127.クロスロード 1
王国の朝は早い。時刻という概念が無いために、日が昇れば人々は目覚め始める。
ただでさえ早い朝なのに、領都においてはさらに早い。死者を弔って、すぐにでも以前の生活を取り戻したいのだろう。日の出と共に人々は動き始める。
主要幹線はかろうじて復旧しているものの、やはり瓦礫は多く残っており、本来の幅よりも狭くなっている。
撤去された瓦礫は一旦広場に集められて、使えそうな物とそうでない物とを仕分けられてから都外へと排出される。領都を歩く際には周りに十分注意していないと、搬送中の瓦礫や人との衝突で怪我をしてしまいそうだ。
貴族の館でも、人々に食事を提供するために、朝から使用人たちが慌ただしく働いている。
朝が一番騒々しく、人の動きも一番大きいと言っていいだろう。
学人とペルーシャが侯爵の館を出たのは、それから少し経った頃だった。
「ふぁ……」
時刻にすると、今はたぶん午前八時といったところだろうか。あくびを繰り返しながら周辺街を目指す。
昨夜は結局全く眠れずに、ゆっくりと欠けていく月を一晩中眺めていたのだ。
隣を歩くペルーシャは、薄汚れたような色のローブに身を包んでいて顔を隠しているので、どういった表情をしているのかは窺い知れない。それでも時々吹き上がるあくびから、学人と一緒で眠れなかったのであろうことが察せられる。
歩く速度は緩慢だ。
ゆっくりと景色を楽しみながら散歩するような、そんな歩調だ。
(なんか変だな)
学人は違和感を覚えていた。
その正体は人数――いつもに比べて人の姿がかなり少ない。普段なら人を避けながら歩かねばならないほどなのに、今日に限ってはずっと向こうの方まで見渡せられる。
口には出さないもののペルーシャも不思議に思ったのか、仕切りに後方を確認している。
歩くのが遅い理由には、そういった警戒感も含まれていた。
『日が落ちてから方がよかったんじゃ……』
『ん、せやな』
不思議に思う。
人の目がない夜のうちに出て、日が昇った後で学人がモンローを迎えに行って、そしてどこか目立たない場所で落ち合う。そうするべきだと思うし、誰にも顔を見られたくないペルーシャはそうするものだと思っていた。
木を隠すなら森の中とはよく言ったものだが、やはりそっちの方がいいに決まっている。
『誰から身を隠してるの?』
“しまった”と思うも後の祭りで、考え込んでいるうちに学人はつい声に出してしまっていた。
人ごみに紛れて脱出を図るのなら、特定の“誰か”から身を隠していると考えられる。ペルーシャが鋭い瞳で見返してくる。
詮索するつもりなんてなかった。ペルーシャの態度から、多くを話したくないという意思がひしひしと感じられたからだ。
――都市伝説だと思っていたぜ。
よくよく考えてみなくても色々とおかしい。
領都の門を任されているザットがペルーシャの顔を知らなかったのだ。そういった事情には誰よりも詳しい男がだ。
門兵を仕切る彼がわからなかったのだから、下っ端の兵士がわかるとはあまり思えない。
つまり、顔を隠す理由がわからない。
顔も知らない犯罪者とすれ違ったとして、警察に通報できるだろうか? 絶対に無いと言い切れる。
一度口にしてしまったのだから、この際思い切って話を続ける。
『ソラネさんが言ってたよ。まるで名前だけが一人歩きしてるみたいだって』
『チッ……あのハゲ』
『たぶん誰も気付かないんじゃないかな? だったらどうして』
『ね、念の為や、念の為!』
『ごめん、でも……』
学人が立ち止まると、二歩三歩と進んだ所でペルーシャも歩みを止めた。
ペルーシャはおそるおそる、首だけを使って振り返る。怒りとも取れない色が、その瞳には宿っていた。
これ以上その話を続けるなと、そう訴えていた。
だが学人は自分自身でも止める事ができずに、溜め込んでいたいた疑問を単刀直入にぶつけた。
城に忍び込んでいた理由についても、明確な答えはもらっていない。きっと全ては繋がっている。そう確信があった。
『君は何者だ?』
横から風が吹き抜けた。
ペルーシャの目には失望が広がっていた。
『アタシは……』
ペルーシャが何かを言おうとした時、学人の視界の端に異様な物が映った。
何か、塊が迫っている。
太陽の逆光に塗り潰されていて、それが何かは判断できない。ただ、反射的に目がそちらへ向いていた。
「危ない!」
学人は咄嗟にペルーシャを抱き寄せた。彼女は気を取られていたせいか、全く気が付いていないようだった。
入れ替わりで、ペルーシャの立っていた場所に大男が叩き付けられる。体重百キロは越そうかという巨漢だ。あのまま衝突していれば大怪我を負っていただろう。
この男はなぜ、どこから飛んできたのか? 学人はすぐさま男の飛んできた方向に目を向けた。
今立っている場所は、五叉だか六叉だかになっている交差点のど真ん中だ。いくつに分かれていようが、そんな事はどうでもいい。
そのうちのひとつ、一番大きな道を人だかりが塞いでいる。そのほとんどの人が倒れた大男を見下ろしている。
学人が注目したのはさらに奥。群衆の頭上から覗く幌だ。
「あれは……」
心当たりがある。あれはおそらくどこかの商隊の荷車だろう。
たまたま領都近くを通っていた商人を貴族が捕まえ、商品を全て買い上げて領民に分け与えている場面を、ここ数日で何度か目にしていた。
ではなぜ、この男は飛んできたのだろうか。答えを探すまでもなく、人垣の中から言い争う声が飛んだ。
『このアマ、何しやがる!』
『やかましいわ! みんな順番や、並べ言うとんねんハゲ!』
『わざわざ救援に来てやった人間に対して言う言葉か!』
『は? こうやって騒ぎ起こすんが救援か!』
『ふざけやがって、ふっ殺――』
怒声が急に途切れたかと思うと、群衆からどよめきが湧いた。
「やっぱり!」
一度ある事は二度ある。二度ある事は三度――。
もう一人、似たような大男が群衆を越えて飛んできた。それも学人とペルーシャをめがけて。
なんとなく予想ができていたので、二人目を躱すのは容易だった。受け身も取れずに地面に転がる男は呻き声を上げる。
『うう、なんだあの女。普通じゃねえ……』
人だかりが二つに割れて道が開かれる。奥からは派手な装飾の煌めいた深紅のドレスにも見える服装の、中年女性が姿を現した。
貴婦人を思われる女は、鬼の形相で開かれた道を突き進みこちらへ向かって来る。
『まだや!』
『う……ひッ!』
大男はもはや完全に怯えていた。そして――。
『た、助けて。俺が悪かった!』
すぐ側にいた学人とペルーシャに縋ってきた。
男がペルーシャのローブに掴みかかると、するりと脱げてしまった。
『なにさらすねん、ボケ!』
ペルーシャが男の頭を踏みつける。すると男は静かになったが、貴婦人は変わらずに鬼の形相こちらへ向かい続けて来ている。
大男を投げ飛ばしたのは、信じられない事に彼女で間違いないらしい。
仲間と誤認されてしまったのか、その視線は学人とペルーシャに向けられていた。
『え、違う! 僕らは関係ない!』
両手を挙げて必死に無関係を訴えるも、貴婦人は止まらない。
逃げるしかない。
『駄目だ、逃げよう』
学人はペルーシャの手を取るが、ペルーシャは硬直していた。
『お……お……』
その目は見開かれていて、決して貴婦人から逸らそうとしない。ペルーシャでさえ、その眼力に圧倒されているのか。
逃げ出す機会も失ってしまい、貴婦人に捕まるのをただじっと待つ。
ペルーシャを守らなければ。学人は前に立ちはだかった。
鬼の形相がどんどん近付いてくる。だが、目の前にまで迫った時、唐突にその表情は破顔した。
『ペルーシャ! なんや、あんた帰って来てたんかいな。顔を見せんとからにホンマ!』
『え? 知り合い?』
貴婦人の抱擁を受けたペルーシャは青ざめた顔で未だ固まっていた。
『おかあちゃん!』
『お母さん?!』
聞き間違いか、予想もしない単語が飛び出した。
状況を把握できないまま、学人は無意識に商隊の馬車の方へ視線を向けていた。荷車の傍らには、執事服姿の獣人族がこちらの様子を眺めている。
白髪混じりの黒猫の獣人族、先日掲示板前でぶつかってしまった男だった。
『ふうむ、これはまずい展開になりました』
学人には聞こえないが、黒猫は隣にいる侍女と思しき小柄な女と言葉を交わし始める。
『ど、ど、どどうしましょう?』
『生きておられるとは思っていましたが、まさか奥様が先に見つけられてしまうとは』
『お、落ち着いてる場合じゃないですよ!』
『逃げましょうか、エヴリーヌ。怒りを買うと命がいくつあっても足りませんからね』
『は、はい、賛成です!』
『おいコラ、ジーニアス! どこ行く気や待たんかいッ!』
背を向けた執事と侍女に、ありったけの怒声が浴びせられた。
『……どうやら遅かったようです』
『ど、ど、ど、どどどうしましょう』
『なに、かくなる上は生贄を差し出せば良いのです』
ペルーシャの母親が執事に掴みかかる。
怯える侍女エヴリーヌとは対照的に、執事ジーニアスは胸倉を掴まれても落ち着いていた。
『自分、この前なんて報告した?』
『はい、お嬢様はリスモア中継都市に滞在されていると』
『せやんな? ほなあれか? ペルーシャが嘘の報告をしとったとでも?』
『いえ、それは……』
『つまりや、自分やろ。虚実報告したんは』
『間違いございません』
『納得のいく説明はしてもらえるんやろなぁ?』
『私どもは反対したのでございますが、その、旦那様が』
『あのハゲ……そうか、ほなあいつらはそれか』
深い溜息と共にジーニアスが解放される。
『ペルーシャ、帰るで!』
ペルーシャは放心状態でされるがままだ。
しかし母親に腕を引かれると、学人の腕をがっしりと掴んだ。
『え? ちょっと、ペルーシャ?!』
『せっかくやから遊びに来てや』
『いや、でも』
『ええやんけ、減るもんでもないし! ケチケチせんと茶でもしばいていけや! 男の子やろ、ちょっとだけやからっ!』
ペルーシャは必死の形相だ。掴まれた腕に爪が喰い込んで少し痛い。とても離してもらえそうにない。
『ん、誰や自分』
母親の目が初めて学人を捉えた。
眼光が光り、蛇に睨まれた蛙の気持ちがよくわかる。
『え、えっと。ペルーシャの……ともだち……です』
『んまぁー! 友達! ペルーシャの!』
“友達”というワードに笑顔を向け、少なくとも敵視はされていないらしい。
『友達君も遊びにおいで!』
『え、ちょ、ちょっと』
無理矢理に連れて行かれるこの感じ。少し懐かしく思う学人だった。




