贈り物は貴方
生地の粗い庶民の服は、秋ともなると意外と寒かった。
トワは身を縮め、町で一箇所だけの乗合馬車発着所を目指す。
犯人が時間も場所も指定してきているのに、何もせずに屋敷でじっとしているなど、もどかし過ぎる。
〝お目付け役〟達にあれだけ言われたので、ポタの身代わりで乗り込むつもりは無い。ただ、遠巻きに見るだけでも、何か犯人の手掛かりを得られないかと思うのだ。
早朝の田舎の町はうっすらとした静けさに包まれていたが、大きな乗合馬車が一台きり停まっている辺りには、人々の蠢きとざわめきを見て取れた。
まだ開店準備の始まっていない雑貨屋の陰から、トワは眺めやる。
四角い駕籠を小脇に何かの売り声をあげている女性や、荷物を馬車の屋根へ括り付けている男性。窓口がある小屋で切符を買っている者達。中には数人、大人しく布包みを抱えている子供も居る。
寒さをこらえ食い入るように人々の営みを見ていたトワは、不意に肩口へと布が絡みついてきて、臓腑がひっくり返りそうになるほど驚いた。
声をあげかけた口許は、腕らしき物で塞がれる。もがいた耳元で、聞き慣れた声が名を呼んだ。
「トワ――成人を迎えた淑女の行動とは、とても思えないんですけど」
〈まったくじゃ〉
ぼそっと女性精霊の声まで聞こえ、トワは脱力する。すぐにレクスは腕を放すと、呆れたように淡金髪を背へ払った。
「相手が私でなく暴漢だったら完全に拉致されているところです。バトラやモユが気づく前に帰りましょう」
初めに絡んできた布は肩掛だった。訪れたあたたかさに喜んでいいのか、驚かされたことを怒るべきなのか、咄嗟に決めかねる。
呼吸を整えつつ、トワは幼馴染みを恨みがましく見た。
「びっくり、したじゃないの」
「少しはびっくりしてもらおうと思ったんですよ」
蜜紅を塗っていないようなのに艶やかな唇から、レクスは一つ息を漏らす。「のこのこ抜け出して行く貴女を目の当たりにした私の驚愕に比べたら、なんてことないでしょう」
〈わたくしが指し示した後の主ときたら――〉
半透明の姿を現しながら可笑しげに言いかけた精霊を、風、とレクスがやや不機嫌そうに制する。トワもムッとして、同い年に見える精霊を睨んだ。
「守護精霊なら、わたしの動向の告げ口なんてしてないで、レクの守護だけしてなさいよ」
〈そちが下手にうろつけば、主も下手にうろつく羽目になる。わたくしは後十日ばかりで命を全うし、大気に還れるのじゃぞ。恙無く全うしたいに決まっておろう〉
〝飼い主〟に似たのか、澄ました口ぶりで精霊は言い、軽やかに宙でくるりと一回転する。回転し、ぴたりと動きを止めた。
淡い銀の双眸が一点を遠望していて、トワもレクスも無意識に視線を追う。
「ポタ――」
目を見張った少年少女の声が重なり、見間違いのようではないな、と精霊が呟く。
左右を気にしつつ、ポタが馬車乗り場へ歩み寄ろうとしていた。
「なんで――」
誘いの真意を決めつけるわけにはいかなかったから、行ってはいけないと誰も強く言えなかった。
最終判断はポタに委ねられる。院長が言葉を尽くし、行ってしまったら淋しい、ライジカーサでこれまでどおり一緒に暮らしてほしいと頼んだそうだ。ポタは、頷いたと聞いていたのだが。
「選ばれた者に届いた生涯一度きりの機会。無かったことにするのは、難しかったんでしょう」
口早に言い、一歩踏み出してから、レクスが振り返った。「トワは、バトラと先生に伝えてください」
「――レクは」
「ついて行ってみます」
「わたしも――」
上がりそうになる声量は、駄目だと言わんばかりにレクスが掌を向けてきて落ちる。「行きたいよ……」
「トワは他にもやる事がたくさんあるでしょう、今日は特に。貴女は私より大人になったんですよ?」
トワよりずっと大人びている幼馴染みは、諭すように言いながら馬車へ目を流す。
色々と悔しくて、トワはレクスの粗末な服の袖を掴んだ。
「もしかしたら危ないかもしれないことを、まだ子供のレクに任せろって言うの?」
レクスは、愉快そうに笑んだ。
「大丈夫ですよ。子供には、とても頼もしい精霊がついているから」
〈恙無く命を全うしたいと言うたばかりだのに〉
ひゅっと冷たいつむじ風が巻き起こる。〈行くなら急げ。ポタは馬車に乗ってしもうた〉
それを聞くや、レクスは長い筒衣の裾を見事に捌いて駆け出す。
トワは細い後ろ姿をちょっとだけ見送り、奥歯を噛み締め伯爵邸へと走り出した。
風神に、皆の無事を祈りながら。
こっそり戻るわけにいかなくなったトワは、乳母から特大雷を落とされた。
『わたし共はレクス様をお預かりしている立場ですのに、わざわざ危ういことに巻き込んでしまっては申し訳が立たないではありませんか。万が一レクス様の御身に何かあったら、モユの首一つでは済みません。嬢やには常々グレイス伯爵家令嬢としてお淑やかに在られるようお教えしてきましたのに、なんと嘆かわしい』
説教はレクスが戻るまで続きそうだったが、トワの為の祝祭が町で予定されていたものだから、開始時刻前には切り上げられた。
暗澹たる気分を覆い隠す微笑を貼り付け、トワは田舎のささやかな祭に集まってくれた面々へ感謝を述べた。
レクスとポタを追うのに警備隊が急遽、改編と出発を余儀無くされ、トワとヌーノで町役や留守居の隊員へ謝罪と慰労に廻る。
秋の日が中天に達する頃には、トワは心身共にぐったりしていた。
その時点でレクスもポタも帰って来ておらず、遅くとも昼には着くだろうと便りに書いていた伯爵まで遅れていた。
ここ数日、周辺の天候は安定していた。他に何事か遭ったのか。
心配の種を増やされた執事が、ライジカーサの口門を越えた方面まで、様子見を兼ねた迎えを手配する。荷の中に医薬品や角灯が混じっているのを見て、トワも不安がいや増した。
成人を迎えた日に、身近な人を二人も失ってしまったら。
父にも幼馴染みにも、いつも憎まれ口が先行してしまって。〝ありがとう〟も〝大好き〟も言えていない。
別れが大人の仲間入りを果たす最初の試練とすれば、温室育ちのトワには過酷だった。
モユは、いつでも食事を出せるように整え、毅然と厨房で構えている。その傍で、ゆるゆると時が過ぎる中、トワは膝を抱えてただ居るしかなかった。
迎えの出立した数刻後、秋の日がすとんと暮れる。
ポタが出て行ってしまい、今日は孤児院もばたばたしており、メイは早めに帰宅していた。モユが、代わりに灯りを点けて廻り始める。落ち着かないトワも、ついて行く。
乳母は厳めしい目を投げ、これは使用人のすることでございますよ、と手伝いの手は完璧に突っぱねたが、後をついて廻るのだけは許してくれた。
そうして必要な場所へ光を宿した時、トワの心も明るくする知らせを執事が告げに来た。
「旦那様方が無事にお着きになります」
目頭が熱くなったトワの横で、モユが大声でせかす。
「さ、嬢や、お祝いの宴ですよ。お召し換えをして、お父上に立派な淑女となったお姿を見ていただかなくては」
ぐいぐい背中を押され、トワはよろめきながら執事を振り返った。
「れっ、レクは――」
「旦那様と御一緒のようです」
目尻に滲んだモノを、トワは焦って拭ったのだった。
お別れは淋しいから途中まで見送らせてとレクスに請われ、ポタは渋々だったが諒承したそうだ。
そのまま馬車が隣の領地に入った所で、柄の悪い男が乗車してきた。ポタの名を呼び、少女が返事をしたら、降りるようにと命令口調で告げてきた。
一緒にいいですかと何食わぬ顔でレクスもついて降りたら、男は品定めする目つきで見返してきてから、構わないぜ、と笑ったらしい。
馬車の停留所から離れた路地裏に、荷馬車のような幌付きの一台が停まっていて、男はそれに二人を促した。
この辺りから、おかしいと流石にポタも感じ始めたようだ。震えてレクスに縋ったところを、男が後ろから荷台に突き飛ばしかけ――守護精霊の反撃条件が満たされた。
不自然かつ極めて攻撃的な突風に、御者台などに居た者も含めた一味は逃げ出したが、丁度、同族の気配を察知できる者が近くを通りかかっていた。
グレイス伯爵の守護をしていた精霊が。
てんでに逃げようとしていた不審者を、二者の精霊が巧みな連携で、纏めて袋小路へ追い込んだ。追尾していた伯爵と従者にライジカーサから駆けつけた警備隊も合流し、一味五名を見事捕縛。
一方レクスとポタは、幌馬車の中から、縛られて転がされていた子供や女性を数人保護した。
内一人の男の子は五歳前後。ポタ同様に孤児だった。怖い思いをした挙句に帰る家が無いのを気の毒がって、ポタが手を引いて連れ帰ることにした。きっとライジカーサ孤児院が引き取るだろう。
捕まえた不審者達は当地の然るべき所へ突き出したけれど、ライジカーサでも取り調べたい。役人と身柄の扱いについて交渉していたら、時間がかかってしまったというわけだった。
宴席で、顛末をレクスと交互に語り終えた父は、おどけた口ぶりで言った。
『いやはや、精霊を追ったら、ごろつき風の男達の傍にわたしの可愛い方の娘が居たから、血の気が引いた。美人な方の娘も居るのかと、慌てて捜しかけたよ』
『ダド様、私は娘ではありません』
『さようです、旦那様、只今グレイス伯爵家には、御息女と御子息がお一人ずつでございますよ』
レクスとモユに相次いで訂正され、そうかそうか、と伯爵は注がれた葡萄酒を楽しげにほしていた。
夜は和やかに更け、令嬢の成人を祝う宴もお開きとなった。
私室に入り、トワは深く吐息を漏らす。
なんという一日だったことか。
都合の悪いことが目白押しだったけれど、忘れられそうにない日だ。
父の発言の一部は、何としても忘れてしまいたいけれど。
父が可愛い方としてレクスを評したから、トワは地味にしょげていた。美人と評してくれたのは嬉しかったが、可愛いと言ってもらえた方が何倍も嬉しかったろう。
いつまで経っても、幼馴染みより可愛くなれない。れっきとした女の子はトワの方なのに。
嘆息し、トワは父からの祝い品が入った小箱を衣装棚へしまう。そのまま寝間着に着替えようとしたら、部屋の扉が小さく叩かれた。
「トワ」
ささめきでも聞き間違えようがなく、トワは急いで扉を細く開けた。宴での女性の正装のまま、レクスが立っていた。
弱い灯りの中でも幼馴染みは可愛い少女にしか見えなかったが、トワは咎める。
「こんな時間に女性の部屋を訪ねちゃ駄目でしょ。モユに叱られるわよ」
「えぇ、すぐ帰ります」
レクスは可憐に微笑する。「今日言わないと、意味無い気がして――誕生日おめでとう。無事に成人を迎えた貴女に、幸あれ」
不意を打たれて胸が詰まった。
「あ、ありが、と」
もじもじとうつむくトワに、レクスは何か差し出してきた。
「伯爵には全然及ばないですけど、良かったらどうぞ」
片手に包み込んでしまえる絹の小袋だった。ほわりと、仄かに温かい匂いがした。
「匂い袋?」
「ニムモドキの葉です。モドキだから魔除けにはならないけど、匂いはそっくりなので作ってみました」
説明し、レクスは笑声をこぼす。「トワ、こういう匂い、好きでしょう」
なんで知ってるのという問が浮かんだものの、口にするのは莫迦げていたから素直に頷く。
「大事にするわ」
心を込めてトワが言うと、レクスはちょっと肩をすくめた。
「本当は、もっとちゃんとしたお祝いも贈るつもりだったんですけど」
「そんな、これだけでも充分」
トワは、ふるふると首を振った。
殆ど一日無事を祈り続けた人も目の前に居る。これ以上を望む気は無かった。
「ありがとう、レク」
トワが笑みを向けると、少年は虚をつかれたような顔で軽く瞬いた。
「お淑やかなトワって……思いのほか似合わないですね」
「――どういう意味よ!」
憚りなく叫んで、トワはレクスの前で思い切り扉を閉める。
一つ歳を重ねたくらいで、簡単に大人にはなれないのだった。