32.伝言
『滅茶苦茶な森林族だな……しかしおかげで助かった』
『怒らすと怖えんだ、ロナは。変なとこ触ったら後で血祭りにされるぞ』
『ハハ、気を付けよう。氷漬けにでもされたらたまらん』
ジェイクに脅かされ、ヒイロナを背負ったバーニィが苦笑いをする。
オークの姿は既に無い。王が死んだとなると、蜘蛛の子を散らすように逃げ出してしまった。
部隊は怪我を物ともせず、都市に向かって進行を再開する。転がる死骸に悲鳴が上がるものの、もはや脅威となるものはない。
都市が見えると、お伽噺に登場しそうなその風貌に驚嘆の声が漏れた。
出迎えてくれたのはドナルド、そして小鳥たち日本人だ。
広場には沢山のテントが張られていて、炊き出しの準備もされていた。ウィザードの集団も見える。それはちょっとした村のようにも見えた。
『うおおお! なんだこれ、すげえなおい!』
装甲車を前に大はしゃぎのドナルド。その姿を見た学人はひとつ大切な事を思い出した。
時間が無かったために、ドナルドとの契約の事を話してなかったのだ。
青木と岩代の姿を探す。
周りでは既に怪我をした者の治療や、炊き出しの配給が行われていた。
「青木さん、岩代さん、ちょっとお話が……」
学人が声をかけると、二人が笑顔を向けた。
「山田さん、あなたのおかげで我々は生き延びる事ができた。皆を代表してお礼を申し上げます。ありがとう」
「実は、その事でちょっと……」
学人がドナルドの事を説明すると、二人はこだわりもなく笑い、
「なるほど、そういう事か」
「すみません。勝手な約束をしてしまって」
「君が謝る事はない。逆に我々が感謝してもしきれないくらいなのだ。そのくらい、お安い御用だ」
話を終えて、少し離れた場所に腰を落ち着ける。
笑顔になった避難民たちを見て、自然と笑みがこぼれる。
「山田さん、あなたは……」
気が付くと、いつの間にか小鳥が側に立っていた。
「これは吉村さんが? ありがとうございます」
救出に向かう事ばかりに気が取られていて、その後の事を何も考えていなかった。もっとも、後の事を考えている余裕なんて無かったのだが。
完璧なフォローをしてくれた小鳥に感謝を示す。
「そんな、私なんて」
「諦めなかったら……なんとかなるものですよ。吉村さん」
ドナルドとの契約には、自衛隊との間の通訳も入っている。
本当なら妹と両親を探しに、すぐにでも出発したいところだ。しかし、そういう約束をしてしまったし、なにより足を怪我している。仕方ない。
この都市にはしばらく滞在する事になるのだ。つまり、小鳥にはしばらく世話になる。仲良くしておいた方がよさそうだ。
二人は会話を交わすでもなく、ただじっと避難して来た人々を眺めていた。
『おい、ジェイク! お前に伝言だ、また忘れる前に伝えといてやる!』
ヒイロナを宿に寝かせて戻って来たジェイクに、ドナルドが元気に絡み始めた。
『なんだ、うるせえ鳥野郎だな』
ジェイクが顔をしかめる。ジェイクでなくとも、たぶん誰でも同じ反応を見せるだろう。
それだけこの鳥野郎は五月蝿い。
『ジータって奴がお前の事探してたぞ!』
『ジータが? 生きてたか』
『見た事ねえ種族の女と一緒にな! ジータっていやあオメェ、どういう関係だよ!』
『どこ行ったかわかるか?』
『それが行き先も言わずに出て行きやがってよぅ』
『阿呆か、あいつは』
行き先も言わずに出て行かれては、伝言を聞いたところでどうしようもない。
ジータは魔法に関しては天才だが、残念な事に思考回路が少しマヌケだ。天は二物を与えなかったらしい。
となると、都市周辺を丸焦げにしたのは、彼女の爆発魔法によるものだろう。
『で、見た事ねえ種族の女ってのは?』
『ミクシードって異人の言葉を喋れる奴だ。お前も何も知らないのかよ!』
『知るわけねえだろ。二人だけでか? あいつ、家族はどうした?』
『それこそ知らねえよッ!』
ジータには家族がいた。先の女神大戦でジェイクと行動を一緒にしていたが、途中で逸れてしまった。もしかすると、皆死んでしまったのかもしれない。
『見た事のない種族……か』
正体不明の魔獣の出現と何か関係があるのだろうか。ジェイクがぽつりと独り言を呟く。
ジータが一緒に行動しているのだ。変な心配は無いと思うが、どうしても勘ぐってしまう。
『お、いたいた。器用貧乏、酒場に繰り出そうぜ! 打ち上げだ!』
鳥野郎の次はバーニィだ。打ち上げも何も、既に酒臭い。
少し面倒だとも思うが、疲れを酒で癒すのもいいだろう。久しぶりの酒だ。
『もちろん奢りだろうな?』
ジェイクが傭兵たちと街中へ消えて行く。
追いかけるでもなく、学人はその背中を見送った。
空を仰ぐと、大きな鳥が都市を旋回していた。
…………。
夕暮れ。
ヒイロナはぐっすりと眠っていて、起きる気配がない。
暇を持て余した学人は、ぶらりと市場を見て回る事にした。
金が無いのでウィンドウショッピングになる。この世界に流通している物、それらの相場を調べておくのは必要だろう。
じっくりと見て回る。
幻想の世界なのだ。色々と期待していたのに、これと言ってあまり珍しい物は無く、なんとなく想像のできる物ばかりだった。
何かと物々交換でもできれば、と絵本を持ち出していたのに、この調子では出番がなさそうだ。
市場を見ていて気が付いた事がひとつあった。
どこにも本が売られていない。
製本技術が発達していないのだろう。ただ、図書館でのヒイロナの反応から、全く存在しないというわけでもなさそうだ。
おそらく、本は高級品だ。
会話に加えて文字の勉強もしたいと思っていた学人には、大変残念な事だった。
その代わり、この絵本は高く売れるかもしれない。
「あれ?」
露店のひとつに目が留まった。
色々とよくわからない物や宝石のような物に混じって、一冊だけ本が売られていた。
かなり薄く、穴を開けた紙に紐を通して閉じただけの簡素な本だ。一応扉もある。
店主に声をかける。
『これ、見ていい?』
『好きにしな。汚すんじゃねーぞ』
無愛想な店主に許可をもらい、手に取ってみる。
羊皮紙というのだろうか。ざらついていて、紙にしては厚みがある。
表紙には、何か島の絵が描かれていた。ただし、海に浮かぶ島ではなくて、天空に浮かんでいる島だ。
この世界には大空を浮遊する島でもあるのだろうか。開く前から興味を刺激される。
はやる気持ちを抑えて、一頁目をめくる。これは絵本だ。
左の頁は挿絵、右には文字が書かれていた。
『交換、できる?』
言いながら、日本の絵本を見せる。
廃墟を漁ればこんな物、いくらでも手に入るだろう。
なんとなく騙している気にもなるが、今時点では、日本の本が都市に持ち込まれた形跡は無い。
彼らにとって、これが珍しい本である事には違いはない。
『好きにしろ』
学人の差し出す絵本を一瞥し、考える素振りもなく即答した。
店主にお礼を言い、大陸の絵本を手にその場を後にする。
ヒイロナが起きたら、この絵本を読んでもらおう。そう考えた学人は一人、苦笑いを浮かべた。
これではまるで子供みたいだ。




