46.アシュレーとソラネ
お互いに自己紹介をした。
男の名はアシュレー。木を使役するウィザード。
女の名はソラネ。魔力を流したブルウィップ、つまり一本に編まれた鞭で戦う。
彼らは家族で、他の仲間はすぐ近くの都市にいるという。旅の途中なのだそうだが目的地については口を開こうとせず、わからないままだ。
異人の事に関しては耳に届いているようで、珍しがってはいたが大して驚いた様子はない。
『で、異人のガクトはどうして迷宮に? 丸腰のところを見ると、探索っていうわけでもないんだろう?』
学人が一番触れて欲しかった話題だ。
『それが、なか……』
仲間、と言おうとして言い淀んだ。ジェイクとヒイロナは仲間だ。友人だ。
だが、ペルーシャはただの誘拐犯、加害者だ。一緒に危機を乗り越えて、気さくに話し掛けてくるので、被害者と加害者という意識が薄れてしまっていた。
『実は……国境で誘拐されちゃいまして。犯人に蹴り飛ばされたらここにいたんです』
簡単に説明し過ぎて、これではペルーシャが血も涙も無い、極悪人のように聞こえてしまう。
事実なのだが、身を挺して蜘蛛から学人を守ろうとしてくれたのは確かだし、極悪人というわけでもなさそうだ。
『……許せませんわね』
『ああ、許せないな』
その話を聞いた二人は憤慨を隠さなかった。
『安心して、ボク達が必ず君を国境まで送り届けてみせる!』
意外な申し出だ。出口まで送ってもらえればとは思ってはいたが、親切にも国境まで送ってくれるらしい。
出会ったばかりの見ず知らずの人間に対して、そこまでする理由はなんなのか。メリットがどこにも見当たらない。
『いた、それは嬉しいんだけど……』
さすがに学人も何か良からぬ魂胆があるのでは、と邪推してしまう。
尻込みする学人の様子を見て、ソラネが呆れた表情で口を開く。
『アシュレー様、それではひどく怪しゅうございますわ』
そう言われ、アシュレーがはっとした顔で苦笑いを浮かべた。
『ガクト様、申し訳ありません。アシュレー様は大人しそうに見えて、熱いお方なのです。他意はございませんので、どうかそう怪訝な目を向けないでやってくださいまし』
『それに、困っている人、力の無い人の味方になれって、姫の意志だしね』
丁寧に詫びるソラネにアシュレーが口を挟む。
学人はアシュレーが家族の代表なのだと思っていたが、そうでは無いらしい。
なのに勝手にそんな事を決めてもいいのだろうか、と疑問に思った。
『アシュレーさんが勝手に決めていい事なんですか? あなた達の姫は近くの都市に?』
学人の問いかけに、少し困った顔をしてソラネが答える。
『わたくしどもの姫は、ただいま不在なのでございます。どこで何をされているのやら……』
そこまで言って、ソラネが言葉を切った。
視線が天井をなぞる。
アシュレーも何かに気付いたらしく、顔付きが変わった。
『どっちにしろ探索は打ち切って、早く出た方がよさそうだね』
学人から見れば、特に変わった様子などない。
『迷宮の魔力がざわめいているんだ。“主”が現れる前兆さ。まさか君たちは魔力を感じる事ができないのかい?』
言いながら、アシュレーが迷宮の地図を広げる。
『このまま進んだ先にある出口が一番近そうだね。行こう』
歩き始める二人に続いた学人が、ラットマンの死体が無くなっている事に気が付いた。
まだ生きていて逃げ出してしまったのだろうか。
そんなはずがない。首が落ちていたのだ、生きているわけがない。
しかし死体のあった場所を見ると、残っているのは血の痕だけだった。
『死体が……』
『死体? あぁ、さっき蒸発して無くなったよ。必要だった?』
死体が消えて当然、といった風に言われた。色々と突っ込みたいところだが、学人は出掛かった言葉を飲み込んで後回しにする事にした。
狭い通路を進むと、学人がさっき目玉の魔獣に殺されかけた部屋だ。
ソラネが天井に向かって鞭を振るうと、スパァンという気持ちのいい音が鳴り、張り付いている魔獣の目玉が破裂した。
自慢の目玉を失った魔獣は透明な液体を撒き散らせて、ずるりと落下してきた。
複数のラットマンが襲い掛かってくると、アシュレーが何か種の様な物を手に、片手用の小さなワンドをかざして詠唱を始める。
種は詠唱と共に膨れ上がり、放り投げられる。
放り投げられた種をソラネが魔力で鞭の先端にくっつけると、魔法の名前が呼ばれていくつものトゲが生えてスパイク状になった。
即席のフレイルだ。
どうやら木の魔法は種を媒体にして使うらしい。
一撃振るっても種が砕けないところを見ると、ある程度の強度と重さがあるようだ。
ソラネが鞭で牽制し、アシュレーがその隙に種を撒いて魔法を発動させる。
阿吽の呼吸で魔獣を蹴散らし、どんどん先へと進んで行く。二人ともかなり手馴れている様子で、向かうところ敵無しだ。
迷宮はいくつもの部屋を細い通路が繋ぐ、蟻の巣のような構造になっていて、部屋に出るごとに地図を確認して進む。
近いとは言っていたがかなりの距離があり、迷宮がかなりの大きさを持っている事がわかる。アシュレーの地図も迷宮の全てが描かれているわけではないようだ。
時には上にあがり、時には下にさがり、立体の迷路になっている鍾乳洞はまさに迷宮と呼ぶに相応しいだろう。地図が無くては出口になど辿り着ける気がしない。
学人の体感だが、時間にして二時間ほどだろうか。出口まであと少しという所で、行く先の方向から声が聞こえてきた。
声はどんどんこちらへ近付いて来る。
アシュレーとソラネが正体不明の声の主に対して身構えるが、この声は学人の知っている声だ。
『おーい! ガクトー! どこやー!』
ペルーシャだ。学人を探しに来てくれたようだ。
『ペルーシャ!』
『おっ! おったおった、元気そうやニャ!』
広いフロアに到着すると、そこにはペルーシャがいた。学人の無事な姿を見て、ぱあっと明るい表情を見せた。
フロアの片隅には光の柱が見える。おそらくあれが出口なのだろう。触れるか、中に入ると転移される仕組みのようだ。
なぜそんな物が存在するのか。迷宮は謎だらけだ。無事に再会する事ができたらヒイロナに訊いてみるのもいいだろう。
ペルーシャが駆け寄ろうとすると、ソラネの鞭が鳴り響き、アシュレーが学人とペルーシャの間に割って入る。
一瞬の沈黙の後、ソラネが口を開いた。
『猫の獣人族で……名前がペルーシャ……』
薄く目を閉じて、咀嚼する様に呟く。
二人は名前を聞き、容姿を見て全てを悟ったようだ。
『なるほど。あなたが誘拐犯ですね?』
『せやったらニャんや? ていうか自分誰やねん』
ペルーシャから笑顔が消え、冷たい緊張が走る。
対するソラネがにっこりと笑い、
『“黄金の爪ペルーシャ”。お初にお目にかかりますわ。わたくし、パンプキンフォースのソラネ・エイルヴィス・ラタララスと申します』
たおやかに頭を下げて自己紹介をするが、その声には敵意が満ちている。
『噂を聞いた限りでは、あなたは人攫いなどという卑劣な行為に及ぶ盗賊ではないと思っておりましたわ。でも所詮、噂は噂ですわね』
ペルーシャは腕を組んで、ただ黙って聞いている。その表情は明らかに不機嫌そうだ。
ペルーシャの白けた視線と、ソラネの冷ややかな視線がぶつかり合い、緊張がさらに高まる。
『ガクト様、今このチンピラ猫を懲らしめて差し上げますので、少々下がってお待ちくださいな』
二人はやはり、ペルーシャがただの悪党だと思っている様子だ。誘拐された事には間違いないが、根は決して悪党ではないと、そう学人は思っている。
一触即発の空気に、止めるべきか様子を見るべきか、学人は判断できずにいた。




