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トワ・レックス  作者: K+
第二部 社交之宴編
8/23

成人の宴

 北方の秋はあっと言う間に終わり、冬に突入した。

 ライジカーサ領主と周辺の人々は、雪が深くなる前にと訪れた王国監査官を接待したり、雪の影響を受け易い道や水道の補修点検、染料となる草花の管理保護に追われたりで、慌ただしく時を過ごす。

 町では、手軽に温まれると宣伝をぶったらしい〝トワ饅頭〟が根強い人気商品らしい。新たに露店で扱いたいという申請まで幾つか来ているようだ。

 そんな執務のあれこれに、踊りの練習や衣服の採寸といった予定が差し挟まれる。

 王国恒例である成人の宴まで、ひと月を切っていた。今年も残り僅かだ。

 踊りは貴族の嗜みとして日頃からやらされてきたので、練習さえ欠かさなければ今更恥をかくような目には遭わない。

 午後、一通り足捌きのおさらいをしてから、トワはレクスと屋敷の広間を後にした。

 これから、仕立てた服に袖を通してみることになっている。問題が無ければ、明日は衣装を着て練習だ。恐らく希望通りに仕上がっているだろう。

 問題があるとすれば、トワの横を何食わぬ顔で歩む幼馴染みだった。

 彼はトワが知る限りずっと、女性の足捌きを練習しているのだ。

 まさかとは思うが、衣装まで女性の物を調えていそうである。採寸は個別にしたし、レクスがどんな衣装を頼んだのかトワは知らなかった。

『ダド様にも助言をいただいて、サージソートの、当たり障りの無い物にしましたが?』

 レクスは澄ましてそう言っていたが、グレイス伯爵は彼を〝可愛い方の娘〟などとのたまった人である。全く安心できない。

 廊下に姿を見せた執事が、仕立屋が着いたと告げてくる。

 翌日、トワの不安は的中していたと判明した。



 数日後、がたごとと揺れる箱馬車の中でも、いつもどおりの顔つきでレクスは言った。

「だってトワ、誕生祝いに服も化粧品もくれないと言ったじゃないですか」

 隣で柔らかな座席に両手を突っ張り、なるべく揺れが伝わって来ないようにしながら、トワは未だ拭えない不満も顕わに唇を突き出す。

「当たり前でしょ! 女装して成人の宴に参加する人が居るなんて夢にも思わないわよっ」

「だから自分で用意したまでです。いつまでもしつこいなぁ」

「誰の所為なのよ! 大体、成人をお披露目する日に闇避け続けるなんて意味解んないっ」

「しょうがないでしょう、私は翌日の生まれなんだから。一日って長いですよ、油断大敵です」

「無理矢理しょうがなくしてるだけじゃないっ。意固地! 偏屈!」

「嗚呼、これが既に大人になっている人とは、情けない」

「モユの口真似しないでよ、似過ぎてて怖い」

 ぶふっと向かいでヌーノが口許を押さえる。トワとレクスが同時に前をねめつければ、目付け役を担っている先生は、まぁまぁ、と手を振った。

「王都まではまだまだかかりますよ、仲良く過ごしてください」

 ライジカーサからは西南へ、馬車で片道十数日だ。悪路もあるし、雪の多い空模様を考えると半月は確実に見ておかないといけない。

 成人の宴は毎年、王都で開かれる。参加者が少ない年は大貴族が自邸を開放して行われるが、今年は城での開催だと招待状に記されていた。

 不貞腐れるトワの傍らで、レクスは肩をすくめる。

「そんなに私の男装が見たかったんですか」

 そうよ、とトワは素直に言えなかった。カッコイイ筈なのに、とも言えなかった。まして、一緒に踊りたかった、などとは。

「男装って表現、なんかおかしい」

 ぼそぼそ口にできたのは、そんな事だけだった。




 グレイス伯爵家は王都に公邸も構えている。

 十二之月(じゅうにのつき)二十八日、令嬢一行は一等地に建つ館へ無事に到着した。

 ずらりと並んで出迎えてくれた使用人には、西の本領で馴染みのあった者も多数居て、父や執事頭の気配りが窺えた。

 お蔭で長旅の疲れはすぐに癒え、ライジカーサに残したバトラやモユが居ない不便や淋しさも補えた。

 成人の宴当日には、本領の屋敷より広いかもしれない公邸にも慣れてしまっていた。


 王城の開門が近づいた大晦日の夕暮れ、公邸の磨かれた廊下を、正装を纏ったトワはレクスの私室へ向かう。

 玄関前辺りで大人しく待つのが淑女だろうが、使用人の代わりに自分で呼びに行ってしまうのがトワである。

 本物の女性より支度に時間がかかるとは、一体、どれほど化けるつもりなのか。共に入城する者の立場が無いので程々にしてほしい。

 幼馴染みの部屋の扉が見え、足を速めかけたトワは、つとそれをやめた。

 扉向こうで、レクスにしては珍しい、硬い声が聞こえたから。

「――答えない? お祖父(じい)様が息災か否か、それほど答えにくい質問?」

 元より微震して多少聞き取りにくい精霊の声が、辛うじて耳に届いた。

〈六核を守護につけられぬ祖父を許せという言伝から、何故、そのような問が生まれたのかと思っただけだ〉

「先の精霊と交代してからまだ三ヵ月経っていない。これまで優に四ヵ月は居てくれた精霊が、じわじわと短命になっていれば気にもなります」

 整然と返したレクスに、精霊が口早に告げた。

〈余命いくばくも無い者が風の五核精霊など精製できようか。それより、誰か居る〉

 ぎょっとして、トワはひそめていた息を更に呑む。幅のある廊下は真っ直ぐで、咄嗟に身を隠す場所など無かった。

 すっと扉が開き、近くに立ち尽くしていたトワを、レクスの氷塊のような瞳がひたと映した。異様に爽やかに、にっこりと笑んでくる。

「あぁ、なんてお美しい。ダド様の贈られた髪飾りの銀も、安らかな夜に優しく灯る星のよう。実に淑やかな大人の女性の佇まいです――でも、見た目だけらしいとモユに告げ口していいかな」


 トワは許しを請いながら成人の宴に臨むという、情けない伯爵令嬢となったのだった。




 王城の大広間に、(りん)が二度響いた。

 その年に成人を迎えた客の、来場を知らせる音だ。

 音が空間に残っている間に、門扉の脇に居た者が朗々と声を重ねる。

「トワ・アルラ・グレイス殿、レクシア・ソータ殿、お越し――ぃ」

 とうに成人している他の招待客が、あちこちから拍手をしてくれる。きちんとこちらを見てくれる人も居れば、誰かとの話の片手間に手だけ叩く人もある。

 トワはレクスと並んで入口で一礼した後、既に四、五十人は集まっているらしき宴に混ざり込んだ。最終的には客だけで百人程になるらしい。その中に新成人がどれほど居るかまでは判らない。新成人にとっては、社交界の波に揉まれる最初の日である。

 広間は吹き抜けで、天井がとても高い。太い梁から高価な透明の硝子角灯が幾つも吊るされ、床に敷かれた織物の柄を明るく照らし出している。

 石壁には大小の松明が惜しみなく配され、火から遠い場所には防寒も兼ねた長い毛織物が掛けられていた。素朴な刺繍入りで、端から順に見ていけばサージソートの建国絵巻だ。

 織物の下方には火鉢と共に柔らかげな布張りの長椅子が置かれ、座って談笑している招待客も居る。

 椅子の近くには大抵、小ぶりの円卓がある。角灯の光を反射する銀の器に、何種類かの飲み物が用意されているようだ。

 奥のやや高い位置に大きな玉座があるが、本日の主催は国王夫妻ではないから無人だ。横に並ぶ背もたれの長い椅子のどれかに、王族の誰かは座すかもしれない。

 とりとめないざわめきの中、衛兵や給仕らしき人々、太鼓や竪琴の奏者も立ち動いている。

 極力きょろきょろしないよう留意しつつ、トワは挨拶しなければならない相手を捜した。事前に執事頭から特徴を教えてもらっている。グレイス伯爵と所縁あり、願わくは嗣子ともそのまま付き合いを繋げてほしい人達。

 隣を淑やかに歩むレクスが、あちらに、と告げた。目線を追えば、それらしき年配男性の姿がある。すぐにトワは足を向け、幼馴染みも続く。

 周囲の幾人かの視線も、ついてくる。

 今宵も、レクスは喧嘩を売っているのかと思う程に美少女だった。

 顔の脇で淡い金の髪が幾らか揺れ、残りは簪一本で纏め上げている。首元をふわりと包んで背に流れる薄手の長布は、端が編み模様で帯の山吹色を品良く透かしていた。白い長衣の幅広で長い袖口は、一部が中指に繋がっていて、歩みに合わせてひらひらとそよぐ。半透明じゃない光の精霊のようだ。

 ここに来るまで謝るのに必死で気づかなかったが、何を詰め込んだのか胸元まで立派に隆起していた。

 トワが思わず歩みを緩めてまじまじと見てしまったら、レクスは瞼に淡い色を差した目を流してくる。同じようにこちらの胸を注視するので、トワは慌てた。

「わ、わたしのは自前ですから」

「それで盛ってるとしたら残念至極ですもんね」

「どういう意味よっ」

 辛うじて声量だけは抑えて突っかかるトワに、レクスはあしらうような笑声を聞かせる。

「ほらほら、眉を(いか)らせて御挨拶なんて失礼ですよ」

「解ってるわよ、モユの真似しないで」

「いつまでも反抗期だなぁ」

 誰の所為だと言いたいのをこらえ、こちらに気づいたらしい男性の元へトワは足を速めた。

 本日の客の中でトワが面識を得ておきたかったのは、領地で綿や絹、麻の生産に力を入れている子爵と、医薬品の商いで大店を構えるまでに到った夫妻。両者とも戦中にグレイス伯爵と縁が生まれ、苦しい時期を共にしのいだ間柄だ。

 ふた組の年長者はいずれも、トワの精一杯背伸びした挨拶を鷹揚に受けてくれた。短いながら自己紹介混じりの会話を交わす。

 いい齢の重ね方をしている感がある子爵は、トワが染料の生産を試みていると知ると、自領で織られた布を是非使ってほしいと言ってくれた。

 大店の夫妻は、夫人がレクスと意気投合し、化粧品や肌の手入れ方法について熱く語り合っていた。その横で店主は、子爵にしたのと同じ話ににこにこと耳を傾けてくれ、ささやかに忠告をしてくれた。

「お二方共そのお人柄のままでいてほしいですが、初対面の相手につまびらかにし過ぎるのは危険でもありますよ。特にわたし共のような商売人の前では、提示する情報を吟味なさった方が宜しいかもしれません」

 そんな話をしているうちにも、何度か鈴と新成人の名、そして拍手が広間には響いた。

 大広間にかなりの人数が集った頃、銅鑼が打ち鳴らされた。

 玉座の近くに、トワの二番目の伯父が立つ。美髭を蓄えた二番目の伯父は領地を持たぬ侯爵で、現王国宰相だ。王都住まいだし多忙だしで、トワには言葉を交わした記憶は無い。トワが赤子の頃に会いに来てくれた事はあるらしい。

 広間のざわめきが小さくなると、宰相が通る声で一年のねぎらいと佳日の祝詞を述べた。

「それでは、新しき年に健やかなる太陽神(ヨ・イチ)を迎えるべく、今宵を大いに楽しまれよ!」

 一隅で固まって座していた者達が各々の楽器を手にする。宴の華である舞踏の始まりだ。手に手を取って何組かの男女が開いた中央へ行く。

 参加は自由なので、トワは林檎酒の杯を手に長椅子で見物を決め込んだ。傍らには恥じらう花のような風情で、湯気の上る杯を包んでレクスも座る。唯一の弱点かもしれないけれど、彼は下戸なのだ。多分、持って来たのは黒茶だろう。

 爪弾かれた竪琴から明るめの旋律が滑り出し、楽しげな輪舞が始まった。

 女性の纏う包衣や筒衣がくるくると広がり、大輪の花となって時折開く。

 明かりの下のきらきらとした光景を羨む横で、若い男性がレクスに踊りを申し込みに来ては振られていた。造作もさることながら、黒髪だらけの客の中で煌めく金髪の幼馴染みは、かなり目を引いているようだ。

 軽い酒精の香を味わい、トワは口をすぼめた。

「練習してあるんだから踊って来たら」

「安売りはしない主義です」

 まったくね、と応じかけ、杯を傾けて誤魔化す。

 レクスも一口飲んでから、口角を上げた。

「トワこそ、練習したのだから踊ったらいいのに。成人早々壁の花ですか」

 相手をしてほしい人が隣で女装してるんだもの。

 思ったままを言えず、トワは台詞に棘を含ませる。

「お隣の(かた)と違って誘ってくれる殿方が居ないもの」

 レクスは棘を笑い飛ばした。

「おかしいですね」

「まったくね」

 今度は口に出した時、おやおや、と別の方から聞こえた。見やれば、先程挨拶した子爵が割合近くに立っていて、笑んでいる。

 トワは羞恥に頬の熱さを自覚し、会釈した。

「お耳汚し、失礼しました」

「いやこちらこそ、盗み聞きのようになってしまいましたね、申し訳ない」

 出がけに立ち聞きを見咎められた身としては、子爵の潔さはいっそ天晴れだ。子爵は父より少しだけ若いけれど、大人の余裕が滲んでいた。すいと手を差し出してくる。「何方とも踊る様子でなかったので意を決したところでした。良かったら一曲お付き合い願えませんか、御令嬢」

 トワは一瞬レクスに投げた視線を目の前にある大きめの手に移し、わたしですか、と確かめてしまった。

 子爵は挨拶を受けた時と同じ落ち着いた雰囲気で、微笑と共に首肯する。

「年末の宴で一曲でも踊っておくと、翌年が良い年になるそうですよ」

 それはちょっと踊っておきたいかもしれない。トワの内心を見透かしたように、レクスが背を押してきた。

「ちょうどいい。曲が変わります」

 ゆったりと紡がれ出した音は、トワが一番踊り易く気に入っている曲だと知らせてくる。

「では、お相手を。ありがとうございます」

 子爵の手に片手を預けると、トワは椅子から立ち上がった。

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