55.友達
『アシュ、そっちはどうだ?』
キャンプの後始末を終え、プレートアーマーに身を包んだ、人間族の男が馬車に向かって声をかける。
すると、中から言葉だけが返ってきた。
『大丈夫、出発できるよ』
声の主はアシュレーだ。
『あんま揺らさない方がいいか?』
言いながら、男が馬車の中を覗き込む。
中では学人の容態を診るアシュレーと、その様子を見守るソラネの姿があった。
『んー、そうだね。できれば気を付けてほしいかな。ワッツ、悪いけどカイルにもそう伝えててくれるかな?』
『りょーかい』
人間族の男、ワッツが返事をしながら、隅っこに横たわるペルーシャに目を向ける。
『そいつも連れて行くのか? チンピラなんだろ?』
『仕方ありませんわ。ドッペルゲンガーに襲われたという話が本当なら、彼女が必要になりますわ』
ドッペルゲンガーは単に魔獣として見ても十分厄介な相手だが、本当に恐ろしいのは襲われた後の事だ。
思考を読み取って変身したその姿は、信頼を寄せる人間である事が少なくない。
運良く命があっても、信頼する人間に襲われた、という心の傷を残してしまう。こればかりは魔法で癒せるものではない。
親友の姿をしたドッペルゲンガーに襲われたあと、憎悪に駆られて本物の親友を殺害してしまった、とか、人間不信に陥ってしまい、最終的に自害してしまった、などという話を耳にした事がある。
学人がどんな姿のドッペルゲンガーに襲われたのか、それはソラネ達にはわからないが、なんにせよアフターケアが必要だ。
そして、それができるのは現場に居合わせたペルーシャだけだろう。その場にいなかった者が、何を言ったところで説得力に欠ける。
心底不本意である、といった表情でソラネがワッツにそう告げる。
『そうか、おい、カイル! 聞こえてたな?』
『おーう。なるべく静かに走るんだな』
いつの間にか御者台に座っていた半森族、カイルが片手を挙げて応える。
カイルが手綱を握って恐竜に合図を出すと、馬車は軽い軋みと共にゆっくりと進みだした。モンローも後を追って歩き始める。
『うおっ! なんじゃこりゃ!』
馬車が大きく焦げた地点を通過し、カイルが驚きの声を上げた。ペルーシャの魔法で焼けた場所だ。
馬車の中から、ソラネが焼けた場所を見下ろす。
(有り得ませんわ。あの猫がこれをやったなんて……)
…………。
薄く目を開ける。
小刻みな揺れと、車輪の音。そして話し声が聞こえる。
(何があったんだっけ……)
キャンプをしていたらジェイクに刺されて、ペルーシャが魔獣と戦っていて。ある記憶はそれだけだ。
断片的な記憶を繋ぎ合わせようとするが、ピースの足りない記憶は当然全く繋がらない。全部夢だったのでは、とさえ思えてしまう。
しかし、腹部に残る痛みが、それが現実であった事を教えてくれる。
『アシュレー様、ガクト様が目を覚まされましたわ!』
『あ! 駄目だよ。まだあまり動かないで。傷が内臓にまで届いていたからね』
体を起こそうとすると、慌てた声が聞こえた。
それでも上半身だけを起こして周囲を見回す。
『……アシュレーさん? ソラネさん?』
『君はドッペルゲンガーという魔獣に襲われたんだ。姿を自在に変えてしまう魔獣さ。どんな姿で襲われたのかは知らないけど、それは決して本人じゃないからね?』
学人の記憶がはっきり戻る前にと、アシュレーがドッペルゲンガーに関しての説明をしておく。錯乱する前に説明しておくだけでも、大分と違うだろう。
しかし、学人はある一点に視線を注いだまま止まっていて、アシュレーの声が届いていないかのようだった。
『ペルーシャ……』
視線の先にあったのは、両手両足を縛られて横たわるペルーシャの姿だった。
最低限の手当てをした痕跡は認められるものの、体中を赤く腫れた線状の傷が走っており、素人目にも十分な治療が施されていない事がわかる。
すっかり衰弱していて、このまま放っておけば命が危ないようにも感じさせた。
『チンピラ猫は縛り上げておきましたわ。ガクト様? もし、この猫の言っている事が全部嘘で、本当はこの猫にやられたのなら、正直にそうおっしゃってくださいまし』
ソラネはよっぽどペルーシャの事を認めたくないのだろう。その問いかけは、どこか懇願のようにも聞こえる。
ソラネの言葉を、アシュレーが補足する。
『昨日、怪我をした君を連れた彼女が、ボク達の前に現れてね。ソラネさんが問答無用で襲い掛かったんだ。鞭を受けても避ける素振りすら見せないからさ、それでボクが話を聞いたんだよ』
学人は傷だらけのペルーシャを見つめて、黙ったままだ。
鞭を受けても怯む事無く、必死で事情を説明して助けを求めたのだろう。ペルーシャのそんな姿が、学人の脳裏に浮かぶ。
学人を託して逃げ出せば、ここまで酷い怪我はしなかっただろう。しかし、それでは何があったのか説明ができなくなってしまう。
だから、ペルーシャは覚悟の上でそうしなかったのだ。
怪我の治療だけでは駄目だ。そう判断した。
ペルーシャを捕縛する。思いもよらぬ展開で学人の目的は達成された。
このままどこかの警備隊にでも突き出せば、学人がペルーシャの手を離れても他の人が攫われる心配は無いだろう。
しばらくの沈黙のあと、ようやく学人の唇から言葉が漏れた。
『ペルーシャの縄を……解いてあげてください』
ソラネが期待とは正反対の言葉に目を見開く。
元々は誘拐犯とその被害者の間柄だ。ペルーシャがこんなになるまで自分の身を呈して、学人を助けようとする義理など、どう考えても見つからない。
そもそも、ドッペルゲンガーの餌にして放っておけばよかったのだ。異人はまた攫ってくればいい。自分の身の安全には変えられない。
『不躾なお願いなのはわかっています。ちゃんとした手当てもしてあげてください……』
こうなった元凶は確かにペルーシャかもしれない。
ただ、ペルーシャに誘拐されていなくても、遅かれ早かれ、こういった事態にはなっていただろう。今までにも何度か危ない目には遭ってきた。
他人から見ればおかしいかもしれない。だが、学人の中ではペルーシャは命の恩人だ。
『確かに僕はペルーシャに誘拐されて、今ここにいます。でも……』
誘拐されて数日、たった数日で色々と散々な目に遭った。
今回に至っては危うく死んでしまうところだった。
それでも、ペルーシャと過ごす時間はどこか楽しかった。
理由なんてそれだけでいい。
難しい事はどうでもいい。
誰にどう言われても構わない。
『今は……友達なんです。お願いします。ペルーシャを助けてください』
痛みを堪えて膝を付き、両手を付いて床まで頭を下げる。
アシュレー達には土下座の意味などわからないだろう。だが、気持ちは伝わるはずだ。
『ソラネさん、縄を解いて治療の準備を』
アシュレーの言葉に、学人が顔を上げる。
『ありがとうございます!』
『いいよ、そんなにかしこまらなくても。言っただろう? 困った人を助ける。当然の事だよ』
アシュレーは苦笑いを浮かべて、ペルーシャの治療に入った。ソラネも納得のいかない顔をしながらもアシュレーを手伝う。
(友達……か)
力無い笑いを浮かべる。
元の世界では学人に友達はいなかった。誇張ではなく、ただの一人もだ。
それが、わけのわからない異世界に来て初めて友達ができた。
ジェイク、ヒイロナ、ドグ、ドナルド、小鳥、淳平、一応北泉。そしてペルーシャ。
ペルーシャはどう思っているのかわからないが、学人から見れば友達だ。




