或る日のメイ
第二部終わり頃の話
メイは、びっくりした。
年も明けた一之月末頃、王都へ出向いていた主の一行がライジカーサに帰ってきて、びっくりした。
昨年、またぞろ路頭に迷いそうだった小間使いのメイは、その地の領主、グレイス伯爵家に拾ってもらえた。
メイの救い手と言える雇い主は、成人したばかりながら領主を務める令嬢のトワ。直接的な上役に、執事のバトラ氏と世話役兼料理人のモユ婦人が居る。他に目上の存在として、家庭教師のヌーノ氏、令嬢の幼馴染みであり領主補佐の肩書を持つレクシア嬢。
主の一行が王都へ出かけたのは、その年の成人を祝う宴が王城であったからだ。
揃ってめでたく十五歳を迎えたトワ嬢とレクシア嬢、それから彼女達の師であるヌーノ氏とで、十二之月中旬に発った。
ヌーノ氏は片足が不自由らしいのだが、いつも歌って踊る陽気な人だ。流石に馬車の中でまで踊りはしないだろうから、歌だけ披露しているに違いない。王都までの馬車旅はどんな風なのか。メイの耳には見事とはちょっと言えない気のする歌だけれど、令嬢方はどんな様子で耳を傾けているのか。
王都へと遠ざかる馬車を屋敷の窓から見かけた時、メイはつらつらとそんなことを思ったものだ。
メイは通いで雑用を請け負う使用人で、主人達の出迎えを要求されたりはしない。
だから、伯爵邸に帰ってきた令嬢と対面したのは、多分、翌々日くらいだった。
「メイ、会いたかったわ」
ありがたい言葉を嬉しそうな声音で言いながら、トワ嬢が廊下を足早にやって来て。
干し場から取り込んだばかりの敷布を両手に足を止め、メイも嬉しくなって、おかえりなさいませ、と会釈した。会釈しながら、あら、と思う。令嬢の半歩後ろを、細身の若々しい殿方がついて来る。レクシア嬢に似た淡い金髪だ。
近づく毎、いでたちの質と品の良さも含めて、本当にレクシア嬢に似ているという思いが強くなる。双子の御兄弟だろうか。
レクシア嬢の風貌は、素敵な物語に出てくる姫君はかくやと言えそうな可憐さだ。ただ、口を開けば思いのほか低めの声で快活に話す。幼馴染みのトワ嬢とは、本当に仲がいい。名実伴った領主補佐だとメイは感じている。
そんなレクシア嬢にそっくりの若者は、爽やかに破顔した。
「ただいま。メイの笑顔を見るとほっとするなぁ」
「――おかえりなさいませ」
脳裏に大量の疑問符を発生させつつもメイは返答し、しばしの後、ひゃぇえええ!? と叫んだのだった。
「ごめんなさい、騙すつもりじゃなかったのよ」
敷布の皺を熱い鉄ゴテでせっせと消すメイに、トワ嬢がもう何度めかの台詞を言う。メイが敷布を抱き潰す勢いで驚いてしまった所為だろう。
驚きのあまりに相当頓狂な声をあげてしまった自覚があるので、メイは恥ずかしい。改めて応じる。
「いえ、わたしの方がねぇ、気づかなくて本当にすみませんでした」
長椅子に令嬢と並んで腰かけている少年は、悪戯が見つかってしまったと言いたげな顔つきで肩をすくめている。
「大丈夫です、成人の宴でもほぼ気づかれませんでしたから」
本名はレクスです、と廊下で優雅に一礼した領主補佐は、笑みを含んだ声で言った。今までも聞いていた声だ。思えば女性にしては低い。どうして気づかなかったのか、メイは自分自身が不思議でしょうがない。
それにしても、成人の宴に闇避け続行で出向くとは。トワ嬢の幼馴染みは常識人のようでいて、結構、型破りだ。とても珍しい高位の精霊が守護についているようだし。実は数百歳だとか言われても、今度は驚かずに納得してしまうかもしれない。
貴族の世界は庶民にとって華やかな物語の世界に近いと、しみじみ思う。
煌びやかな灯りの下で舞踏に興じる人々を思い描いてから、鉄ゴテを炭火に寄せ、メイはハタとする。
「あら? するとレク――ス様、殿方と踊って来られたんですか?」
えぇ、とトワ嬢は呆れたような表情で首肯する。レクス氏は澄まし顔で、断り切れずにお一人と、と明かしてきた。それでも女装と気づかれなかったのかとメイは感心してしまう。
「まったく、宴には目の悪い人が本当に多かったわ。レクは、髪の生え際が後退していったり、頭頂が輝いたり、お腹だけでも妊婦に偽装しようとする方々と同じ性別だというのに」
「……メイ、私で想像しないでください」
「あは、すみません」
ちょっぴり目を逸らしたメイの横手で、レクス氏は半眼を閉じて幼馴染みを見やる。見返す勝気そうな黒藍の瞳に向け、少年は淡々と反撃した。
「トワが言うとおり、私は胸部の肉を上腕や腹部に移動させたり、臀部の肉を大腿に移動させていく方々とは違う性別です」
メイは我が身を振り返っていささかぎくりとする。トワ嬢はと言えば、表情が固まっていた。
レクス氏は、にこやかに笑んだ。
「ところでダド様は、トワの挙げた殿方の特徴に合致しませんね」
数ヵ月前に誕生祝いで訪れたダド・グレイス伯爵は、すらりとした体型、些少の白髪混じりではあったが豊かな黒髪、実に健康的な人に見えた。
「だって、うん、きっと――お父様は食事の好き嫌いも無いし、深酒も懲りたらしいし、昔から乗馬がお好きだし、身体を動かすのもお好きだし……」
両の手を何度も組み替えながら、ぽつぽつと令嬢が並べる。トワ様のじっとしていられない性分はお父上似かしらと微笑ましくなったメイの横で、レクス氏がするりと言った。
「私はダド様を見習っていますが?」
寸時、貴女は? という無音の問いかけが小さな室内に満ちた気がした。
すくっとトワ嬢が長椅子から立ち上がる。
「レク、お散歩したいわ。お散歩」
「はいはい」
可笑しげに応じ、身軽に領主補佐も席を立った。
またね、と若い二人が部屋を出て行く。目を細めて見送ったメイは、熱さの戻った鉄ゴテを再び手にした。
先程より、少しだけ背筋を伸ばしてみる。
しばしばヌーノ氏が聴かせてくれる変てこな歌を鼻でなぞりつつ、メイは姿勢良く皺を消し始めた。




