13.黒い水
「ぃ――ってぇ……」
なんとか生き埋めになる事だけは免れた。少し違う意味で生き埋めだが、ランタンも無事だ。
完全に埋まった坑口を見上げる。
「どうするんだよこれ」
これではジェイクを見つけても、脱出する事ができない。状況を考えると他に出口が無いか、全て埋まってしまっているのだろう。
中には彼らの大切なハンマーがあるのだ。危険を顧みずに掘り返してくれる事を期待するしかない。
岩の欠片が崩れる音が響く。
この場に留まっていれば、今度こそ崩落に巻き込まれてしまう。とりあえず進んでみるしかない。
先へ光を向けると、暗闇に坑道の様子が浮かび上がった。
怯えながら坑道を歩く。かなり大きな坑道だ。高さは三メートルを超え、幅も同じくらいありそうだ。
壁や天井は、木材や金属でできた支保工で満面なく補強されている。
全て消えてしまっているが、等間隔で刺さっている松明も確認できる。
道の中央には、丸太をキャンプファイヤーの様に積み上げ、中に屑石を詰め込んで作った柱も見えた。
ひんやりとした気持ちのいい、冷たい空気が坑道の中を満たしている。
学人が鉱山の中に入るのは、もちろんこれが生まれて初めてだ。松明の数がどれだけ必要かだなんてわからない。そもそも、現代で松明を使う事などないだろうが。
それでも、素人目に見ても松明の数が異様に多い。これだけの数を焚いても大丈夫なのだろうか。酸素的に。
恐怖を誤魔化そうと、どうでもいい事を考える。
進んで行くと、枝抗や竪抗が目に入るようになってきた。
おそらくこの太い坑道を通洞抗とし、周りを掘り進む構造になっているのだろう。
ツルハシや排水用と思われる、木製のバケツがいたる所に転がっていた。
念の為にと持って来た包丁だったが、ここは毎日人の出入りがある現役の鉱山だ。必要無かったかもしれない。
さらに進むと、今度は横に大きな横穴が口を空けていた。
この通洞抗が二手に分かれているのだ。坑道は一本道ではなく、迷路の様になっている。一番深い場所では何キロもの距離があってもおかしくはない。
内部構造を知らない者が、ランタンひとつで歩き回るのは無謀だ。
岩盤が剥き出しの、狭い枝抗にはジェイクも入らないだろう。ならば、このまま進んでいればいずれ会えるはずだ。
学人はそう踏んでいたのに、これでは思惑が大外れだ。
「ジェイク、どこだ! 聞こえたら返事をしろー!」
大声で叫んでみるが、呼びかける声が闇に吸い込まれていく。
「はぁ……。あいつ、日本語全然わからないしなぁ」
ジェイクが喋れるのは、“煙草”と“くれ”の二言だけだ。
途方に暮れていると、水の流れ落ちる音が坑道を通り抜けた。
「なんだ?」
枝抗の奥に湧き水でもあるのかとも思った。しかし、それにしては音が近い。
目をつむって耳をすませ、音の出所を探る。また音がした。自分のすぐ後ろだ。
光を向けてみるが、特に変わった所は無いように見える。
「あれ?」
周囲を見回し、最後に地面へ視線を移す。線路の枕木の間に水たまりがあった。
(おかしいな。通った時には水たまりなんか……)
不思議に思い、ランタンを近付けてみる。水たまりは墨汁をぶちまけた様な、真っ黒な色をしていた。
天井を見ると、支保工が破れて岩盤が顔を覗かせていた。
おかしい。
他の場所は何ともないのに、水たまりの真上だけが不自然に破れている。
裂け目を見ても、割れているのではなく、綺麗にぽっかりと穴を空けていた。
意図的にそうしているとは考えにくい。
水たまりに視線を戻す。すると、かすかに動いた。
目の錯覚かと思い、顔を近付けてよく観察してみる。
その時だった。急に独りでに波打ったかと思うと、水が跳ねた。
「うわっ! きたなッ!」
咄嗟に足を引っ込めて水滴をかわす。
枕木にかかった水は、ジュウジュウと音を立て始めた。
「……え?」
溶けている。
理解が追い付かず、その場所に目が釘付けになる。
これは水ではない。強力な酸か何かだ。
固まる学人をよそに、次から次に新たな液体が垂れてくる。支保工を溶かしながら。
二歩、三歩と後退りすると、液体が一箇所に集まり始めた。
合体を繰り返して、徐々に大きくなっていく。うねりを見せるそれは、粘液である事がわかった。
スライムだ。
誰がなんと言おうと、これはスライムだ。
日本人がスライムと聞くと、玉ねぎの形をした最弱のイメージを浮かべる者が少なくないだろう。
だが、学人は違った。スライムほど厄介な相手はいないという認識だ。
打撃、斬撃、突撃。馬鹿な、そんなものが液体の体に通用するわけがない。手に持っている包丁など、糞の役にも立たない。
不用意に近付けば、十中八九痛い目を見る。むしろ、それで済めばかなり運がいい方だと言えるだろう。
スライムから目を離さずに、静かに距離をとる。今は大人しげだが、急に走り出したりすると刺激してしまうかもしれない。
じりじりと下がりながら、ポケットに入っている物を取り出す。予想が正しければ、こいつは火に弱いはずだ。
自分が喫煙者でよかった、と思ったのはこれが初めてかもしれない。ランタンとジッポーを右手に持ち、残った左手を壁に刺さっている松明へ伸ばす。
(なるほど。それで松明がこんなに)
これは照明であると同時に、スライム避けの役割を担っているのだろう。
「あれ? なんだこれ?」
引き抜いたそれには、火を灯す部分が無かった。それどころか、木ですらない。
材質はわからないがすべすべとした肌触りで、先端には宝石の様な物がはめ込まれている。
学人が松明もどきに視線を逸らした隙をついて、スライムが動いた。
「うわっ!」
かろうじて飛ばされた粘液をかわす。こうしているうちにも、スライムはどんどん垂れてきていた。
結局、学人には逃げる以外に選択肢が無かった。
スライムを踏みつけたり、頭上に降ってこようものなら、確実に命は無い。
上下を警戒しながら坑道を走り抜ける。
スライムは見た目通りに、動きが鈍い様子だ。ある程度離したら、そうそう追い付かれる事はないだろう。
後ろを振り返り、スライムの姿がない事を確認すると、走る足をゆるめた。
今のうちに何か燃やす事のできそうな物を探す。倒せなくても、追い払う事ができればそれでいい。
立てかけられているツルハシの柄など、木製の物が目につくが、さすがにジッポーだけで火をつけるのには無理がある。
少し先に、白い何かが散乱しているのが見えた。細長い物や綺麗な弧を描いている物、少し大きめの丸い物まで。
鉱石だろうか。
後方を気にしながら、さらに進む。
白い棒を踏むと、明らかに石とは違う音を立てて折れてしまった。
「なんだ?」
拾い上げてみるとそれは軽く、硬い外殻の中は細かい網目状になっており、中央は赤くドロっとしていた。
次に目がいったのは、坑道の隅に落ちていた物だった。
長方形で、折りたたまれた状態でそれは転がっていた。
財布だ。
それも、誰もが知っているような、世界的に有名なブランド品だ。
震える手で開いてみると、中には見慣れた紙が入っていた。日本銀行券。壱万円と書かれた物が五枚ほど。
免許証やキャッシュカード、どこかの会員カードなども入っている。
「そんな……じゃあ、これは」
人骨だ。
落ちていた物と、その中身を見ればどんなに鈍感な人間でも気付く。これらは全部、日本人だ。
スライムにやられたのだろう。白い骨だけが残され、辺り一面に散らばっていた。
ふいに、目玉の無い頭蓋骨と視線がぶつかる。歯の欠けたその顔は、学人を嘲笑う表情にも感じられた。
「ああああああああ!」
ショックと恐怖に耐えきれず、財布を放り投げて走り出す。知らずのうちに、涙があふれていた。
あの中に知っている人間がいたわけではない。なのに、涙が止まらなかった。
あの町だけでなく、やはり他の場所も異変に巻き込まれていた。
この暗闇の中で、全員が状況を理解する事もなく死んでいったのだろう。
カーブを曲がった所で、学人は足を止めた。行き止まりだ。
不自然に垂直の壁が目の前に現れた。
支保工を破り、周囲を崩落させて道を塞いでいるそれは、ビルの一部だった。
「ああ……ああぁ……」
下半身から力が抜け落ちた。鉱山崩落の原因はこれだ。
建物に圧迫され、行き場を失った岩盤が崩れたのだろう。
呆然とビルを眺めていると、悪寒が走った。
「あ……」
いつの間にか、スライムがすぐ後ろまで忍び寄っていた。
何度合体を繰り返したらこうなるのだろうか。
……巨大。
それはあまりに巨大だった。学人の何倍もあろうかというスライムが、今まさに覆い被さろうとしていた。
頭が回らない。体も動かない。
もはや溶かされて、養分にされるのを待つだけだ。
『まだ生きてる奴がいたのか!』
どこからともなく上がった声と共に、火のついた松明が投げられた。
突然の事にスライムが怯む。
『来い!』
襟首を掴まれて、窓からビルの中に引きずり込まれる。無理矢理に手を引かれて、建物の奥へと連れて行かれる。
ヒイロナから少し言葉を教わったおかげで、二言目は理解する事ができた。“来い”と言っていた。
学人の窮地を救ったのは、モヒカンで糸目の大男。鉱石族だった。




