62.迷宮のノット 2
日本の事を根掘り葉掘りと訊かれ、この日はお開きとなった。
黙って話を聞いていたペルーシャとソラネの二人は、どこか上の空だった。
地下を自走する連なった金属の箱。
天を翔ける金属の鳥。
遠く離れた人間との会話。
世界を繋ぐ情報の海。
この世界では考えられない事ばかりの話だ。与太話として聞いていたのかもしれない。
それでも、ノットは学人の話を鵜呑みにして、一生懸命に記録を取っていた。
三人揃ってノットの家を出る。
話し込んでいる間に、里にはすっかり夜のとばりが落ちていた。
そこで学人は初めて、里の景色に目を奪われた。
明るい内に見る里はごく平凡な田舎の村だった。だが暗くなると、里は同じ場所だとは思えないくらいに装いを変えていた。
赤、青、緑……多彩な色の小さな光が、まるで蛍の様に飛び交っているのだ。それは学人が今までに見た、どんなイルミネーションよりも幻想的だった。
歩く事も忘れ、ただただその景色に見惚れる。
『……ガクト様? どうかされましたか?』
『すごい。こんな綺麗なものを見たのは初めてだよ……』
ソラネにとっては、幼い頃から見てきた変わり無い故郷の景色だ。なので学人が何の事を言っているのか、一瞬わからなかった。
茫然とする学人に合点がいったソラネは微笑を浮かべ、
『遅くなりましたけど、ガクト様。ようこそ、エルフの里へ』
……。
これで何本目だろうか。
ジェイクはずっと木の上で煙草をふかしていた。
見られている様な、嫌な感じはとっくに無い。それでも警戒を解く事ができなかった。
(……もういいか)
木から降りて森の奥へと歩き始める。
念には念を入れて、警戒は怠らない。
ジェイクが向かっているのは自分達の家だ。家と言ってもかなり特殊な家で、知っているのはごく一部の人間のみ。一応の幼馴染であるヒイロナやシノですらその存在を知らない。
大木を目印にある程度進んだら、魔力を操作して結界の扉を開く。
一歩足を踏み入れると、漂う空気に変化を感じ、同時に視界が明るくなった。
目の前に現れたのは、輝きを持つ巨木だ。
結界の中は巨木の持つ生命の魔力に優しく照らされ、常に昼間の様に明るい。
その木は異様な形をしている。
まず根が無い。枝にも見える幹には扉と窓が付いている。この巨木そのものが、中をくり貫いて作られた家なのだ。
家を守る堅牢な結界は外部からの侵入を防ぐどころか、その存在さえ気付かせる事は無い。
この“生命の樹の枝”を誰かに知られるわけにはいかない。扱える者がいるとは思えないが、この枝から放出される“生命の魔力”に、何人たりとも触れさせるわけにはいかない。
真実を知る者は少ないが、森林族が何百年と守って来た本当の物がこれだ。
だから、細心の注意を払っているつもりだった。
『おい、出て来い』
立ち止まって独り言のように声を出す。
やはり尾行されていたらしい。
全く気配を感じさせなかった。国境都市でのマヌケな追跡者とは格が違う。
『気配は完璧に消してたはずなんだけど? やっぱり結界の中だと感覚が研ぎ澄まされるの?』
観念したかの様子で、木の陰から追跡者が姿を見せた。
単眼鏡にヘラヘラとした表情。ジェイクの嫌いな男だ。返答する代わりに殺意だけを向ける。
『やだなぁ。嫌われているとは思っていたけど、そんなにあからさまじゃなくってもいいんじゃないかな』
ここまで尾行されてしまった事も問題だが、もっと問題なのはなぜ尾行されてしまったのかだ。
この男、ノットはなぜ自分を尾けて来たのか。ジェイクの中で答えは出ていた。
この結界とその中身の存在を知っていなければ、尾行する理由が無い。
無言で睨み付けてくるだけで口を開こうとしないジェイクに、追跡者であるノットが困惑の色を浮かべた。
『共に世界を救った仲じゃないか。それに私は君の事を同志だと思っているんだ。少し歩み寄りを見せてくれてもいいんじゃないかな』
ジェイクは応えない。
言っている意味がわからない。
おそらく女神大戦の事を言っているのだろうが、この男と会うのはこれで二度目だ。肩を並べて戦った記憶など無い。
王国がひとつになって女神と戦ったのだ。そういう意味での言葉なら、王国の人間全員が同志だという事になる。
反吐が出る。
『何言ってるのかわからねえな。友達が欲しかったら斡旋所で募集でもしてみろ』
『酷いなぁ。私がいなかったら王国は全滅していたんだよ?』
ジェイクの表情が一層険しくなった。
大戦でこの男が何かをしたという話は聞いていない。もしノットの言葉が本当なら、今頃は英雄として祭り上げられているはずだ。
ジェイクの目には、戯れ言を抜かす頭のイカれた男にしか見えなかった。
『……おかしいな、彼女から何も知らされてなかったのかい? だとしたらマズかったのかなぁ』
この男は隙を窺っているに違いない。
その為に適当な事を並べているだけだ。
ジェイクは剣に手をかけた。
一気に斬り伏せる。何が起こったのか理解する時間すら与えてはやらない。
ジェイクの鋭い殺意がノットを射抜いた。
『とりあえず落ち着こう、ジェイ君』
ジェイ君。アリスティアがジェイクの事をそう呼んでいた。
ジェイクが特別な人にだけ許した、特別な愛称だ。その呼び方に怒りが爆発する。
『その名で俺を呼ぶんじゃあねえ!』
一閃。
言い終わるのが後か先か。
ジェイクは地面を蹴っていた。身を低くし、電光石火の如くノットを斬り抜ける。
……手応えがまるで無かった。
剣は確実にノットを捉えていた。もちろん、躱した素振りもない。
なのに斬った感触が無いのだ。水を斬った方がまだ感触がある。
『驚いた? 水と光の混合魔法だよ』
ノットの姿が雲散する。幻影だ。
怒りに任せて正面からやりあっても無駄だろう。大きく深呼吸をして平常心を取り戻す。
『一応訊いておく、何の用だ。次第によっては殺す』
『よく言うよ。人の話も聞かずに斬り掛かっておいて。次第によらなくても殺す気だろう?』
ノットの声には含み笑いがある。
ジェイクがどういった行動に出るのか、見当が付いていたのだろう。
『先に言っておく。私は君の敵じゃない』
言葉と同時に気配を感じた。
今、ジェイクの目の前に出てきたノットはおそらく本体だ。
冷徹な顔付きでジェイクを見据えていた。
『それが素顔か? 前に会った時とは大違いだな』
『君が用心深くて助かったよ。ちょっと来客があって席を外していたんだ』
途中から見られている感覚が無いと思っていたら、本当にいなかったらしい。
用心に用心を重ねて、日没を待ったのが裏目に出てしまったようだ。
『単刀直入に言おう。君の協力が欲しいんだ』
『断る』
沈黙が流れる。
これは想定していなかったようで、さすがにノットも苦笑いを浮かべる。
ノットは少し考える風な素振りを見せて、ゆっくりと口を開いた。
『アリスから聞いてはいたけど、君って本当に好き嫌いが激しいね。惚れ込んだ相手にはとことん世話を焼くけど、嫌いな相手には躊躇無く牙を向く』
『それを知っててなぜ俺の前に姿を現した?』
『話聞いてた? 君に協力して欲しいんだよ。同志である君にね』
嫌いな人間にわけもわからず同志呼ばわりされるのは癪だ。
斬り捨てたい衝動に駆られるが、ぐっと堪える。
隙を窺いつつ、質問をする。
『訊きたい事は山ほどあるが……なぜこの結界の事を知っている?』
『シャルーモだよ。彼女から聞いていたんだ。でも入り方がわからなくってね。困っていたところに君が帰って来たんだよ』
さっきも言っていた“彼女”とはシャルーモの事か。
彼女が教えるに至った経緯も訊きたいところだが、後回しにして次の質問に移る。どの道生かして帰すつもりは無い。
聞き出さなければならないのは、ノットの目的と仲間の有無。ノットの他にも知る者がいるのなら、全員始末しなければならない。
結界の存在を知る者が居てはならないのだ。
『同志っていうのは何だ?』
『ヴォルタリスだよ。あいつは裏切り者だ。だから君も喧嘩別れをしたんだろう?』
先代とアリスティアの意志を棄て、ヒルデンノースの領主に収まった事を言っているのだろう。
黙ったまま続きを促す。
『君は独りになっても意志を継いだ。単騎でルーレンシアに攻め込んだのがその証拠だ。普通に考えて、できる事じゃない。たとえ生命の魔力を使っていたとしても。君は敬意を表するに値する』
ジェイクは察した。
この男、ノット・マーシレスはおそらく全てを知っている。
ジェイクたち、そして生命の樹の歴史を全て知っている。
『……で、何をする気だ?』
ノットは不気味な笑顔に顔を歪ませた。
『皆殺しだよ。ヴォルタリスも、龍の影も。裏切り者にはその血で償ってもらう。もちろん領地民もだ。統治されている奴らも同罪だ!』
言っている事が滅茶苦茶だ。
ジェイクには関係の無い事だし、興味も無い事だが、領地民はとんだとばっちりだ。
ノットは本気で言っている。それも、それが当然であると一片の迷いも無く。
つまり、皆殺しの手段として生命の魔力に頼りたい。そういう事だ。
正気の沙汰とは思えない。だからと言って、完全に狂っているわけでもない。
呂律が回っていないだとか、焦点が合っていないだとか、そういう事は一切無い。その瞳には自分の信念を宿している。
これがノット・マーシレスという男の本性。
正気の上で、狂っていた。




