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トワ・レックス  作者: K+
第三部 故国再興編
18/23

 ヨーグサーフルまでは後一刻ばかりという所まで、伯爵令嬢の箱馬車は来ていた。

 陽光の下、長閑な公道を走る車内には、微妙な空気が満ちている。

 単調な揺れに誘われたのか令嬢はうたた寝しており、隣に座る幼馴染みの肩に艶やかな黒髪の頭をもたれかけていた。少年は最初、窓の側へ彼女の頭を戻していたけれど、遂に諦めて肩を貸した結果だった。

 向かいに座る彼等の家庭教師は、一連の微笑ましい光景に目を細めていたのだが……

 令嬢が、寝言を漏らし始めた。

「ヤ……レク……」

 柳眉を寄せ、狭い車内で切なげに身じろぎすると続ける。「嫌……ヤ……レク、莫迦……」

 少年は肩を貸したまま表情を凍りつかせ、先生も笑んだ表情のまま固まる。

 目だけ窓の外へぎごちなく投げ、ヌーノがこそりと言った。

「このところ、なんとなく、トワ様の様子が変でしたが……」

「無実です」

 耳元を染め、口早にレクスが訴える。「風が証明できます」

「えぇ、大丈夫。レクス様が何かなさったとは思っていません」

 ヌーノは車内に目を戻し、悩ましげな顔で眠り続けているトワをちらりと見た。「トワ様、少々元気が無いようでしたが……一体何の夢を見てるんでしょうね」

「ろくでもないモノでしょう」

 口を曲げ、レクスは少女の頭を掌でそっと押しやろうと試みる。しかし、ヤ……と令嬢が小さくこぼし、遠い目をした。「起きてる時は目を逸らすし変な距離を開けるし、妙な敬語で話すし……」

 ぶつぶつ連ね、レクスは不機嫌そうに窓のへりに肘をつく。

「思い当たるのは、私に縁談が来るかもしれないとダド様から知らせが届いた件くらいです。仮定に過ぎない人の話より、自分の方を気にしてほしい」

 あぁ、とヌーノは合点したようにこくこく頷く。

「最近、ライジカーサにも身上書を送ってくる家がありますからねぇ」

「服を見立てたのは失敗でした。あれで舞踏会に行った所為で、余計な仕事が増えた」

「でも見事な見立てで。本当にお綺麗でしたよ、トワ様」

 とりなすようにヌーノが言えば、少年は頬杖をついていた片手で髪をかき上げる。

「それで離宮の内庭を一人でうろうろするんですから、洒落にならない。木陰でよろしくやっていた人達も居るのに」

「あはは。大変でしたねぇ」

「まったく……二重に気苦労しました、あの日は」

「……ヤ、レク……レク……嫌……」

 レクスは半眼を閉じると、とうとう少女の細い肩を揺すぶった。

「人に何をさせてるんだ、貴女は。起きないと馬車から落とします」


 何か腹立たしげな声と震動で目を覚ましたトワは、間近にレクスのしかめっ面があって、わぁ! と飛び退いてしまった。弾みで、馬車の壁に側頭部をぶつける。

 痛い、と涙目になりつつ視線を泳がせる。幼馴染みから距離を取る為、席の隅っこに張り付いていた筈なのに。何だったのか、今の至近距離は。

 急いで窓辺に身を寄せれば、反対側の窓にしなだれたレクスが、はぁ、と大袈裟に溜め息をつく。無駄に色気が漏れ出ていて、トワは慌てて視界から追い出す。

 先生が、こほんとわざとらしい咳払いした。

「うなされておいででしたよ、トワ様。何か心配事がおありなら、誰かに相談なさっては」

 え、とトワは口許に片手をあてる。

「し、心配事なんて、無いけど……」

 強がりつつ、ぼんやりと頭の片隅にたゆたう夢の残滓らしき物に気づいた。

 美少年のレクスが、美少女のレクシアと並んで楽しそうにしていたような……トワは可愛くないから、と澄まして言ってきて、自分達だけで、結婚結婚、と行ってしまったような……

 口をすぼめ、トワはぼそりと言った。

「不満はあるかもしれないわ」

 何とも言えない顔つきになって先生が目線を横に移す。トワがそろりと視線を追えば、隣で窓に寄りかかっていたレクスが、渋面でこちらを見ていた。

 素早くそっぽを向き、トワは一層窓辺に身を寄せながら背筋を伸ばす。

「何でしょうかしら?」

「非常に迷惑なので馬車では気合いで起きていてください」

「う、わ、解ったましたよ、ごめんあそばせ」

 おかしな言い回しになっている自覚はあるものの、訂正できずにトワは平静を装う。気づいているだろうけれど、レクスは淡々と続けた。

「御不満の件、内容によっては善処しますが」

 トワは、うつむいた。

「いいのですのよ、大丈夫」

 やはりレクス様か、という表情をヌーノは浮かべたが、トワは自爆に気づかぬまま押し黙る。

 馬車の走る音に紛れ、少年の、小さな嘆息だけが耳に届いた。




 トワは押しかけ伯爵令嬢ではないので、事前に到着予定を伝えてある。

 ヨーグサーフル領に入ってすぐ、セカン王子の従者として見知った一人が、一隊を引き連れて出迎えてくれた。守護精霊がついていることは教えていなかったから、簡素に馬車一台で訪れた令嬢に、一隊の人達は少々驚いていた。

 もうすぐ精霊は居なくなってしまうから、トワ達も次の旅辺りからは大所帯になることだろう。

 ヨーグサーフルはライジカーサよりも格段に広く、町も幾つかある。ただ、前領主の爪痕で、まだまだ寂れた印象の町が多いらしい。

 それでもそれなりに祭の飾りつけが見られる町を二つ抜け、日が暮れたばかりの領府に到着すると、思いがけずセカン王子がちゃんと待っていた。

 馬車の外では、あちらこちらに吊るされた瓜灯(うりとう)から、光がちかちかと漏れていた。

 先に降りた幼馴染みが手を差しのべるので、仕方なくトワは手を借りて降りる。速やかに手を離したところへ、王子が大股に来た。

「よく来たな!」

 殿下に倣って一番高い宿を取ろうかと思っていたのだが、予定を伝えた返信に部屋を用意してくれる旨が書かれていた。今、馬車は立派な館の玄関前に停まっている。

 杖をつき、レクスの手も借りてヌーノも下車すれば、従者の案内に従い、背後で空馬車が走り出す。

 伯爵令嬢一行が挨拶すると、セカン王子は満面の笑みで受け、館の内へと招いた。

「ここは俺のヨーグサーフルでの住まいだ。浴室に温泉を引き入れてあるし、晩餐の後は、ゆっくり休むといい。祭は明日からだ、たくさん案内するぞ」

 随分と至れり尽くせりだ。トワは不安になって王子の従者に目を投げる。察したのか、若者は小声で告げてきた。

「毎月早朝の訪問に対するお詫びも兼ねております。それ以外に含むモノは無い筈です」

 信じることにして、お心遣いありがとうございます、と今一度トワは謝意を述べておく。

 心尽くしの夕食を味わい、贅沢に満たされた温泉で身体をほぐした後、皆それぞれの部屋へ下がった。

 客間は、一人では持て余す広さだった。

 燭台を小卓に置いたトワは光の届く範囲をふらついてから、長い窓掛の降りた向こう側に気を引かれる。布を分けると、淡く月光が差し込んだ。窓向こうは小さな露台に通じているのが判り、トワは掛金を外すと窓を開けた。

 秋の冷気が、温まっていた身体を震わせた。けれども思いのほかの明るさに、トワは数歩、外に出る。

 雲の少ない上空に、殆ど円に見える月があった。

 輪郭には銀粉をまぶしたよう。淡く楚々と、月神イー・ウーが、地上を清めんとしているかの如き神秘的な煌めきだった。

 美しさに息を呑んで、トワは隣の部屋へ視線をやる。やはり同じような露台が付いている。月が硝子に宿って定かでないが、窓の奥は暗いようだった。

 レク、と声に出さずに唇を動かし、トワはうなだれた。今までの自分なら、感動を分かちたくて、すぐに呼び声を上げるか、廊下へ飛び出して隣室の扉を叩いた。

 でも、今はそうしていいのか判らない。迷ってしまう。

 レクスが一緒に綺麗な物を見たいのは、トワではない可愛い子だ。

 月に心奪われたのは、ほんの僅かな()で。

 暗い室内に戻り、トワは窓を閉めた。




 翌日、セカン王子の先導で領府街へ出た。

 今年は各地で豊作の報告が聞かれている。締めの収穫祭も好天に恵まれ、すれ違う人々の顔は明るい。思った以上に人出も多かった。このまま、生まれ変わった土地に、帰ってくる人、居着く人が増えれば万々歳だ。

 民衆向けの温泉場が何箇所も在って、その近くにも露店が連なっている。

 そんな一画に来たら、俄然張り切った様子になって、いいモノを買ってやろう、とセカン王子が言い出した。

「まさか温泉饅頭ですか」

 レクスがするっと問うと、驚かせようと思ったのに先に言うな、と殿下はひとしきり悔しがってから、店の一つに駆けていく。従者の一人も慌てて後を追う。

 今日は(やかた)の古い巻物に目のくらんだ先生が同行していないので、王子が居なくなってしまうと残るのは別な従者と幼馴染みのみ。従者は滅多に自分から喋らず空気と化すから、実質レクスと二人のようなものにされてしまうと、トワは居心地が悪い。

 無意味に両手を組み替えるトワの横で、レクスが笑みを含んだ声で言った。

「自分で動きたがる御主君を持つと、なかなか大変ですね」

 えぇまぁ、と従者が曖昧に笑う。

 話しかけられたのが自分でなくて、トワは一抹の淋しさを感じつつ、露店でうきうきと金を払っているセカン王子を眺めやった。

「全く気が抜けませんが、その分日々充足していると申しますか――お仕えし甲斐があります」

 言を継いだ従者に、あぁ、とレクスが笑声をこぼした時、王子が包みを抱えて戻ってきた。

「さぁ、これが我がヨーグサーフル名物だっ」

 もわもわ湯気が出ている包みをごっそりトワに押し付けてくるので、こんなにいただけません、とうろたえると、慌てて従者が大半を引き取ってくれる。

 御令嬢に道端で食べさせるわけにはいかないな、と少しばかり王子らしいことを殿下は口にして、近くの園庭へ行くこととなった。

 前領主が狩猟を楽しんでいた所で、今はこれも開放して風呂上りにそぞろ歩きができる領民の憩いの場らしい。

 広場と言うよりは軽く散歩のできる野という印象だった。土地利用の仕方にトワは感心する。ライジカーサでは道を逸れた場所に広がっている山裾でしかないからだ。

 園庭での出店は禁止している為か、人はまばらだった。緩い起伏を少し歩いたら簡易な木の椅子が設置されていて、空いていたのでそこで休むことになる。

 セカン王子とレクスに挟まれて腰かけたトワは、ライジカーサ名物と似たような葉包みを開いた。

 現れた饅頭に、これまた似たような焼き印が捺してある。

【祈●】

 二文字目は型が潰れてしまったのか何なのか、判別できない。レクスをそっと窺うと、彼も判らない様子だ。奇異な物を見る目つきで饅頭を掌に乗せたまま、食べるに食べられないでいる。

 トワは王子に訊いてみた。

「殿下、これは何と書かれているのでしょう」

「セカンだとも」

「読めませんが」

 レクスがすかさず突っ込むと、そうだろうっ、と王子は急に同意を求めてきた。

「俺は折檻にするよう注文したのだ、ちゃんと」

「せっ、せっかん?」

 ぎょっとして聞き返すトワの隣で、レクスが噴き出す。

「今のトワの発音だと、石棺では」

「それは第二候補だった」

 セカン王子が真顔で言う。

 論じるべきはソコじゃないでしょ、との突っ込みをこらえるトワを見て、殿下は口を突き出した。

「どっちも縁起が悪いと周りが大反対して、俺がごねている隙に誰かが勝手に、業者に注文を変更してしまった。〝祈願〟という意味だとか言って、祈るという真名と黒丸を合わせた、こんな変な意匠に」

 いーえ、絶対こっちがマシです、まともです。

 力説したいのを我慢して、トワは首だけふるふる振る。レクスは饅頭を握り潰しそうな勢いで笑い出していて、話にならなかった。

 見かねたのか、背後に控える従者が口を添えた。

「巷の評判はいいんですよ、願いが叶う饅頭です」

「うむ、皆が気に入ってるからしょうがない。これを以ってセカン饅頭とした」

 周囲の切願こもる饅頭のようである。

 レクスの笑いの波が引いた頃合いに、ともかくも饅頭をいただくことにした。

 大きさはライジカーサの物より小ぶりだ。それに香がどうやら甘い。外側の手触りは皮が固めか。

 半分に割ってみると、生地は感触より柔らかだった。やわい蒸かし生地が大半で、具は中央に少し。甘味のようなので、量を入れるとなると値段が割高になってしまうからだろう。

 矯めつ眇めつしているトワを置いて、両隣の少年二人はさっさと一つ平らげてしまった。

「美味しいですね」

 率直にレクスが褒め、そうだろう、とセカン王子が胸を張る。まだたくさん抱えている従者を振り返り、好きなだけ食べるがいい、と新たに受け取り、トワ越しに手渡す。

「セカン饅頭は冷めてもそこそこいけるぞ。ただ、トワ饅頭と同じく日持ちはしないが」

「この甘いの、何ですか」

「花蜜で杏子や無花果を煮込んである」

「季節で変えられそうだ」

「うむ、君達の師から参考になる話を聞いていたからな」

「あ、先生にも食べてもらいたいな」

「いっぱい買ったから何個か持って帰ろう」

 すっかり仲良くなっている二人の間で、トワはもそもそと饅頭を味わう。言われてみれば甘酸っぱく、美味しいような気はした。

 願いが、叶うなら……

 飲み込みながら、トワは睫毛を伏せる。

 切実であり、切望だった。

 ――可愛くなりたい――




 トワがようやく一つ食べ切った時には、少年二人は三、四個食べてしまっていた。

 セカン王子が、唇の端を指先でちょっと拭い、呟くように言った。

「喉が渇いたな。茶も一緒に買うんだった」

「では、今度は私が買ってきましょう」

 レクスが立ち上がると、一人連れてけ、と王子が従者に目をやる。

 連れ立ってゆく姿を目で追うトワに、一つしか食べないのか? とセカン王子が訊いてきた。

 御馳走様でした、とトワが首肯すれば、王子は優雅に足を組む。

「どうも様子がおかしいな、トワ殿。今日はレクス殿が一緒なのに、離宮で見かけた時のようだぞ」

 確かに今までなら、わたしも行く、とレクスについて行った。でもそれは可愛い振る舞いではない気がして……

 意外と察しのいい王子に、トワは力無く頬を緩めた。

「慰めてくださるのですか」

「ふふ。いいぞ。女性は大歓迎だ」

 ぬけぬけと殿下は言った。「欲を言えばもっと胸と尻の丸さがはっきりした、小柄な女性がいい。ただ君に関しては、手に入らないと思えばこそ、欲しいな。もしも手に入れば、恐らく飽くが」

「そうでしょうとも。胸もお尻も物足りないのに背だけはありますからね」

 トワが低めた声で応じると、王子は愉快そうに笑った。

「とうに手中にあると判っていて尚、飽かず傍に居るような男が君には合っていよう。俺の所にも、身上書など寄越さずに当人がしばらく来てみてほしいものだ。飽きねば、多少身分が合わずとも、そのまま父上と異母兄上に談判して娶ってみせる」

 勇ましい話に、身上書といえば自分の所にも来たことがあったなとトワは思い出す。

 肖像画と一緒に〝誰それの三男です、結婚適齢期です、宜しく〟といったような内容が書いてあった。

 先ずはお父様に話を通してもらって、とトワは突っぱね、執事が西の本領に転送した筈だ。父には当分結婚しないと王都の公邸で啖呵を切ったから、多分、巧いこと断ってくれている。

 もうすぐ、ああいった物がレクスの所にも来るのだろうか。

 そんなことを、ぼんやりと思った時だった。

「殿下っ」

 後ろに控えていた従者が、緊迫した声を発した。すぐ近くで金属のぶつかり合ったような音が、耳朶を脅かす。

 何処からわいたのか、黒尽くめの者達が周りを取り囲もうとしていた。目元だけが見え、後は本当に黒一色の装いだ。

 戦火から離れた地で育ち、戦後も大よそ荒事に関わらず過ごしてきたトワには、鈍く日の光をはじく白刃が現実離れして映った。

 咄嗟に身動きできず、従者が一人と切り結んでいるのを、芝居見物でもしているかのように凝視してしまう。従者は剣を押し返したと思う間に、鋭く突いて抜き去る。

 相手から噴き出した赤いモノを避け、彼は詰問した。

「第二王子殿下と知っての狼藉か!?」

 声も無く一人倒れたが、他の黒装束は一言も発しなかった。一人、二人、三人……

 呑気に数えていたトワは、唐突に強い力で引っ張り上げられた。短く声を上げる間に、それまで座っていた辺りへ黒い人影が突っ込む。

 トワを小脇に抱えるようにしたセカン王子が、剣の柄頭でその影を殴打した。重い音がしてまた一人突っ伏す。

「一体君は、度胸があるのか、莫迦なのか!」

「こっ、こここ後者だと仰りたいんでしょうね」

 なんとか自分で足を地に着けたトワは、相手がまだ五人立っているのを確認した。いつの間にか王子も抜刀している。

 トワ達は完全に囲まれないようにじりじりと後退し、相手は囲もうと隙を窺っているようだ。

 園庭の出入口が近づいて、王子は動きを鈍らせた。このような者達と、収穫祭で賑わう町中で立ち回るのは流石に拙い。大混乱になりかねない。

「君は園庭を出ろ」

 言って、トワが応じる一瞬前、セカン王子は黒装束に向かって踏み込んだ。息を合わせて従者も動く。

 寸時、殿下を残して行くなんてとんでもない、とトワは反抗しかけたが、レクスともう一人の従者に急を告げるべきだと気づいた。幼馴染みには、風の守護精霊もまだついている。

 荷物のトワを含む三対五より、機動力のある二対五の方がマシだ。筒衣の裾を引っ掴んで、トワは王子達と反対側に駆け出した。

 瞬間、背後で何か破裂したような音が轟く。振り返るや、爆風のような物が顔に当たった。思わず狭まる視界の中、王子と従者が一応無事なのだけ見て取る。不思議と二人を避けるように、土埃のような物が舞い上がっていた。

「術者っ」

 誰かが発した。

 そういえば殿下は前に、ほんの少し父王から術力を継いだようなことを言っていた。少しにしては結構派手なことができたのか。

 些少の安堵と共に、今の内と判じて、トワは再び走り出す。が、すぐ乱暴に肩を掴まれ、後ろにひっくり返りそうになった。

「ひゃ――」

「トワ殿――っ」

 切迫した殿下の声が遠く聞こえた。視界が暗転したかと思うと蘇る。せわしく瞬くトワには、何故か園庭の緑が濃くなった気がした。

 よろめく身体を誰かが支える。ありがと、と言いかけ、汗の臭いと黒い袖、間近にある抜き身の短剣に言葉を呑んだ。後ろから半ば抱きかかえられ、背後へ引きずられる。

「グレイス伯爵令嬢」

 確かめるような台詞と呼気が、耳元に生温かく触れた。

 足が重く身動きし辛い。引きずられるまま後ずさるトワの目に、向こうからセカン王子が鬼気迫る形相で突進してくるのが見えた。何かおかしい。

 王子の方が、園庭の出入口側から走ってきている。

 トワはどうしてか、三人で逃げ始めた椅子の辺りに戻って来てしまっていた。

 さっきの爆風で飛ばされたのかと突飛な考えがよぎる。混乱するトワの耳に、セカン王子の怒声が届く。

「非力な女性(にょしょう)を巻き込むな、卑怯者!」

「この際、削いでおきたかったが……」

 低い小声は、トワにだけ聞こえたのではないか。

 トワと黒装束は、セカン王子と従者の眼前から掻き消えた。

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