31.愚王
救助隊が出発したあと、小鳥は奔走していた。
病院の人々を受け入れる態勢を整えなければならない。
都市の主要人物たちに掛け合ってみるが、言葉が話せないせいで言いたい事が中々伝わらない。
全員を収容する場所は、広場でも強引に占拠してしまえばいい。そもそも、二百人以上も収容できるような建物は存在しない。
病院の状況をもっとよく聞いておけばよかったと後悔する。何が必要で、何が不要なのかがわからない。
病院で籠城していたのだ、医者や医療品は十分にあるのだろうか。
いや、医者もかなり疲労が溜まっているはずだ。それに、避難の途中で怪我をする人も出るだろう。
最優先は医者の確保だ。
この世界に医者という職業は無い。それに代わるのが、再生魔法を扱うウィザード、クレリックである。
別に明確な分類や資格があるわけではない。普段はウィザードと一括りにされていて、便宜上そう名乗る事があるというだけだ。
身振り手振り、絵も描いて必死に説明する。
焦りだけが募っていく。
必死な形相の小鳥に圧されてか、主要人物の一人が首を縦に振った。本当に伝わっているのか疑わしいが、こちらにばかり時間を割いているわけにもいかない。
伝わったと信じて、今度は斡旋所へ走る。
次に必要な物、それは食料だろう。
向こうにどれだけの量が確保されているのかわからない。節約の為に十分な食事をしていない事も考えられる。もしかすると、持ち出す余裕なんて無いかもしれない。
どうにせよ、用意しないよりはしておいた方がいいに決まっている。
大勢の傭兵が出払っているためか、斡旋所はいつもより人が少ない。
都市に頼っているばかりでは駄目だ。自分たちも最大限に動く必要がある。食料くらいは準備したい。
今、都市から借りている補助金を全て使う。それだけではなく、都市にいる日本人にも片っ端から協力を仰ぐ。
占拠した広場には続々と食料や、その他必要と思われる物資が運ばれた。
小鳥が忙しなく指示を飛ばす。布と木の棒を使って簡単なテントを建てていき、石畳一面には布が敷かれた。
柔らかい毛布などは無いが、直に座ったり寝転んだりするよりはマシだろう。
ウィザードたちがやって来た。
彼らを引き連れているのはドナルドだ。他にも、物資を持った部下たちがいる。
『おう、ねーちゃん! これは俺様からのサービスだ!』
商人にとってイメージは大切だ。今のうちに日本人からの好感度を上げておけば、後々に有利だという打算的な部分が大きいだろう。ドナルドの他にも、協力を名乗り出る商人が後を絶たない。
有難い事には変わりない。ドナルドたち商人に感謝をしつつ、着々と準備が進められていく。
…………。
学人が自衛隊員を集めて、避難先である都市の説明を簡単にする。時間があまり無いので、最低限の説明だ。
その傍らでは、民間人の避難準備が進められていた。
病人、子供、老人を優先的にトラックへ乗せていく。三台あるトラックのうち、二台がすぐに満員になってしまった。
残りの一台は医療品や食料などの物資が積まれている。全てを持ち出す事ができないので、あるのはごく一部だ。
門のすぐ外では傭兵たちが作戦を練っていた。
本当なら付近の魔獣を殲滅してから、万全の態勢で出発をしたかった。迫る亀のせいでそんな暇は無い。
『予定通り複縦で行く。陣形の中にあいつらを匿う形だ。万が一に備えて中央にはウィザードを挟め。魚鱗を先頭に進む』
作戦が決まると、傭兵が二つの列になって道を作った。
十数人程度のグループに分けた民間人をこの間に通らせる。先頭まで来たら、両脇から挟むようにして傭兵たちも歩き始める。
グループとグループの隙間はウィザードで埋める。こうする事で、前後左右の護りを固める事にした。
最前列は重装備のウォリアーとアーチャー、自衛隊員、そして装甲車二台が務める。
甲冑姿の傭兵を見た人々の反応は様々だった。
目を丸くする者、自分の頬をつねってみる者、頼もしい姿に感激する者。子供たちは大はしゃぎだ。
巨大な亀を目の前にしても、意外な事にパニックに陥る事態には至らなかった。現実味に欠けるのか、誰もが唖然として見上げるだけだった。
病院を発ってしばらく、後方から建物が崩壊する音が耳に届く。
わざわざ振り返って確認するまでもない。病院が亀に踏み潰されたのだ。
もう少し到着が遅れていれば、もっと大混乱の中での脱出になっていただろう。
亀をはほぼ直角の対角線状になっている。追いかけられて踏み潰される心配は無いが、しばらくは何が起きても後退する事ができない。
『どうした、器用貧乏?』
何かを考え込むジェイクに、バーニィが声をかけた。
気掛かりだったのはオークの挙動だ。ジェイク達が廃墟に入った時は、少数部隊を組んで町を巡回していた。
病院の手前では、こちらの様子を窺っていた。知能の低いオークが取る行動とはどうしても思えない。
つまり……。
『防壁を張れ!』
オークたちを指揮している者がいる。
ジェイクが叫んだのとほぼ同時だった。
両脇の建物からオークの大群が一斉に姿を現した。屋根からは、矢と岩石が降り注ぐ。
待ち伏せだ。
“荷物”を抱えてまた戻って来ると踏んでいたのだろう。亀の事も計算に入れていたとすれば中々のものだ。
読みは大当たりで、ジェイクたちはまんまと罠に飛び込んでしまった形となる。
不自然な点はいくつもあった。もっと早くに気が付くべきだった。
ウィザードたちが無色の魔法で引き剥がしたアスファルトで壁を作る。ウォリアーは盾を掲げて頭上からの攻撃を弾いた。
一瞬早い指示が功を制して、被害は無いに等しい。問題はここからだ。
待ち伏せ、それも大集団による遠距離攻撃は想定していなかった。
アーチャーと自衛隊が応戦しているものの、オークはすぐに身を隠してしまう。遠距離から牽制しつつ、敵の懐に飛び込んでしまいたいところだが駄目だ。
オークたちは広範囲に広がっている。何の障害物もなければなんとかなったかもしれない。だが、生憎ここは廃墟のど真ん中、むしろ障害物しかない。
一番の目的は護衛だ。散り散りに迎えに行って、陣形が崩れてしまう事は避けたかった。
「ヒイロナ、そこの蓋を開けて!」
学人が地面を指さす。
すぐさま開かれた蓋の中から出てきたのは、地下式の消火栓だ。
こんな事もあろうかと、学人はヒイロナと事前に打ち合わせをしていた。この世界の常識から考えると、今の状況を想定する者はいない。
常識をあまり知らない学人であるからこそ、頭の片隅にあった事だと言えるだろう。
水の魔法は周りの環境の影響を受けやすい。
別に水の無い場所で空気中に含まれる水分を集めて、ある程度の魔法を生成する事ができる。砂漠などの乾燥しきった場所では、一切使う事ができない。
なら、水の多い場所ではどうか。
有り余る水を直接使う事ができるので、魔力の消耗を抑えられる上に、詠唱も大幅に削減する事ができ、驚異的な力を発揮する。嵐の中での魔法は誰にも手を付けられないほどだ。
水道管に水が残っているかどうかは賭けだったが、栓を開くと勢い良く水が噴き出した。
ヒイロナを中心にして、水のウィザードたちの詠唱が開始される。
噴き出した水は地面に降る事なく、空中で一ヵ所に集まり始めた。みるみるうちに巨大な塊になっていく。
ウィザードたちが水を一ヵ所に固め、ヒイロナはまた別の詠唱をしている。中心から凍り付き、それはとうとう氷塊へと変貌した。
『もう少しで魔法が完成する! 降雹に備えろ!』
氷塊を見たジェイクがその意図を汲み取る。
盾を構えたウォリアーが隙間を無くし、自らの肉体をも盾とする。
そこへさらに、ウィザードが魔法を載せて、護りはより強固なものとなった。
しばらくして、魔法の名前が呼ばれる。
『――全てを瓦解せよ! 氷河の星屑!』
氷の隕石。そう呼ぶに相応しい。
内部から破裂した氷が、受ける太陽の光で輝きを放ちながら飛散する。
その美しさとは裏腹に、凄まじい破壊音を轟かせた。
一瞬のうちに大量のオークを蹂躙する。
音が止んで辺りが静けさを取り戻すと、視界には瓦礫と化した町並みが広がっていた。
氷はもちろん部隊にも降り注いだ。
ウォリアーとウィザードのおかげで、民間人に被害は無い。しかし、盾となったウォリアーたちはそうはいかなかった。
鉄壁にも思えたガードを破り、怪我をした者が多く出てしまったのだ。魔法の圧倒的な破壊力が窺える。
魔法を生成し終えたヒイロナとウィザードたちは、線が切れたかのように意識を失ってしまった。
「ヒイロナッ!」
学人が慌てて駆け寄る。
手を伸ばそうとした刹那、ヒイロナの身体が宙に浮いた。
『魔力を使い切ったんだ。寝かせてやれ』
バーニィだ。気絶したヒイロナを丁寧に担ぎ上げる。
戦意を失ってしまったのか、運良く生き残ったオークたちに動きは無い。
ジェイクが注意深く周囲を見渡す。探していたそれは、少し離れた低いビルの屋上にいた。
他のオークと比べて一回り大きい。わかりやすい貫禄を身に纏い、身を乗り出していた。
ご丁寧に護衛と思われるオークの姿も見える。さすがにどんな阿呆でもわかるだろう。あれがオークの指揮官、王だ。
待ち伏せまでは良い線をいっていた。だが、敵前にその身を晒すとは、結局のところ馬鹿なのだろう。
ジェイクが矢をつがえる。
距離があるが、風はほとんどなく見晴らしもいいので、ジェイクにとって何の問題も無い。
『ごくろーさん』
馬鹿に仕えるオークに同情を禁じえない。小さくため息を吐き、ジェイクは矢から指を離した。
空を切って矢が目標に向かう。
王は躱す素振りも見せずに、額に矢を突き立てていた。
前のめりに崩れて、ビルの上から落下を始める。
ジェイクは興味も無さ気に、その様子を見届けた。




