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世界混合  作者: あふろ
第五章 パレード
130/145

130.グリーフ・ロアー

 ジェイク・(エイルヴィス)・イーストウッドは歩いていた。

 行く手に広がるのは焼け爛れた大地。右も、左も、後ろも。煙を噴き上げる灰の土地が、遥か先まで延々と続いている。

 もう丸一日歩き通したというのに、景色は何ひとつ代わり映えしない。

 こう(・・)なったのはもう数日前の話だ。だのに、堆積する灰は未だに高温を保ち続けていて、至る所で燻っている。

 靴底はとうの昔に焼け落ちてしまった。無防備に晒された足には突き刺したような痛みが広がる。次から次に灰が纏わりついてくるので、これでは剣山の上でも歩いた方が幾分ましなくらいである。


 下から突き上げる熱気が体力を容赦なく奪う。汗が出なくなってから既に久しい。口の中は枯れた井戸のようにカラカラだ。

 それでも前に進まなければならない。今更引き返すのは――といった理由ではなく、進む足を止められない。

 強制ではなく、これは義務だ。

 気力もとうに限界を超えており、立ち止まってしまいそうになるが、そうなれば衰弱死する前に焼け死んでしまう。


 ジェイクは忌々し気に空を仰いだ。

 ああ、空はあんなにも青いのに。

 こんなにも清々しい天気なのに。


 パキッという音のあと、絶え間ない激痛とはまた違う痛みが足を襲った。危うく転びそうになる。

 踏み折った黒焦げのそれは焼け落ちた木なのか、焼け崩れた誰かの腕なのか脚なのか――もはや判別すら難しい。


『誰か、いな゛――』


 声を絞り出すも、焼け付く痛みに負けてかすれる。そして当然のように返事は無い。

 天使族(エンジェル)の軍隊と善戦を繰り広げる戦士たちでさえ、女神がひとたび気まぐれを起こしただけでこの様だ。今回は一瞬にして全てが焼かれ、後に残されたのは灰のみである。ここが色彩に富んだ楽園だったなんて、一体誰が信じるだろうか。

 抗えない力の差を目前にしても、絶望する事は許されない。絶望してしまえば待っているのは死よりも過酷な運命だからだ。

 それになにより――元はと言えば自分たちが始めてしまったからだ。


 灰に埋もれた石に足を取られ、ジェイクはとうとう手をついてしまった。地面に触れた手と膝に新たな激痛が刻まれる。

 それでもなんとか立ち上がろうとして、視界を左右に振る。何か掴まれる物は無いか……あるはずもないのに。

 誰かが一人、転がっていた。

 かなりの幸せ者だ。まだ原形をとどめているのだから。

 彼なのか彼女なのかわからない。しかし、ジェイクには不思議と“彼”である事がわかった。

 頭が内側から裂けている。灼熱の炎に晒されて脳が沸騰、破裂でも引き起こしたのだろうか。眼窩から眼球の飛び出した痕跡がある事から、そんな想像をした。

 彼は――ロンダドールはせめて苦しまずに死ねたのだろうか。今はそればかりを願う。


 親友の残骸を目にしても、心が揺れ動く事はほとんどなかった。もしかすると無意識のうちに抑え込んでいたのかもしれない。

 自分には、嘆く資格はない。


 さらに進んだ。

 今度は壁の一部にたどり着いた。

 比喩でもなんでもなく、本当に一部。おそらくこれは砦の一部だ。真っ黒に佇むそれは遺跡と呼んでも差し支えない様相である。


 裏側に回ると、ここにも幸運の持ち主がいた。

 膝を抱えて丸くなってはいるが、なぜか頭だけはこちらを向いていた。

 骨格が浮き彫りになっていて、外観からは人間であった事以外何もわからないのに、やはりジェイクはその人物を知っている。

 河が決壊したように、ジェイクの心は罪悪感の激流に飲み込まれた。自分一人ではとても償いきれない罪。


――クスクス。


 感情を逆撫でする笑い声が耳に触れる。


『何が、可笑しい?』


 笑い声の主に問いかける。

 灰の舞うこんな場所でも、身を包む純白のドレスには一点の穢れもない。穏やかな笑みを浮かべて、この風景を作った張本人は僅かに残った瓦礫に腰かけていた。


『だってそうではないかしら? お友達には何とも思わなかったのに……酷い子ね』


 目の前にいるのは本物か、幻覚か。果たして誰のせい(・・)なのか。


『黙れよ』

『クスクス。あなたのせい(・・)じゃないわ、ジェイク。わたくしは間違いなくここにいるもの。これもそれも、あなたのせい(・・)じゃない』


 いや、これは俺のせいだ。自責の念に駆られて、再び真っ黒な亡骸に目を落とす。

 亡骸は何も語らない。

 最期の瞬間を認識できたのかも、苦痛を味わったのかどうかさえ。


 サク――サク――。

 気のせいか。偶然拾ったかすかな音にジェイクは息を止めた。自分の呼吸ですら妨げになるほどの小さな音。この場所に、絶対にあるはずのない音だ。

 空耳である事を期待して耳に神経を集中させる。

 やはり聞こえた。

 歩調は遅いものの、これは灰を踏みしめるものだ。どこにいるのかまではわからないが、それはたしかに誰かの足音で、着実にこちらへ近付いている。


『ア……ア、ァア……ァ』


 ジェイクは後ろを振り返ると、音の元凶をしっかりと確かめた上で矢を放った。

 炭化したロンダドールだった。

 死者が動く。それはこの浮遊大陸においてあり得ない事だった。ここには、亡者が生成されるほど濃度の濃い瘴気が存在しない。

 となれば、考えられるのはたったひとつだけ。目の前にいる女神の仕業だ。


『あら、その玩具は気に入らなかった? クスクス』

『玩具じゃねえっつってんだろッ!』


 今までに何度このやり取りをしただろうか。にもかかわらず、ジェイクは自分でも驚くほどの声量で怒鳴っていた。

 喉の痛みなんて関係ない。


『いいえ、それはわたくしの物よ。玩具以外の何物でもないの。もちろんジェイク、あなたもよ』


 澱みない瞳を受けて、ジェイクは言葉に詰まってしまった。

 何か言い返さなくては。

 言い返したからからといって何かが変わるわけでもないし、深い意味なんてあるはずもない。せいぜい実のない口論に発展するくらいだ。

 それでも、納得しない。

 ジェイクの心が、納得しない。

 ただ哀しいのは、狂乱寸前のせいか頭に浮かぶのは陳腐なものばかりで、とても口に出せそうになかった。

 そうしていると、今度は突然足首を掴まれた。


『――ッ!』


 咄嗟に剣を引き抜く。

 手を伸ばしていたのは膝を抱えていたはずの“彼”だった。

 焼けて固まった筋肉で、一体どうすればこんな力が出せるのか。尋常ではない握力がジェイクの骨に悲鳴を上げさせる。

 このままでは足を握り潰されてしまう。

 しかし、ジェイクは手にした剣を振り下ろせなかった。


『あらあら。その玩具は気に入ったのかしら? クスクス』


 女神の笑いが一層愉しげに変わる。


『違うッ!』

『いいえ、それもわたくしの玩具よ。元は別の誰かの物だったかもしれないけど、ここに来た時点でわたくしの物なの』

『黙れッ! こいつは関係ない! こいつは、ガクトは断じててめえの物なんかじゃあねえっ!』


 ジェイクを見上げる山田学人の亡骸は、隙間に詰まった煤をこぼしながらカクカクと口を動かす。

 何を言わんとしているのか。

 やがて、学人のものとは思えない、耳を塞ぎたくなるような金切り声が吐き出された。


『今何をしようとした、お前ッ!』


 ジェイクが観たのは、ここまでだった。



――そんなに気に入ったのなら、どうしてもと言うのなら、あげても構わないけど……困ったわ。もしもあなたが欲望のはけ口にしようものなら、わたくしはジェイクを叱りつけなければいけないもの。クスクス。




――――。




 ハーネスの屋敷から戻った学人は若干荒れていた。


「どうしてほぼ一択しかないんだよ! どうなってるんだこの国は!」


 侯爵家の一室、テーブルを叩く音が響いた。衝撃で水の入ったコップが跳ね、荒々しい波紋を作る。

 学人は出迎えたヒイロナを素通りして突っ伏していた。

 ヒイロナは一緒に帰って来たペルーシャとザットに目を向けるが、二人とも目を逸らすばかりだ。ジェイクに付きっきりのメルティアーナは迷惑そうに一瞥するも、別段興味を示そうとはしない。


『え、えーと、ごめんニャ?』

『いいよもう。決まっちゃったことなんだし……』


 決闘は片方が宣言し、身に着けている物を投げた時点で成立してしまう。

 物に触れればルールに則った試合が行われる。相手を殺してしまってはいけないし、万が一死なせた場合は自らもその命で償わなければならない。

 仮に物に触れたとしても、すぐに返却すれば無条件降伏となる。

 では避けたりして触れなかった場合だ。

 ルール無用。殺されても文句は言いません。そういった意味だ。ただし卑怯な手だけは許されない。


 どうにせよ、決闘を宣言された時点で学人に逃げ道は無かったのだ。


『どうしたの? 何があったの?』

『実は……』


 ヒイロナにこれまでのいきさつを説明する。

 怒るんだろうなと恐る恐る顔色をうかがうと、その顔からは完全に感情が失われていた。蒼い瞳がテーブルをなぞり、とある地点でピタリと止まる。


『なに……それ』

『す、すまねえ! オレがついていながら!』


 慌てて弁解しようとするザットの声は届いていない。ヒイロナはおもむろにコップを掴んだ。


『ヒイロナ、何を』


 ヒイロナの怒りは無理もないし、ペルーシャが水をかけられるのも仕方がない。実際それだけの事をしでかしたし、むしろそれで済めば安いものだ。

 しかし、学人は見逃さなかった。ヒイロナの手に魔力が宿っていたのを。


 止めさせようと伸ばした学人の手も虚しく、


断罪の首輪アルフェティング・コルガンド!』


 宙に放り出された水はペルーシャの首に巻き付き、瞬時に氷へと変化する。

 だが次の瞬間、氷は音を立てて自壊してしまった。

 よく見ればペルーシャの首には、光を帯びるもうひとつの首輪が巻かれている。今の今まで無かった物なのに、と学人が首をかしげていると、廊下から小さな影が飛び込んで来た。


『今何をしようとした、お前ッ!』


 興奮状態で金切り声を上げたのは、ペルーシャにくっついてきたエヴリーヌだ。どうやらあれは彼女の魔法らしい。

 つまらない物でも見るようなヒイロナに対し、ペルーシャが一笑を飛ばす。


『はんっ! 取られて困る大事ニャもんやったら鎖でも繋いどけや』

『そう……そうね。それは良い考えだわ』


 ヒイロナはそう言い捨てて出て行ってしまった。

 こうして嵐の後の静けさが戻ると、学人はどっと疲れがのしかかるのを感じた。

 ヒイロナとペルーシャの仲は特筆すべきものはなかったものの、決して悪くはなかった。国境都市からここに至るまで色々とあったが、もちろん学人が懸命に執り成した功績だ。

 それなのにちょっとした事で簡単にバランスが崩れてしまう。ソラネの次はヒイロナなのか……。どうしてみんなもっと仲良くできないのか、と学人は頭を抱えざる得なかった。

 普段は穏和なヒイロナがあそこまで感情に任せてしまうのだから、水面下では鬱憤が溜まっていたのかもしれない。

 だが、ペルーシャの次の一言で今回ばかりはそれだけに留まらなかった。


『あの女。今アタシを殺そうとしよった……』


 砕けた氷の内側は、鋭い棘で覆われていた。

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