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世界混合  作者: あふろ
第五章 パレード
131/145

131.夜明けを待つには

 頭の中をいくつもの断片的な記憶が浮遊している。ジェイク・(エイルヴィス)・イーストウッドは目を開ける前に、それらの記憶を手繰り寄せてひとつに組み立てていく。完全に抜け落ちてはめ込めない部分は予想で補う。

 ノットの幻術でアルテリオスに化けていたシャルーモに刺されて、意識を失う寸前にジータの声が聞こえた。

 次に目を覚ました時はまだ夜明け前で、空が白み始めた頃だった。必死にジータの名前を呼ぶ何人もの声が聞こえた。薄く目を開くと、そこは無残な形をした城だ。

 ジータとシャルーモが衝突したのだと理解するまでに時間はかからなかった。あの肌に感じた暴力的な魔力は夢ではなかったようだ。力関係だけで見ればジータの勝利は揺るがないだろう。しかしシャルーモは“魔女”への対抗手段を知っている。持っている。その結果がこれだ。

 痛む体を引き摺って泥の中からジータを拾い上げた。まるで導かれたかのように、居場所がわかった。

 覚えているのはここまでだ。


 なんだ……結局俺は死んだのか。とジェイクは酷く落胆した。目を開けて一番最初に見たのがメルティアーナの顔だったからだ。

 “今”から数えると七百年ほど前だろうか――正確な数字はもはや覚えていない。第一次女神大戦後期に姿を見たのが最後、二回目の時にはたしかにいなかった。


『み……め……』


 声が出ない。

 喉の渇き、空腹。全てが飢えていた。

 死後、人間がどうなるかだなんて知らないが、この感覚は本物であると自信を持って言える。でなければ笑えない冗談だ。

 口を動かし続けていると、メルティアーナが耳を近付けてくる。


『うむ、うむ、うむ、そうか、わかった』


 生きている。

 死んだと思っていたはずのメルティアーナが生きている。今までどこにいて、なぜ今更になって姿を現したのかと疑問は尽きないが、今はこの飢えが満たせるのなら何でもいい。

 必死に「水」「飯」と訴えかけると、メルティアーナは納得した様子で大きく頷いた。まだ焦点がしっかりと定まっていないせいか、少し頬が赤らんでいる風にも見える。


『良いだろう、今回だけは特別だぞ。久しぶりの再会を心ゆくまで堪能するが良い。さあ、どんと来い』


 何もわかっていなかった。



 それからは慌ただしかった。

 涙と鼻水を垂れ流す学人に抱きつかれる。侯爵家の使用人とウィザードに隈なく体を調べられる。食事を貪っていると、メルティアーナが顔を真っ赤に抗議してくる。結局場が落ち着いたのは、目覚めの報告を受けたヴォルタリスが訪問してからの事だった。


『見舞いとは殊勝なこった。領主に収まって気遣いを覚えたか』

『これは借りがある分の義務だ。起きて早々悪いがこれからの説明をさせてもらう』

『テメーが来る間に大体は聞いた。しばらくは監禁されるんだろ』

『なら話は早い。面倒は絶対に起こしてくれるなよ』

『起こさねえよ。うるせー奴が二人もいる』


 学人にヒイロナ。キャンキャン吼える様子を想像しただけで頭が痛い。


『それで、お前を刺した奴なんだが』


 ヴォルタリスの声は怒りに震えていた。

 ジェイクとしては自分の人生を、何百年に及ぶ歩んできた道を人に知られたくはない。シャルーモの事が調べられれば、いずれは自分のところにも辿り着いてしまうかもしれない。

 隠し通すにはシャルーモはいささか目立ち過ぎた。それでも上手く誤魔化せなかったのか、と学人を見てため息を吐く。

 もっともそんな指示は出していなかったので、学人を責めるのはお門違いだ。

 どうしたものか……領主としては捨て置ける存在だとは思えない。ジェイクは素っ気なくこう答えた。


『さあな、俺は知らねー。なんだったらリズイズにでも訊いてみろ』


 学人やペルーシャが頭上に疑問符を浮かべる中で、唯一驚いた顔を見せたのはヴォルタリスだった。


『お前、なぜ――いや、いい。そうか、わかった』


 多少しどろもどろになったものの、あっさりと言及を止めた。


『で、あいつがどこの誰だか知ってどうする気だ? 舞踏会の招待状でも書いて誘き出すか?』

『それは良い考えだ。だが残念だ、会場が無い。周囲に呼び掛けておこうと思っていた。なにせ虹姫を殺したような奴だ。下手にトラブルでも起こせば大惨事になりかねない』

『テメーが馬鹿じゃなくてよかったよ』

『用件は以上だ。療養してさっさと出て行ってくれると助かる』

『ああ、俺もテメーの顔は見飽きた』


 不愉快な顔を浮かべるヴォりタリスは立ち去ろうとしたが、


『いや、ちょっと待て』


 ジェイクが呼び止めた。


『酒持って来てくれ。女神も昇天するような、上等なやつだ。日付はそうだな……突風の二十五にしておいてくれ。それでチャラにしてやる』

『お前が? ほう、なるほど。そうかわかった、用意させよう』

『いや、駄目だろう酒なんて!』


 やりとりを聞いていた学人は口を挟まずにはいられなかった。傷は塞がっているものの、ジェイクは衰弱している状態だ。そんな体調で酒だなんて体に良いはずがない。

 ヴォルタリスを咎めようと詰め寄るが、先手を打ったのは彼の方だった。


『そうだヤマダガクト。さっきヒイロナが首枷を探しに城へ来たんだが――何に使うのかお前知らないか?』

『え、マジで。絶対に渡さないで』

『地下牢を適当に探せと言っておいた。しかし生憎そんな物は置いてないのでな、そのうち諦めるだろうよ』


 少し口端を上げてヴォルタリスは去っていく。扉を閉められてから、学人はようやく上手く躱された事に気が付いた。

 言い合いではとても敵いそうにない。


『酒はまだ駄目だからな』


 素直に負けを認めた学人は、ジェイクにそう言い付けるので精一杯だった。




 夜の帳が下りた頃、学人は屋敷内のとある場所に足を運んだ。古い扉を押し開けると、少し強めの夜風が学人を迎える。使用人が洗濯物を干すのに使っているベランダだ。

 屋敷内の物は全てここで乾かされるので、さすがに部屋にある物と比べると桁違いに広い。頭上では等間隔に張られた無数のロープが風に揺られている。

 どこに座っても同じようなものだが、学人はより見晴らしの良さそうな場所を見つけて腰を落とした。あの嵐以来、暇を見つけてはこうして空を眺めている。娯楽の少ないこの世界では、他に気を紛らわせる方法が見つからなかったのだ。

 しばらくすると、ふと、屋敷からベランダに出て来る誰かの気配を感じた。


『ジェイク……?』


 ジェイクは呼びかけに応じず、無言のまま学人の隣にどかっと座る。

 身を隠している立場なのに、好き勝手に歩き回るのはいかがなものかと考えたが、屋敷内には違いないので文句は言わずにおいた。


『煙草くれ』

『え?』

『良い夜だ。煙草が無いなんて有り得ねえ』


 ならもし今日が悪い夜だったら吸わないのか。それこそ有り得ない。どうせ何か理由を付けて要求してくるはずだ。つまり、何を言っても無駄。

 学人が素直に差し出すのをはばかられたのはジェイクの体調もあるが、それよりもここで吸っていてもいいのか、という事だ。少し前までは禁煙ブームの煽りで吸える場所が限られていた。

 未だに喫煙所を探そうとする自分に、学人は力なく失笑をもらした。


『リズイズって誰?』


 互いの煙草に火を点けた学人は、ぽつりとそう尋ねた。特にこれといって興味があったわけでもないが、ふと、口から出ていた。どうしても暗い話題になりがちなので、無意識にそれを避けたのかもしれない。

 ジェイクは口端を上げて答えた。


『国家機密だからテメーには教えてやんねーって意味だ。知ってる奴は限られてるが、それでも通じる奴は大概おもしれー反応を見せる。機会があったら試してみろ』

『なんだよそれ……』


 隠語なのだろう。ヴォルタリスの反応を見た感じ、彼は意味を知ってる様子だった。だから深く追求して来なかったのだ。

 となれば、知っているのはただ単純に位の高い人間か……。

 なんとなく会話を途切れさせてはいけない気がして、学人は次の話題を探す。


『あのさ、ヒイロナってさ。昔からああ(・・)なの?』

『何がだ?』


 ペルーシャの首に枷をはめようとした姿が脳裏に浮かぶ。どうしても信じられないが、信じたくないが、明らかに殺傷能力のある、拷問器具のような首枷で攻撃をしたのだ。例えその気がなかったとしても、あれはただでは済まない。

 希望的観測はいけない。ペルーシャの言う通りだ。あの時、確かにヒイロナには殺意があった。


『決闘の話だよ。聞いた途端にペルーシャを……』

『そうか』


 事が事だけに、ジェイクもさすがに茶化す気はないようだ。吐き出された煙がほとんど形を変えずに、風に流されていく。


『昔から嫉妬深いところはあったんだけどな。前に中継都市で巻き込まれたろ』

『ああ、小鳥さんの』

『前まで拗ねる事はあっても、誰かに危害を加えるなんてなかったんだけどな。大戦が終わってからどんどん酷くしてる気がする』

『どうして……』

『いいか、ガクト。これは本人から直接聞いたわけじゃねえ。あくまで俺の勝手な想像だ』


 念を押す前置き。

 これから語られるであろうヒイロナの核心に、学人は心を構える。


『あいつにも家族がいた』

『前に少し聞いたよ。キョウジって人だっけ?』


 ジェイクとヒイロナとシノが森を出てから、竪琴の島までの道中で知り合ったという人間族(ヒト)だ。その後ジェイクは騎士団に入り、ヒイロナとシノはキョウジを中心として家族を作ったと聞かされている。

 シノ・(エイルヴィス)・マーガレット。学人はエルフの森で直接会ったわけではないが、ヒイロナの悲壮な顔が忘れられない。良くない事があったのは聞かずとも明らかだった。


『そのキョウジさんは今どこに?』


 何となく答えを察していながら、学人は尋ねた。


『死んだ。大戦が終わる少し前の話だ』

『そう……』


 わかっていた。結局暗い話題になってしまう事も。しかしヒイロナを知るには避けて通れない話だ。

 表情を沈ませる学人を見て、ジェイクは少し笑って見せた。


『別に珍しい話じゃねえ。天寿を全うする奴なんてそうそういないんだ。ただ……』

『ただ?』

『キョウはロナの腕の中で死んだ。三日三晩、呻いて苦しんだ挙句に。痛い痛いってよ』

『怪我? ヒイロナでも治せなかったの?』

『お前、魔法を万能な何かだと勘違いしてねえか? それにロナは外傷の専門じゃあねえ。奴は死にたくねえとも、もう死なせてくれとも言わなかった。痛い以外にもう何も考えられなかったんだろうな』


 誰だって大切な人を失いたくはない。もし可能性が薄くても、助ける手段があるとすれば最善を尽くすのが人情というものだ。きっとヒイロナは必死で魔法を使い続けたに違いない。

 たとえそれがキョウジを返って苦しめる結果になったとしても。


『もしかしたら、あいつは失うのが怖いのかもしれないな』


 ジェイクはそう締めくくり、学人を見た。

 本題はここからだ。


『ヒイロナには感謝してる。でも、ここで別れるべきなのかなとも思ってるんだ』


 ペルーシャとヒイロナの仲は、これからますます険悪なものになる可能性が高い。なにせペルーシャは殺されそうになったのだから、身を守るために殺し合いに発展してもおかしくない。

 二人を近付けるべきでない事は、誰から見ても明らかだった。


『ソラネの次はロナか。疫病神なんじゃねえのか、あの猫。で、その前にお前、勝算はあるのか?』

『ああ、決闘の話? 無いよ。当日に風邪でもひいてくれないかな』

『阿呆か』


 呆れ声と共に、ポンッという間の抜けた音が鳴る。

 どこに隠し持っていたのか、ジェイクは酒瓶を手にしていた。


『はぁ……』

『なんだ?』

『なんでもないよ』


 怒る気も失せた。どういうつもりか、結局ヴォルタリスは酒を用意したらしい。

 ジェイクは少し広めで、しかし底の浅い盃に酒を注いでいく。漆塗りではないものの、どこかこの世界とはミスマッチな器だ。


『随分と和風だね』

『ワフー? なんだそりゃあ』

『僕の国の酒器にすごく似てるんだよ』


 よく見ると内側には複雑な幾何学模様が描かれている。高価な物というよりは宗教的な印象を受けた。


『ガクト、手を出せ』

『手を? 痛――っ!』


 言われるがままに差し出した手がちくりと痛む。見れば、ジェイクがナイフで傷付けていた。

 驚いて手を引っ込めようにも、学人の力では抵抗にすらならない。指から血が滴り落ちると、それを受け止めた盃が薄く輝き始める。わずかに波打つ酒に、ゆっくりと回転する幾何学模様が浮かび上がる。


『なに、これ?』

『これは儀式だ。家族になるための、血の儀式だ』


 言いながらジェイクも自らの血を垂らす。

 血滴と共に光がざわめき、紋様がその形を変化させる。やがて不規則に変化していた紋様は安定し、何事もなかったかのようにゆっくりと回転する。


『こいつを飲むと魔力紋が刻まれる。俺たちはその紋で家族を見分けている。異人のお前に紋が定着するかどうかはわからないが――まあ、無理強いするつもりはねえよ、判断は任せる』


 キラキラと美しい輝きを放つ盃に、学人は魅入っていた。これだけの信頼を寄せられているのかと考えると、感慨深いものがある。シャルーモとの対話が無ければ迷う事などなかっただろう。

 ジェイク、シャルーモ、サンポーニャ、ヴァリハの四人が死ななければ元の世界に帰れない。もしそれが事実だった場合、どうしろというのだろうか。


『馬鹿馬鹿しい。そんなわけがない』


 学人は迷いを振りほどいた。“逃げ”だったのには違いないが――。

 酒を少し飲む。喉から火照りが一気に体中を駆け巡る。

 酒気とはまた違った感覚だ。血液が逆流を起こしたかのような錯覚に囚われたあと、肉と骨が締め付けられる。きっと魔力紋が刻まれたのだろう。


『こっちです、ヒイロナさん!』


 唯一の扉付近がにわかに騒がしくなった。ヒイロナという名前に学人は心臓が飛び跳ねそうになる。

 怒ればいいのか、怯えればいいのか。どういう顔をして面と向かえばいいのだろう。学人にはその心の準備ができていなかった。いや、それよりも酒と煙草を隠すのが先決か。

 軽いパニックを起こしているうちに、ザットに連れられたヒイロナがやってきた。


『や、やあ。良い夜だね』


 間抜けな挨拶をする学人の横では、ジェイクが我関せずといった様子で酒を飲んでいる。

 まるで校舎裏で教師にでも見つかった気分だったが、ヒイロナは叱咤するでもなく、恨めしそうな視線を向けていた。


『――くせに』

『あ? 何か言ったか?』

『なんでもない!』


 ヒイロナはかなり不満だったようだ。だが、ジェイクから盃を奪うと、自分の指を噛み切って酒を口に含む。

 硬直していた学人には止める余裕もなかった。

 ザットが顎に手を当てて、少し考える素振りをしてから後に続こうとする。


『いや待って。君は騎士団にいるんだろう?』


 さすがに止めた。

 騎士団も呼び方が違うだけで家族だ。そんな二足のわらじが認められるとは思えないし、そもそもザットが加わる意味がわからない。

 ザットが学人の肩に手を回して静かに喋る。


『なあ兄弟。オレは門兵だ。じゃあ門兵って一体なんだ?』

『え? 門を守る人?』

『そう、わかってんじゃねえか。行く手に立ちはだかる、悠然とそびえる重圧の門はオレらの誇りだ』

『えーと……その話と今の話、何か関係があるのかな?』

『オレは門の開放は許可されたが、それは破壊してもいいって言われたわけじゃねえ。つまり門を守れなかったわけだ。昨日の仕事を最後に除名された』

『は?!』


 そんな横暴な! と学人は息巻いた。誰があの状況でそんなくだらない事を気にしていられるだろうか。

 あの場にヴォルタリスがいたなら、他に良い案があったとでも言うつもりなのか。


『僕がヴォルタリスに抗議してくる。あんまりだ!』

『あー、待て待て。あの堅物にはオレも愛想が尽きたんだ。それとも何か? 自分の行動に責任も取れない奴らの集まりなのか? 異人ってのは』

『う……そういうわけじゃ』


 そもそも自分がやった事じゃない、と弁明しても信じてはもらえないだろう。諦めるしかなかった。


『だったら決まりだ。これからよろしく頼むぜ、兄弟』


 この日、学人に新しい家族ができた。

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