14.脱出方法
ランタンと包丁は落として来てしまった。目の前の男が持つ、一本の松明だけが頼りだ。
男は外にいた鉱石族よりもさらに大きく、鍛え抜かれた筋肉がとても頼もしく見えた。
ビルの中にも人骨が多く転がっている。
内側にひしゃげた壁は、亀裂からいつ崩れてもおかしくはない。
廊下を通り、階段を上がる。窓から外に出ると、さっきまでとは別の坑道に出た。
しばらくして現れたまた別の建物に入ると、今度は階段を降りて行く。
鉱石族の背中を追いながら、ぎこちない言葉でお礼を言う。
『ありがとう』
鉱石族は意外そうな顔をして立ち止まり、
『お前は言葉がわかるのか?』
失敗だったかもしれない。まだ習いたてで、会話をするにはほど遠い。
感謝の気持ちを伝えるためとはいえ、中途半端に彼らの言葉を使ってしまった。話がややこしくなってしまいそうだ。
学人は慌てて首を振る。
だが、今の言葉はなんとなく理解する事ができた。
お前、そして言葉。状況と発音からして疑問形である事がわかる。つまり、彼は言葉がわかるのかと訊いたのだ。
ここまで来る途中、彼は一言も喋る事がなかった。学人の服装を見ても、何の関心も示さない。
たぶん彼は知っていたのだ。学人と言葉が通じない事を。
『ジェイク、ともだち』
ジェイクの名前を出して反応を窺う。
鉱石族は眉を動かして、何かを呟いただけだった。表情にあまり変化がなく、果たしてこの男がジェイクの友人なのかよくわからない。
一階まで降りると、それ以上階段は無かった。階段室を出て、狭い通路へと入っていく。すると、地下に向かう階段が出てきた。
変電設備と書かれた扉をくぐる。中は電気設備と思われる機械が並んでいた。
自家発電機や蓄電池といった物まであるようだが、どれも沈黙していた。
「救助の方……ですか?」
闇の中から声がした。
松明の灯が当たると、そこには三人の生存者が身を寄り添っていた。
「生きてる人がいたんですね!」
学人の顔が綻ぶ。しかし、生存者の三人は学人の格好を見ると、一様に表情を沈めてしまった。どう見ても学人の格好は、救助隊のものではない。
全員スーツ姿で、初老の男性が一人と、学人と同年代の男女だ。
初老の男が口を開く。
「よく無事でいられたものだね。一体今までどこにいたのかね?」
初老の男は口調も意識もはっきりとしている。
女は泣き腫らしたのだろう、目が充血して隈もできている。
若い男はなぜか笑顔で、学人に向けて親指を立てていた。
返事に困る。
正直に外から来たと言えば、変に期待を持たせてしまう。
「鉱山の入口は完全に埋まっています」
そう前置きをすると、初老の男が首をひねった。予想はしていたが、状況が全く飲み込めていない様子だ。
学人の身に起こった事を、順序だてて説明していく。
三人はどこか上の空で話を聞いているようだった。いきなり世界が変わったと言われても、はいそうですかとはならない。
話を終えたところで、自己紹介をする。
背の低い初老の男は門脇。
少しチャラい感じの若い男は竹岡。
OLの若い女は北泉。
全員の名前を聞き、最後に鉱石族に尋ねる。
『ドグ・ロウェルスター?』
鉱石族は頷いて返す。やはりこの男がジェイクの友人で間違いないようだ。
だが、ここにジェイクの姿は無い。「ジェイクは?」と訊くと首を振る。どうやら会っていないらしい。
一体どこをほっつき歩いているのだろうか。スライムにやられてしまったとは考えたくない。
門脇からここでの事を聞く。
事の始まりはやはり学人と同じで、急に視界が揺れた後、大きな地震に遭った。
唯一違うところは、視界が揺れると同時に全ての照明が消え、暗闇に包まれたという事だ。
あとは想像通りだ。混乱の中で人々の悲鳴があふれた。携帯のフラッシュでかろうじて確認できたのは、スライムに溶かされていく人間の姿だった。
必死に逃げ回っているうちにドグに助けられ、この変電室で篭城している。
話が終わり、沈黙が訪れる。
彼らがここに来たのは二日前。当然飲まず食わずだ。体力面で考えて、鉱石族たちの救助など待ってはいられない。
崩れてから今まで手をこまねいているのだ、そもそも期待する事すらできない。自力で脱出する以外に、生きる道は無さそうだ。
(でも、どうやって?)
入口が塞がっている上にスライムだ。
松明に目をやる。燃やす部分の無い、あの松明なのに赤々と炎が上がっている。どうやらはめ込まれた宝石から火が出ているようだ。
ドグの持つ松明一本で全員を守りながら進むのは無理だろう。だからここに篭城しているのだ。
(何か手は……)
ドグに人数分の松明を取ってきてもらうか。駄目だ。
一人で歩き回るのが賢いとは思えない。もし囲まれでもすれば、さすがに松明一本ではどうする事もできないだろう。
必死に考えるが、いい案は出てこない。
(消火器か、振り回せば武器にはなるよな)
目の前にある消火器を眺めながら、なんとなくそんな事を考える。
持ち上げてみる。中身の詰まった消火器は思ったよりも重い。
だが、振り回したところで、効果があるとは思えなかった。
「ここは何のビルなんですか?」
来る途中に店舗らしきものは無かった。やけに小奇麗な通路を見て大体の想像はつく。たぶんオフィスビルだ。
学人の想像は当たっていて、この辺りで一番大きなオフィスビルだという。
三人はそれぞれ別の会社に勤めていて、特に面識があるわけではなかった。
(それにしてもオフィスビルか……)
ビルの中にある物を使ってなんとかできないかと考えた。だが、オフィスにある物なんてたかが知れている。
書類やコンピュータでなんとかできるはずがない。
(あれ? もしかして)
ある事に気付く。
重要なのは、このビルがどのくらいの高さなのかだ。
「このビル、何階建てですか?」
「たしか二十階くらいあったと思うが……それがどうかしたのかね?」
だとすると、高さはだいたい八十メートルくらいになるのだろうか。
それだけの高さのビルと、目の前にある消火器。
危険な賭けになるが、試してみる以外になさそうだ。餓死を待つよりは、動けるうちに足掻いた方がいいに決まっている。
「ひとつ、助かる方法があるかもしれません」
門脇以外の二人も顔を上げる。
「ただ……ひとつでも予想が外れると、全員死ぬ事になります」
「聞こう。話してみてくれ」
…………。
『一体どうなってんだこりゃあ』
ドグを探して歩いていると、妙な場所に行き着いた。学人と出会った、あの町の建物に似ている。
鉱山はスライムであふれている。まだ生きているとすれば、こういった建物の中に逃げ込む以外に無いだろう。
ジェイクは散歩でもしているかのような足取りで、建物の中を片っ端から調べて回る。
部屋はどこも土砂が流れ込んでいた。
またひとつ部屋を覗く。ここも同じだ。
荒れた室内に白い骨が転がっているだけだ。
亀裂の入っている場所では駄目だろう。隙間からスライムが滲むようにして這い出てくる。
この建物はどこも亀裂だらけだ。見切りをつけて、他にも建物がないか探した方がいいかもしれない。
全ての部屋を調べ終えて、階段まで引き返す。床一面に広がる、水たまりと化したスライムの死骸を踏みしめながら。
階段を昇ると、どうやら次で最後のようだ。せっかくなので最後まで見て回る事にする。
扉を押し開けて通路に出ると、ここも他の階と似たようなものだった。
無駄足だ。部屋をひとつひとつ見て回る必要はない。
『ん、こりゃあいい。ごきげんだな』
踵を返そうとした時、反対側にあるものが見えた。
ジェイクは階段を通り過ぎて、その奥へと向かった。




