕に掴み掛かろうとすると、ヒイロナに腕を引かれてしまった。険しい顔で首を横に振り、ジェイクは呆れた眼で学人の事を見ている。
『お前、あいつらとお友達か? 顔が広いな』
ジェイクは薄い笑いを浮かべると、気を取り直して狙いを定めた。
張り詰められた弦から指が離れる。
風を切る音が聞こえ、次の瞬間には中年男性の額を正確に射抜いていた。
中年男性は呻き声を上げる事も無く、静かにその場で崩れ落ちる。
「あ……」
学人は力なく膝をつき、中年男性のいた空虚を見つめていた。
殺されてしまった。
この男は躊躇する事も無く弓を引いた。結局は森林族も怪物と同じ、人類にとって敵でしかないのだろうか。
ならば自分はなぜ生かされているのか。都合のいい様に使われ、用が済めば殺されてしまうのか。
そう考えると、怒りが込み上げてきた。
気が付くと学人はジェイクに掴み掛かっていた。
「お前……ッ!」
怒りのあまり言葉が続かない。
ジェイクは怒気を孕んだ学人の表情に驚いた顔を見せた。それも一瞬、何かを察したらしく、学人の首根っこを掴んだ。
そのまま中年男性の元へ引きずって行く。
『ジェイク! 乱暴は……っ!』
『ロナは黙ってろ。こいつは何もわかっちゃあいねえ』
学人を浮遊感が襲った。
背中から地面に叩き付けられて、アスファルトに擦れた部分から熱を感じる。どうやら放り投げられたらしい。
同時に、激臭が鼻に突き刺さった。
思わずその場から離れるも、込み上げる嘔吐感に抵抗できず胃の中をぶちまける。
こぼれる涙を拭って臭いの発生源を探ると、それはすぐに見つかった。
「そんな……」
言葉を失う。
発生源は中年男性だ。
土色に変色した肌には水泡の様なものがいくつも浮かび、紫色の筋がいくつも走っている。
混濁した瞳の目は虚ろ気に開かれたままになっていた。
死体だ。
矢で射抜かれるよりも、もっと前から死体であった事が一目瞭然だった。
つまり、死体が動いていた事になる。
『大丈夫? 立てる?』
ヒイロナが呆然する学人に、優しく手を差し伸べる。
その手を取って立ち上がっても、学人は死体から目を離せずにいた。
「ごめん、ありがとう」
無言のまま歩き始めると、学人はぽつりとそう口にした。
また助けられてしまった。
まさか死体が歩いているなんて誰も思わない。仕方ないと言えば仕方ない。
言葉は通じないが、学人はそれでもお礼を言っておきたかった。
雰囲気で伝わったのか、ジェイクは軽く手を挙げてそれに応える。
ふと、一軒の建物に目が留まった。コンビニだ。
確保できるうちに物資を確保しておきたい。
コンビニを指さして、中に入る事を伝える。小さめの駐車場を抜けて割れた硝子から様子を窺う。店内からは腐敗臭が漏れていた。
死体か、または屍人か……。
どちらにせよ、入るには相応の覚悟が要りそうだ。
学人が中に入ろうとするのを腕で制し、ジェイクが先陣を切る。
学人とヒイロナはその後に続く。入店時の軽快な音楽は鳴らない。
バックヤードから物音がすると、剣を抜いたジェイクが中へ入って行った。
少し遅れて何かが倒れる音が店内に響く。従業員の死体が動いていたのだろう。
そちらはジェイクに任せて、学人は手早く必要な物を見繕っていく。
缶詰、ナッツ類、ミネラルウォーターを適当にさらい、ジッポーオイルも数本。それから酒だ。
飲む為ではなく、何かに使えるかもしれないのでアルコールとして、度数の高い物を持って行く。
消毒液、包帯、ガーゼも忘れない。ジェイクの傷は完治していないのだ。それにこれから怪我をしないとも限らない。
大きな登山用ザックはすぐに満杯になってしまった。
『おい、これは煙草だよな? 色々あるが……どう違うんだ?』
バックヤードから出て来たジェイクが、カウンター奥のショーケースに連列された煙草を見て、学人に声をかけてきた。
大方お薦めの銘柄を訊いているのだと解釈し、学人は自分の吸っている銘柄を手渡してやる。
ついでなので、自分の分も確保しておいた。
「ちょ! ヒイロナ!」
学人がヒイロナに目をやると、ヒイロナは手に取った商品を開け、中身を見て首をかしげていた。
学人は慌てて商品をヒイロナから取り上げ、投げ捨てた。
キョトンとした顔をするヒイロナに首を横に振り、両腕でバツマークを作って見せる。
カラダに優しく、従来の三倍の強度と、まるで付けていない様な感覚で温もりを感じさせる薄さ。それは現代科学の結晶と言える。
ヒイロナが不思議そうに見ていたのはコンドームだった。
“買い物”が終わり、店内を出ようとした学人は二の足を踏んだ。
どこから湧いて出たのか、道路には屍人が群れを成してゾロゾロと歩いていたのだ。正確にはわからないが、ざっと見ただけでも十体以上はいる。
コンビニに立ち寄っていなければ、ぶつかっていただろう。
身を隠して様子を見る。
屍人達はこちらには気付いていない。こちらには目もくれず、ある一点を目指しているかのように見受けられる。
屍人の向かう先から獣の咆哮がした。まるで、それに誘われているかのようだ。
視界から屍人が消えたところで、彼らとは逆の方向へ飛び出す。
振り返ると人狼の怪物が数匹、屍人の群れに囲まれていた。鋭い爪で必死に薙ぎ払っているが多勢に無勢だ。
人狼の抵抗も虚しく、とうとう押し倒されてしまった。倒れた人狼に屍人が一斉に群がる。
それは、殺された怨みを晴らしているかの様にも見えた。
人狼の断末魔を背に、学人達は駆け出した。