65.自意識過剰
家に入った瞬間、嫌な雰囲気があった。
月明かりも差さない、真っ暗な家の中にランタンを向ける。埃が外から吹き込んだ微風に巻かれていた。
もちろん誰かがいる気配は無い。
ノットと対峙していた時に誰も顔を覗かせなかったので、誰もいない事はわかっていた。
埃の溜まり具合から見て、年単位で誰も入って来ていない様子だ。そんなに長い期間、全員が出かけて家を空ける事はありえない。
誰も帰って来る事ができなかったのかもしれない。
そう思い、ジェイクは無警戒に奥へ進む。
『ジェイク、もしかして泥棒が……』
『阿呆か。住んでるのは俺だけじゃあねえ。他に三人いた』
違う。少なくとも誰か一人は帰って来ていた。
入ってすぐの大部屋は、明らかに争った形跡が見受けられた。
『チ……ッ!』
ジェイクが視線を下に向けて動きを止めた。
帰って来られなかったよりも質が悪い。
ジェイクの背中から覗き込んだ学人が、震えた声を出した。
『ジェイク、これは……?』
『知るか、俺が訊きてえ』
目線の先に転がっていたのは、白骨化した死体だった。
着ている衣服や骨は埃を被っている。死んでからかなりの時間が経過しているようだ。
死体の服装にジェイクは見覚えがあった。
『……こいつは、ヴァリハだ』
『……誰?』
『俺と同じ、お伽噺の住人だよ』
『ここはその……生命の魔力で満たされていたんだよね? なのに、どうして……』
ジェイクの昔話を聞いた限りでは、生命の魔力とは歳を取る事がなければ死ぬ事もない、夢のような魔力だったはずだ。
ノットに奪われるまでは、まだ魔力は残っていた。話が食い違う。
『違う。ここの魔力は浮遊大陸にあった魔力とは違うものだ。女神の持つ生命の魔力を模して生み出された、全く別の性質を持つ魔力だった』
ジェイクの話とお伽噺を比べると、納得のいかない点がいくつもある。お伽噺は所詮お伽噺という事だろう。
そもそも学人の読んだ本は、たった数ページの簡単な物だ。
『ジェイク、あれ』
学人が見つけたのは割れた窓だった。丁度裏側にある窓で、表からは気が付かなかった。
『もしかして、犯人はここから侵入を……』
『いや、違うな。散乱してる破片が少ない。これは内側から割られた物だ』
死体は窓に背を向けて横たわっている。それから見ても、窓が侵入経路だとは考えにくい。
少なくとも女神の宮殿で別れてから、ヴァリハは無事に帰って来ていたようだ。気になるのは残りの二人、シャルーモとサンポーニャだ。
ヴァリハと一緒に何者かに殺されたのだろうか。
だとすると、犯人の目的は何だったのか。一番考えられるとすれば、天使族の残党だ。
ジェイクは亜空間に入った後の事を何も知らない。
結局、家の中を調べても他に死体は出て来なかった。犯人に関する手掛かりも無い。
捜索は諦め、最上階へと移動する。
『ジェイク、もっとよく探せばきっと手掛かりが……』
『いいんだよ、どうせ何も出てこねえ。下手に探してうっかり誰かのポエム集でも掘り当ててみろ、気まずくて仕方ねえ』
最上階の部屋は狭く、窓も付いていない。部屋というよりは物置だ。
ジェイクはその中に飾られていた小振りの剣を手に取ると、学人に寄越した。
『目的はそれだ。イーストウッド家に受け継がれる魔法剣だ』
『……魔法剣?』
『魔力が無くても使える。肉体を活性化させて身体能力の向上と、怪我をしても治癒力を高める力がある』
『そんな大事な物をなんで僕に……』
剣を見つめる。何かの紋章が刻まれた装飾剣だ。
見た目よりも軽く感じるのは、魔法剣の効果だろうか。
『これからは自分の身はできる限り自分で守れ。お前、あの変なやつも自動車に置きっぱなしだろ。今後は肌身離さずそいつを持ってるんだ』
続く言葉に不安がよぎる。
これではまるで……。
『お前はジータを探せ。俺は中継都市に行く』
別れの言葉だ。
生命の魔力を持ったノットの力がどれ程のものなのか、それは学人にはわからない。
ただ、ジェイクの言葉から、今生の別れにも似た何かを感じ取っていた。おそらく命を賭けなければならないほどの相手なのだろう。
『嫌だ、僕も行く』
学人は反射的にそう返していた。
ジェイクの怒鳴り声が飛ぶ。
『馬鹿かテメーは! 肉親を探すんだろうが! 大体、一緒に来たところで何ができる!』
返す言葉が無い。学人にできる事と言えば、足手まといにならないようにするのが精々だ。正直に言って、それすらもできるかどうか怪しい。
だが、ノットの話を聞かされて、何もせずにはいられない。放っておけば大勢が死ぬのだ。手は多い方がいいに決まっている。
学人も簡単には引き下がらない。
『ジェイク、中継都市に戻るって言ったよな? 領都の人々はどうなる?』
『そっちは俺の知ったこっちゃねえ。勝手に死ねばいい』
学人の中ではっきりした。ジェイクは本気で自分に責任があると思い込んでいる。
異人がこの世界に来た元凶は自分であると。
『わかった。じゃあ僕は領都へ行く。もちろんジータを探しにだ。そこでたまたまノットと出くわして、僕なりの方法で彼を止めてしまうかもしれないけど』
ジェイクが学人の胸倉を掴んで壁に叩き付けた。
奥歯を噛んで睨むが、学人も目を逸らさずに真っ直ぐ見据える。
押し黙ったまま睨み合いが続く。
先に沈黙を破ったのは学人だった。
『僕の家族がこっちに来てるって、まだ決まったわけじゃない。もしかしたら、ノットの言う亜空間にまだ取り残されているのかもしれない』
ジェイクは何も言わない。
『領都でノットと戦えば、きっと大騒ぎになる。そうしたらジータの耳にも入るんじゃないか? ジェイクがそこにいるって。つまり、向こうから来てもらうんだ』
何かを言いかけたジェイクを制し、一気に畳み掛ける。
『君は馬鹿なんじゃないのか、自惚れるなジェイク! 君のせいなんかじゃない! 僕たちが来た、そもそもの原因が君にあるだって? 自意識過剰もここまで来たら大したもんだよ! 笑えない冗談だ!』
言い切ると、胸倉を掴んだままのジェイクの手から力が抜けた。
『明日だ。明朝、領都に向けて出発する。テメーに口喧嘩で勝てる気がしねえ』
ジェイクは静かにそう言うと、踵を返した。
乱暴に閉められたドアが、部屋の空気を震わせた。
部屋に一人残された学人は、興奮に乱れた息を落ち着かせる。
色々な想いが頭の中を渦巻いている。
未だにどこか現実味に欠ける様に感じるのは、やはり学人の常識から大きく外れている話だからだろう。
ジェイクは何百年も生きている事になる。
となれば、ヒイロナとシノが幼馴染とは、一体どういう事なのだろうか。この話にはまだまだ裏があるようだ。
少しすると、にわかに部屋の外が騒がしくなった。慌てて下階へ降りる。
ジェイクが誰かと言い争っている。対する相手の声には聞き覚えがある。
『テメエ! いつから居た!』
『最初っからやハゲ! 話は聞かせてもろたで!』
全く気が付かなかった。
学人はともかく、ジェイクですら気付かなかったようだ。
隠密行動が得意であると豪語するだけの事はある。
『ペルーシャ?! なんでここに?』
ペルーシャは学人の姿を認めると、満面の笑みを見せた。
『あ、ガクト。アタシも一緒に連れてってもらうで! 実家が領都にあんねん』
……。
結局、生命の樹が枯れた原因は、女神が死んだ事による魔力の枯渇という事にされた。
やや強引だが、不思議に思う者はいても疑う者は一人としていなかった。
本当の原因は、女神の魔力に干渉した際に、そのほとんどを使い果たしてしまったからだ。魔力の枯渇という点では違い無い。
樹は生命の魔力を貯蔵しておく為の、タンクの様な役割を果たしていたというわけだ。それが二年の歳月をかけて枯れた。それだけの話だ。
これが造られた経緯についても学人は尋ねてみたが、ジェイクは口を閉ざして語られる事は無かった。
真実を知るのはジェイク、学人、ペルーシャ、三人の里の長。
それからパンプキンフォースの面々だ。
学人が協力を仰ぐと、ソラネ達は快く承諾した。
協力を仰ぐに至った理由は、女神大戦時にジェイクと行動を共にしていた事もあり、信頼できるという点だった。
特別に許可を取り、乗り入れた馬車に旅の物資を詰め込んでいく。
準備を整えていると、学人はヒイロナの姿が見えない事に気が付いた。
『ジェイク、ヒイロナは?』
『ロナはここに置いて行く』
『そっか……』
理由は深く聞かなかった。
心当たりがあった。ジェイクから聞いた、半身を失った幼馴染の事だ。
側にいてあげた方がいいと判断したのだろう。
『忘れ物は無いね?』
アシュレーが確認を取る。
全員が頷くと、馬車が動き始めた。
本来の目的から道を外れて、どんどん妙な方向へ巻き込まれていく。
今日も天気がいい。絶好の旅日和だ。
澄んだ森の空気に名残を惜しみ、学人達は別れを告げた。




