囚われ
ただちに園庭は臨時封鎖された。
賊は死亡と逃亡が共に三人、一人が軽傷で捕らえられ、尋問中である。
グレイス伯爵令嬢を攫って逃亡した賊は術者と目され、領府全域にも秘かに警戒態勢が敷かれた。
〈この付近にはおらぬようだ〉
風の精霊の報告に、レクスは頬を強張らせる。
何が目的で令嬢が連れ去られたのか定かでない為、事は一層の急を要していた。
「風、範囲を広げてトワを探してください」
先の者と同じく老爺の姿をしている精霊は、気難しげな顔つきになった。
〈わしは主の守護をしているのじゃ。傍を離れてこの園庭を巡っただけでも、守護者として随分危ういことをしていると思っておる〉
「私は大丈夫です、これだけ警備人が集まっているのに何が危険なものか」
苛立ちを滲ませるレクスに、精霊は呆れたような目を向けた。
〈死んだ一人が金の髪で、主に近しい者と思われておるではないか。周りが重視しているのはセカンの暗殺未遂であってトワの誘拐ではない〉
「関係無い! 私は大丈夫だと言ってます!」
レクスは声を荒げたが、精霊は動じない。声を聞きつけたのか、セカンが従者二人と足早に近寄ってきた。
「園庭には居ないのか」
足元に視線を落とし、はい、とレクスは低声で応じる。捜索範囲を広げるぞ、とセカンが従者に指示を出し、一人が小走りに一方へ向かう。
精霊が値踏みする目つきを王子に落とす。セカンは気づいて、似たような視線を風精に投げた。
「トワ殿をみすみす攫わせた俺が気に入らぬか」
〈結果的に主が駄々をこねておるから、それもあるのぅ。今は、そなたに主を任せておけぬのが気に入らぬわ。この場は主にとって安心できぬ〉
セカンは口を曲げた。
「亡国出身らしき輩に王子が斬りつけられた。周りがぴりぴりするのは、しょうがない」
〈移動術は術者にも危険な技じゃ。そこまでして連れ去ったのは、そなたではない。初めからトワが目的ではないのか〉
「何だって」
少年二人が同時に声を上げる。血色の悪くなっていたレクスの顔が、更に青ざめた。
「捕らえた者は何か喋りましたか」
急いた口調でレクスが問い、セカンは慌てたように首を振った。口惜しそうに唇を歪める。
「クソ、俺も精霊精製ができるほど術力があれば。精製しまくって捜すのに」
殿下、と離れていた従者が戻ってきた。
「不審な出稼ぎ人を泊めたという宿の情報が入りました。中に金髪の者も居たそうです。容姿の特徴も似ています。今朝引き払ったようですが、出稼ぎ人には専用宿舎がある筈なのに、つい数日前からわざわざ泊まって、妙だったと」
「妙だと思うのに泊めるな!」
喚いたセカンに、従者は続ける。
「そこの得意客らしい、ヴァレ男爵家の紹介状を持っていたそうなのです」
ヴァレ、とレクスが空色の視線を宙にとどめて名を繰り返した。
「覚えています――一人息子らしいのにライジカーサへ身上書を送ってきていた」
セカンの脇に控えていた従者が眉をひそめた。
「ヴァレ家は放蕩が祟って財政難のようで、今回の出稼ぎ人募集にも余裕が無いと返答してきましたが」
「すると此度の件は、グレイス伯の財産狙いか」
端的にセカンが言うと、一同は顔を見合わせた。
「トワをどうする気だ――」
唸り気味に口走り、レクスは険しい顔でセカンを見据えた。「殿下、馬を――いや、騾馬を」
「いいだろう」
王子が応じるや、従者が手配に走る。レクスはそちらへ足を向けつつ、セカンを振り返った。
「走り通します。潰しても?」
「やむない。万一の時は大陸中の騾馬に足を向けて寝るな」
「――努力します」
〈莫迦な――主が潰れかねぬ、加減せよっ〉
「断る!」
レクスは従者を追って風を切る。
セカンも一緒に同じ方へ駆け出すので、残った一人が咎めた。
「殿下、なりません、ヨーグサーフル領主は他になさる事がおありです」
セカンは舌打ちした後、急停止した。
「いい従者になった」
ぼやいて、王子は捜索と警戒態勢の変更を告げ、祭を無事に終えるべく奔走し始める。
四半刻後、収穫祭に浮かれる民衆も目を見張る勢いで、ヨーグサーフルの南へ向け、騾馬の一隊が飛び出していった。
トワは一人、窓辺付近を意味も無くうろうろしていた。
部屋は多分二階だ。大きな屋敷のようで、今いる室内は広め。客間なのか、卓と肘掛椅子の一式に加えて寝台がある。窓は扉の反対側に三箇所。濁り硝子の嵌め殺し。
足が重い。より正確には、足だけでなく全身が少々だるかった。
どうも、移動術という危険な魔術で連れてこられた所為だ。
園庭から、いきなり、この近くの小さめの部屋に来てしまったのだ。来るなり、トワを拉致した男は、その場で膝を着きそうなほど息を乱していた。
拘束が緩んでトワは逃げ出そうとしたけれど、足が思うように動かずもつれた。もたつく間に、男が部屋に吊るされていた鈴を引き鳴らし、廊下からばたばたと他の男が来てしまったのだ。
ようこそ、と思いがけず丁重に立ち上がらされ、この部屋へと促された。しかしながら、踏み入ったら背後で扉を閉められ、鍵もかけられてしまった。
足手まといどころか、何処とも知れぬ場所に移されてしまい、どれだけ周りに迷惑をかけてしまっていることだろう。
申し訳なさと、見知らぬ所で一人きりの心細さに鼻の奥がつんとする。
駄目で元々、トワは今一度扉へ歩み寄ると取っ手を動かしてみた。虚しくカタカタ云うばかりだ。
「誰か……居ないの……?」
何なの……と、トワは小さく続けてうなだれる。
秋の太陽は早く傾き、室内は徐々に赤味がかってきていた。
心に募る名を言霊にしたら涙がこぼれるのは必定で、トワはゆるゆると首を振ってから再度窓へ足を向ける。
引きずるように数歩動いた時、かたりと背後で音がした。ハッと振り向けば、扉が開く。
先程、トワをここに閉じ込めた黒髪の男が姿を見せた。さほど歳は離れていないと思う。白を基調にした、仕立のいい服を纏っている。後ろにでっぷりと太った年配の男が居て、こちらも品があるかはともかく高そうな服で身を固め、一緒に入ってきた。
若い方は穏やかに笑みをたたえるだけで、年嵩の方が、ようこそようこそ、とやや割れた声で言った。
「いやぁ何ですか、手違いが少々あったようですな。御令嬢には、当家に喜んでお越しいただけたものと思っておりましたが、わたくしの知り合いが、いささか乱暴なやり方でお連れしてしまったようで」
乱暴どころの話ではない。第二王子に剣を向けているのだ、王家に対する謀反と取られかねない。
何を悠長なと思いながら、トワは胡散臭いという感情を隠さずに無言で相手を見た。
そんな視線を無視するように、まぁお座りください、と分厚い手が椅子を示す。いそいそとした足取りで近寄ってきた若者が、トワに手を添えてきた。
触らないで、と拒絶したかったが、身を軽く逸らしただけにとどめ、彼の引いた椅子に腰を下ろす。太った方が向かいにどっかりと座り、こちらに椅子を寄せた若者も着席する。
一体どういうおつもりでしょう、と詰問をしかけた半瞬早く、目の前の二重顎が嬉しそうに手を叩いた。
「いやいや、実に似合いの二人だな」
「はぁ?」
「年始の宴に行って以来、我が愚息は貴女の話ばかりだったんですよ」
トワは横手を一瞥したが、ほんの少し垂れ目気味の顔には全く覚えが無い。「しかし息子は我が家の後継ぎですから、伯爵家の後継ぎたる御令嬢とは叶わぬ縁と諭してきたのです」
「御賢明ですね」
「ですが、あまりの熱意にわたくしも覚悟を決めました」
トワの相槌は聞かない方針のようだ。一方的に、男は続けた。「わたくしは頑張って長らえまする。孫の一人に家を託すまで」
「何を仰っているのか、解りません」
努めてトワは澄まし顔を作った。だが、幼馴染みのようには効果が出ず、横合いから手を重ねられる。
「子供を二人以上作らないといけないんだ。頑張ろう」
鳥肌立って、トワは手を払いのけるや立ち上がった。
「先ずは父にお話し願いましょう。わたしは帰らせていただきますっ」
「グレイス伯爵には後程、きちんと御挨拶に伺いますとも」
トワより豊かになっている胸の辺りから、男が製紙を取り出した。「新郎の親としてお恥ずかしい限りと、頭を下げるのはわたくしの務めと重々承知しておりますれば」
卓上に広げられた製紙の文を斜め読みし、トワは絶句を通り越して小さく喘いだ。
結婚宣誓書だった。新郎側には、しっかりくっきり既に記名してある。ドリム・アルラ・ヴァレ。
親の知らぬ間に結婚しちゃいましたとでも言わせるつもりか。庶民ではあるかもしれないが、貴族では夢物語上でしか起こり得ないことだ。
怒りに任せ、トワは製紙を掴むと引き裂きかけた。が、素早く腕を掴まれる。
「破っちゃ駄目だよ、勿体無い」
うっとりした顔で、ドリムが頓珍漢なことを言う。「製紙は高いんだよ、トワ。お茶目な君もイイけど、ここはちゃんとしておくれ」
「冗談じゃないわよっ! 放して、気持ち悪いっ」
思わず正直に言ってしまったら、ドリムは愕然とした顔になって手を離す。トワがすかさず製紙をぐしゃぐしゃにしかけたら、ヴァレ卿が奪い取った。しかめ面で立ち上がる。
「息子が貴女でないと嫌だと言うのでお越しいただいたのですが。御令嬢は、やはりセカン殿下に気が向いておられるのか」
そんなわけないでしょっ、とトワは言いたかったが、王子の身分を憚る。
ドリムが泣きそうになりながら訴えてきた。
「あんな女好きのだらしない男の何処がいいんだっ」
「やれやれ。少し時間が必要のようですな」
言いながら父親が扉へ息子を促し、名残惜しそうにしたもののドリムは従って出て行く。
トワは慌てて後を追ったが、ヴァレ卿は豹変した。廊下へ出ようとしたところを、荒々しく突き飛ばされる。思いも寄らなかった扱いに、トワは部屋の床へ倒れ込んだ。手首を変についてしまって、激痛が走る。
「素直に署名していれば、すぐにも宴を開いてやったものを。田舎貴族の小娘風情が、息子に恥をかかせおって!」
派手な音を立てて扉が閉まり、鍵がかかる。きちんとかかったかガタガタと確かめた後、足音がどかどかと遠ざかっていった。
痛みに涙が滲む。トワはしばし、身を起こすこともできなかった。床にうずくまって、こらえ切れずに名をこぼす。
――レク――
我慢なんてしないで、あの時、飲み物を買いについて行くんだった。
我慢なんてしないで、鬱陶しがられてでも傍に居るんだった。
可愛くなくても遠慮なんかしないで、貴男が欲しいと言っておくのだった。
嗚咽を漏らして名を繰り返していたら、微かな音が起こり、扉が開く。
薄暗くなっていた室内に、ともし火の光が差した。咄嗟に嗚咽を消せず、トワはしゃくり上げながら床の上を後退する。
恐れと共に仰ぎ見た光の向こうに、金の髪があった。
「レ、ク……っ」
歓喜に声を震わせたトワはしかし、違う、とすぐ気づいた。光に慣れてきた目が、全く別の男の顔を捉える。
やや下方から照らし出されたえらの張った顔だけでもトワを震撼とさせたのに、男は地を這うような声を聞かせてきた。
「やはり殿下は殿下でも我等の殿下をたぶらかしていたか、グレイス伯爵令嬢」
痙攣する喉を押さえ、トワは膝を擦って必死に距離を取る。
怯える小動物に餌でも与えるように、男は皿の幾つか乗った盆を床に置いた。己が優位を確信している様子で、悠然と椅子に腰を下ろすと足を組む。
「ヴァレ殿は勘違いしているようだが、まぁ、どうでも良い。殿下以外ならば、滑稽な第二王子だろうが、妄想息子だろうがな」
トワは自分の迂闊さを呪った。
何かおかしいと父が警告を発していたのは、こちらだったのだ。
雪の王の後を継ぐことに積極的でないレクスは、従弟派にはどちらかと言えば都合のいい存在だった筈。
それが俄かに妙な動きを始めたのは――
「レクス殿下を引き止められては困るのだ、御令嬢。殿下はサージソートなどで埋もれていい御方ではない」
男は滔々と続けた。「中立地帯などという誰の土地か判らぬ故国を、新生ソータスとして再興する為、お戻りいただかねばならぬ」
「れ、レクは、そんなこと、したがってない」
「黙れ!」
一喝し、男が卓に拳を叩き付けた。「貴様が今現在治めている地、元々は俺様の領地だ! 気狂い術者共の所為で俺様の土地は分断され、爵位まで返上する羽目になった。王が責任を取らぬなら後継者に責任を取らせるまでだっ」
大陸各地の割譲は、和平協定時に綿密な協議の上で決められたことだ。今頃になって所有権を主張するのはおかしい。この者に問題があったから、爵位も土地も手放す結果となっただけではないのか。
大体、最初は故国再興などとぶち上げていたが、結局この男は自分が過去に持っていたモノのことしか考えてなさそうだ。
トワが灯りの届かぬ闇の中でじっと身を縮めていると、男は尊大に命じてきた。
「明日には妄想息子との結婚書類に署名しろ。そして夫にライジカーサを譲れ。奴の代わりに俺様が治めるのが正しい姿だ」
「……あそこはわたしの土地ではありません。父の土地。もっと正しくは、住んでいる人達の土地」
蹴りつけられた盆や食器が飛んで来た。
「小賢しい泥棒猫が――言われたとおりにしなければ結婚前に傷モノにしてやるぞっ」
お蔭様で、とうに傷モノよ。
乾き切らないうちに目尻を湿らせた涙を、トワは拭う。飛んで来た皿が腕に当たった。きっと青痣になる。その前に痛めた手首は、腫れて熱を帯びてきていた。
どうせなら、眺めているだけじゃなく、トワも剣の素振りをしておけば良かったかもしれない。甲の側は女性顔負けに滑らかに見えるレクスの手も、内側は男性らしくごつごつで、しばしばぼろぼろだった。トワも鍛えておけば、こんな打ち身くらい大して気にならなかったろう。
トワが胸中で名を呟いて膝に顔をうずめると、男は鼻で息をつき部屋から出ていった。手早く鍵のかかる音が続く。
長い夜が更けていった。