18.魔法
――だから魔獣って嫌いなんだよね。馬鹿だから。
少女がうんざりとした様子で、そう呟いた。
腕を軽く薙ぐだけで、殺到する魔獣が爆ぜていく。轟音と焦げる臭いが辺りに撒き散らされた。
仲間が一瞬で屠られてもなお、立ち向かってくる。
歴然とした力の差を目の当たりにしても、魔獣たちの猛攻が緩む事はない。
それは勇気か。違う。
それは意地か。違う。
ただ馬鹿なだけだ。
少しでも知性があるならば、既に恐れおののいて逃げ出している。事実、何種類もいた魔獣の中で、懲りずに残っているのは白く太ったオークだけだ。
彼らには生きていく上で大切な感情、恐怖というものをどこかに忘れてしまったらしい。その上で、正面から突撃する事しかできない知能の低さだ。救いようがない。
城門を背に、少女が二人オークの群れに立ちはだかる。
城壁の上から援護射撃が飛ぶが、彼女達はそれを必要としていない。むしろ、迷惑だ。
艶やかな黒髪をなびかせて、流れるような身のこなしでオークの群れを蹴散らしていく。
その姿は踊っているかのようにも見えた。
少女の顔には笑顔が浮かんでいる。
別に殺戮が楽しいというわけではない。彼女の頭の中が別のところにあっただけだ。
『ジータ? ねえ、ジータ?』
もう一人、白銀の髪をした少女が異変に気付き、声をかける。
だが耳に届いていない様子で、返事はない。少し顔が赤らんでいて、よだれまで垂れている。
それを見た銀髪の少女は「あぁ、またか」と、そっとしておく事にした。今はジータに何を言ったところで無駄だ。
黒髪の少女、ジータの頭は大好きな人の事でいっぱいだった。
――彼を見つけたら、その胸に飛び込んじゃおう。それで、泣きじゃくって彼の匂いを堪能するんだ。
そのあとは……泣き疲れて寝たフリをしよう。彼が困った顔をして、でも、ベッドまで運んでくれるんだ。
ここまで来たら、もうこっちのもんだね。
(隙をついて押し倒す!)
『うん、これは“にゃんにゃん大作戦”と名付けよう!』
『なにが?!』
『いや、それがね、聞いてよミッキー』
急にオークの群れが退いていく。
まるで、撤退命令でも出たかのように。
その場に残されたのは焼けた臭いと、焦げた肉片だけだ。
城門の向こう側、都市の中からは歓声が上がる。
視界の中に、もはや動くものが無い事を確認すると、二人はようやく中に入る事ができた。
沸き上がる歓声と感謝の言葉を押しのけて、情報を集め始める。
ジェイクという森林族がこの地にいないか、または立ち寄っていないか。
結局何の手掛かりも出てこず、二人はその日のうちに都市を後にしてしまった。
二人には落胆の色は無かった。初めから期待などしていなかったのだ。
城壁で守られた都市の外には町が広がっている。正確には廃墟だ。
それも、二人が見た事のない物であふれた廃墟だ。
『なんだろうね、これ? まぁ、どうでもいいんだけど』
壊滅した日本の町並みに大して興味を示さず、二人の背中は廃墟の奥へ消えていった。
…………。
勉強会を終え夕食を摂っていると、宿にオサとレベッカがやって来た。
『こんばんは、オサ、レベッカ』
『こんばんは。あぁ、食べたままでいい』
ヒイロナが笑顔で挨拶をすると、オサも笑顔で返した。学人も会釈をする。
『ガクト、服はどうかな? サイズが合わなかったら遠慮なく言ってくれ』
「ガクト、ふく、だいじょぶ?」
学人はドロドロになったスーツを脱ぎ、オサに服を用意してもらっていた。何かの動物の毛皮で作られたベストの様な服だ。暑苦しそうに見えるが通気性がよく、夜になると少し冷えるこの都市では丁度良い暖かさだ。
排他的な都市と聞いていたが、本当に身内の友人とわかると手厚く迎えてくれた。それも、かなり親切だ。
『何か御用ですか?』
挨拶もそこそこに、ヒイロナが用件を尋ねる。
『あぁ、あの二人の事なんだが』
あの二人とは淳平と北泉の事だ。処遇が決まったのだろう。
『鉱山が開通した際、調査に協力してくれるというなら、この都市で暮らしても構わないと伝えてほしい。返事ができるまでは、この宿から出る事を許さない』
鉱山の調査、突然現れたビルの調査だ。
学人たちにとっては、山脈を貫いているという事に目を瞑れば珍しくも何ともない物だ。しかし、彼らにとっては未知の領域だ。調査をスムーズに進めるなら、あれらを知る者がいた方がいいという判断だろう。
『わかりました、伝えておきます。それから、地図はありませんか?』
『地図か……レベッカ、後で届けてやりなさい』
『ハッ!』
『まぁ、偵察隊が帰って来るまでゆっくり過ごすといい。他に必要な物があれば遠慮なく言ってくれ』
用件を言い、踵を返そうとした二人をヒイロナが呼び止める。
『食料は大丈夫なんですか?』
『そこは気にしなくてもよい。途絶えたと言っても蓄えがある。まだしばらくは持つだろう』
言い残し、二人は帰って行った。
ヒイロナから話を聞いた学人が、淳平と北泉にそれを伝えに向かう。
淳平は安全の保証がされるのであれば、と条件付きで快諾した。次は北泉だ。
北泉の部屋をノックしようとして、その手が止まった。
中からかすかにすすり泣く声が聞こえたのだ。
それもそうだろう。わけもわからないまま同僚達が死に、知らない場所に放り出されたのだ。それに、彼女にも家族や友人がいたはずだ。
(今はそっとしておこう……)
学人はノックする事なく、その場を引き返した。
しばらくすると、レベッカが地図を手に戻って来た。
二つの大陸の全貌が描かれた、世界地図だ。
「ガクト、ちず!」
そう言って、両手で広げるヒイロナの顔はなぜか得意気だ。
地図を見た学人の頭にハテナマークが浮かぶ。
(蝶の様な形?)
学人の目にはあまりそうは見えなかった。無理に見れば、そう言えない事もないかもしれないが。
西がエルゼリック大陸。ヒイロナが住む、アイゼル王国のある大陸だ。
東がリスモア大陸。こちらには国というものが存在しない。各々の都市が独立して国家のようになっている。
アイゼル王国はエルゼリック大陸全域に広がっている。北側以外を山脈が囲んでいて、リスモアとは北の端っこからでしか行き来できそうにない。
この地図がどの程度の精度なのかはわからない。この地図で見る限りは、エルゼリックはリスモアに比べると小さい。
学人の想像では、どちらも同じくらいの大きさなのだと思っていた。
「ヒイロナ、ここは?」
学人が不思議に思ったのは、王国の南にある山脈の先だ。何も描かれていない。
不自然に途切れていて、海岸線も描かれていないのだ。西側を見ると、途中までだが海岸線がある。
つまり、南の先には何かがあるという事を意味している。
ヒイロナは首を横に振り、
「わからない」
なんでも、険しい山脈に寸断されていて、南には何があるのかわかっていないそうだ。
ただ、国があるらしいという事はわかっている。
(しかし、なんだこの地図……どこかで見たような……)
学人は妙な違和感を感じた。
しかし、どう見ても初めて見る地図だ。
(気のせいか)
『この地図はいただいても?』
『構わない。元々そのつもりだった』
レベッカはお礼の言葉を背に、そそくさと帰ってしまった。
次の日の朝。この日も空を流れる雲は少なく、太陽の光が眩しい良い天気だった。
山の麓だけあって、少し冷えた心地好い風が都市を通り抜ける。草原にいた時よりも過ごしやすい。
学人とヒイロナは広場に出ていた。約束していた魔法の練習だ。
魔力が暴発してしまうと危ないとの理由で、外での練習になる。
鉱山が閉鎖されているせいで、昨日と同じく作業をする鉱石族の姿は無い。出番の無い空っぽの鉱車だけが、静かに並んでいた。
「よくみててね」
ヒイロナが胸の前に手を差し出し、お手本を見せる。
練習用の簡単な詠唱をしたあと、掌が一瞬ぼんやりと光る。次の瞬間、バチバチと音を鳴らして火花が散った。
無色の魔力を操作して、火花を散らせる。ただそれだけの魔法だ。
「まりょく、えいしょう、かわる。ひばな、いめーじする」
学人がお手本に倣い、あらかじめメモしておいたエルゼリスモア語の詠唱をゆっくりそのまま読み上げる。
しかし、詠唱が終わっても何も起こらない。掌が光る事がなければ、火花が散る事もない。広場には鳥のさえずりだけが響いていた。
「あれ?」
もう一度お手本通りに詠唱する。
「……だめだ」
自分の理解できる言葉でなければ駄目なのか。そう考えて、メモをなんとか日本語に翻訳する。
今度は自分の理解できる言葉で詠唱をするが、結果は先ほどと同じだった。傍から見れば、腕を伸ばして何かを呟く不審者にしか見えない。
掌が光らないところを見ると、魔力の変換すらできていないようだ。
「えーと、ヒイロナ先生?」
期待を打ち砕かれて涙目の学人に、ヒイロナも困り顔だ。
魔力変換の詠唱をすれば、身体中を駆け巡る言葉が強制的に魔力を操作する。どんなに才能が無くとも、絶対になんらかの反応があるものなのだ。
ヒイロナが誰かに魔法を教えるのは、これが初めてではない。だが、全く何の反応も見せないのは、初めての経験だった。
学人の体内にも間違いなく魔力は宿っている。なのに、反応がない。
これは才能以前の問題かもしれない。
その後、日が高くなるまで色々と試してみても、結局反応が出る事は少しもなかった。




