39.ショッピングセンター
暗い階段を懐中電灯の光が上下する。
学人が懐中電灯の光に頼っているのは、ペルーシャが周囲を照らす魔法を使えないからだ。
ペルーシャは単独で隠密行動を取る事が多く、夜目が利くので必要ないのだそうだ。
余談だが、森林族もそれなりに夜目が利くらしい。
そう言われれば、ジェイクも明かり無しで真っ暗な坑道を歩き回っていた事を思い出す。
『ちょっと、ペルーシャ押さないで』
『ええからはよ行けや! 男の子やろ!』
押し殺した声で言い合いをしながら、なるべく音を立てない様に、慎重に階段を降りる。
二人とも完全にビビりあがっている様子だ。
踊り場まで来ると、そこにはベンチが置いてあり、骨と皮だけの老婆が寄りかかって座っていた。
光を当てても何の反応も示さない。既に息絶えているようだ。
老婆の死体の頭上にある、階数の書かれたプレートに目をやる。
幸いな事に郊外のショッピングセンターで、あまり規模の大きいものではなく三階建てだ。
大量に転がる死体を想像しつつ、三階へと降りた。
三階には本屋、ベビー用品店、雑貨屋などが目視できた。
ピークの時間でもそこまで混み合う事の無い階層なのか、想像していたよりは倒れている人の数が少ない。
まだ息のある人もいるらしく、時折うめき声が聞こえてくる。
なんとかして助けてあげたいと思うが、流石にどうしようもない。たとえこの場に医者がいたとしても、手の施しようがないだろう。
学人が見殺しにしてしまう事に胸を痛める。
こればかりは本当にどうしようもない、仕方無いと自分に言い聞かせる。
逃げる様にしてそのまま階段を降り続けた。
二階。
洋服店のフロアだ。
一瞥すると、上の階よりも倒れている人数が多い。
なるべくフロアを見ない様にしてさらに降りて行く。
ここまで順調だ。何事もなく外に出られそうだ。
一階を繋ぐ次の踊り場には自動販売機が置かれていて、倒れたゴミ箱が空き缶を吐き出していた。
光を足元に向けて、転がる空き缶を避けながら一階へと急ぐ。
『ニャ?!』
学人の後ろにくっついていたペルーシャが空き缶を蹴ってしまった。
カランカランと乾いた音を暗闇の店内に轟かせて、階段を転がり落ちて行く。
嫌な音に思わず耳を塞いだ。そこで学人が異変に気付いた。
空き缶の音が不自然に急に途切れたのだ。
落ちて行った方向に光を向けて確かめてみると、空き缶が宙を浮いていた。
『ニャんやあれ……』
『さ、さあ……』
宙で静止した空き缶を見つめる。
試しにもう一本、投げてみた。
投げられた空き缶は無音で小刻みに震えるような動きを見せた後、やはり同じような場所で宙に浮いて止まってしまった。
何かある。
空き缶まであと一歩という所まで近付き、光の角度を変え、視点を変えて調べる。
一瞬、何もない空間でキラリと光が細く反射した。
今度は投げた空き缶を摘んで引っ張ってみる。
すると引っ張られた缶と連動したかの様に、蹴ってしまった缶が揺れた。
これは糸だ。
粘着性のある糸が、まるでブービートラップのトリガーの様に、無作為の高さで何本も張られている。
かなり細い糸だが空き缶を止めてしまったくらいだ。見た目によらず強度がある。
『ペルーシャ、蜘蛛の魔獣っているの?』
多分蜘蛛の糸だろう。
すぐさま確認を取る。
『おるにはおるけど……この辺にそんニャんおるって聞いた事あらへんで』
存在はするが、この周辺では見る事がないらしい。
……が、糸は間違いなく目の前に存在している。
燃やして進むか、戻りたくはないが一旦引き返すか……。
学人だけで判断するよりも、ここはペルーシャにも意見を聞いた方が良さそうだ。
『どうする? 引き返す?』
『うーん、蜘蛛って言うてもニャあ……ニャんの糸やろ?』
ペルーシャが顎を指で擦りながら屈みこむ。
彼女が気にしているのは蜘蛛の種類だ。
蜘蛛の種類によって、どう動くべきなのかが変わってくる。
『これニャ、多分捕獲用の糸とちゃうねん。索敵用のや。壊したら飛んできよんで』
経験を総動員して解説を始める。
『こんなんしよる蜘蛛言うたら……ヘルワークスパイダーやニャ。頭のいい蜘蛛でニャ、こんニャ風に地形に合わせて色んニャ糸張りよんねん』
解説を終えたペルーシャが立ち上がり、鉤爪を出した。
『おかしいニャあ……ルーレンシアにしかおらんはずやのに。まあええわ、壊すで』
不思議な顔をしながらペルーシャが数回爪を薙いだ。
直接触れてもいないのに糸が断ち切られる。
すると間もなく、カタカタカタと忙しなく走るような音が、一階から聞こえてきた。
『来るで』
ペルーシャが構えると、階段の下に巨大な蜘蛛が姿を現した。
真っ黒で少しツヤのある頭胸部は軽自動車ほどの大きさがあり、袋状の腹部には人間の顔にしか見えない、悪趣味な模様が無数に浮かんでいる。
おぞましい姿に学人が顔をしかめた。
こいつがヘルワークスパイダーなのだろうか。
『ニャんやこいつ?!』
ペルーシャもその姿に驚いている。
『ヘルワークスパイダーじゃないの??』
『ちゃうわっ! こんなきっしょいのおったらもっと有名やわ!』
蜘蛛は警戒しているのか、複数の眼をこちらに向けて様子を窺っている。
学人がふわりと微かな風を肌に感じると、隣にいたペルーシャの姿が消えた。
蜘蛛に視線を戻すと、ペルーシャの雄叫びと共に鈍い金属音が鳴り響く。
ペルーシャが床を蹴り、壁を蹴り、天井を蹴り、目にも留まらぬスピードで縦横無尽に動き回って攻撃を加えているのだ。
蜘蛛はかなり硬いらしく、火花を散らせながらたじろいている。
腹部で火花が散ると悲鳴が上がった。
それも一人のものではなく、複数の人間のものだ。
『ニャ゛ッ!?』
悲鳴に驚いたペルーシャが速度を落としてしまい、くるっと素早く回転した蜘蛛の腹部に殴打された。そのまま学人のいる方へ飛ばされる。
『ペルーシャ!』
学人が助け起こす。
ちょっとびっくりしただけで怪我は無いようだ。
ほっと肩を撫で下ろす。
『あかんわ。あいつめっちゃ硬い』
蜘蛛の方も無傷だった。明らかに攻撃力が足りていない。
腕力に自信のないペルーシャは急所を狙うのではなく、少しずつ確実に体力を削っていってから止めを刺す戦闘スタイルだ。硬い相手となると相性が悪い。
『もう一回、今度は撹乱させるからその隙に抜けるんや!』
言い置き、再びペルーシャが蜘蛛に飛び込んで行った。
先程と同じ動きだが、今度は細い八本の脚を狙う。
ダメージは無いものの、連続して襲い掛かってくる衝撃に耐えられず、バランスを崩し始めた。
チャンスなのだが走り出す事に学人が躊躇ってしまう。
蜘蛛も恐ろしいが、高速で動き回るペルーシャの近くを通り過ぎるなど不可能に思えた。
『はよ行けやアホー! こっちもしんどいねん!』
学人を急かす声が聞こえてくる。
ペルーシャが上手く避けてくれる事を信じ、意を決して飛び込んだ。
蜘蛛の動きに注意しながら全速力で走り抜ける。
すれ違った時に、さっきの悲鳴の正体がわかった。
腹部にある人間の顔のような模様。これは模様ではなく人間の顔そのものだ。
こうなった経緯はわからないが、腹部にある無数の顔が学人を目で追い、救いを求める声をあげる。
『ペルーシャッ!』
背筋を凍らせながら無事に駆け抜けた学人が名前を叫び、それを知らせる。
するとペルーシャが蜘蛛の背に乗り、動きを止めた。
『ニャっはっは。力無いからってニャめんニャよ』
何やら悪い笑みを浮かべてうーっと唸り始めた後、蜘蛛の背を力いっぱい蹴って真上に跳躍する。
跳躍した勢いで天井に貼り付き、また脚に力を溜める。
『ニャアアアアアアアアアッ!!』
存分に溜め込んだ力で天井を蹴ったペルーシャが、叫びと共に渾身の体当たりをぶちかました。
弾丸さながらの体当たりに、蜘蛛はたまらず床に全身を打ち付ける。
『よっしゃ! 逃げんで!』
二人並んで駆け出そうとした瞬間、ペルーシャが盛大に転けた。
『ちょ、ペルーシャ?!』
『ニャ?! しもた!』
ペルーシャの足首に、蜘蛛の出糸突起から伸びた太い糸が巻き付いていた。
必死に鉤爪を振るうが、直径十センチほどの太さがある糸は切れる様子がない。
ペルーシャに焦りの表情が浮かぶ。
『ペルーシャ、頑張って!』
学人がそう言い残してペルーシャに背を向けて走り出した。
ペルーシャが学人の取った行動に失望する。
『ニャ?! ガクト? おい、助けろやハゲ!』
小さくなる背中に怒りの言葉をぶつけたが、学人は振り返る事もなく、そのまま走り去ってしまった。




