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世界混合  作者: あふろ
第一章 幻想の現実
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4.死骸

 脳を揺さぶる、不快な目覚ましの音で目を覚ました。

 昨日は日曜日。珍しく遅くまで部屋で独り飲んでいたせいか、それとも月曜日の朝の憂鬱な気分のせいか。

 両方だ。全身が気だるさに包まれている。

 重い体をなんとか起こし、ベッドから降りる。かったるい一週間の始まりだ。

 心地好い朝の日差しも、時折聞こえてくるキジバトの鳴き声も、憂鬱な気分のせいで鬱陶しく感じる。

 これが土曜日か日曜日だったなら最高の朝だと言えるだろう。


 顔を洗い、歯を磨き、髪を整えてスーツに身を包む。

 携帯を見るとLEDが点滅していた。メッセージの通知だ。

 送り主と内容は見なくてもわかる。間違いなく妹だ。

 ブラコンの妹は毎朝決まった時間に、決まった内容のメッセージを送ってくる。


――お兄ちゃん起きてる? 仕事の時間だよー。


 ちなみに無視すると寝坊していると思われて、鬼の様に電話が掛かってくる。

 実家で同居していた時は、毎朝のしかかられて叩き起こされていた。

 学人が実家近くに部屋を借りて一人暮らしを始めると、それが携帯のメッセージに変わった。

 鬼電される前に返事をしなくては、と携帯のロックを解除する。予想通り妹からだ。

 しかし、目に飛び込んできたのはいつもとは違う内容だった。


――たすけて。


 背筋にひやりとした感覚が走る。

 慌てて妹に電話をかけるが繋がらない。

 学人は手にしていたネクタイを放り出し、転がる様に部屋を飛び出した。

 学人の部屋は六階だ。マンションの共用廊下に出ると、町の景色が一望できた。


「なんだこれ……」


 思わず息を呑む。

 学人の目に映ったのはいつもの見慣れた風景ではなく、叩き潰されて崩れた町の姿だった。


「山田……さん……」


 背後から名前を呼ばれ、体が硬直する。

 声がおかしい。ごぼごぼという不気味な音を混じらせながら、ぐぐもった声で誰かが名前を呼んでいる。


 恐る恐る振り返る。

 そこに立っていたのは血塗れの青年だった。折れた足を引きずって、こちらへ近付こうとしている。

 見覚えのある顔だ。

 車に撥ねられて死んだ青年……。


「か、風峰君……?」

「山田さん、痛いよ……置いて……行かないで」


 恐怖で声が出ない。


(違う……ッ! これはッ!)




 目を覚ますと太陽が既に高い位置にあった。

 眠気まなこで周囲を見回す。学人の知らない部屋だ。

 まだ寝ぼけている頭で記憶を手繰り寄せる。


(そうか……)


 昨日の出来事を思い出すと、絶望的な気持ちになった。残念な事に、こっちは夢ではなかったようだ。

 蒸し返る暑さと悪夢にうなされたせいで、学人は汗にまみれていた。

 昨日残しておいたお茶で喉を潤す。

 ぬるい風が吹き込む割れた窓から外を見ると、そこにはやはり崩れた町並みが広がっていた。


 無音だ。

 何の音もしない。

 一日が経ったのに、ヘリの音ひとつ聞こえてこない。

 これだけの大惨事だ。テレビ局のヘリが放っておかないはずがない。いの一番に飛んで来そうなものなのに。


 どのくらいの範囲でこの異変が起こっているのだろうか。

 少なくともテレビ局のヘリが来れないくらいに広い範囲なのだろう。下手をすれば日本全土という事も考えられる。

 そうなれば絶望的だ。早急な救助の手は期待できない。

 海外から救援部隊が来るとして、一体どのくらいかかるのだろうか。


 ここで学人は考えるのをやめた。ここでわからない事をただ考えていても、答えなど出るはずもない。

 今言える確かな事は、町が壊滅していて、自力で助かるしか方法が無いという事だ。

 食料が無い。水分もお茶が少し残っている程度で、すぐに無くなってしまうだろう。

 篭城していても餓死するのを待つだけだ。なにより死体の放置された家の中にこれ以上留まりたくなかった。


 学人はバリケードをどけると家を出た。




 夏の熱を存分に溜め込んだアスファルトが、視界の奥を少し歪ませている。

 無残な姿になった人の死体から目を背けて古めかしい住宅街を彷徨う。

 今日も絶好調に暑い。ただ、今日はカラっとしていて、日本特有のじめじめとした暑さではない。まるで気候が変わってしまったかのようだった。


 不思議な事に怪物の姿が見えない。

 幻覚や夢ではなかったはずだ。怪物の命を奪った時のあの感触は、間違いなく本物だった。

 妙に思いながらも足を進める。


 その答えは大通りにあった。

 乗り捨てられた車や人の死体に混じっていたのは、動かなくなった怪物の死骸だった。

 それも一体や二体ではない。おびただしい数の死骸が転がっていた。


「救助隊……?」


 警察や自衛隊の仕業だろうか。はたまた外国の軍隊だろうか。どちらでもいい。

 怪物が駆逐されているのは事実だ。凄惨な光景であるにもかかわらず、歓喜の笑みが浮かぶ。


「あれ……ここって……」


 右手には昨日の駅が見える。住宅街を彷徨ううちに戻って来てしまったらしい。

 駅周辺だけが異常に栄えた郊外の町だ。改めて周囲に目を向けると、道路の両脇にはちょっとしたビルが立ち並んでいた。

 戻っても仕方が無い。駅とは反対の方向へ足を向ける。


 死骸の脇をすり抜けた時、ふと違和感を覚えた。

 死骸には弾痕の様なものがある。得物はおそらく銃器だ。そこまではいい。

 ただ、周りの車を見ても弾痕が一切認められないのだ。地面や建物の壁を見ても、流れ弾が当たった風な傷はどこにも確認できない。

 つまり連射できる様な銃ではなく、拳銃かライフルの類という事になる。

 だとして、一発も外す事無く、これだけの数を仕留める事ができるのだろうか。薬莢のひとつも落ちていないのもおかしい。


「……え?」


 さらに不可解な点に気付いた。

 血だ。

 日光に晒されている所は固まっているが、日陰の部分はまだ乾ききっていない。

 怪物が死んでからそう時間が経っていないようだ。

 なのに、銃声など少しも聞こえはしなかった。


 シャベルを握り直し、先を見据える。


 少し進んだだけで、不審な点がまた増えた。

 斬り傷だ。

 今度は肩から胸にかけて、大きな斬り傷を負った死骸が横たわっている。

 綺麗な斬り口を見ると、非常に鋭利な物で斬られた事がわかる。それも日本刀の様な、大きな刃物でだ。


「なんだ……これ」


 さらに奥には目を疑う死骸があった。

 突き刺さっていた。矢が。

 さすがに弓によるものだとは考えにくい。だとすればクロスボウだろうか。

 この状況下ではクロスボウは心強い武器になるだろう。学人が最近観た現代が背景の海外ドラマでも、ゾンビを相手にクロスボウが大活躍していた。

 しかし、これは木製で塗装も何もされておらず、矢羽根も動物の物でできている。

 古めかしいその矢は素人目に見ても、とても現代の物とは思えなかった。


『ジェイク! ねえ、しっかりして!』


 突然、女の悲痛な声が静寂を破った。すぐ近く、この先の交差点を曲がった場所辺りからだ。

 生存者の存在に、学人の顔に喜びの色が浮かぶ。

 だが声色からして状況は良くなさそうだ。言葉も日本語ではなかった。


 交差点から左右を確認すると、女が屈み込んで必死に声をかけていた。

 女の陰には車にもたれ掛かって座る男の姿が見える。怪我をしているのか、動きは無い。

 外国人だ。聞いた事の無い言葉と、染めたとは到底思えない綺麗な金髪をしている。

 服装も変わっていた。洋服ではなく女は淡いピンク、男は青を基調とした、どこかの国の民族衣装の様だ。


「大丈夫ですか!」


 女の背に声を投げながら駆け寄る。

 学人の声にビクンと反応した女は、鬼気迫る形相で振り向いた。


「えっと……」


 あまりの迫力にたじろぐ。

 いきなり背後から声を受けて、怪物だと思われたのだろう。女は学人の姿を確認すると、安堵した様子を見せた。


『ごめん! 悪いけど周りを見張っててくれる?』


 女が学人に何かを伝え、男に向き直る。

 男は意識が無いようだ。痣と擦り傷がある程度で、他に目立った傷は無い様に見える。

 女の喋る言葉がわからずおろおろとしていると、男の傍らに落ちている物に目が止まった。


(……弓?)


 ドラゴンをイメージしたかの様な、美しい装飾が施された木彫りの弓だ。

 間違っても弓道に使われる物では無さそうだ。そもそも和弓ではないしどこかのお土産か、インテリアに使う弓だろう。

 少なくとも、学人の目にはそう映った。


『我水の使役者、我ヒイロナ・エイルヴィス・アルタニア、我名も無き汝の主君、我その名において命じる、全ての生命の源――』


 学人が弓に気を取られていると、女が何か呟き始めた。

 何かと思い、覗き込もうとしたところで気付いた。

 女の耳だ。

 女の耳が長い。人種の違いなどというレベルではなく、明らかに人のそれではない。横に伸びた長い耳が、重力に引っ張られるようにしてたわんでいた。


「え? ……え?」


 動揺する学人をよそに、女はブツブツと呟き続ける。

 すると男にかざされた女の手が、白く淡い光を帯び始めた。

 光は男を優しく包み込み、青に変わったかと思うと水の膜を張った。


 その光景を唖然としながら見守っていると、車の窓ガラスに映る何か動くものが見えた。

 慌てて後ろに視線を移す。緑の怪物が一体、こちらの様子を窺っていた。

 血の気が引いて心臓が大きく鳴る。

 女は気付いていないのか、振り向こうともしない。


「あの、怪物がッ!」


 声をかけても学人の声に反応を示さない。

 仕方なく肩を揺すろうと手を伸ばしたところで、学人は動きを止めた。

 なぜだかはわからないが、邪魔をしてはいけない気がしたのだ。


 目の前で起きている超常現象に対して、自分の目を、頭を疑いたい。

 目の前にいる怪物に対して、これは夢だと思いたい。

 しかしこの感覚は紛れもない現実だ。夢にしては長すぎる。夢にしてはリアルすぎる。

 わからない事は考えなくていい。今は目の前の事実を受け止めるだけだ。

 なら、自分がするべき事はひとつ。


 怪物からこの二人を守る。

 学人は震える手で、シャベルを構えた。

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