124.もうひとつの“さようなら”
学人とザットがテーブルに落ち着くと、ヒイロナは椅子の背もたれを引っ掴んで、ずかずかとジェイクの眠るベッドへ向かう。
『どうもありがとう、ジェイクを見ていてくれて』
乱暴な動きでメルティアーナの横に陣取ると、ヒイロナは吐き捨てるように言った。
メルティアーナに向けられた感情は嫉妬はもちろんのこと、他にも言葉では言い表せられない複雑な感情が入り乱れている。
『帰って来たからもういいよ。どこかで好きにしてたら?』
『かまわなくていい。どうせする事など何も無いのだ』
棘をたっぷり含んだ言葉を、メルティアーナは正面から受け止めて返す。事務的で、空気を読まない態度がヒイロナをさらに苛立たせていた。
怒気を孕んだ視線が撒き散らされる。それはジェイクにも向けられていた。
ヒイロナは学人やメルティアーナに何も問い詰めはしない。あくまでジェイクの口から引き出させるつもりなのだろう。当の本人が目を覚ませば、拷問官も真っ青な尋問が始まるのは火を見るより明らかだった。
そのやりとりと見守っていたザットが口を鳴らす。
『ヒュウ、おっかねえ! なあ兄弟、オレは昔剣闘士だったんだが――』
どうやら今日、学人は生き別れの兄弟と感動の再開を果たしていたらしい。どっちが兄で、どっちが弟なのかはわからないが。
剣闘士。殺し合いを見世物として行う者たちだ。学人の認識では奴隷といったイメージだが、この世界ではれっきとした職業として成り立っている。本気の殺し合いなので、もちろん常に死と隣り合わせなのは変わらない。
格闘技と同じ感覚なのだろうか、どこの世界でも考える事はそう変わらないらしい。
『一番人気のあるカードがなんだかわかるか?』
少し考える。
やはり巨体同士の、筋肉のぶつかり合いの方が血がたぎるだろうか。
『いや、違うな。一番人気は女同士の闘いだ。大抵が血みどろの争いになる。オレは断言できるね、あいつらはこの世で最も残酷な戦士だ』
なんとなく過激な場面が脳裏に浮かぶ。
『それでだ、テメエはどっちに賭ける? オレはロナちゃんに有り金全部賭けてもいい』
『ええと……』
横目で二人をちらりと見る。
ヒイロナが一方的に敵対心を向けているだけで、メルティアーナは澄ました顔で受け流している。それでも直視しがたい、ピリついた空間ができあがっていた。
メルティアーナは口数が少なく、受け答えこそしてくれるものの必要以上に口を開かない。学人はここ数日で親交を深めようと試みたが、全てが失敗に終わっている。
表情にもほとんど変化が無いので、彼女が一体何を考えているのか、その思惑をはかりかねていた。観察をしていてただひとつわかったのは、ジェイクを見る時だけ、その表情は優しいという事だけだ。
『あ、えーと、そうだ、ペルーシャ! ペルーシャはどこかなー?』
こんな話を聞かれると非常にまずい。きっと棘がこちらにまで飛んでくるに違いない。学人は無理矢理に話題を逸らした。
ペルーシャの姿が見えない。
怪我もだいぶ良くなり、もう出歩ける程度には回復しているはずである。ここ数日は引きこもっていたので、気晴らしに外出したのかもしれない。
だったらどうして……。そう考えた時、天井付近から伸びる長いカーテンに目が止まった。
窓は開いているらしく、そよ風がカーテンを少しなびかせている。その先はたしか、狭いながらもバルコニーになっていたはずだ。
『また外を眺めてたの?』
『んー? んん』
カーテンを捲ってペルーシャが姿を見せた。手には小さな双眼鏡。
あの夜以来ずっとだ。
ザックの中には学人に覚えのない品がいくつか入っていた。きっと役に立つと思って淳平か誰かが入れてくれたのだろう。双眼鏡もそのうちのひとつだった。
生まれて初めて双眼鏡を覗いたペルーシャは大はしゃぎし、貸してほしいとせがまれた。それからずっとこの調子である。
『で、どうやった?』
学人の向かいに座る見慣れない人物――ザットに怪訝な目を向けるが、それよりもペルーシャは端的に尋ねてきた。
『ああ、名前? あったよ。でもどうして?』
死者のリストにペルーシャの名が並んでいたのは、本人の強い希望があってのことだ。今日出かける直前に、名前が載っているか見て来てほしいと頼まれていた。
なにぶん急に頼まれたので、その時に訊けなかった事を問う。
当然の疑問だというのに、ペルーシャは思いもしなかったように目を泳がせた。
『お、ほら、あれや。アタシもそろそろ足洗おうと思って! そう、死んだことにした方が、ほら、ええやん。ええ感じやん』
『足を洗うって……盗賊から?』
『他に何があんねん』
『いや、でもペルーシャの名前は有名なんだろう? 顔でばれるんじゃ』
しどろもどろになっているペルーシャに不信感を抱く。明らかに何かを隠している。
ザットはペルーシャの頭からつま先まで撫でるように見たあと、溜息混じりの言葉を吐き出した。
『バレやしねーよ、黄金の爪ペルーシャ。実在してたのか、オレはてっきりただの噂だと思っていたぜ』
『誰や自分?』
『門番の元隊長、ザットだ。獣人族同士仲良くやろうじゃねえか。よろしくな』
ザットの飛ばしたウインクに対し、ペルーシャは鋭い睨みで迎え撃つ。
あっちでもこっちでも……。どうして皆少しは仲良くできないのかと、学人は心底うんざりとする。
バトルに発展するのかと思いきや、ペルーシャがそっぽを向く事で最悪の事態は回避された。
『ハッハッハ。どうやらフラれちまったようだぜ。一日に二回もだぜ? なあ、兄弟』
『ていうか、なんで上がり込んで普通にくつろいでんの?』
『いいんだよ、細かいことは』
……。
街が寝静まった頃、学人は眠れずにいた。
ベッドはジェイクが専有しているので、必然的に雑魚寝になってしまう。少し痛めた体を起こしてバルコニーに向かう。
腐臭が鼻につくがあまり気にならない。慣れてしまったためか、夜風が少し気持ちいいと思ってしまったくらいだ。
欄干にもたれて煙草に火を点ける。ジリジリと燃える音がよく聞こえた。
寝付けない原因はシャルーモの言葉だ。
生命の魔力の基盤となる四人、シャルーモ、サンポーニャ、ヴァリハ、ジェイクが死ななければ自分たちは元の世界に帰れない。それは真実なのか。ジェイクは知っていたのか。
あの話を事実と判断する材料なんて無く、自分はどうするべきなのかもわからない。だがジェイクは死んだと思い込んでいるあの状況で、シャルーモがわざわざ嘘を吹き込むだろうか? 考えれば考えるほど、出口の無い迷路に迷い込んでいく。
『なんや? 寝られへんのか?』
もうひとつの原因がやってきた。
学人の隣に座り込んだペルーシャも、煙草をふかし始める。
『それで、死んだペルーシャはこれからどうするの?』
『せやなあ、どっか田舎で静かに暮らすわ』
その言葉が意味するものは“別れ”だ。
きっと今生の別れになってしまうだろう。どこか名残惜しさが声に滲んでいるのを感じた。
『その、ガクト。色々と悪かったニャ。ごめん……』
知らなかったとはいえ、ノットに片棒を担がされていたのだ。ペルーシャは深く気にしているようだった。
『いいよ別に。おかげでペルーシャと友達になれたんだし』
『そっか、……そうやな』
もしペルーシャに誘拐されていなかったらと思うとぞっとする。今回の件を知らずに、全てが最悪の形で終わっていただろう。
そう考えればむしろ感謝するべきなのだが、学人は全く的外れの返事をしていた。
『ニャあ、ガクト』
『あのさ、ペルーシャ』
少しの沈黙のあと、二人の声が重なった。
『ニャ、ニャんや?』
『え? いや、ペルーシャからどうぞ』
『そ、そう? そのー……明日出るわ。だからモンロー迎えに行ったってくれへん? ほら、あんま顔見られたくニャいし』
嘘だ。
本当に言いたかったのは、それよりも未来の話だ。だが言えるはずもない。
ペルーシャは喉まで出かかった寸での所で、言葉を飲み込んだ。
『ガクトの番やで』
『え? あ、ああ。あのさ、今までありがとう。出会い方はあれだったけど、楽しかった』
嘘だ。
本当に伝えたかったのは、もっと別の話だ。でも言えるわけがない。
それ以上会話は続かず、静かに夜は更けていった。




