20.偵察隊の帰還
偵察隊が出発して四日目。
今日もまた太陽が沈んで、夜がやってくる。当たり前の光景だ。
夕闇に沈んでいく街並みからは、もう金属を叩く音はしない。代わりに、民家からは暖かい灯が漏れ始めていた。
西の地平線が赤く染まり、反対の東側は黒が浸蝕している。
この世界は、創世の女神によって創られた。
これはヒイロナから聞いた、この大陸に住む人間なら、誰でも知っているお伽噺だ。
多くの人間が女神を信仰していて、大陸に存在する唯一の宗教《《だった》》。
「神殺しか……」
空を見続けていた学人が、ポツリと呟いた。
その世界を創った女神とやらは一体何者なのだろうか。ヒイロナの言葉が本当なら、それは単なる偶像ではなく、実在していたようだ。
なぜ、ジェイクは殺したのか。その事をこの世界の人間は知っているのか。謎だらけだ。
できるだけ早く、詳細を聞きたい。
(そろそろ帰ろうかな……)
この世界にも太陽があれば、月や星もある。朝が来て、昼になって夕方を経て夜、一日のサイクルがある。日本……地球にいれば何の不思議もない当たり前の事だった。
今自分がいるこの世界も、暗黒の宇宙に浮かぶ塵のような惑星のひとつなのだろう。
つまり、女神は惑星を創ったという事になる。
(宇宙人かよ……)
一日の終わりを告げる夕方が、ずっと空を見続けていた学人にそんな疑問を抱かせた。
「まぁ、いいか」
それがわかったところで、元の世界に帰れるわけではない。失った日常は戻っては来ない。
今日もヘリは飛んで来なかった。諦めた学人が宿に足を向ける。
広場近くを通りがかった時、門が開かれているのに気付いた。松明の灯りが集まっていて、なにか騒がしい。
目を凝らして見ると、警備兵に出迎えられて、どうやら偵察隊が帰還したようだ。思っていたよりも、かなり早い帰還だ。
ドグは血相を変えてオサの館へと走る。ジェイクは学人を一瞥すると、首を動かして宿の方向を指した。
その表情からは、状況があまりよくない事が読み取れる。
『ジェイク、おかえりなさい! どうだったの?』
夕食の準備を手伝っていたヒイロナが、パタパタと小走りでジェイクに駆け寄った。
『あぁ、最高の散歩だった』
ジェイクは顔を曇らせて、一言そう返すだけだった。
椅子に体を預けて、煙草に火をつける。
『メシがあんのか? なら、食いながら話す。腹が減った』
『うん、もう少しでできるから。おりこうさんで待っててね』
そのやりとりを見て、学人は二人がいったいどんな関係なのかと、ふと思った。
恋人や夫婦とは違う気がする。
なら、仲の良い友人。これも違う。恋人、友人には無いような、何か深い絆で結ばれているような気がした。
考えてみれば、学人は二人の事を何も知らない。逆に、二人も学人の事をほとんど知らない。
言葉が通じないのだから、ある程度は仕方ない。それでも、なぜかそれが寂しく感じられた。
食事の準備が整った。
学人、ジェイク、ヒイロナ。そして淳平と北泉の五人で食卓を囲む。
今日はサラダと豆のごった煮、肉の塩漬けが少し、それからパンだ。
何の肉かはわからないが、食感や味は鶏肉に似ている。パンはコンビニで売っているような柔らかいものではなく、二度焼きされていて硬い。水分が全くなく黒ずんでいて、干からびているようだった。
もう何度もこの世界の食事を口にしているが、お世辞にも美味いとは言えない。
食にあまり関心が無いのか、スープの類は一切無く、箸、スプーンやフォークといった食器が無いので、全て手掴みで食べる事になる。
各々には手や口を洗う為のフィンガーボウルと、紐を通してエプロンになったナプキンが用意されていた。
日本人の視点から見れば、手掴みで食事など行儀が悪い。この世界ではそれが当たり前だ。
学人達三人が手で食事をする姿は見るに耐えないのに、慣れているジェイクとヒイロナからは、どこか優雅さが感じられる。
「ガクト、ゆび、さんほん。ぜんぶ、だめ、よくない」
白い目で怒られてしまった。指五本を使って食べるのは行儀が悪いらしい。
「箸……作ってもらって来ましょうか? オレ、友達ができたんで」
「そうね。手で食べるなんて行儀が悪いわ。ナイフとフォークもお願いできるかしら?」
淳平と北泉は、やはり抵抗があるようだ。淳平の言う友達とはおそらく、あの工房で知り合った鉱石族の事だろう。
二人が暢気な会話をしていると、ジェイクが偵察の成果を話し始めた。
『結論から言う。この都市への物資供給はしばらく無理だ』
ヒイロナと、かろうじて理解できた学人が食事の手を止めた。
淳平と北泉は言葉が全くわからないので、気にも留めていない。
『どういう事?』
『商人たちは南の氷結湖を経由して、この都市まで来るんだが……遠回りになるから、俺達は草原を真っ直ぐに突っ切った』
ジェイクがまず説明したのは、商人たちの正規ルートと、自分達の行ったルートだ。
言葉を区切って、ヒイロナが片言の通訳をする。
『ガクト、お前たちの世界が広範囲で出現している。キャラバンが迂回してどうこうのレベルじゃあない。下手をすれば、商人たちがやって来る都市も飲み込まれてる』
鉱山都市の北西には、都市がある。商人たちはそこからやって来る。
その都市が、出現した日本の町に飲み込まれていると言うのだ。
『まぁ、遠目で見て引き返して来たからな。実際に近付いて調べてみんと、まだわからんがな。だがキャラバンがもう何日も来ねえんだ。答えは出てる』
ジェイクはそれ以上口を開かなかった。
この世界の都市と日本の町がぶつかってしまうとどうなるのか。少なくとも、お互いに無傷ではいられないだろう。
最悪、両方が壊滅してしまっている事も考えられる。
キャラバンによる物資供給が絶望的となれば、他の手を考えるしかない。でなければ、都市は滅亡を避けられない。引きこもり気質のこの都市が、なんとかできるとは学人には思えなかった。
他の都市から供給するにしても、北には学人がいた、あの廃墟が行く手を阻んでいる。
食卓に重い沈黙が訪れた。
『明日の朝だ。出発する』
ジェイクが沈黙を破った。
『どこに? このまま放っておくの?』
『ガクトの世界にピクニックだ。どうせ王国に帰るにしても避けては行けねえ。それに、ガクトの肉親がいるかもしれねえだろ。弁当の準備忘れんなよ?』
食事が終わり、各自が部屋に戻る。
(広範囲か……。ヘリもそこから来たのかな)
学人が一人考え込む。何かあるとすぐに考え込んでしまうのは、学人の悪い癖だ。もちろん、考える事は大切なのだが、考えても仕方のない事を考えてしまう。
行ってみなければ何もわからないのだ。
食料問題も、町の事も、ヘリの事も、今ここで考えても仕方がない。
学人はベッドに潜りこむと、何気なくスマホの電源を入れた。
何か目的があったわけではなく、本当に無意識だった。
「あれ?」
スマホの起動自体には、何も問題はなかった。問題は、表示されたその時刻だった。
午前十時。ありえない。今はもちろん夜だ。太陽はとっくに地平線の向こうに沈み、外は夜の帳が下りている。
時計が狂ってしまったのか、それにしてはズレ過ぎている。
なら、他に考えられるのは一日の長さだ。この世界での一日は、二十四時間ではないのかもしれない。
一瞬混乱したものの、すぐにその答えに辿り着き、スマホの電源を落とした。
時間の確認くらいにしか使えなかった物が、完全に役に立たない物になってしまった。
(最悪、照明代わりにはなるかな……)
学人は小さなテーブルにスマホを置くと、そのまま眠りに就いた。
翌朝、出発の準備をするジェイクの元に、ドグが訪れた。
『なんだドグ? 朝の体操の誘いなら、ガクトの奴を誘ってやれ。あいつ貧弱だからな、お前みたいにマッチョな身体に改造してやってくれ。泣いて喜ぶぜ』
『違う。これを持って行け』
ドグが差し出したのは、刃のある上等な双剣だった。
『姫の剣、失くしたんだろ。代わりにやる』
『ロナか……余計な事を』
剣の事はドグに話していない。となると、誰か話した人間がいる。それはヒイロナ以外に考えられなかった。
せっかくくれると言っているのだ。断る理由も無いので、素直に受け取る。
『これは貸しだ。またいつか返しに来い』
『へいへい。食料ありったけ積んだキャラバン連れて来てやるよ』
ジェイクは舌打ちをして悪態をつくが、それは気の置けない友人に対する笑いを含んだものだった。
『お前らはどうするんだ?』
『今オサ達と議論中だ。こっちはこっちで何とかする。心配はいらない』
『どうせついでだ。都市も見に行く。キャラバンがなんとかなりそうなら、やっといてやる』
『そうか、期待しないでおく』
出発の際、淳平と北泉が見送りに出てきた。
「学人、気をつけて」
「そっちも」
「山田さん、ヘリの事がわかったら電話してください」
「はは……」
面白くない、笑えない冗談だ。北泉なりに気を使った結果がこれなのだろう。
今日も昨日と同じく良い天気で、ピクニックには絶好の日だ。
車を停めた岩陰に向かう途中、学人の謎がひとつ解けた。
(これはキャラバンの通る跡か)
道に付いた車輪の跡だ。
朝の清々しい空気を肺いっぱいに吸い込み、三人は車に乗り込んだ。




