112.煙突
パチンと弾けたような音が鳴った。
その後に重鈍な衝撃が振動となって伝わる。
まず初めに僅かなヒビが入り、二回目で亀裂へと変化する。他の場所と比べて壁が薄いという事もあるだろう。
三度目で耐え切れずに、壁は原形を留める事なく扉を巻き込んで飛散した。
『このまま真っ直ぐだ! 進め!』
ヴォルタリスに言われるがまま、ペルーシャたちは煙突を目指す。
通称“煙突”。この螺旋階段は城を縦に貫いて、底は地下にまで及ぶ。途中に出入り口は存在せず、一度降り始めてしまうと進むか戻るかしかない。
使用の際には壁に埋め込まれた魔法結晶が行く手を示してくれるが、今は一切の明かりが無い暗黒である。
火の入ったランタンを持つヴォルタリスと侍女二人が先導するも、やはり充分明るいとは言えない。
この階段は緩やかな傾斜で設計されており、一段一段の幅も広い。それでも、暗がりの中ではどうしても速度が落ちてしまう。
『来た来た来た来た来た来た来た来た!』
迫り来る魔獣に、最後尾のペルーシャだけが反応する。
『もっとはよ行けやハゲッ!』
前を急かすもこれ以上速度を上げる事はできない。特に、ジェイクを背負うヒイロナのペースが著しく落ちていた。
『自分天使族やろ! こう、ニャんかパーっとできひんのかいな!』
『嵐の根源である生命の魔力は変様層だ。対して私の魔力は乖離層』
『だからニャんやねん、ハッキリ言えや!』
『結論としてはどうにもできない。すまない』
魔力が渦巻いているのを検知できても、それがまさか嵐だったとはメルティアーナも思っていなかった。
普通の嵐であれば魔法を生成できたかもしれないが、自分よりも上位の魔力が吹き荒れる大型の嵐では手も足も出ない。ここまでに何度か生成を試みては全て失敗に終わっていた。
転移の前にせめて流星の光槍を召喚していれば、と悔いるばかりだ。
魔獣がすぐ後ろにまで接近すると、ペルーシャが跳んだ。
長い胴全体が波打っているものの、大量の脚で這っているせいか背に乗ってもあまり振動は無い。
身を守る甲殻は硬く、ペルーシャではとても太刀打ちできそうにない。
胴体を形作っている大切の繋ぎ目では、うねる度に装甲に隙間ができる。うっかり挟まれてしまうと痛いでは済まなさそうだ。
この甲殻を貫ける者はそうそういないだろう。飛び乗ったのはいいがペルーシャにはお手上げ状態だった。
ただし、それが飛び出した内臓となれば話が変わってくる。触覚と一緒に突き出た眼球にペルーシャは狙いを付けた。
『フンスッ!』
鉤爪を叩き込む。
思った以上に眼球は柔らかく、泡のように弾けて体液を撒き散らす。致命傷を与える事は叶わないが、視力を奪えれば逃げ切れるかもしれない。
片目を失った魔獣は暴れ、長い体躯を仰け反らせた。ようやく頭に乗るペルーシャに気が付いたようで、招かざる客を排除しようと頭を振り回す。
振り落とされるわけにはいかない。まだ、もう片方が残っている。ペルーシャは必至で触覚の根元にしがみ付く。
魔獣は仰け反る遠心力で壁に頭部を打ち付け始めた。それは激しい動作で、ペルーシャはしがみ付くのに精一杯になり攻撃を加える余裕がない。
そうしているうちに魔獣に変化が現れ始めた。潰した眼球が蠢き始めたのだ。
――極力傷付けるな、傷口から変貌する。
ホールから正面突破する際に、ジェイクが発していた警告だ。
忘れていたわけではないが、この場合は仕方がなかった。他に方法など無かったのだ。
もしあの言葉を聞いていなければ、ペルーシャの命運はここで尽きていただろう。危険を感じたペルーシャは触覚からその手を放した。すぐに離脱しようと魔獣の身体を足蹴にする。
離れ始めたのもほんの一瞬、空中を舞おうとするペルーシャは引き止められてしまった。右腕に少しばかりの痺れが走る。
何事かと腕に視線を移す。そこにいたのは鮫だ。
潰れた眼球から鮫の頭が生えている。しかも鉤爪に喰らい付いていて、ちょっとやそっとでは離してくれそうにない。もう少し離脱が遅れていれば頭からかぶり付かれていてもおかしくはなかった。
必然的に宙吊り状態となってしまう。全身から嫌な汗が噴き出した。
とにかく揺れるために足蹴にして踏ん張る事ができない。そして目の前にあるのは鎌のような形状をした、棘付きの捕脚だ。殴られても挟まれても、待っているのは“死”である。
『よくやった』
勝機を見出したのはメルティアーナだった。
ヴォルタリスの腰から剣を奪い取り、魔獣の前に立ちはだかる。仰け反ったままで無防備な胸部に狙いを定めた。
『剣はあまり得意ではない……が、問題無い。――破ッ!』
重心を落とすメルティアーナから鋭い突きが放たれた。今までは下になっていたために隠れていたのだが、仰け反った事で露わになった弱点があった。三つの部位から成る顎を砕き、甲殻を無視して刀身が口内に侵入していく。
剣が深く沈むと、魔獣は糸が切れたように倒れ伏した。
『や……やったんか?』
青い顔をしたペルーシャが鮫から脱出する。
眼から生えた鮫もまた、本体と同時に動かなくなっていた。
『いや、じきにまた動きだすだろう。今のうちに距離を稼ぐんだ』
魔獣は微動だにせず、一見は死んだようにしか見えない。いや、実際に死んでいる。
また動きだすだなんて信じ難いが、傷口から別の生命体が発生した事実を見れば、それが笑えないジョークにも聞こえなかった。
『ヴォルタリス様! そのような――』
『いいんだ、構うな』
侍女とヴォルタリスのやりとりが聞こえる。
見ると、ヒイロナの背にいたジェイクがヴォルタリスの背に移動している。侍女はその行為を言い咎めていた。
ヒイロナの体力は限界に近く、既に足が笑っている。今のままの状態では、再生魔法を試みる事すらままならない。
『この男には借りがある。指を咥えて死ぬのを見ていてるわけにはいかない。お前たちは森林族のお嬢さんに手を貸してやれ』
有無を言わせない命令に、侍女の二人は黙って従うしかない。
暗い階段を下り続け、ついに底まで到達した。少し何も無い空間があり、先には狭い通路が続いている。
『これを抜ければ出口だ』
ヴォルタリスがそう告げた。
皆がトンネルに入って行く中で、ペルーシャだけが足を止める。
『はぁ、はぁ、ペルーシャ! 何をしてるの?』
それに気付いたヒイロナが叫ぶ。
『阿呆か自分、見えてるんやろ? 全員行ったら全滅やわ』
この煙突がどこに通じているのかは誰も知らされていない。
だがどう見ても非常脱出口にしか見えないし、そうだとすればそれなりに長いトンネルだという事になる。現に、ぱっと見た感じでも先は長そうだ。
トンネルはあまり高さがなく、魔獣もそうだがこちらの動きもかなり制限されてしまう。しかも魔法も使えない。
正面からやりあうには無謀過ぎる相手だ。
魔獣は既に息を吹き返しているらしく、猛スピードで追いかけて来ているようだ。
この場所は天井が高く、しかし巨体の魔獣には窮屈な丁度良い広さだ。
ここでなら適当に相手をしたあと、逃げ果せる自信がペルーシャにはあった。全員でトンネルを行き、絶体絶命の状況に追い込まれるよりは――。
『さっさと行きや! あんまおられると邪魔や!』
ペルーシャの怒鳴り声にヒイロナは萎縮してしまう。
魔法の使えない自分は足手まといでしかない。そう理解したヒイロナは唇を噛み、トンネルの中へ消えて行った。
ほどなく魔獣が来る。ペルーシャは肩の力を抜いた。
『あー、しまったニャあ……まあいいか』
結局ヴォルタリスに言いそびれてしまった。
だが、すぐに気を取り直す。この後、自分が姿を見せなければ、死んだものだと勝手に判断してくれるだろう。
学人は諦めの悪さを見せるかもしれないが、目の前の事実から逃げ続けるような愚か者ではない。
ペルーシャの脳裏をここ最近の出来事が走馬灯のように流れる。
短い間だったし散々な目にも遭ったが、楽しくなかったと言えば嘘になる。
『……元気でニャ』
一人別れを呟いたあと、ペルーシャは羽織っている外套を脱ぎ捨てた。




