54.責任
中にはすばしっこいものもいるが、スライムは大半の種が鈍足だ。
『モンロー右や右右!』
だから甘く見ていた。
ペルーシャが指示を出しながら、必死に手綱を握る。
――鳥にでもならへんかったらモンローには追い付かれへん。
そう考えて、頭の中で鳥をイメージしてしまった。
吊り橋まで戻り、湿原都市に引き返し始めたあたりで、鳥に変身したドッペルゲンガーが追い掛けて来たのだ。
苦し紛れにナイフを投げる。最後のナイフだったが、躱されるまでもなくあらぬ方向へと飛んで行く。
大きく揺れる不安定なモンローの上から、飛行する鳥に命中させる事は難しい。もっとも、命中させたところであまり意味は無いだろうが。
『今度は左や左!』
ドッペルゲンガーの放つ、散弾銃のような水の弾丸を躱す。
直線的に逃げていては格好の的になる。蛇行しながら猛スピードで走っているせいで、モンローに負担が掛かり速度が落ちていく。
『うッ!』
身体にいくつもの小さな衝撃が走り、鮮血が舞う。とうとう弾丸を食らってしまった。
威力はあまり無いものの、あまりもらい続けるわけにもいかない。今のは学人を庇う事ができたが、いつまでも庇い切れるものではない。
このままではやられてしまうのは目に見えている。ずっと別の生き物を頭の中でイメージし続けているが、ドッペルゲンガーが変身を変える様子は今のところ無い。
結局、逃げながら他の何か良い策を考えるしかない。
右、左、右……。
なんとか攻撃を躱すが、段々と攻撃が掠めるようになり、速度もさらに落ちていく。
……。
しばらくの追跡劇の末、遂にモンローが力尽きて倒れ、ペルーシャと学人は地面に投げ出されてしまった。
モンローは分厚い皮膚に守られているおかげで、水の銃弾による怪我は大した事無さそうだ。しかし疲労の色が濃く、今は走るどころか歩く事すらままならない状態だ。
『ガクト!』
地面に倒れたままの学人に駆け寄る。
『ペ……ルーシャ……何が……』
落下の衝撃で意識を取り戻したようだ。それを見たペルーシャが肩をなでおろす。
とりあえずの止血はしておいたものの、顔色がかなり悪い。このままでは湿原都市までは持たないかもしれない。
『ええから寝とき。すぐ治療したるから』
言いながら、空のドッペルゲンガーを睨む。
大きく旋回をして地上に降り立ち、ドッペルゲンガーが本来の粘液姿に戻った。
魔力をかなり消費したのか、それとも先程の風の魔法で多少なりともダメージがあったのか、少し動きが鈍い。
おそらく両方だろう。いくらスライムでも魔力を帯びた攻撃を受ければ、全くの無傷ではいられないらしい。
(イチかバチかや……)
相手も弱っているのだ。やるなら今だ。
ポーチから焚き火に使った火の魔法結晶を取り出す。
火を起こす為だけの珍しくもない結晶だが、これはかなり値の張った高級な物で、普通の物よりも段違いな火力を秘めている。
その結晶を手に、風の詠唱を始めた。
ペルーシャの魔力含有量は多くない。あと一発、中程度の魔法を生成すれば、体への負担で気を失ってしまう恐れがある。無茶も承知だ。
風の魔法だけでは倒せないだろう。だからと言って、結晶の炎だけでも多分無理だ。ならば――。
ペルーシャが詠唱を始めてから、遅れてドッペルゲンガーも青く光り、水の塊が出現した。塊は少しずつ膨れていく。
向こうもここで一気に方を付けるつもりらしい。
風の魔法を生成しながら、結晶にも魔力を注ぐ。魔力の同時操作は、かなりの集中力を必要とする。
まるで酸欠にでもなったかの様に頭が真っ白になって、意識が飛びそうになる。試した事は無いが、今を切り抜けるにはやってみるしかない。
生成する魔法は竜巻。それに結晶が持つ最大火力の炎を乗せる。混合魔法だ。
ウィザードでも混合魔法を使える人間はそうそういない。
上手くいくとはあまり思えないが、やらないよりはいいだろう。ノットから教わった事のある、“魔力の流れ”を意識して詠唱を進める。
詠唱の息継ぎのついでに血が滲むまで唇を噛み、痛みでなんとか意識を保つ。
『――怒りのうねりを上げろ! 怒りの猫旋風!』
魔法を放つと同時に結晶の魔力を解放すると、炎が竜巻に巻かれて火災旋風が発生した。まぐれだが、成功だ。
熱風に煽られて朦朧とする意識の中、ペルーシャがかろうじて確認できたのは、炎の竜巻で焼かれるドッペルゲンガーの姿だった。
…………。
ヒリヒリとした手の痛みに導かれるかのように、ペルーシャが目を覚ました。
上下に揺れる感覚があるところをみると、どうやらモンローに乗せられているらしい。ゆっくりと、歩く速度で進んでいる。
(なんや……)
痛みを感じる手に目をやると、火傷を負っていた。手に持ったまま炎の結晶を解放したのだから当然だ。
だが、その痛みのおかげで意識を取り戻す事ができた。
魔法を放って気を失った後、モンローが運んでくれていたようだ。学人と並んで背中にのし掛かっている。
『モンロー、ありがとお。助かったわ』
ペルーシャの声に、モンローが小さく吠えて返事をする。
起き上がって跨りたいところだが、体を気怠さが支配していて動くのが億劫だ。それに、火傷をした両手では手綱を握れそうにない。
後方に視線を向けると、少し明るくなっている。あれはペルーシャがやった炎の光だ。眠っていたのは、ほんの少しの時間だったようだ。
くの字になった体勢のまま、進む。
ふと頭を上げると、闇の中に小さく何かが見えた気がした。道を外れた先のずっと奥で、モンローに普通に乗っていては見落としていたかもしれない程の、小さな赤っぽい光だ。
『モンロー、左や!』
多分、焚き火の明かりだ。
モンローも言われて初めて気付いたらしく、道を外れて芝生の上を歩いて行く。
(助かった……)
距離が近付くにつれ、明かりの正体がはっきりとしてくる。それはやはり焚き火の明かりで、見えたのは照らされた馬車だった。ホロの付いた馬車の近くに焚き火、そして男が二人座っている。
座っていた男達がこちらに気付き、立ち上がった。
一人は人間族で地味な服を着ている。しかしよく見ると肩や腰などに穴が空けられている。あれは紐を通して鎧を結び付ける為のものだ。つまり剣士の類だろう。
もう一人は半森族だろうか。こちらも軽装で、弓を持っているようだ。
見た目での判断だが、どちらも魔法に長けている様には見えない。半森族の方なら多少なりとも魔法を使えるかもしれないが、再生魔法はあまり期待できないだろう。
馬車を見る。
もっと至近距離で見てみないとはっきりしないが、あれは多分荷物の運搬を目的とした物では無く、旅に使われるタイプの物だ。馬車の中にも仲間がいるかもしれない。
警戒されては面倒なので、先に大声を上げる。
『怪我人やねん! 助けてくれ! 礼は弾む!』
男達は顔を見合わせ、何か言葉を交わしている。どう対応するかの相談だろうか。
『怪我の程度と人数は?』
近くまで来ると、ペルーシャの呼び掛けに人間族の男が答えた。
改めて近くで見ると馬車は思った通り旅用で、しかもそれなりに立派な高級品である事が窺える。チンピラごときが手に入れられる物ではないと思うが、念の為に警戒はしておいた方がいいだろう。
相手が何者なのかわからないのは、こちらも同じだ。
モンローの背中に肘をついて降り立ち、火傷をした両手を見せながら、
『二人や! 魔獣に刺されたのが一人、戦闘の怪我が一人、両手の火傷とその他諸々や!』
簡潔に状況を説明する。
ペルーシャの声を聞いてか、馬車から他の仲間が降りて来た。
降りて来たのはエルフの女。その姿を見て、ペルーシャは思わず苦い表情をせずにはいられなかった。
学人は間違いなく助かる。
だが、ペルーシャはどうなるかわからない。最悪、殺されてもおかしくない。
学人を同意も無しに連れ回し、こうなってしまったのは自分の責任だ。死なせるわけにはいかない。
『あら……あらあらあらあら』
助けられるのであれば、と唾を呑み込んで腹をくくる。
『先日はお世話になりました。またお会いできて嬉しゅうございますわ』
引きつった笑顔を浮かべて、馬車から降りて来たのはソラネだった。
(最悪や……)




