132.中継都市の物語3
――壁が広い範囲で壊されて、街にも大きい被害が出た。どれだけ死んだのかはわからないけど、そこまで多くはないと思う。
これがヒイロナから受けた中継都市の報告だ。防衛戦が終わってすぐに都市を発ったので、詳しい被害状況はわからないという。
あの強固な壁が破壊されたのだから、楽観視できるほど被害が小さいとは到底思えない。
『済んだ事を考えても仕方ねえ。テメーは自分の事に集中しろ』
欄干に寄りかかって遠くの闇を見つめる学人に、ジェイクはそう声をかけた。
『前にも同じ事言われたっけ。でもどうしてわかったの?』
『そっちは中継都市の方角だ、マヌケ』
そうだったのか。何気なく向いていた方がそうだったらしい。
学人は無言で、遠い闇、中継都市の方向へと視線を戻した。
日が傾き始めると、出入りの激しかった中継都市の門は内側への一方通行に変わる。都市へ吸い込まれていく人々の歩調は速度を増し、暮れる頃には我先にと歩みを進める。
ほとんどが商人やその護衛、または旅人で、安宿でもいいから寝床を確保しなければならないからだ。既に良い宿を取るのは不可能で、安宿ですらも怪しい。
それでも一縷の望みをかけて片っ端からまわる。どんなに粗末な宿でも、野宿よりは随分マシである。
日没を迎えると、慌ただしかった門から人影が消える。街灯も無い真っ暗な外は危険で、誰も好き好んで出ようとは思わない。
だが、この日は違った。
崩れた門の周りは、灯された無数の火でゆらゆらと揺れている。エンジンの唸る音に紛れて、荷物の最終チェックを行う声が飛び交う。
吉村小鳥は荷物をまとめ終え、自室で迎えが来るのを待っていた。
腕時計に目をやる。目安は三時三十分。もう十五分ほどを過ぎているというのに、迎えは一向にやって来ない。
暇を持て余した小鳥は荷物の入ったボストンバッグを見つめ、物思いにふける。
中継都市ランダルを出て遠出するのは初めてだ。唯一外を見たのは崩れた日本の町並みと死体ばかりで、外の世界がどうなっているかだなんて聞いた話でしか知らない。
この世界には、温暖でも決して溶けることのなかった湖があるそうだ。
この世界には、スカイツリーに匹敵するような巨木があるそうだ。
この世界には、それ自体が生き物のような山があるそうだ。
それは本当だろうか?
小鳥は不安の中に期待が入り混じっているのに気付き、首を振り、そして恥じた。
遊びに行くわけではないのだから、浮かれていてはいけない。
不意に、扉がノックされた。
「吉村さん、お待たせしました。出発の準備が整いましたので。……荷物はこれだけですか?」
元自衛隊員で青木の部下、若手の村田だ。
村田は小鳥を見て一瞬硬直し、次に床にでんと置かれたボストンバッグを見て首をかしげた。女性の荷物にしてはいやに少ないと思ったのだろう。数日ならまだしも、最低でも一ヶ月はかかる見込みだ。
「ええ、それで全部です。よろしくお願いします」
「わかりました。こちらの荷物は吉村さんの乗る車に積みますので」
赤々と照らされる門で、小鳥を出迎えたのは苦い顔をした青木だった。
荷物を持つ村田に指示を出したあと、小鳥に向き直る。何か不都合でもあったのか、と不思議に思った小鳥から声をかける。
「どうかされましたか?」
「山田君もそうだったが……会社員というのはスーツを着ていないと死ぬのかね?」
ああ、と納得がいった。村田もさっき、スーツ姿の小鳥を見て呆れたのかもしれない。
「これから偉い人に会いに行くのですから、失礼があるといけないでしょう?」
「ううん? うーん、いや、何か違うような……」
腑に落ちない様子の青木は放っておき、小鳥はこれから自分の乗る車に目を向けた。
八人乗りのミニバンと、その前には自衛隊のトラックが一台停まっている。小鳥はトラックに近付いて見上げた。
もう何度も目にしているが、間近でじっくりと見るのはこれが初めてだ。ドアの位置が思っていたよりも高く、当然その分車高もはるか上だ。誰かに引っ張り上げてもらわないと、小鳥には乗車は難しそうである。
無骨な車体に見下ろされていると、まるで要塞であるかのような錯覚を受け、とても頼もしく感じられた。
「あの、青木さん。私こっちが」
「駄目だ」
少しして、恐竜に跨った兵士が続々と街の闇から姿を現した。騎馬隊ならぬ騎竜隊といったところか。
先頭の一人が手を挙げると、みな一斉に寸分の狂いなく停止した。その様子から、かなり統率の執れた集団である事がわかる。
手を挙げた人物は竜から降りると、小鳥と青木のもとにやって来た。目元を覆うヘルムのせいで顔がわからないが、発せられる声で“彼”ではなく“彼女”である事がわかる。
背が高く、女性には似つかわしくない、随分と太さのあるランスを背負っている。どう固定しているのかわからないが、おそらく甲冑が特殊な造りになっているのだろう。
『こちらの準備は整っている。要望通り、夜目の利く者はほとんど向こうに配置しています』
彼女たちは今回の旅の護衛で、中継都市から北東に位置するアレクニア地方の都市、ネモラが寄越してきた傭兵だ。ヒルデンノースとの小競り合いで、支援を呼びかけた都市の一つである。
わかりきっていた事だが、支援は当然間に合わなかった。しかし誰かが領都に出向くと踏んで、その護衛として派遣したらしい。
周辺都市の中継都市に対する反応は様々で、ネモラのように好意的な所もあれば、同じアレクニア地方でも溟海都市はあまり良く思っていないようだ。やはり突然現れた“異人”という勢力を警戒せずにはいられないらしい。
小鳥は笑顔で目の前の騎士に応じた。
『よろしくお願いします、リーザさん。頼りにしていますので』
『しかし、なにもこんな夜に出なくても朝を待った方がいいのでは?』
都市の周りは廃墟で、どう頑張っても常に陰ができてしまう。何が飛び出して来るかわかったものではないので、護衛をする身からすれば、至極真っ当な提案だった。
それに闇夜での出発はかなり目立つ。盗賊の斥候でも居れば、恰好の目標にされてしまう。護衛がいるとはいえ、何事も無いに越した事はないのだ。
それがお互いのためである、とリーザは暗に告げていた。
しかし、
『目立つからいいんですよ』
これにも小鳥はニッコリと答えた。
『こちらに注意を引き付けておくいうわけですか』
『ええ、何が襲ってくるわけでもないのでしょうけど、大切な物ですので念のためです』
『了解しました。あなたがたの旅が快適なものになる事をお約束しましょう』
次に、傭兵に連れられてユージーンがやって来た。
甲冑を脱いでいても圧倒的な体躯を誇り、威圧感は微塵も衰えていない。その気になれば素手でもこの場を制圧できるのではないか、という雰囲気だ。
ユージーンは周囲の騎兵隊を見回し、どこか満足気に言った。
『“流星”か、良い人選だ。ネモラは余程ランダルに一枚かみたいと見える』
ユージーンは終始穏やかな表情を見せていたが、対するリーザの目つきは厳しいものだった。
『わかっているようなので言う必要はないと思いますが、念のために。貴君は護衛対象に含まれていない。むしろ万一の場合には、殺してしまっても構わないと言われている。くれぐれも妙な気を起こさぬように』
『肝に銘じておこう』
トラックには村田を運転手として他に二人。ミニバンには青木を運転手として小鳥が助手席に乗り込み、中央座席には窮屈そうにユージーンが乗る。
後部座席には私物が置かれた。
「しかしよくこの地図を譲ってもらえたな」
旅のために用意された地図は、小鳥が頼み込んでドナルドから譲ってもらった物だ。それを人数分、予備も含めて多めにコピーしてある。
「なんだかんだでドナルドさんは私たちに良くしてくれますよね」
最初こそ渋っていたものの、ドナルドは思っていたよりもあっさりと折れた。もちろん全体地図ではなく、今回使うだけの部分的な物ではあるが。
異人を仲良くしておいて損はないと打算しての決定だろうが、それでも有難いには変わりない。
青木は地図に目を落としながら無線機を手に取り、
「こちらアルファオスカー、出発する。送れ」
すると前のトラックがゆっくりと前進を始めた。
「――こちらマイクユニフォーム。了解した。地点アルファに向けて出発。終わり」
返事を確認してから青木がアクセルを沈める。
通信が終わり、終始を眺めていたユージーンは『いつ見ても奇怪な魔法だ』と呟いていた。
「ところで……本当によかったのかね? こんな時に」
ハンドルを握る青木が問いかけた。
「こんな時だから、ですよ青木さん。私がいると、少なからず私に引っ張られてしまう人が出てきます。命に関わる問題だからこそ、みんなが一人一人向き合って話し合わないといけないと思います」
「ふむ。それはそうだが、しかし……」
「それに、私はなりゆきでみんなの代表になっていただけです。別に選ばれたわけではないので」
小鳥にしては珍しく、冷たい言葉だ。あまりのらしくなさに、青木は「今は皆が認めている」とは言い出せなかった。
たしかに中継都市の人間が小鳥に依存している点は否めない。小鳥が回れ右と言えば、戸惑いながらも回れ右をする者も少なくないだろう。
「だからと言っても、意見は必ず割れる。吉村くんがいた方がまとまるのではないかね?」
「……でしょうね。それでも、私はいない方がいいでしょう。自分の道は自分で決めるべきです。その先に何があっても、自分の責任で。青木さんはどっちですか?」
「私は……」
青木はすぐに返答ができなかった。ある意味では、自分が一番他人に左右されているとも言えなくない。必ず全体の意見を聞いた上で、判断を下す。これは青木が優柔不断というわけではなく、彼の意志と立場からすれば仕方のない事だ。
言葉に詰まる青木を見て、小鳥は続けた。
「私は中継都市を出るべきだと考えています」




