66.忘却の欠片
――街中が呻き声で溢れている。
まだ動ける者は死体を広場まで引きずって行く。広場で赤々と燃え盛る炎は、休む事なく穢れた肉体を浄化していく。
しかし、次から次に死体が増えるので、火葬は追いついていない。炎の傍らには順番待ちの人々が並べられていた。
神父がまたひとつ、新しい死体を運んで来た。
死体を列の最後尾に並べると、無言のままに十字を切る。
二度、三度同じ事を繰り返したあと、神父は教会へと戻って行った。
開放されたままの扉をくぐる。教会の床は寝かされた病人で埋め尽くされていた。
それは教会だけではなく、どこも同じ状況だ。
謎の疫病が蔓延してしまい、都市が死にかかっている。治療法が見つからず、苦しむ人々の手を握って最期を看取る事しかできない。
神父が出かけているうちにも、また新たな死体がいくつかできあがっていた。
病人と死体の中をブロンドの髪が慌しく揺れている。
助かる見込みが無いにもかかわらず、女性が必死で病人の看護をしていた。
彼女はこの都市の人間ではない。たまたま通りすがっただけだが、この惨状を無視する事ができなかった。
必死に看護をする女性の隣には、彼女を説得しようとする男の姿があった。
『もう無理だ、早くここを出よう!』
『じゃあティファニだけでも行って。あたしはここに残るわ』
迷う事なくそう返す女性、マコリエッタ・フローラリアは聞く耳を持たない。
エプロンドレス姿で、ぱっちりとした眼からは絶対に譲らないという強い信念が感じられる。
いつもそうだ。一度言い出すと絶対に曲げない。たとえそれが裏目に出たとしても。
このまま都市に留まれば、いずれは自分達も疫病に感染してしまう。そうなってしまう前にもここを離れなければならない。
力ずくで連れ出す以外に、ローブを身に纏った男、ティファニに方法は残されていなかった。
門には既に検問が張られている。魔力検査を受けなければ外に出る事はできない。疫病に罹患している事がわかれば、ここで最期を迎える事になる。
魔術研究者の調査の結果、これは罹患者の嘔吐物と排泄物、そして鼠からしか感染しない事がわかっている。
つまり、感染さえしていなければ、外に出ても他人に移す事はない。
鼠は駆除されていっているが、遅すぎた上に追いついていない。食べ物の増えた都市の中で、爆発的にその数を増やしていた。
神父が懸命なマコリエッタの姿を見つめる。
この都市とは何の関係もないのにかかわらず、死を恐れずにここまでしてくれる彼女には感謝の言葉もない。
『ティファニさん、やはり駄目でしたか』
一旦引き下がったティファニに神父が言う。
『あぁ、あんたからも何か言ってやってくれよ。マコちゃんは一度ああなったら手に負えないんだ』
『そうですか……』
彼女はよくやってくれた。だが、もう限界だろう。神父としても、無関係な彼女をここで死なせたくはなかった。
都市はもう助からない。
誰も口に出さないが、それは火を見るより明らかだった。
今都市に残っているのは疫病罹患者。そして、都市と運命を共にする事を覚悟した者たちだけだ。
『私に任せてください』
神父がそう口にする。
マコリエッタとティファニは、長年苦楽を共にしてきた仲間だと言っていた。
そのティファニが説得できなかったのだ。神父が、誰が何を言おうとも、マコリエッタが耳を傾ける事はないだろう。
だが神父には勝算があった。マコリエッタだからこそ、絶対にうんと頷くしかない。
『マコリエッタさん』
『神父様……その子は?』
マコリエッタが神父の声に応えると、その目には小さな女の子が映った。
二歳くらいだろうか、不安気な表情で神父の足にしがみついている。
『この子は私の娘です。妻も女神様の御許に召されてしまいました。でも、この子はまだ、感染していないのです』
神父の目尻から涙が零れる。
『お願いします。この子を別の安全な都市へ連れて行ってもらえないでしょうか』
神父は最期の時を迎えようとも、都市を離れるつもりはなかった。女神に仕える自分が都市を見離してしまっては、神に見捨てられたのと同義だ。
そうなれば、死んでいった者たちの魂は誰が救うというのだろうか。自分の決断に疑問は無い。
唯一気掛かりだったのは娘の事だった。
神に仕える身として、都市を見捨てる事はできない。
だが、父親である身としては、都市を離れて娘を護らなければならない。
このジレンマの中で神父は苦しみ続けていた。マコリエッタが今、この都市にいるのは女神様の思し召しなのかもしれない。
彼女になら安心して娘を託す事ができる。
『それならティファニが』
『あなたにお願いしているのです。マコリエッタさん』
こんなお願いをされてしまっては、マコリエッタも都市を出て行かざるえない。
マコリエッタは静かに目を閉じると、神父の願いを聞き入れた。
優しく微笑みかけて女の子の頭を撫でる。
『お譲ちゃん、お名前は?』
女の子は人見知りをしているのか、神父の陰に隠れてしまった。
マコリエッタが困った顔を浮かべる。
女の子は恐る恐る顔を出すと、鈴の音のような声で名前を言った。
『……ジータ』
『そっか、いい名前だね。おいで、ジータちゃん』
マコリエッタが女の子を抱き上げようと、両腕を広げる。しかし、ジータは神父から離れようとはしない。
困った神父が膝をついて、ジータの頭に手をのせた。
『このお姉さんと一緒に行きなさい、ジータ。パパも後から追い掛けるから』
『……ほんとうに?』
『パパがジータに嘘をついた事があるかい?』
幼いジータは涙を浮かべて首を横に振った。でも、ジータにはわかっていた。
これが父親の最初で最後の嘘である事を。
父親を困らせまいと、騙されたふりをしてマコリエッタの胸に飛び込んだ。
この時、マコリエッタが下げていた首飾りに手がかかり外れてしまったが、その事に気付く者はいなかった。
…………。
中継都市はもう近い。
ジータとミクシードの視界の奥には、小さく日本の廃墟が見えていた。
『ジータ、あれなに?』
廃墟とはまったく別の方向を向いたミクシードが、何かを見つけた。
視線をそちらに移すと、そこには馬車が列を成している。進行方向から見て、鉱山都市から中継都市に向かう途中なのだろう。
キャラバンかと思ったが、それにしては何かが違う。鉱石族の数が多い。
引きこもり気質な鉱山都市の人間が外出とは、普通では考えられない異常な光景だ。
少し興味をひかれたジータは、自然とそちらに足を向けていた。
『いやー、大自然ハンパないっすね! やっぱり引きこもりっぱなしは心にもよくないっすよ! どうすっか、気持ちいいでしょう?』
弾んだ声で淳平が喋る。
返事は誰からも返ってこない。ドグ以外の鉱石族には緊張が張りつめていた。
生まれて初めての外出だ。
淳平の説得で、新しく開発した武器を運んでいる。
この大陸には今までに無かった物なので、説明と実演が必要になる。
そういう名目だが、本当のところは単に淳平と京子が中継都市に行ってみたかっただけだ。
中継都市で多くの日本人が暮らしているという情報は、商人を通して鉱山都市にも伝わっていた。
この度の“おでかけ”が実現したのは淳平の熱弁のおかげだ。少し静かにしてほしいと思いつつも、仕方なく京子が応えてあげる。
あまり邪険にしてしまってはさすがに可哀想だ。
『せっかくの景色も、あなたのせいで台無しだわ』
『ひどっ! 京子ちゃんひどッ!』
張りつめていた空気の中から笑いがこぼれる。
そんなつもりはなかったのに、結果として邪険にしてしまった。だが、淳平は特に気にしていない様子なので放っておく事にした。
『オサ! 何者かが接近して来ます!』
先頭を行くレベッカが声を上げた。
既に抜刀した姿に釣られて、皆が戦闘態勢をとる。
近付く少女の姿を見たオサが指示を出した。
『弓を射ろ! 絶対にこれ以上近付けさせるな! なんなら商品に手を付けても構わん、鉱石族の意地を見せてやれ!』
『いや、待って。おかしいでしょう!』
鬼気迫るオサの声に、すぐさま淳平が突っ込みを入れた。
見晴らしのいい草原で、姿が見えるのは二人。それも女の子だ。
さすがに何かの囮や罠という事もないだろう。
(どんなけビビってんすか……)
臆病な鉱石族たちに先が思いやられた。




