144.会談
一部致命的なミスがあったため修正しました。
領都正門跡地。
姿形こそ消えて無くなってしまったが、以前より多めの兵が投入されていて、見た目には以前と変わらぬ役目が果たされている。
物資や瓦礫が絶えず行き来するので、広い空間が確保されているものの、それでもまだごみごみとした印象を受ける。それはきっと瓦礫で急造された壁のせいだろう。
出入りのチェックは甘く、本当に体裁を整えているに過ぎない門である。通り過ぎる人や物を見送るだけ。あからさまに様子のおかしい人物を止めるだけだ。
そんな、人の流れを眺めているだけの兵でも、見過ごせない一団がやって来た。
国王軍の旗を認めた兵たちは一瞬ぎょっとして身構える。しかし何事もなかったように道を開けた。
直立不動で自分たちを迎え入れるヒルデンノース兵を横目に、ルアージュ・ヴァンガード・リーブは領都の奥を見据えた。
日が落ちてしまったので篝火の灯りでしかわからないが、それでも想像以上の被害がある事が察せられた。
ルアージュが右手を挙げ、二十名ほどの隊が行進を止める。進行方向――領都から現れたのは、私兵を伴う身なりの良い初老の男だった。
その顔が炎に照らされる。加齢で肌の弾力が失われつつあり、上瞼のたるみが目立つ。しかしそれでいて瞳に宿した刃は曇っていない。
ルアージュは両手を広げて彼らを迎えた。
『これはこれはヒルデンノース卿、よくぞご無事で。侯爵自らのお出迎えに感謝致します』
『遠路はるばるよくぞお越しになられました、ヴァンガード卿』
二人のやりとりはどこかわざとらしく、そして周囲に見せつけているかのようだ。
というのも、ルアージュは侯爵の無事を知っていたし、侯爵もルアージュの到着を知っていたからだ。
茶番は早々に打ち切り、侯爵が国王軍を中へと誘う。
歩きながら、小声を交わす。
『急がれた方がよいでしょう。あれは勘の良い男と聞き及んでおりますので』
『うむたしかに。こんな場所で逃亡でもされれば厄介この上ない。ところで――ご子息の様子は?』
『変わらず……罪人ヴォルタリスに抵抗の意思はございません。そちらは後回しで良いかと』
『承知した。では打ち合わせ通りに』
――ここからはルアージュが領都に到着する十日ほど前の話だ。
野営していたはずのルアージュは、目を覚ますと建物の中にいた。
そこは物音ひとつしない静寂の空間。窓から眩い光が差し込んでいて、そのせいで外の様子がわからない。そう。光が邪魔をしていて、窓の外は真っ白だ。
壁面は優美な装飾で彩られているようだが、どれだけ目を凝らしても記憶には染み込まない。たしかにそこにあるのに、あやふやで、朧げな存在。
ルアージュはため息を吐きながら銀色の髪を掻いた。
主に喚ばれたのだと、すぐに理解いた。
これまでの経験から、主から無茶な追加注文が来るのだろう。そして何となくその内容もわかる。
先日耳にした噂、ヒルデンノース軍によるリスモア侵攻である。
せっかく近くまで来ているのだから、ついでに領主を捕縛して来いなどと言われかねない。
もしそうだとしたら、今の戦力を思い返すと頭が痛い。
こちらは二十数名の兵に三十頭ほどの竜だけだ。領主ヴォルタリスがどのような考えで奇行に至ったのかわからないし、抵抗を受ければまたたく間に排斥されてしまうだろう。
どうやって拒否しようか……。そんな事に考えを巡らせていると、突如として目の前に扉が現れた。
そして、ルアージュが手を触れずとも、扉は意思を持っているかのように開き始める。
ルアージュは顔を強張らせつつも入室した。
広い部屋には、天蓋に覆われたベッドがぽつんと鎮座している。いや、他にも華やかな調度品や装飾であふれているのだが、目で捉えようとすればするほどぼやけてしまう。
一歩、二歩。ルアージュはそこで止まり、片膝をついた。
『なんじゃ……もっと近うよればいいじゃろう』
レース越しにベッドがもぞもぞと動き、ゆっくりとした動作で人影が起き上がる。
ルアージュは微動だにせず、答えた。
『お断り申し上げます』
ルアージュは目の前の人物に長く仕えており、その経験上から、たったの一歩もこれ以上進んではいけないと考えた。
それが別に無礼に当たるわけではない。むしろ主人を喜ばせるのならば、大人しく従った方がよい。
一見、足下に不審な点は見られないが、十中八九なんらかの罠――もとい悪戯が仕込まれている。
『なんじゃ、つまらんのう』
わざとらしく、がっくりと肩を落とす主人の様子がうかがえる。
そんな三文芝居を無視し、ルアージュは切り出した。
『ご用命を』
『はー、お前は本当に釣れんのう。そんなでは出世できんぞ』
出世もなにも、自分は王城近衛兵団を率いる三騎士のうちの一人だ。爵位としては侯爵と同等の地位を持つ。これ以上の出世もクソもない。
だというのに遠征を命ぜられて、不満のひとつでも漏らしたくなる。そんな雰囲気を感じ取ったのか、
『ああ、悪かった悪かった。本当に冗談の通じん奴じゃの。してお前、今どこにいる?』
『現在エルフの森南東、あと数日で到着できるかと』
『そうか、なら行き先変更じゃ』
『……と、言いますと?』
『最新情報じゃ。本人から聞くとよい』
主人が指を鳴らすと、扉がもうひとつ出現した。
やはり先程と同じく勝手に開き、ペタペタと足を鳴らして獣人の男が登場した。ルアージュはあからさまに嫌悪感を示す。嫌いな奴だ。
『いようルアージュ、久しぶりだな! 元気だったかこの野郎!』
馴れ馴れしい挨拶を無視して、主人に不満をぶつける。
『陛下、なぜわざわざこのような男と』
『余を通すよりも直接の方が鮮度もよかろう』
もっともな事を言っているが、ルアージュが毛嫌いしているのを知っていて、わざと面会させたのだろう。
声色に喜劇を期待する笑いが見え隠れしている。
『それ以上近付くんじゃあない、鳥野郎。情報の提供なら、その場で問題ないはずだ』
『おい国王のダンナ、話が違うじゃねえか! コイツ改心してオレ様に頭を下げるんじゃなかったのかよッ!』
『貴様! 陛下に無礼な口を!』
この鳥野郎、ドナルドはいつもそうだ。これまでに何度も何度も何度も何度も警告しているというのに、一向に態度を改善させる気がない。国王の御前でなければ斬り捨ててやっても構わないくらいだ。
そして何度も何度も何度も何度も繰り返されてきた、もはやお約束と言ってもいいやり取りがされる。
『いいか、ルアージュ。オレ様は優しいからな、理解できるまで何度でも教えてやる。てめーにとっちゃ大切なご主人様国王陛下様かもしれねえ。しかし、だ。オレ様からすりゃ取引相手の一人でしかねえんだ。つまり、オレ様とそこのダンナの立場は対等ってわけだ。わかったかこのスカタン野郎!』
このまま平行線のまま延々と続くのがわかっているので、結局ルアージュが引き下がる事で終着点を迎える。主がこの礼儀知らずな態度を許しているのだから、そもそも言い咎める権利すらないのだ。
ルアージュの主人、リナディア・ド・ヴァーレス・アイゼルハイムは二人の口論をクスクスと笑いながら聞いていた。
ルアージュに課せられていた任務はジェイク・E・イーストウッドの保護。並びに可能であれば異人を保護し、王都へ連れ帰る事である。
彼は王国に入ったあと、ウェイランズ地方を経由してエルフの森に向かったとの情報を得て、そちらに向かっている最中だった。
『ヒルデンに向かえ。ジェイクそこにいる』
『領都に? まさか』
ドナルドの開示した情報を意外に思い、ルアージュは懐疑の目を向けた。
ジェイクとあそこの領主は過去に喧嘩別れをしている。彼が好き好んで近付くとは到底思えないからだ。
そこで名前があがったのがヤマダガクトという異人だ。
彼はその異人と行動しており、ノットの領都破壊計画を知って領都に向かった。なぜジェイクがその異人に執着していて、なぜ異人が領都を助けようとしたのかは謎である。
『まー、異人の考える事はよくわからん』
それがドナルドの評価だった。
『オレ様に感謝しろよ、ルアージュ。二年前におたくらからきた依頼を遂行してやったんだ。異人というおまけも付けてだ』
『感謝はしない。ジェイクは貴様の旧知の仲なのだろう? 友人を売るような輩は軽蔑に値する』
『いいや、違うね。扱った商品がたまたまダチだっただけだ』
得意顔の鳥野郎を無視し、ルアージュは主人に向き直る。
『では、明朝より進路を領都ヒルデンへと変更致します。それでは私はこれにて――』
『用がこれで終わるわけなかろう』
『お断り申し上げます』
『もののついでじゃ、領主をしょっぴいて来い』
『お断り申し上げます』
やっぱりか。そそくさと逃げようとしたのだが、そうもいかないらしい。
このまま堂々巡りを続けていても仕方がない。逃亡を諦めて、次の案を模索する。
『意図がかわりかねます』
『リスモア侵攻の噂は聞いておるじゃろう?』
『……陛下、恐れながら申し上げます。現在の戦力で領主の拿捕は不可能かと』
これは詭弁ではなく、事実である。
リナディアはそれに応えない。
しかし反論する下僕に怒りを覚えるわけでもなく、だからといって失望を示しているわけでもなかった。無感情に、たたの少しだけを待っているにすぎなかった。
『僭越ながらここからは私がご説明させていただきます』
リナディアが待っていたのはこれだ。忽然と現れた白髪交じりの男が膝をついている。
加齢で肌の弾力が失われつつあり、上瞼のたるみが目立つが、その瞳に宿る刃は曇っていない。細かな皺が刻まれた顔に、ルアージュは声をかけた。
『これはヒルデンノース卿、ご無事でしたか』
『お陰様でこの通り。ヴァンガード卿もお変わりなく。では、ヒルデンノース領都ヒルデンでの出来事をご報告いたします』
……。
『つまり領主に反逆の意思は無いと?』
『左様で。元より出兵した時点で全てを覚悟の様子……。そうでなければ、もっと上手くやりようもあったでしょう。若造ごときが本気で世界を救えると考えていたようで』
『……私は嫌いではないですよ』
ルアージュは薄く瞑目しながら、
『承知致しました。任務に領主ヴォルタリスの拿捕を追加致します』
剣を交える危険性が無いのなら、王都まで無事に連れて来るだけだ。本人も赤子ではないのだから、それだけであればなんら支障にならない。
やはり目下の課題はジェイクである。王家を毛嫌いしている彼なら、国王軍を目にした途端姿をくらませるだろう。
『その点は心配いらねえ。保険を用意しておいた』
自信満々に口を挟んだのはドナルドだった。
『虹姫の書簡を持って、異人のリーダーが領都に向かってる』
『どういう事だ?』
『異人の魔力吸収は微々たるもので害はない、というのが虹姫の見解らしい。直筆の検査結果を持ってヴォルタリスとの交渉に向かった。ヨシムラコトリって女なんだが……そいつに保険を仕込んである。ジェイクがヤマダガクトに付き従う限り、王都に来ざるえないだろうよ』
『異人とは脆弱な人種なのだろう? 途中で死んだらどうする。全てが無意味だ』
『護衛に“流星”を付けた。万に一つもそれはねえ』
心底気に食わない男だが、商人だけあって頭と手が回る。鳥のくせに。
『ああ、それと』
報告を終えた侯爵が去り、解散という雰囲気が出たところでドナルドが付け加える。
『ヨシムラコトリは侮れねえから気を付けるこった。虹姫が王国に入ったって情報を渡してジェイクを誘導したんだが、あの女、独自に本当の情報を入手してやがった』
『なんの話だ?』
『虹姫の情報は錯綜してたんだよ。奴はリストレア地方をぐるっと迂回してタンバニアに向かったらしいんだが、どうやったのかそれを知ってやがったんだ。さすがのオレ様もヒヤっとしたぜ』
『ふん、肝に銘じておこう』
ドナルドも去り、部屋にはリナディアとルアージュだけが残される。
『陛下、私はあの男が信用できません。友人を売るような輩でございます』
『お前の気持ちはわからんでもない。じゃが、あいつは金の繋がりさえあれば誰よりも信用に足る奴じゃ。クセは強いがの』
『ノット・マーシレスの処遇はいかが致しますか? 流石にそちらの始末までは手が回りません』
『その必要はない。あれは死体で見つかったそうじゃ。状態からしてシャルーモの仕業じゃろう。ジェイクの件についてもあやつに先を越されておる、十分注意するように』
『承知致しました』
『なぜ余が親同士の喧嘩に首を突っ込まねばならぬのじゃ。まったく』
ルアージュが消えた後、誰もいない部屋でリナディアは吐き捨てた。




