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世界混合  作者: あふろ
第三章 王国の旅
40/145

40.浅知恵

「お兄ちゃん、蜘蛛蜘蛛蜘蛛っ!」


 妹は虫が大の苦手だった。

 小学生の頃、バッタを妹に向かって放り投げたら、絶叫して泣きじゃくってしまった。ちょっとした悪戯心だった。泣かせるつもりはなかった。

 もちろん後でチクられて、みっちりと母親に怒られた。

 実家暮らしをしていた時は、部屋に虫が出ると必ず泣きそうな顔をして、学人の部屋に飛び込んで来ていた。

 学人はその度にため息を吐いて、虫退治に行っていた。


 蜘蛛は見た目がちょっとアレだが、目障りな小虫やゴキブリなんかを捕食してくれる益虫だ。

 世界には毒を持つ危険な種類もいるが、日本にはほとんどいない。外来種のセアカゴケグモくらいなものだろう。学人からしてみれば、蜘蛛は人類の味方だと言っても過言ではなかった。


 妹の部屋に行ってみると、そこにいたのは小さくて愛らしいハエトリグモだった。

 家の中でよく見かける、黒くてぴょんぴょん跳ねるあいつだ。

 殺してしまうのも可哀想なので、掌の上に乗せて外に逃がしてやる。人懐っこい蜘蛛だ。

 血相を変えて飛び込んで来るほどのものでもないだろうに。


 虫。

 学人の中では、そんな小さな生き物たちの事を指す。

 それに比べてあの巨大蜘蛛ときたら……。あれはもう、虫の範疇を超えてしまっている。

 まるでコレクションでもしているかの様に人間を取り込んで同化し、学人の中での益虫というイメージを嘲笑うかのような、ただの怪物だ。

 間違っても素手の人間が太刀打ちできる相手ではない。


 つまり、学人にペルーシャを助ける事なんて、到底できるわけがない。


……。



 息を切らせながら全力疾走する。

 このショッピングセンターに地下は無く、一階が食料品フロアになっていた。

 一番混雑するフロアだ。

 折り重なって倒れている買い物客を踏んでしまわないよう、飛び跳ねながら全力で走る。

 しかし、頼れるものは懐中電灯の明かりだけで、焦って走っているのだ。避け続けるのにも限界がある。

 何人か踏みつけてしまった。

 人を踏んだとは思えない、何か木の枝でも踏んだかのような感触と、メリっという鈍い音が、足を通して脳まで一直線に伝わる。

 失っているのは肉だけのようで、踏みつけられた内臓が水風船を割った時のように破裂して、薄い皮膚を突き破り血が放射状に飛び散る。

 詫び言を念仏でも唱えるかのように繰り返しながら、学人は進んで行った。


 食料品フロアにはドラッグストア、またはそういったコーナーが併設されている事がある。

 統計で見るとどうなのかは知らないが、ここ最近で学人が足を運んだ同じ系列のショッピングセンターには必ずあった。おそらくここにもあるはずだ。


『あかんてあかんてあかんてあかんて! タンマ! タンマタンマ! アタシは美味しくニャいってっ!』


 後方の闇の中からは、ペルーシャの叫ぶ声が木霊する。


『ガクトのアホボケ不能野郎! 禿げ上がれ、人でニャしーッ!』


 悪口まで聞こえてきた。

 それを聞いていると案外余裕があるように感じ、放っておいても大丈夫なんじゃないか、とさえ思えてくる。


(……あった!)


 ドラッグストアを見つけてカゴを引っ掴み、目当ての物をありったけ放り込んでいく。

 最近のドラッグストアというのは、本当に何でも売っていて実に便利だ。

 何か作業をしていてそのまま置き忘れたのか、太めの輪ゴムの束が落ちていたのでそれも拾う。

 出ようとした時にいい物が目に入ったので、それもさらった。


 目的を果たした学人がドラッグストアから出ると、ペルーシャの声が聞こえなくなってしまっていた。

 転んでカゴの中身をぶちまけている暇はない。

 やられてしまったのではないかという不安を抑え込み、速度を落としながらも来た道を戻って行った。


『ニャ゛アァァァァ……』


 近くまで戻って来ると、小さく唸る声が聞こえた。まだ無事らしい。

 戻ってきた学人が蜘蛛を照らすと、ペルーシャが脚と爪を使って蜘蛛の口と格闘していた。

 器用に上下の顎と、左右の牙を止めて食べられてしまう事に必死で抵抗している。


『ペルーシャ! 息止めて!』


 学人が太い缶をいくつも床に置き、手際良く蓋を外して緑色のヘッドを、その蓋に付いているスリ板で擦る。

 シューッという音で煙が勢い良く噴き出したのを確認し、次から次に蜘蛛の下へ滑り込ませた。

 次にスプレー缶を何本か開けて、顔に向けてノズルを絞る。

 いくら大きくても蜘蛛は蜘蛛。虫は虫だ。

 浅知恵でしかないが、虫にはとりあえず殺虫剤だ。

 この状況で他に手があるなら是非とも教えてもらいたい。


『ケホッケホッ! ニャんやこれ!』


 殺虫剤攻撃と煙に巻かれてペルーシャが咳き込む。息を止めるようにとちゃんと警告はした。

 蜘蛛には効かない殺虫剤もあるらしいので不安はあったが、蜘蛛が苦しみ出してペルーシャを解放した。

 流石は現代科学と言うべきか、それとも日本製品と言うべきか、相手が魔獣の虫……魔虫であっても一応効果はあるらしい。


 学人が咳き込むペルーシャを引っ張り寄せて、さらにバルサンを投入する。

 追い打ちをかける様に、輪ゴムでノズルを絞った状態に固定した殺虫スプレーを、口の中に放り込んだ。

 仕上げはドラッグストアを出る時に、たまたま見つけた床用ワックスだ。

 まだ未開封の殺虫スプレーを蜘蛛の下に転がし、ワックスをありったけ開封して蜘蛛の足元にぶちまけた。


 固く針の様に尖った足をした巨大蜘蛛が、ツルツルと滑る床の上で踏ん張れるわけもなく、綺麗に転ぶ。

 体に押し潰されたスプレー缶がパンッと破裂し、殺虫成分が辺りに撒かれた。

 やれるだけの事はやった。だがこれで倒せるとはあまり思えない。楽観視はしない方がいいだろう。


『ケホッ助かったぁ……』

『今のうちだ!』


 まだ涙目のペルーシャの腕を引っ張り、脱兎の如く走り出した。

 もう殺虫剤も打つ手も無い。

 運良く出口に行き着いたが、諦めて他の出口を探す。

 出口はひと目で確認できる太い糸で封鎖されてしまっていたのだ。


(裏口でもあれば……)


 他の出口も封鎖されている事が予想される。


(裏口……そうか! 搬入口だ!)


 店内構造に詳しいわけではないが、どこかに必ず搬入口に繋がっているはずだ。

 運が良ければあの蜘蛛が入って来れないくらいの、細い通路も通るかもしれない。

 足早に食品フロアを彷徨う。


『自分ニャんで戻ってきたん? 阿呆ニャん?』


 無言で歩いていると、唐突にペルーシャが疑問を投げかけてきた。

 学人はその質問に答える事無く、死体を避けながら前を行く。


『そのまま逃げたらアタシからも逃げれたやろに。まぁ、おかげでアタシも助かったんやけど』


 学人が立ち止まり、冷蔵ケースに陳列されていた野菜ジュースを手に取って振り返った。

 しばらく視線をぶつけ合い、小さく息を吐く。


『それを言ったら、ペルーシャも一人だったら簡単に逃げれたんじゃないの? なぜ僕を助けた?』


 ペルーシャは目で追っても見失うほどに素早い。

 彼女から見ればあんな蜘蛛など、鈍間以外の何者でも無いだろう。学人がいなければ、捕まってしまうようなヘマはしなかったはずだ。


『ガクトに死ニャれたらまた別のん探さニャあかんもん。めんどくさいやん』


 頭の後ろで手を組み、当然といった顔だ。

 本音で面倒臭いのだろう。


『出るまでは助け合うって言っただろ』


 学人も当然といった顔で、先程の質問に答えを返した。

 しかしペルーシャの言う通り、学人は見捨ててあのまま逃げ出すべきだったのだろう。

 だが学人はそれを良しとしなかった。

 学人が正攻法でペルーシャから逃げ切る事はきっと不可能だ。試してみないとわからないが、車で逃げても追い付いて来そうだ。

 鉤爪を立てて車の尻に貼り付き、学人がそれを必死に振り落とそうとするイメージが頭の中で浮かぶ。ハリウッド映画なら貼り付いたペルーシャに銃でもぶっ放すのだが。


『阿呆や』


 ペルーシャはバツが悪そうにしてそっぽを向いた。


『ペルーシャ! 踏んでる踏んでる!』


 死体を落ち葉でも踏むかのように踏みつけているペルーシャに気付いた。

 慌てて両肩に手を当て、押しのける。


『ニャんやねん、どうせ死体やろ? ええやんか別に』


 この世界、特に王国では死体など珍しくないのだろう。死体を踏む事に抵抗や罪悪感が無いようだ。

 そんなペルーシャを見ると、この世界の人間たちと本当に分かり合える日なんて来ないんじゃないか、と学人は思う。

 生きてきた環境があまりにも違い過ぎる。

 中継都市ランダルも今は日本人に対して良くしてくれているが、両者の間にいつ亀裂が走ってしまうともわからない。

 あるいは小さな行き違いが日々募っていって、ある日それが突然爆発してしまうかもしれない。

 お互いが爆弾を抱え込んでいる、ほんの小さなきっかけで、均衡が崩れてしまってもおかしくない状態だと考えておいた方がいい。


 学人はそれ以上何も言わず、野菜ジュースを片手に歩みを再開した。

 野菜、飲料系、肉、鮮魚コーナーを順番に通り、蜘蛛のいる場所をぐるっと迂回する様に探索する。

 途中でシルバーのスイングドアを見かけたが、搬入口では無さそうだった。

 結局、出口が見つからずレジまで到達してしまい、野菜ジュースの会計もしないままレジを抜ける。


 視界の先には惣菜店が並び、その手前、左手にはトイレのマークが描かれた少し広めの通路、右手には沈黙したエスカレーターが見えた。

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