子供の領分
八之月になると、北方といえども多少は暑い日がある。
そんな日が続いた一日、トワは少々機嫌が悪かった。
暑さも然り。紫の染料作りが、商品化実現までには予想外に時間がかかると判明したのも然り。
しかし最大の要因は、今朝方、何気無く測ってみた身長にあった。
又、のびていたのだ。
どうしたの、と訝しむレクスの背丈も慌てて測ってみたらば、同じ程のびていた。ただ、あくまでも同じ程。
昼食後の休憩時間、庭先の木陰で涼しげな顔をしている幼馴染みを、トワは恨めしげに見た。
「レク、もう少し食べた方がいいんじゃない?」
「……暑い日が続いてるところに暴食を勧める意図が読めない」
レクスはちょっと横手に視線を固定させてから、呟くように続けた。「トワはこの暑い中、よく食べますね。ファトとかファトとかファトとか」
美味しいじゃないの、と熱弁をふるいかけ、トワはハタとする。
もしやあの実が余計な成長を促しているのだろうか。すっかり好物の一つになってしまった、ほのりと甘い、ふかふか焼きファト。
先夜には、モユが新たにトーファにも作り変え、夕食に出してきた。黄金色の焼きファトとは違い、素朴な白い塊となったソレは、ぷるぷるの食感と、つるつるとした喉越し。生野菜やタレにも合い、非常に食べ易かった。
口惜しいけれど控えた方がいいだろうかとよぎったところへ、レクスがのほほんと言う。
「あの実はそろそろ時季が終わるから、今のうちに食べておくのもいいですけどね」
「えーっ、そうなの?」
「他の作物の合間に作りますから。土をいい状態にする為に」
物言いが先生みたいだ。どうせなら、背丈が似ればいいのに。
けれども、ひょろりとのっぽのレクスを想像したら可笑しくなった。ふぅん、と相槌を打ちつつ、トワは込み上げた笑いを誤魔化したくて、庭内に競い咲く花へと顔を向ける。
金銀花の黄と凌霄花の薄赤が絡まる合間に、メイの姿が入った。庭の隅の、裏門から来たところのようだ。
午前中に見かけないと思っていたら、今日は午後から来ることになっていたのか。これまでずっと、朝食後に来て、夕食前に帰っていたが……
遠目に、顔色が冴えないように見えた。しょんぼりしたように、両肩が萎えている。
「これは――先生が男を上げる好機到来かしら」
「……先生はメイが関わると、男になる前に、壊れたからくり人形に成り下がるような……」
さり気なく酷いことを言うレクスと同時に、トワは腰を浮かす。何はともあれ、見て見ぬフリをする選択肢は無かった。
「大人しいけど、素直ないい子だったんですけどねぇ」
床を磨くてきぱきとした手の動きとは逆に、元気の無い口調でメイはそう言った。
今朝、孤児院から、子供が一人居なくなっていたそうだ。
なんと、これで六人目。
二年前に最初の二人が消えた時は、事故か事件に巻き込まれたかと、近所の人々の手も借りて、泡を食って捜し回った。
最終的には、都市部へ向かう乗合馬車に自ら相次いで乗り込んだらしいという目撃情報が出て、逃げ出したのだと判った。
逃げ出したくなるような何事かあったのかと内部調査をしたものの、取り立ててコレといった原因は見つからず。
一緒に暮らしてきた子供と、そんな情けない別離を経験してしまったが、自分で元気に出て行ったのだけは救いと言える。
ようよう記憶が薄らいできた四ヵ月後、再び一人が居なくなった。
前回と同じく慌てて捜索した結果、やはり都市部へ行く荷馬車に乗り込んでいた。
何故、成人前から――身寄りが無いとはいえ、故郷から離されたのが嫌だったのか――憶測が飛び交ったが、向かった先での消息も知れず、はっきりとした理由は解らないままだ。
孤児院としては、柵や塀を高くするか鍵を幾つも取り付けるべきではないかといった意見が出た。が、それではまるで牢獄である。
一層細やかに子供達と接していくしかないと確認し合い、職員はそうしてきたつもりだ。けれどその後も、忘れた頃を見計るかのように、二度、子供が出て行った。
そして今回、又も。
事態に気づいてすぐに乗合馬車の方面へ職員が向かったらば、案の定、朝一に発った便に、その子は乗り込んでいた。
「最初に逃げ出されてから、孤児院の評判が悪くなっちゃって。院長さんについて根も葉も無い事が噂されたり、どうしたもんだか……」
一応、子供だけの客には気をつけてほしいと頼んでいるけれど、悪評が影響しているのか乗合馬車屋の対応は芳しくない。
そもそも、子供は孤児院にのみ居るわけではないのだ。おまけに戦後から僅か七年半。成人前から稼ぎ手として働いている子も大勢居る。奉公先の使いとして、子供が一人で乗合馬車に乗ることも、さほど珍しくはなかった。
子供の行方を追ってみる事と、変な噂が再燃したとしても孤児院閉鎖は無い事をメイに約束してから、トワとレクスは午後の執務へ向かった。
部屋に入るや、トワは幼馴染みに言った。
「精霊に捜してもらえないかしら」
姿を見せずに、精霊自身が高めの声で即答してきた。
〈わたくしは嫌じゃ。わたくしは守護精霊ぞ。主の傍を離れる職務怠慢精霊ではないし、雑用精霊でもない〉
最近交代して任に就いた精霊は女性らしい。風の精なのは一貫しているが、性別はまちまちだ。
レクスはちょっと肩をすくめ、飾り紐で一つに括った淡金髪を揺らした。
「僅かなお小遣いを馬車代金につぎ込んででも出て行きたい理由って何でしょうね」
「ふるさとが恋しくなったんじゃない?」
「出て行った子は軒並み十歳前後で、しかも孤児院設立当初から居た子まで含まれてます。二、三歳時に居た場所なんて、そこまで記憶に残るでしょうか」
「――ちょっと何、その追加情報は」
「前にも、何故か子供が逃げたと言っていたので、少しだけ調べていました」
さらりとレクスが明かすと、また居なくなったようですね、と既に隅の机についていたヌーノが顔を上げた。
種々の報告がしたためられている紙葉を束ねながら、何処となく不自然なんですよねぇ、とヌーノは続けた。
「子供が一人で旅立とうとすれば、事前に何かしら素振りに出そうなものですが。職員も周りの子も、予兆めいたモノには気づかなかったみたいですし」
「一つ気になるのは……」
レクスが虚空へ視線をとどめて言った。「居なくなる数日前、子供一人一人に便りが届いてる点かな」
「目茶苦茶怪しいじゃないの、それ」
トワは自分の机に並べられている巻き物から目を逸らす。「誰から届いてるの」
「アイネ王女殿下です」
ヌーノが抽斗の一つを開け、がさがさと音をたてて薄板を一枚引っ張り出した。
板に書かれているのは孤児院建設に寄付をした人々の名だった。王族を筆頭に公爵以下の貴族も数人。
「ほら、費用の半分近くをアイネ殿下が出されています。建設後も気にかけてくださっているようですね。一人一人に便りを出されるようになったのはここ数年ですが、それ以前には服や靴を贈ってくださったこともあったようです」
「んー? 怪しくはなさそうね」
どうでしょうね、とヌーノは苦笑した。
「最初に寄付を口にされたのは、弱冠十四歳であられたフスト殿下です。そこにアイネ殿下が参戦したと言いますか……」
あぁ、とトワは察する。
サージソート王国の正妃は第一王女と第二王子を産んだが、国王の長子は側妃の産んだ第一王子のフスト。成人した後、現在、国の定めどおり王太子になっている。
当初から、正妃は我が子以外が国の後継ぎとなる事が気に入らないらしいと噂されていた。
この寄付に関しても、第一王子への対抗意識から、正妃主導で行われた可能性が高いようだ。
もしそうなると、上辺だけの慈善かもしれない。
「便りには何て書かれてるの」
トワが席に着きながら問うと、レクスも自分に割り当てられている巻物を開きながら応じた。
「それが判らないから気になってるんです」
なるほど、とトワは呟いた。
数日後の昼下がり、今季最後のファトの実をたくさん積んだ幌馬車に揺られ、庶民の姿ながら、本日も美少女にしか見えないレクスがぼやくように言った。
「確かに、気になるとは言いましたけどね……」
「なら、いいでしょ」
トワも飾り気の無い包衣を着て荷台に腰かけている。
御者台で手綱を握るのはバトラ。その隣で、詳しく聞かされていないメイが、ややおずおずと言った。
「でも、お嬢様方が使用人のフリをする必要は無いんじゃないですか」
「いいコトっていうのは、こっそりやるのが醍醐味なのよ」
力説するトワの横で、レクスが半眼を閉じる。
「自分のすることをいいことだと思い込んでるのが、残念な感じですよね」
「なによ! 行動する時の原点なんて、そんなもんでしょっ」
向かう先は孤児院だ。
現領主であるグレイス伯爵家はライジカーサ孤児院を忌避していないという宣伝も兼ねて、伯爵令嬢が子供達におやつを贈るという筋書きだ。
但し、届けに行くのまで令嬢だというのは伏せている。
身分など気にせず子供の誰かと仲良くなって、アイネ王女からの便りを見せてもらえたら万々歳だった。
そこまで首尾良くいかなくても、歳の近い子供の目線で何かしら気づけないかとトワは考えたのだ。
家庭教師も執事も乳母も、同じ子供の筈の幼馴染みも呆れたけれど、送り出してもらえた。
『メイが又しょんぼりする事態は避けたいでしょ?』
トワがそう言ったら、ヌーノが意見を三回転半させ、なんという名案、と最終的に繰り返したからだった。
孤児院に到着すると早速、メイと他の職員が院内の庭でファトの実を焼き始めた。
おやつが食べられるとあってか、庭に集まった二十人の子供達はそわそわしている。
暑熱をものともせず鉄板の近くに寄る子や、実の大きさや色を指差し、あれがいいと品定めをする子。遠巻きに、伯爵家からの綺麗な〝使用人〟をちらちら窺う子。
おませな女の子や男の子の目を集めているレクスは、澄ました顔を崩すことなく、トワの横で籐箱を持っている。
トワはその箱の中から、大人の両掌ぐらいの、二十枚の畳んだ紙葉を取り出していた。
子供の名前を一人ずつ呼び、手渡していく。
「今日おやつを贈ってくれた、伯爵令嬢からのお便りよ」
受け取る子の反応は、大半が、あっそう、といった感じのモノだった。
内心で、トワはがっかりしてしまう。
六暦が始まると共に、大陸では公の言語や単位が統一された。公用語と定められたのは、以前から地図や巻物で多用され、出回っていた南の隣国の言葉。
終戦後に建てられた孤児院だからなのか、子供達は当然のように公用語を話している。大人達も訛りはあるものの、同様だ。
貴族としてトワも当初から隣国の言語は学んでいたが、今や必須科目で、日常会話もこちら。しかしながら、愛着と馴染みがあるのは旧言語として追いやられているサージソートの言葉や文字だ。
そんな感情にも蓋をして、なかなか慣れない公用語で、一通一通、一所懸命したためてきたわけだが……
【ファトの実をたべると、大きくなれます。おいしくたべて、すてきな大人になりましょう。
大人になるまえに、なにかこまったことがあったら、グレイスはくしゃくていに来てくださいね。いつでも、かんげいします。】
アイネ王女の真似をしてみただけだ。流石に便りの中身までは真似できていないだろうけれど。
視界の端に、くしゃりと握り潰した紙葉を服の隠しに突っ込む子が映った。
大した内容じゃないのは自覚しているものの、目もろくに通してもらえないのは淋しい。
漏れなく便りを届けた後、トワは小さく息をつく。
こんなことぐらいで落ち込んでいては、将来、ライジカーサよりずっと広大で領民の数も多いグレイス伯の本領を継げない。
トワが唇を結び直した時、馬車へ籐箱を片づけに行っていたレクスが戻って来た。箱の代わりに、湯気が緩く揺れているファトの実を一つ、手拭に包んでいる。
「焼けました」
気づけば、庭には喜声と笑声が溢れていた。年齢の低い子から順に、渡される焼きファトを頬張っていく。
職員の男性が近くの井戸から水を汲み上げ、メイともう一人若い女性が檸檬と夏蜜柑の絞り汁をせっせと混ぜている。
子供も職員も、玄関口で院長だと挨拶してきた年配の男性も、みな楽しそうだった。
隅に配された椅子らしい丸太に腰を下ろし、トワは小声で漏らす。
「和気藹々を絵に描いたようだわ」
「うん」
手拭の上で実を弾ませ、粗熱を除きつつ、レクスが言葉を繋ぐ。「逃げようと思い詰める環境には見えないですね」
「わたし、実は院長を疑ってたんだけど」
「え?」
「変な……性癖でもあるんじゃないかって」
「は?」
「だって、居るらしいじゃない。虐待が趣味だったり、子供が恋愛対象のおじさん」
「……先生があんなに調査結果の板書をしてくれていたのに」
レクスは溜め息まじりに言った。「それこそ、何かされたり言われたりしたら、出て行く前に予兆が見受けられるでしょう。院長は普段は厳しい人らしいけど、残虐や偏愛とは程遠い人に見えます」
「……レクも、変なおじさんにならないでよね」
「……その思考の変遷が意味不明だけど、どうやらこの焼きファトは私が一人で食べていいようですね。いただきます」
「その脈絡の無さの方が意味不明よ、誰も食べないなんて言ってませんっ」
幼馴染みが澄まし顔で実を掲げ、トワは慌てて手をのばす。焼けて少し開いた無骨な殻の隙から、ふかふかしていそうな黄金色が垣間見え、大きな動きで優しく甘い匂いが広がる。
平素から基礎訓練のような事をしているからか、レクスは深窓かつ薄幸の令嬢という見た目に反し、存外すばしこい。トワがのばす手をひょいひょいかわし、余裕たっぷりに笑む。
「七、三で手を打ちます」
「なんで! 最後のファトよ、半分こよ!」
「成人前におじさんと蔑まれた私の傷心は、五割では埋められない」
「おばさんとは言わなかった分別を褒めてほしいくらいなのに!」
「ソコ? 拘る点、ソコ? 解りました、八、二にします」
「ちょっと、減らさないでよっ」
抑えていた声量が上がりかけたところへ、十歳は超えていそうな女の子が二人、おさげの黒髪を揺らして近寄って来た。はにかみ顔で、一つずつ持っていた木杯を向けてくる。
「院長さんが、どうぞって」
杯には細かに露が浮いている。しなくていい筈のファト争奪戦で汗をかいていたトワは、ありがとう、と喜んで受け取った。
女の子達はちょっともじもじしていたけれど、あのね、と佇んだまま一人が言った。
「伯爵令嬢さんに、ありがとうって伝えて。お手紙も」
思いがけず嬉しい台詞に、トワは反応が遅れた。遅れた間に、もう一人が補足するように言う。
「院長さんからも言われてるから、後でちゃんとお返事も書くよ」
先程までの意地悪な気配を瞬く間に隠したレクスが、にっこりと微笑んだ。
「きっとお喜びになります。アイネ王女様にも、そうやってお返事を書いてるの?」
「うーんと、うん、一番字の上手な子がね」
女の子達は互いを見ながら頷いた。一人がくすくす笑う。
「王女様のお手紙は真名が多いから、読むの大変だけど」
「それに、困ったら来ていいなんて書いてくれてないよ」
「そうなんだ。でも王女様からお便りが貰えるなんて羨ましいなぁ。私のような使用人は絶対貰えないもの。どんなお言葉が書かれてるんだろう」
まるで心からそう思っているかのようにレクスが相槌を打つ。女の子達は、やや口早に明かし出した。
「王都から離れた地で親も無く苦労しているだろうから、胸が痛むんだって」
「今は遠くから幸せを祈るしか無いけれど、心はいつも傍に居るって」
王女自身が考えた内容かは判らないが、同情と慈愛に溢れている。
トワは自分の書いた手紙の幼さを思い知り、恥ずかしくなる。肩をすぼめて小さくなる隣で、そっかぁ確かに読むのは大変そう、とレクスは述べた。
だよね、と女の子達は可笑しそうに応じる。
「でもいつも同じ事が書いてあるから、お返事もこのごろ同じのを一通だけ出すんだよ」
「あたし、お手紙だけより、おやつがいいな。伯爵令嬢さんには、それを書こうかな」
いいねソレ、と眼前の二人は盛り上がり始める。
レクスはにこにこと耳を傾けながらも、手元の実を割る。結構力が要るらしいのに器用に割って、殻を使って中身を六対四くらいに分けた。
〝傷心〟で手元が狂ったのだと思うことにして、トワはちょっとだけ小さめのほわほわを受け取った。
屋敷ならば匙や肉刺しを使わないとモユが恐ろしい顔になるが、ここには幸い居ないので、素手で持って食べ始める。まだほかほかしていた。夏の昼下がり、からりとした暑さの中でのおやつだけれど、冷えた檸檬水もあることだし、これはこれで美味しい。
トワ達が食べ始めても、女の子達はきゃっきゃと話に花を咲かせていた。
「メイさんもこのお姉ちゃん達も楽しそうだし、大人になったら伯爵邸で雇ってくださいって書くのはどうかな」
くすぐったい心地で、トワは顔をほころばせた。
「大変よぉ? 掃除、洗濯、皺消しに食器磨き」
「できるよ、いつもお手伝いしてるもん」
女の子達が得意げに口を揃える。
おかわり欲しい人ー、と院長が朗らかな声を発し、歓声と共に女の子二人もそちらへ駆けて行った。
眺めやり、木杯を傾けてから、レクスがぽつりと言う。
「気になっていたことは大体判明したものの、根本の方は益々判らなくなったかも」
うん、とトワは唇をすぼめた。