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世界混合  作者: あふろ
第一章 幻想の現実
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5.幻想の世界

 震えが止まらない。

 動悸が治まらない。

 足が竦んで一歩を踏み出せない。


 怪物と睨み合いになったのは、ほんの十秒ほどだ。

 極限までの緊張状態になった学人には、それが何分にも感じられた。

 怪物の動きに注目しつつ、頭の中では思考が巡る。


 どう攻めればいいのかがわからない。何の考えも無しにただ突撃するだけだと、昨日と同じ結果になりかねない。

 なら、怪物が襲い掛かって来るのを待つか。運が良ければ争いにはならず、どこかへ行ってくれるかもしれない。

 駄目だ。甘い考えは捨てた方がいい。

 ただでさえ緊張で強張った体は言う事を聞かない。先に襲い掛かられたら一巻の終わりだ。

 仮に怪物の攻撃を避けれたとして、その後はどうする。

 反撃ができるのかと言われると、自信は全く無い。下手をすればそのまま追撃されてしまうだろう。

 体勢を崩した状態だと、間違いなく殺される。


 怪物が一歩にじり寄る。

 それに合わせて一歩下がる。

 足が動いた。

 前には踏み出せないくせに、後ろとなると簡単に動いた。自分の情けなさに自嘲の笑みがこぼれる。


 ふいに、怪物の影が揺れた。


(……来るッ!)


 怪物が眼前に迫ると同時に視界から色が失せた。

 耳に響いていた怪物の奇声も遠くなる。

 学人の生存本能が不要な情報を遮断していく。


「うわあああああッ!」


 雄叫びを上げてシャベルを怪物に突き出す。

 次の瞬間、自分の考えがどれほど甘い物か、という事を思い知らされる事になった。

 突き出したシャベルは無情にも、嫌な音を立ててアスファルトを舐めていた。いとも簡単に躱されてしまったのだ。

 喧嘩も満足にした事の無い学人が、対峙した怪物を相手に勝てる道理などなかった。


 視界の端から棍棒が走ってくる。

 その動きはスローモーションで見えるが、素早く対応できるわけではない。

 命の危機を察知した脳が、これから予想される出血に備えて根源的な処理を最優先させているだけに過ぎない。

 つまり、脳の処理が低下した事による錯覚だ。

 目を強く閉じる。

 人の最期なんてあっけないものだ。

 閉じた瞼に浮かんだのは、肉塊と化した自分自身の姿だった。


「ギャンッ!」


 甲高い悲鳴が耳を突いた。殴られた感覚は無い。

 目を開けると、転がっていたのは眉間を射抜かれた怪物だった。血走った眼を見開いたまま、痙攣を起こしている。


 助かった。

 その事実を受け止めると腰が抜けた。

 矢の飛んで来たであろう方向を見ると、目を覚ました男が弓を構えていた。


『悪いな、ロナ』

『やっぱり無理してたんじゃない!』


 男は会話をしながら、緩んだバンダナを結び直している。

 死骸の山を作ったのは、この二人で間違い無さそうだ。

 女が男の手を肩に回し、学人に目を向ける。


『お願い、手を貸して!』


 学人には女が何と言っているのかわからない。だが、仕草を見れば自分が何をするべきなのか想像がつく。

 学人は男に近付くと、女とは反対の腕を肩に回した。




「くそっ」


 エレベーターのボタンを押した学人が悪態をつく。液晶が消えていたのでわかってはいたが、エレベーターは動かなかった。

 外からドアが開きっぱなしのマンションの一室が見えたので、ひとまずそこに身を隠す事にした。

 諦めて非常階段を昇る。

 男は見えない場所に怪我をしているのか、終始顔を歪めていた。

 よく見ると服は破れ、血がまだらに汚している。

 腰には剣を下げていた。鞘は二本あるが、片方は空っぽだ。どこかで失ってしまったのだろうか。


 開放されたままの部屋に入ると、学人はすぐにドアを閉めて鍵をかけた。

 何かあった時にすぐ逃げ出せるよう、土足のまま上がり込む。ファミリータイプのマンションの様で、中には子供部屋まであった。

 寝室を見つけ、男をベッドに寝かせると女が口を開いた。


『ありがとう、助かったわ』


 理解できない言葉に対して、学人は日本語で返す。


「ごめん、言葉がわからないんだ」


 女の方もここに来てようやく、お互いに言葉が通じない事に気付いたようだ。


 街を闊歩する怪物、長く垂れた耳を持つ男女、男の持つ弓と剣。まるでファンタジーだ。

 見たまんまのファンタジーだとすると、この二人はエルフの類か。どこか気品のある二人はそんなイメージだった。


(馬鹿馬鹿しい……)


 現実にあるわけがない。

 頭ではそう否定するも、目の前には確かに存在している。

 これで何度目だろうか。

 わからない事は無理に考えなくてもいい。目に見える現実だけを受け止めよう。

 学人は再びそう、自分に言い聞かせた。



「う……っ!」


 男の衣服をはだけさせると、脇腹に抉られた様な大きな傷が露わになった。

 この家の中を探せば救急箱くらいはあるかもしれない。しかし、直視する事もできないその傷は、とてもではないが家庭にある様な物では治療できそうになかった。

 病院でちゃんとした手当てが必要だ。


 稼動している病院があるかどうかはわからない。

 ただ、連れて行くにしても応急処置が必要だ。ここまま外を歩くわけにもいかない。

 学人は二人を寝室に残して、救急箱を探しに出た。



 救急箱のありそうな場所を片っ端から調べていく。

 何となく泥棒をしている気持ちになる。

 ここの住人は地震の後、慌てて逃げ出したのだろうか。遅めの昼食を摂っていたらしく、テーブルには食べかけの食事が散乱していた。

 結局リビングからは消毒液しか出てこなかった。子供部屋を見るに、やんちゃ盛りの子供がいる家庭だ。どこかに必ずあるはずだ。

 見切りを付けて別の部屋へ移る。


 しばらくして目当ての物を見つけ、急いで寝室に戻る。

 すると女が傷口に手をかざしていた。

 外で見たのと同じように手がぼんやりとした光を帯び、水が傷口を覆っている。

 さっきは目の錯覚かとも思ったが、そうではないらしい。


「魔……法?」


 学人の目にはそうとしか見えなかった。

 しばらく眺めていると光が収まり、水も傷口に吸い込まれる様に消えてしまった。

 見れば、傷がさっきよりも見られる様になっている。完全とはほど遠いものの、出血が止まって少し治っているのがわかる。


 消毒液を含ませた三角巾を傷口に当てる。

 学人に応急処置の知識は無い。果たしてこれでいいのかはわからないが、何もせずに放置するよりはいいだろう。

 救急箱を目にした女は怪訝な顔をしていた。しかし中に入っていた包帯を見ると、これが何なのか理解したようで、包帯を綺麗に巻いていた。

 女の方が学人よりも知識があるようだ。


 手当てを終えて一息つく。


『ヒイロナ』


 声をかけられて顔を上げると、女が自分を指さしてそう言っていた。

 続けて男に指をさし、


『ジェイク』


 言い終わると頭を下げる。たぶん自己紹介と感謝の気持ちを伝えているのだろう。

 助けるつもりが結果として助けられてしまった。学人は素直に受け取れる気にはならなかった。


「山田学人」


 学人も真似て返す。

 なんとかしてこの二人とコミュニケーションを取りたい。

 良い方法は無いものかと考える。

 英語……無駄だ。二人は間違いなくこの世界の人間ではない。英語など知っているはずがない。


 女……ヒイロナがジェイクを見つめて逡巡する。

 次に学人を見て、何かを決めたようだ。自分と学人の頭を交互に指さして口をパクパクとさせている。

 ジェスチャーで何かを伝えているが、意図が全く伝わってこない。

 首をかしげる学人の頭を、ヒイロナが両手で挟んだ。

 手が白い光を帯びる。


(助けてくれてありがとう。ここはどこ?)


 突然頭の中に流れ込んできた声に驚愕する。

 軽くパニックになる学人に対して、ヒイロナは余裕の無い様子で続けた。


(魔力の消耗が激しいの! 心の中で喋るだけでいいから、はやく!)


 困惑しながらも、言われた通りにする。


(に、日本……)

(ニッポン? 聞いた事がないわ。大陸のどこか?)

(大陸じゃなくて……ええと、そう! 島!)

(ここで何があったの?)

(わからない。君達は何者?)

森林族(エルフ)よ。あなたは人間族(ヒト)みたいだけど、他に)


 会話はここで途切れてしまった。

 ヒイロナは大量の汗をかき、大きく呼吸を乱してぐったりとしている。

 テレパシーだろうか。ヒイロナの様子を見れば、かなりの荒業である事が容易に想像できる。


森林族(エルフ)か……」


 まるっきりファンタジーだ。

 学人は失笑をせずにはいられなかった。

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