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トワ・レックス  作者: K+
第三部 故国再興編
20/23

国はなくとも人は生き

 夜が明け、トワは扉の近くで仁王立ちしていた。

 階下で使用人の動き出す気配がしてから優に一刻半は経った頃、ようやく鍵音が起こる。

 扉を開いたのは、どうやらドリムだった。

 へ、と言いたげに口を開けた顔が、積み上げた家具の隙間から見えた。

 扉口をまともに塞ぐは、縦になった寝台。その周囲に卓から椅子から絨毯から、かき集められるだけ集め、敷布や掛布を裂き、縛り付けて固定した。痣だらけ、擦り傷だらけ、筋肉痛だらけになって、ひと晩がかりでトワが築いた砦だ。

「と、トワ?」

 馴れ馴れしく呼ぶなと目に力を込め、トワは隙間越しに睨みつける。しかし昨夜の男に妄想息子と称されていたドリムは、トワの無言の訴えを察することができないようだった。この壁は何だ、と目を白黒させている。

 無駄におろおろするだけの息子の元へ、ヴァレ卿が現れたのは四半刻後だった。

 呆気に取られた卿の顔は、太まし過ぎて隙間から三分の一も窺えなかった。それがみるみる赤くなり、何の真似だっ、と寝台を蹴りつける。

 ぐらりと寝台が傾き、トワはわざとらしく細い声を上げた。実際は縛り付けてあるので、多少力を加えたくらいでは倒れる心配は無い。

 それでもドリムが奇声を発し、トワが下敷きになると父親に喚く。その反応が狙いなので、トワは扉口からあまり離れない。

「父が勧めるのであれば、貴男との結婚について前向きに考えましょう。父の勧めが無いならば考えるのも嫌です。ここに父を連れていらして」

 ツンとして、トワはそれだけ告げた。

 ところが、ばっちりだと思ったトワの作戦は、さほどもたずにボロが露呈した。

 術者を呼んで来いっ、とヴァレ卿が割れ声で叫んだのだ。

 トワは一気に血の気が引いた。ここに来る羽目になった魔術を、すっかり失念していたから。

 うろたえて辺りを見回す内に、顔色の冴えない術者が廊下に現れる。剥き出しの頭は銀混じりの金髪だった。体調が戻っていないようだったが、室内を隙間から覗き込み、こちらを鋭い水色の目で見据える。

「動くなよ」

「嫌よ――っ」

 トワは頑張って寝台を廊下に押したが、縛り付けているから倒れていかない。ヤ、嫌、と口の中で繰り返し、窓辺へまろぶように駆け寄る。こうなったら窓を割って飛び降りるしか――

 そう思った瞬間、目の前に人影がわき、ひっ、とトワは飛び退いた。術者も瞠目して、乱れた息のまま怒鳴る。

「動くなっ、と、言った! 衝突するっ、気かっ」

 捕まえろっ、と言わずもがなのことをヴァレ卿が向こうで騒ぎ立てている。はっとして身を翻しかけたが、トワは呆気なく肘を掴まれた。

「こっちに連れてこいっ」

「待て。移動術は、疲労が強い。他に連れていると、その分も体力を食われる」

 肩で息をする術者が言葉どおりの有様なのは傍目にも明らかで、ヴァレ卿は流石にそれ以上は要求しなかった。

 術者は息を整えながら、呆れたようにトワの築いた砦を眺めやった。魔術を使うより楽だと判断したのか、家具の端々を縛り付けていた結び目を裁っていく。絶望的な心地で、トワは立ち尽くしていた。

 寝台が音を立ててまともな向きに倒され、埃が舞い上がる。咳き込む父親を押し退け、ドリムが飛び込んできた。トワは無意識に金髪に縋ったのか、術者の方に逃げてしまう。

 レクスでない金髪が助けてくれるわけもなく、トワは椅子に座らされ、卓上に皺だらけの結婚宣誓書が広げられた。

 ぐちゃぐちゃになっている部屋を見ないようにして、使用人が筆を用意する。

 書け、と短くヴァレ卿が言ったが、トワは最後の抵抗をした。捻った上にひと晩の酷使で腫れ上がった手首は右。不幸中の幸いと言おうか、利き手だった。

 赤黒くなってしまっている手首を卓上にさらすと、ドリムが乙女の如き悲鳴を上げる。トワは顔をしかめて事実を突き付けた。

「昨日、貴男のお父様に部屋へ押された時、傷めてしまいました。とても文字を書ける状態ではありません」

 なんてことを、と詰め寄るドリムを押しやり、ヴァレ卿はたるんだ頬を揺すった。

「左でも書けよう」

 トワは左手もさらす。砦製作に奮闘した結果、爪が割れ、ささくれも生じて乾いた血があちこちこびりついていた。軽い痛みを我慢すれば動かせたが、だんまりを通す。

 そこへ、昨夜の男が他にも金髪を二人引き連れて部屋に入ってきた。室内の惨状とトワの両手を見やり、忌々しげに舌打ちする。投げやりな口調で、とんでもないことを言い出した。

「書類の提出など(まこと)夫妻となられてからでも宜しいのでは? 事態に変わりないでしょう」

「けじめは大事な初めの一歩です!」

 自分でも何を言っているのか判らなかったが、トワは力説する。黙ってろ! と男が言い返した時、言い合いの声がこの部屋以外からも聞こえ出した。

 泡を食った様子で、使用人の風体をした者が走り込んで来る。

「旦那様っ――セカン第二王子殿下の御使者なる方々が、殿下への狼藉を質しに来たとお越しに」

「殿下への狼藉!?」

 鸚鵡返しにしたヴァレ卿は、金髪の男達に食ってかかった。「殿下の目を盗んで令嬢を連れてきたんじゃないのかっ」

「我が国だけ消え、サージソートだけ残るなど()せぬではないか。我等の王家だけ消えゆくのもおかしい故、この機会にセカン辺りだけでも消せぬかと試みたのだがな」

「な、な――わたくしの名を利用してヨーグサーフルに出向いておいて――」

 自分勝手な者同士の結託など、所詮粗ばかりなようだった。

 助けが来たと悟ったトワは安堵のか細い吐息を漏らしたが、無理矢理立たされた。えらの張った男に、仲間や術者の方へ、押しやられる。

「かくなる上は、せめてこの邪魔者を、殿下の御前におめおめ出れぬ傷モノにしてしまえ」

 突然の宣告に、トワは頭が真っ白になった。

 ドリムが血相を変えて何か言っていたが、貴様が不甲斐ないのが悪い、と冷徹に言い返すのが聞こえる。トワは部屋から引きずり出され、最初にここへ来てしまった時の小部屋に投げ込まれた。

 あまりの恐怖に声が出ない。

 虚しく口だけを開閉する間に、乱暴に複数の手で身体を床に押し付けられる。傷めた手首を掴まれ、反射的に呻く声が漏れた。

 急激に感覚が舞い戻り、思考が始まる。

 痛い――怖い――

 帯を引き剥がす勢いで緩められ、トワは足をばたつかせ、もがいた。

 嫌――こんなの嫌――

 こんな振る舞いをもしも許してもいい者が居るとしたら、トワには一人しか居なかった。

 ずっとずっと心から離れない、離せない、たった一人。

「レク――!」

 トワは、溢れる想いを声に変え、残る力を振り絞って叫んだ。「嫌――レクじゃなきゃ嫌ぁっ! ヤだぁっ」

 横合いから口に何か突っ込まれた。えずきながら尚もくぐもった声で繰り返そうとすれば、上にのしかかっていた男が拳を振り上げた。

 はじける激しい音が響くと同時に、男の身体がのめり、次いで拳を振り回し踊るように後方へ仰け反った。

 殴られると思ったのに、トワの上から男が転がり落ち、視界が広がる。

 見開いたままの濡れた目に、トワの唯一が映った。

 声にならず、名を紡ぐ唇を震わせれば、目の端で鈍い光が閃いた。

 微塵もためらいを見せず、レクスはトワの脇に飛び込んできた。身をねじ込むようにしながら鞘つきの剣を床に突き立てる。

 真横で爆風のような風が起こった。

 トワの横に居た者が凄まじい勢いで壁に叩きつけられ、手から短刀が落ちる。

〈なんと精霊使いの荒い(あるじ)だ、わしを非守護精霊にする気かっ〉

 抗議にレクスは応えず、太ももの辺りまでめくれ上がっていたトワの筒衣を下ろし、口から布を取り去る。半身を抱き起こし、胸に包み込んでくれた。

 トワは夢中でしがみついた。何か獣のにおいがしたけれど、見慣れた耳元と汗に濡れて首筋にはりつく淡い金の髪は間違い無く幼馴染みのものだった。

 止めようのない涙が、後から後からこぼれた。

「レ、ク」

「うん」

 震える身体をぎゅっと抱き締められ、トワは泣きながら訴えた。

「レク――レクが、いい。レクじゃ、なきゃ、嫌」

「はいはい」

 穏やかな声音と共に、優しく背中を叩かれた。




 小部屋に居た今一人は王国正規兵達に剣を突き付けられ、部屋の隅で壁に寄りかかり、両手を上げていた。

 扉は蝶番ごと外れて床に倒れており、廊下の向こうでも何か起こっている物音が聞こえてきていた。ややして、トワが攫われた時にセカン王子と一緒だった従者が足早に来る。包囲されている男の目元を見覚えていたのか、その者は術者だ、と厳しい声を出した。

 一段と切っ先を寄せた兵達に向け、金の髪の術者は疲れ切った声で苦々しげに言った。

「抵抗も逃げる余裕も無い故、手を上げている」

 仲間がトワに襲いかかっていた時も、術者は近くに居なかった気がする。追い込まれる以前から部屋の隅に居たのかもしれない。

〈さほど術力の無い者が闇契約したところで、移動術の利便性など生まれぬ。闇負けしかけているぞ、愚かなことじゃ〉

 老爺の姿を見せている精霊が、殺気立つ空気を逃がすようなそよ風を室内に生む。〈しばらく闇範囲術を避けねば、死ぬぞ〉

 トワに寄り添って床に片膝をついているレクスが、目を眇めた。

「光範囲は使える……?」

〈闇は体力を食い、光は精神力を食う。集中力を要する故な、闇に侵食されかけの状態ではただでさえ光範囲は難度が上がる。体力が落ちている時も似たようなもの。比例して精神も弱るからの〉

 要するに今、術者の降伏に偽りは無いようだった。

 廊下から少年に近い若者が入ってきた。従者に向け、駄目でした、と小声で告げる。従者は頷くと、こちらを見た。

「ヴァレ男爵と子息を捕縛しましたが、あちらに居た異国人と思しき者、子息に斬られて死亡しました」

 あの偉そうにしていた、えらの張った男か。

 涙を拭っていたトワは呆気無さに茫然とし、トワの上から転げ落とされ、今や縛り上げられている男は呻いた。壁に叩きつけられた者は失神しており、術者が深く息を吐き出す。

(つい)えたか……」

 呟きを聞き、レクスがゆっくりと立ち上がった。低めの声で問う。

「貴男達は北中立地区から?」

 はい、と術者が(こうべ)を垂れる。幼馴染みは目を落とした。

 金の髪は遠く南方の国にも多いそうなので、レクスとしては一縷の望みを持っていたのかもしれない。此度の件を故国の者がしでかしたのではないと。

「何故、このようなことを……」

「正統な御方にマトゥ様の後を継いでいただきたく」

「私は後継者ではありません」

 レクスが静かに言うと、精霊が微震する声で添えた。

〈マトゥの言伝じゃ。〝これを最後に精霊による我が後継者(エスト)の守護を終える。最後の守護精霊が大気に還る日は即ち、継承権抹消の日。以降、そなたはレクス・ソートリアを名乗るがいい〟〉

 旧ソータス国の者達は愕然とした顔になった。

「で、では、誰に後を――」

〈〝北中立地区暫定主管位は、私の後しばし、地区住民の選に依り就くものと決めた。そなたが私の後を継ぎたければ、戻ってきて立候補するがいい。その気が無いならやむない。だが、祖父孝行はしてもらう。ひ孫の顔だけは見せに来るように〟〉

 最後の部分にレクスが引きつった。頬を染めてうつむき、焦った様子で言う。

「風、全部再現しなくていいです」

 ありのままを伝えるが精霊じゃ、と老爺はふかす。

「殿下――」

 術者が縋る声をあげたが、違います、とレクスは遮った。

「もはやソータス王国は無い。私は王子ではない。立候補もしません。そもそも十年近く他国に逃げた私が舞い戻った所で、故郷を捨てずに生きてきた人々の役に立つものか。私を選ぶ者など情勢の見えない物好きぐらいだ。私は故郷を離れたけど、故郷が荒れるのは望まない」

 ソータス再興を夢見た者達は、押し黙って肩を落とした。

 床にへたり込んだまま幼馴染みを見上げ、わたしはレクを選ぶけど、とトワは思う。けれど、心の内だけに留めておく。

 情勢の見えない愚か者と(そし)られても、トワにとってのレクスは紛れもなく王子だった。

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