49.手紙
光の柱の中に入ると、浮遊感も移動させられる感触も何も無く、気が付くと湿地に浮かぶ小島に立っていた。
辺りはすっかり橙色に染まっている。
そこではモンローが待機していて、ペルーシャは魔法結晶で足の応急手当てをしていた。
『ガクト、ちょっと包帯取ってくれへん? 鞄に入ってるから』
言われて、モンローが首から提げている鞄を漁る。
手当てをしているペルーシャに目を向けると、魔法結晶から伸びた植物が優しい光を放って、傷口を包み込んでいた。
『ペルーシャ、あのさ……』
『んー? ニャんや?』
包帯を手渡しながら、何度も聞いた質問を投げる。
『あの二人、本当に大丈夫なの?』
眠ったまま放置してきた、アシュレーとソラネの事だ。
眠った状態では、魔獣の格好の餌食になってしまうだろう。
『だから大丈夫やて! “排泄口”には魔獣も近付かれへんから!』
あの出口は迷宮の排泄口らしい。入口から外の澱んだ魔力を吸い込み、迷宮を循環して、最終的に綺麗な状態で出口から排泄される。
ノットからの受け売りの知識らしいが、なんだかまるで植物のようだ。
『どうして殺さなかったの?』
もうひとつの疑問だ。ペルーシャは殺されかけたのだ。そのままトドメを刺しても不思議ではなかったが、手を出さずに放置してきた。
ペルーシャは怪我をした足に包帯を巻きながら、深いため息を吐く。
『あかんあかん。あいつら殺てもうたら後が怖い』
報復を恐れたのだろう。彼らは家族だと言っていた。家族が殺されれば、残った者が黙っていないはずだ。
『予定にはニャかったけど、いっぺん湿原都市に寄るで。煙草が全部あかんようにニャったからなぁ。誰かさんのせいで』
そう言って、恨めしい目で学人を見た。
進路を変え、どこまでも続く木道を進んだ。
日が沈み、途中の小島で仮眠をとり、都市が見えてきたのは日が昇ってしばらくしてからの事だった。
高く伸びる水草の森を抜けると湿地帯の終わりが見え、岸と湿地を跨ぐ街が見えた。
しかし、今までに学人が見てきた都市とは違い防壁など見当たらず、奥の方はわからないが、手前には木造の建物が軒を連ねている街だ。都市と呼ぶにはあまりにも小さい感じがする。
村とまでは言わないが、それに毛が生えた程度の街だ。
街の周辺では、カヌーに乗って魚を捕る人々の姿も見られる。
『これが都市なの? 小さくない?』
素直に思った事を口にする。
学人には都市、街、村の線引きがよくわからなくなってしまった。
『都市や、都市。斡旋所があったら全部都市やねん』
かなり大雑把な分別方法だ。つまり、斡旋所が無ければ、どれだけ大きくても都市とは呼ばれない事になる。
逆に小さな村でも斡旋所さえあれば、それは都市だ。そもそも言葉の意味自体が日本とは違うようだ。
広くなった木道を進み、そのまま入口を抜ける。さすがに警備兵は立っていたが、こちらに興味を示す様子もなかった。
おそらく魔獣からの防衛だけが任務なのだろう。
湿地帯にある建物は住居というわけではなく、警備兵の詰め所や倉庫、何かの作業場になっているようだ。
湿地から生える建物には目もくれず、一直線に陸地帯を目指す。
陸地帯に到着すると、木造に混じって石造りの建物も確認する事ができた。地面は石畳で舗装され、一応は都市のように見えなくもない。
都市の中心に当たるのだろうか。真っ直ぐ進んだ先に広場の様な場所が見えたが、露店が出ているわけでもなく、少し寂しい雰囲気が流れている。
店とおぼしき建物の前で止まり、ペルーシャがモンローから飛び下りた。
無言で鞄の中から取り出した、ジャラジャラとした音を鳴らす革袋を手に、建物の中へ入って行く。学人もその後に続いた。
どうやら雑貨店のようで、中にはランタンやロープなどの旅の必需品、陶器や何かが入っている小瓶、魔法結晶など、統一性のない様々な物が乱雑に置かれていた。一言で言うと、散らかっている。
ペルーシャは店内を見回した後、鉱石族の店主に声をかけた。
『おっちゃん、煙草は置いてへんの?』
学人は、鉱石族は鉱山都市にしか居ないものだと思っていたのだが、そうでもないらしい。あの家族には属さない鉱石族なのだろう。
おっちゃんと言われて、少しムッとした顔で店主が指で示す。
見てみると、パッケージも何も無い、大陸の煙草が並んでいた。
葉巻煙草、キセル、パイプと種類はあるが、銘柄に種類は無いようだ。
『ガクトもいるやろ?』
ペルーシャが豪快にありったけの葉巻煙草を買う。学人は大陸の煙草を吸った事が無かったので、少し興味をそそられた。
煙草だけ買うと、店を出た。
『あと……せやな、斡旋所やな』
斡旋所? まさか仕事を探すわけでもないだろう。不思議に思い、尋ねる。
『何かあるの?』
『都市に寄ったら絶対に覗けって言われてんねん。イレギュラーやけど、バタフライゲートで覗く時間あらへんかったから、丁度ええわ』
ノットにそう言われているのだろう。理由はわからないが、それ以上は何も聞かずに黙って付いて行く。
斡旋所は広場に面していた。ランダルとは違い小さな建物で、中は閑散としていた。
ペルーシャは貼り出されている紙に視線を向ける事もなく、カウンター越しに男性職員に声をかける。
『ノット。“サイモリルの導き”』
素っ気なく暗号の様な事を伝える。最後のは合言葉か何かだろうか。
職員が書類に目を走らせると、奥の部屋へ通された。ペルーシャに手招きされて、学人も後に続く。
パタンと扉が閉じられると、職員が静かに口を開いた。
『ペルーシャ様、ノット様より伝言をお預かりしております。発信日は翼竜の月29日。到達日は従者の月28日』
そう言い、封のされた筒状の紙を差し出してきた。
封を解き、ペルーシャが内容を確認する。背中越しに学人も覗き込むが、所々に学人のまだ読む事のできない単語が混じっている。
『なんて書いてあるの?』
覗き込まれても隠す素振りすら見せないペルーシャが、横目で学人を見る。
『はぁ、予定変更やて』
手紙にはこう書かれていた。
“火急の用にてエルフの森へ向かう。君もとりあえず、そちらへ向かってくれ。入れる様に話は通しておく。 ノット・マーシレス”
『行き先変更や。エルフの森やて』
エルフの森。つまり、ジェイクとヒイロナの故郷だ。
読み終えた手紙をくしゃりと握り潰し、職員に確認を取る。
『伝言はこれひとつだけ?』
『現時点でこちらに届いているのは、それだけでございます』
『そっか、ご苦労さん。もう締めといてくれてかまへんで』
『かしこまりました。では、そのように』
恭しく頭を下げる職員に背を向けて、ヒラヒラと手を振りながらそう言い残す。
斡旋所では伝言を依頼できるらしい。
『ペルーシャ!』
学人がその事について訊く。伝言を依頼できるのなら、ジータも何かを残していないかと考えた。
だが、伝言の保存期間は基本的に一ヶ月。それ以上残すにはかなりの金額を支払わなければならないそうだ。
しかも、伝言は依頼を出した斡旋所にだけで、都市から都市に伝言を飛ばす事ができるのは、貴族や特別な階級を持つ人間にしかできないそうだ。
そもそも伝言を聞くには予め決めておいた合言葉が必要だ。
用事を終えて、広場に出る。
ペルーシャが先にモンローに乗り、学人に手を差し伸べる。
その手を取り、乗り込もうと体重を掛けたところで、逆に突き飛ばされてしまった。
予想外の行動に受け身をとる事もできず、石畳に背中を打ち付ける。
突然の事に驚いた学人が抗議するよりも早く、ペルーシャに氷の矢が飛んできた。
鉤爪の納まったリストバンドで、その矢を弾き落とす。
襲撃だ。
街中であるにも関わらず襲撃して来るとは、一体何者だろうか。目を覚ましたアシュレーとソラネが追い付いたのだろうか。
矢の飛んで来た方向を向いたペルーシャが、目を見開いて叫んだ。
『自分、ニャんで……こんニャ所におんねん!』
釣られて学人も目を向けると、そこにいたのはよく知る二人組だった。
『ジェイク!』
ジェイクとヒイロナが、そこに立っていた。




