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トワ・レックス  作者: K+
第三部 故国再興編
21/23

掌中の名

 ヴァレ男爵とその息子は無実を訴えたが、宿への紹介状から第二王子暗殺を企てた犯人の幇助をしたと見なされた。更にグレイス伯爵令嬢の誘拐監禁、傷害の罪も重なり、最終的には家取り潰しの上、親子共々処刑となった。

 暗殺未遂の実行犯生き残りは北中立地区の者で、当地の暫定主管が賠償金と身代金の支払いを提示。サージソート王国はこれに応じ、身柄が送還された。

 その後、風の噂によれば、和平協定を揺るがしかねない許しがたい行いとされ、結局全員が死刑となったらしい。

 事件はヨーグサーフルの人々を中心にしばらく派手に取り沙汰されたが、冬が深まる頃には落ち着いていった。



 迫る年の瀬の朝、トワは束子(たわし)を手に厩舎へ入った。

 ライジカーサのグレイス伯爵邸は警備態勢と遠出の際の編成が変化し、馬の数を増やしている。新しく雇った馬丁に挨拶してから、トワは一頭の前に向かった。

 世話は馬丁任せだが、幼馴染みがヨーグサーフルから買い取って連れ帰った一頭の騾馬を、トワは少々特別扱いしていた。男爵邸まで文句も言わず、ひたすら走ってくれたと知ったからだ。

 おはようと笑いかけ、馬丁によって既に綺麗になっている騾馬の毛を、束子を使って改めて梳いてやる。大人しいのをいいことに、トワは気の済むまで撫でまくる。

「今日もいい子ね、レクス」

 ふかふかの黒い毛皮に抱きつくと、騾馬は鼻面を寄せてきた。年若い馬丁が可笑しそうに笑う。

「お嬢様の匂いが好きみたいですね」

「えっ、そうなの? ニムモドキの香が好き? 好きなだけ嗅いでいいわよ――ひゃ、くすぐったい、レクスっ。ふふっ、でも貴男の匂いも逞しくて頼もしくて素敵よ」

 トワが喜んで獣の首を撫でていると、冬の冷気を伴ったような声が入口の方から割り込んできた。

「その騾馬に変な名前をつけないでくださいとお願いした筈ですけど」

 トワは騾馬の首を抱いてそっぽを向く。

「自分の名前を変なんて言っちゃ駄目よ、レク」

「身近な者の名前を騾馬につける方が駄目でしょう」

 ずんずん歩いてきたレクスは、トワの肘を取ると入口へ戻り始める。またねー、と騾馬と馬丁に手を振り、トワは厩舎から連れ出された。

 レクスは朝の鍛錬帰りで、片手に模擬剣を持っている。それでもトワの肘を離さずに、庭を横切りながら不機嫌な口調で言った。

「貴女のお蔭で、モユから寄せられている信頼が崩壊するところでした。最近、厩舎で嬢やと何か宜しくないことをされていませんか、と聞かれてしまいましたよ。バトラが噴き出さなかったら、どうなっていたことか」

「叱られます券の出番!」

「使いません。私は叱られることは何もしてない」

「何かしてよっ」

 他愛ない口喧嘩に、トワは本音を混ぜる。

 ヴァレ男爵の屋敷で、相当恥ずかしいことをトワはレクスに言ってしまった気がする。徹夜明けで泣いてぐっちゃぐちゃの顔で、服も乱された破廉恥な恰好で。未だに忘れられず、羞恥に悶えてしまう。

 あの時、レクスはいつもどおりの感じで、はいはい、と応じた。あれには、とてもほっとしたけれど。

 日常が戻ってきてからも、レクスの態度はちっとも変わらない。

 あしらわれただけだったのだろうか。トワは、振る舞いはともかく、心からの言葉だったのに。

 そう思うと腹が立って、子供っぽく拗ねるしかなかった。

「レク、後でトワ饅頭券渡すから買ってきて」

「……はいはい」

 そう、今年のトワの誕生日、レクスは適当とも表現できそうな贈り物をくれた。

 トワ饅頭券と肩叩き券を二枚ずつと、無地の券。ほぼ去年のトワを真似ただけである。

 貰った時は大笑いしてしまって、楽しかったし嬉しかったが。何せ、意味が解るのは自分達以外には先生しか居ない。特別感のある贈り物だった。

 井戸端に着くと、少年は水の冷たさも気にならない様子で顔を洗う。トワも束子を足元に置くと一旦手を洗い、手巾で拭く。それから幼馴染み用に懐へしまい込んでいた手拭を出す。出しながら、問うた。

「レクのお誕生祝い、結局、今年も欲しいの無いの?」

 もう明日が十二之月(じゅうにのつき)末日で、翌日には幼馴染みもトワと同じ十六歳になる。毎年のように訊くけれど、大抵レクスは肩をすくめるだけだ。

 濡れた顔を受け取った手拭にうずめ、レクスはくぐもった笑声を漏らした。

「そうだなぁ、セカン饅頭券とか?」

「なんで遥々殿下を喜ばせに行かなきゃいけないの。買いに行ったら、きっとレクより殿下が喜ぶわよ」

「今度の年末年始なら、殿下は居ません」

 笑いながらレクスは言う。異母兄の即位や和平締結十周年の記念式典がある為、セカン王子は大忙しのようだ。今月頭にライジカーサへ遊びに来た時、そのような話をしていた。

 因みに式典にはトワの父も出席するので、レクスの誕生祝いに訪れるのは年が明けてからになる。先日、それを知らせる便りが届いた。

 だから、せめてトワだけはちゃんと当日に祝って、贈り物も気張ろうかと思うわけだ。

 トワが唇をすぼめていると、首に手拭を掛けたレクスはやっぱり肩をすくめた。しかし口端を上げて言ってくる。

「去年の希望を持ってきても?」

「仮装する気なの?」

 去年、馬車の中で見た――悪戯を思いついたらしい喜々とした美少女顔が、かなり明瞭に思い出せる。トワは呆れて幼馴染みを見やった。

 このごろ身体に男らしい筋肉がついてきているようだが、顔も背もまだ誤魔化せそうだ。年明けに来るダドを驚かせるつもりだろうか。

 ここにきてまた可愛さを見せつけられるのは、少々ナンなのだが……

 トワは同じ高さにある春空色の目を上目づかいに見ることで、気が進まないと暗に訴える。

 だが、内面は全く可愛げのないレクスは、馬車での表情を彷彿とさせ、にっこりと綺麗に笑んだ。

「誕生日に、希望を書いた物を持っていきます」

「……はいはい」

 仕方なく、トワは口真似をした。




 二日経つ内には、せっかくなら華麗に変装させたくなっていた。

 自由に使える金額を頭の中で勘定し、新しく服を仕立ててもらうとして足りるか算段する。彼が気に入っていた化粧品も、買い足せるなら揃えたい。

 この際お揃いの服と化粧で並んでみるかとまで浮かび、何だかんだトワは楽しい時間を過ごした。早く仕事を片づけて色々考えようとしたものだから、執務速度の向上にも繋がった。

 そして迎えた一年の余りの最初の日。

 今朝は流石に騾馬を後回しにした。トワは庭で素振りしているレクスを見つけ出し、祝いの言葉を告げる。

 ありがとうございます、と目を細める姿に、それで希望を書いた物は? と早速問えば、後程、と口角を上げる。

 諒解して井戸端で一旦別れ、厩舎で馬丁と喋りながら騾馬に戯れる。鼻面をすりすりされて上機嫌で屋敷に戻り、朝食の後、先生や幼馴染みと一緒に執務室へ入った。

 一年間の決算報告がたくさん集まってきていて、時には前年と比較しつつ、せっせと署名していく。

 新しい監査官の記録複製を感慨深く眺め、棚に整頓。来年はまた、指摘を受けた点にも留意しながら統治していかなくてはならない。

 午前中はあっと言う間に過ぎ、昼食になった。

 今日はモユが張り切っていて、朝食の段階からレクスの好物ばかりだ。トワも好みがかなり被っているから、食が進む。

 満足して、そのまましばし休憩時間となる。

 茶を一口飲んで、トワは隣を見やった。

 十六歳になった少年は、相変わらず綺麗な面差しで陶器を傾けている。寛いだ雰囲気で窓から庭を眺める典雅な様は、継承権が無くなっても王子らしかった。

 横でこっそり鑑賞に耽った伯爵令嬢らしからぬトワは、そろそろ贈り物の件を進めたくて口を開いた。

「レク、できればお昼の内に、仕立屋とかに行きたいのだけど」

 予算が許せば、父の伝手で知己を得た、子爵の所の高級織物を使わせてもらいたい。注文するとなると早い方がいい。

 レクスはほんの少し首を傾げてから、あぁ、と微笑した。なんだか、今日は時折ぞくぞくする。どうもこちらに向く眼差しが色っぽい。

「そういうのは後日でいいです」

「え、あ、えと……うん、じゃあ、別の日に」

 完全に呑まれてしまい、トワはおどおどと視線を落とす。「じゃ、じゃあね、取り敢えず、希望だけでも……」

「ちゃんと後で持っていきます」

「う、そか、うん、解った」

 トワは両手で器を持つと、大人しく茶に興じた。

 レクスの誕生日なのだから、今日だけは叶う限り彼の思うように過ごしてもらうのが一番だろう。

 いささか拍子抜けしてしまったけれど、要はグレイス伯が到着するまでには仕上がっていればいいのだ。そうそう焦ることも無い。

 晩餐の刻限になっても、レクスはトワの所に来なくて。

 ささやかな祝宴も終わり、めいめい部屋へ引き上げる時間になってしまった。


 トワは執事が持つ角灯の火を見ながら、二階へ上がった。のんびりと、レクスも一緒に上がる。

 二階に上がってすぐ左手がレクスの部屋で、空き部屋や執務室やらが幾つか左右に点在した後、最奥がトワの部屋である。

 執事はレクスの部屋の前で一旦止まり、灯りを掲げる。普段はここで、おやすみなさい、と言い合って、幼馴染みは部屋へ入り、トワは奥まで執事の先導で進む。

 今宵、レクスはバトラを見て、少しトワに話が、と告げた。

「終わったら、送ります」

「そうですか、では」

 執事は角灯をレクスに手渡すと、一礼して階下へ降りていく。トワは、ようやくかと息をついた。

 ささやかでも祝宴だったから、二人とも正装に近い。白の単衣に濃い青の上着を纏ったレクスは、やたら恰好良くて眼福だった。

 ほんのちょっとそわそわした心地で、トワは向かい合った幼馴染みを見やる。他の誰にも聞かせたくなかったようだ。どれだけ凝った女装をする気なのだろう。

 レクスは澄まし顔でバトラを見送ってから、視線を流してきた。口火を切る。

「私は忍耐力がある方だと思っていたのですが、どうも違ったようでして」

 いざ女装をやめたら、惜しくなったのか。過去の美少女の自分が。

「まぁ、長かったから、目覚めちゃうのも仕方ないんじゃないかしら」

 成人していても、たまには思い切り女装したっていいと思う。レクスは似合うし。

 少年はややの間、口をつぐんでこちらをじっと見つめてくる。訴えるような瞳が、火の光を受けてきらきらしていた。

「成人を機に、特別な贈り物として望んでしまおうと思ったんですけど……貴女はズレていた。私は貴女の希望に少々添っていませんでしたし、しょうがないので我慢することにしました」

「う、何と言うか……ごめん」

 そんっなに女物の服や化粧品が欲しかったとは。

 けれど、まさか女装して成人の宴に出るなんて、誰が想像できたろう。というか、自腹を切った装いも相当良かったのに、あれ以上の女装をするつもりだったのか、レクス恐るべし。

「けど、ちょっとこのところ、余裕が無くなってきました」

「禁断症状……?」

 幼馴染みの意固地さに、トワは苦笑した。「そこまで我慢しなくてもいいのに。たまにはやりましょうよ」

 レクスは、ゆるりと笑んだ。

「トワ、イイ返しですね。勿論、そのうちやらせてもらいます」

「う、うん。やりましょう」

 応じながら、女装の話だよね? とトワは自問する。

 しかしながら背中が粟立つのは何故だろう。

 トワがそろりと窺うと、レクスは昼間に放っていた妙な艶っぽさを再び発散し始めていた。

「さっきも言いましたけど、このところ余裕が無いんです。同じ名前の騾馬に色々と先を越されている時なんて特に」

 あの子は女装なんてしたことないでしょ! とトワは誤魔化そうと思ったが、後が怖い。

 ようやく、気がついた。男爵邸で心から伝えたあの言葉が、しっかり受け取られていたことに。

 それどころか去年の希望とレクスは言った。

 その時点で、既にトワは欲されていたのだ。

 たちまち顔が熱くなって、狼狽に後ずさりかけたら、手を掴まれた。掌に何か握らされる。

「数も時間も、制限無しで」

 角灯の火が大きく揺れたが、掌中の物の判別は容易だった。トワが去年、贈った物。

 手を開けば、小さな紙片に己の書いた文字が見える。けれど墨で消されている部分もあって――

【トワ】

 それだけ、残されていた。

「欲しい。ください」

 覗き込むようにして、空色の瞳が至近に寄った。「私の贈った無地の物に名を書いてくれたなら、私も、私を貴女に差し上げる」

 でも、わたし、可愛くないのに……?

 問いかけが浮かんだけれど、トワは同じ背丈だろうともレクスが欲しい。

 囚われてひと晩過ごした時、可愛くなかろうが欲しいと言うのだったと、心の底から嘆いたのをまざまざと思い出す。

 今一度己が名に目を落とせば、一所懸命レクスを想ってしたためた、ありのままの〝トワ〟があって。

 それを彼は、欲しいと言う。

 こちらを映す真っ直ぐな双眸を見返すと、長い間のつたないわだかまりが、手の中からほどけていった。

「すぐ、書いていい……?」

 鼻先が触れた状態でトワが掠れ声を漏らせば、レクスは微かに熱い吐息を唇に伝えてきてから顔を離した。

 そうして、とても大事そうにトワの両手を取り、とても嬉しそうに顔をほころばせた。




 かくして、トワとレクスは互いを贈り。

 年明け、グレイス伯爵より驚きと喜びを以って婚約を許され。

 翌春――


 暖かな陽だまりの中、ライジカーサ集会場の周囲でもあちこちで花が咲き競っている。

 仕上げに小花を模した飾り紐を髪に結ってもらい、トワは礼を告げると支度部屋を出た。

 虹の下方に似せて淡く藍紫に染められた絹服を翻し、まっしぐらに控室へ向かう。袖の後ろ半分が長く、裏地の光沢がひらめく様は羽衣を纏っているかのようだ。

 開いた扉向こうに幼馴染みの凛とした立ち姿が見え、トワは辺りに人が少ないのをいいことに駆け込んだ。両腕を広げて前に立つ。

「じゃーんっ」

 トワと揃いでライジカーサ染めの長衣を着たレクスは、やや遠い目をした。

「なんだろう、この既視感……貴女はあれから成長していないのか」

「ちゃんと見てよ、レクが凝りに凝って贈ってくれたんじゃないの」

 トワは桜色の蜜紅を引いた唇をすぼめてから、胸を張った。「第一、成長してます。胸周りを少し針子さんが直してくれたもの」

「自力とは小癪な」

 レクスの呟きにトワは小首を傾げたが、機嫌良く破顔した。

「期待に胸が膨らむって言うじゃない。きっとソレよ」

「……あまり期待しないで訊きましょう、私の贈った服をかくも愛らしく着こなして見せてくれた貴女が、どんな期待をいだいているのか」

 開いていた扉を静かに閉め、レクスは反対側の扉へ向かう。そちらの扉は集会場の広間に繋がっている。

 今日の婚儀に集まってくれた人々の明るいささめきが、閉じている扉の奥から微かに聞こえてくる。

 差し出された腕にきゅっと抱きつき、淡金髪から覗く耳元へトワは囁いた。

「メイからこっそり教えてもらったのよ、宴料理――焼きファトの花蜜がけでしょ、春の新セカン饅頭でしょ、トワ饅頭に甘茶……」

「嗚呼、素敵です、実にトワらしい」

 やや平坦にレクスは述べると、扉の前で身を正す。「腹八分目でお願いします。私も堪能したい」

「失礼ね、レクの分まで食べるわけないでしょ」

「はいはい」

 澄まし顔でのいつもの返答に幸せを感じつつ、トワも空いた片手で服の裾を整える。

 少し高い音で扉が叩かれた。合図だ。

 数拍の後、扉が広間へ向けて開かれる。

 優しい春風が、足元をそよがせる。

 広間を明るくしている()が、控室にも差し込み、二人を包み込んでくる。

 並んだトワとレクスは、光に満ちた場へ、息の合った一歩を踏み出した。

 最後までお付き合いくださった方、ありがとうございました。

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