60.うちの姫知りませんか?
『アタシに感謝してひれ伏せや。この耳長女』
『あまり調子に乗っていると、身包みを剥いで海に沈めて差し上げますわよ』
宿には食堂……というより酒場を併設している事が多い。
一階が酒場、二階から上が客室だ。
これは一般的な宿の構造で、高級な宿になると酒場は別棟になる。
今夜学人達が宿泊するのは高級宿だ。塀に囲まれた宿の敷地内には、いくつかの建物が軒を連ねていた。
客室のある本館、酒場、倉庫、恐竜小屋、厠。自炊もできるように台所まで完備されている。至れり尽くせりだ。
学人にとって何より嬉しいのは風呂だった。
中継都市であれば共同浴場があったのだが、この世界では基本的に水に濡らした布で体を拭くだけ、というのが一般的だ。
共同浴場も人でごった返していて、湯船に溜められたお湯も浸かる為ではなく、桶で掬って使う為だけのものだった。
だが、ここの浴場は一味違う。ゆっくりと湯船に浸かれるのだ。
日本人としては、これほど嬉しいものは無い。
『いや、それってただの強盗なんじゃ……』
酒場で食事をしている間も、ペルーシャとソラネは火花を散らす事に精を出していた。ずっとこの調子だ。
二人が口喧嘩を始める度に、学人が仲裁に入る。いい加減うんざりした顔を隠せない。
ちなみに、ここの宿代の出所はペルーシャだ。助けてもらった礼にと、エルフの森までの旅費は全てペルーシャが持っている。
(盗賊……儲かるのかな?)
仲裁しながらそんな事を考える。
ここまでにも馬車のメンテナンスが入り、かなりの額を使った。その上でこの高級宿である。
もしペルーシャがいなければ、アシュレー達は再び旅費が底を尽き、どこかで足止めを食らっていただろう。
食事を終えたら、これからの予定について話し合いが行われた。
『ガクトはボク達とこの町に残る、いいね?』
『ええわけニャいやろハゲ! ガクトも連れて行くで』
開始早々意見が割れた。
エルフの森に用事があるのはソラネだけなので、アシュレー達は町に残る予定だった。
『だいたい、あなたの様な小汚い猫が森に入れると思っていますの?』
『アタシには立ち入り許可出てるもーん。ふふん』
『嘘おっしゃい! ありえませんわ』
氷の様に冷たい瞳で噛み付くソラネに、ペルーシャが勝ち誇った顔をする。
話し合いではなく、口論が始まりそうになったところでアシュレーが割って入った。
『二人ともそろそろいい加減にしよう。周りにも迷惑だよ』
見れば周りの客たちの視線が、学人達のテーブルに注がれていた。
高級宿の酒場だけあって、皆身なりが良く、店の雰囲気も大衆酒場とは違ってどこか上品だ。
このテーブルだけ完全に浮いていた。
大人しくなった二人を見て、アシュレーが発言する。
『ペルーシャ、仮に君が許可を受けていたとして、ガクトはどうなんだい?』
『そんニャん、アタシと一緒やったら大丈夫やろ』
ペルーシャは腕を組んでそっぽを向いている。その様子に、ソラネがため息を吐いた。
『入れるのは許可のある者だけです。供連れはできませんわ』
『え? そうニャん?』
『そうだよ。やっぱりガクトはボク達と』
話がまとまりそうになったところで水を差したのは、話題の中心だった学人だ。
『僕はペルーシャと一緒に森に入りたい』
学人の言葉に、全員が目を瞬かせる。
話聞いてた? そういう顔だ。
『僕はどうしても会ってみたい人がいるんだ。許可ってもらえないのかな』
全員の注目を集め、続く言葉が尻すぼみになる。
学人も自分がいかに無茶な事を言っているのかわかっているのだ。
『会いたい人って誰だい? というか、友達と落ち合うんじゃないの?』
ここまでお互いにあまり詮索せずに来た。今更だが双方とも本当の目的を知らない。
反対を押し切ってまで森に入るとなると、きちんと説明しなければ説得はできそうにない。
ノットに森から出てきてもらう事も考えた。その上で、森の中で会うのが一番安全だと考えたのだ。
森の中は侵入者が速やかに排除される警戒態勢だ。万が一ノットが変な動きを見せようものなら、きっと森林族たちが黙ってはいない。
ここに来て、初めてお互いの目的を教え合った。
この時、学人とペルーシャはエルフの森で起こっている事態を初めて知る事になった。
『ふうん。ガクトたちがこの世界に来た原因……ねえ』
アシュレーが指で顎をいじる。
学人の目的はジェイクとの合流。そしてノットと会う事だ。
原因を知ったところで何ができるわけでもない。それでも、学人は知りたかった。自分たちから全てを奪った原因を。
『君たちの転移に関与してるかもしれないんだろう? 本当に会う気?』
確定では無いにしろ、怪しいのは確かだ。
アシュレーの目から見てもそう感じたのだろう。異人に関する情報を得るのが早すぎる。
『ノットってあれだろ? 魔力の流れを研究しているとかいう。特に迷宮の研究に力を入れてて、付いた二つ名が“迷宮のノット”』
ずっと黙っていたワッツが口を挟んだ。
アシュレーが学人に教えた迷宮の知識は、ノットの研究によるものだ。
『たしか、世界の魔力の流れを観測する魔法具を開発したって話だ。それで異変に感付いたんじゃないか?』
町ごと広い範囲で転移して来たのだ。魔力の流れに何らかの変化があった可能性は十分に考えられる。
これもノットの研究の成果で、漂う魔力には大きな“流れ”がある事がわかっている。まるで海流のように。
『うーん。悪い噂を聞かない人物だけど……警戒は必要かもね。もし本当に、ノットが関与していたとしたら、ガクトは良い研究材料になる』
アシュレーは森にこだわる学人の意図を察したようだ。
会うなら森の中、エルフの里だ。町中で会うよりもずっと安全だ。
ふと、アシュレーには気になった事があった。
『ガクト、君の言う友達って誰だい? 同じ異人?』
『ジェイクっていう森林族です。危ないところを助けてもらって、それからずっと一緒なんだ』
ジェイクという名を出した途端、アシュレー達の目の色が変わった。
思わず立ち上がり、学人に迫る。
『その人の姓はイーストウッドかい?!』
アシュレーの迫力に圧されて、声に出さずに頷いて肯定する。
『うちの姫は? ジータ姫は一緒なの?』
…………。
エルフの森はブルータスから北東へ半日ほど。
昨日、学人達もジータを探していると知ったアシュレー達は、肩を落としていた。
いくら天才とはいえ、ずっと音沙汰が無かったのでやはり心配だったのだろう。
学人も王国に入ってから、ジータ探しどころではなかった。情報収集が全くできておらず、ジータの足取りは依然としてわからないままだ。
学人は目の前に広がるエルフの森を、きょろきょろと見回しながらペルーシャの後に続いていた。
ペルーシャとソラネが森に入り、立ち入り許可を求める手筈だった。
しかし、守護者から学人にも許可が出ている事を知り、二人と一緒に森の中を歩いている。
学人的にはもっと幻想的な森をイメージしていた。
そんな期待は外れ、普通の森の景色が広がっている。
当然日本では見られない植物が茂っていたり、守護者である妖精の姿があるものの、そこらにある森となんら変わらない。
『見えましたわ』
先を行っていたソラネが前を向いたまま、声をかける。
森の奥にエルフの里が見えた。




