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トワ・レックス  作者: K+
第三部 故国再興編
15/23

春らしき嵐

 日々は平穏、時に賑やかに過ぎている。

 グレイス伯爵令嬢が、東北方の小ぢんまりとした飛び地の領主となって二年目。

 六暦九年四之月(よんのつき)の末、早朝の空には綿毛の先で粉をまぶしたような雲が点在する他は、吸い込まれそうな薄青が広がっている。

 ライジカーサ領グレイス伯爵邸の庭の片隅では、領主補佐の肩書を持つ一人が、模擬剣を素振りしていた。

 時折舞い散る林檎や杏子の花びらを、斬りつけているようでいて、模造刃を水平に滑らせている。

 変てこ且つ誰も気づかないようなトコロに拘りを見せるのが、領主トワの幼馴染みだった。

 レクスは今年になってから、それまでの短い木刀での鍛錬を、一段階上にしたらしい。当人は、動き易い恰好になりましたから、と澄まし顔で述べている。

 いずれにせよ、トワは彼が練習している様を見物するのが好きだった。本人には一度も言ったことが無いけれど、実に真剣な目がイイのだ。

 ひとしきり素振りを終えたレクスと、トワは無駄話をしながら屋敷へ戻る。朝食は何かとか、きらきらした朝露の浮いた葉を見つけて示し合ったりとか。

 ここの伯爵邸は割合小ぶりなので、庭への出入口は使用人用の他には一つきりだった。レクスは井戸が近い使用人用の戸口へ向かい、トワは広間と繋がっている掃き出し窓から屋内へ戻る。いつものことだ。

 広間から廊下に出るや、いつもと違う展開となった。バトラが慌てた様子でやって来る。

「お嬢様――良かった、お客様がお越しです」

 トワは面食らった。まだ六時(四の刻)前だ。

「こんな早くから? 何か悪い知らせ?」

「いえ、それが、その……」

 口ごもる執事に、トワは眉を寄せかけ、眉間を横に摘まむ。

「応接間にいらっしゃるのね?」

「いえ、それが、えーと、執務室の方へ……」

「え、お客様なのでしょ、何故そんな所に御案内したの」

「いえ、それが、どんどん向かってしまわれて」

 有能な執事をして動転している。トワはともかく急いで二階へ向かった。後に続こうとするバトラを振り返る。

「先生は起きてらっしゃるかしら。それと、お客様に、もうお茶はお出ししたの?」

 はっ、と大きく口を開け、バトラは失態を暗に告げてくる。モユにお願いしてきてちょうだい、とトワは頼んで、足早に部屋へ達した。

 己が執務室の扉を叩くなどしたことがなく、そのまま開けかけて、開けながら思い到って叩く。

 執務机の前に立っていた背の高い人物が、振り返った。見覚えのある顔に、トワは半ば開けていた扉を思わず閉める。おい、と室内から声がした。

 見なかったことにしよう、と咄嗟によぎる。

 しかし、今日もこの部屋でやらねばならぬことが既に幾つかある。

 トワが扉の取っ手を押さえた格好で煩悶していると、廊下を幼馴染みが急ぎ足に来た。簡素な薄着を替えていない。バトラから客人の訪れを聞いたのだろう。

 レク、と安堵を乗せて名を口にしたところへ、内から扉が引かれた。不服そうな台詞と共に。

「なんだ今の、まるで巨大な虫を見てしまったと言わんばかりの反応は」

 腰の脇に片手をあて、王国第二王子が顔を見せた。「君は俺を何だと思っている」

 巨大な虫とは的確な、とトワは感心してしまう。林檎でも持っていたら投げつけさせていただいたかもしれない。

 レクスがトワの肘を引き寄せながら、爽やかに笑んだ。

「セカン王子殿下を見間違うわけがありましょうか、そこまで寝惚けてはおりません」

「君には訊いてない」

「しかしながら、寝惚けてしまったとしても御容赦ください。このような時刻に、まさかお一人で女性領主の屋敷へお越しですか」

「俺が一人で出歩くと従者の首が飛んでしまう故、連れてきてはいるとも」

「首をかけて暴挙をお諌めできる者を次はお選びください」

「む、それはそうだな」

 横暴なのかと思えば、まるきりそうでもない。

 トワはレクスの傍らで王子をちょっと見上げたまま、認識を修正する。最初の印象よりはまともな人かもしれない。否、まともになりつつあると表現した方が正しいのか。

 年始の一件で実母が幽閉され実姉も降嫁処分となってしまったセカン王子だが、なんでも幼少の時分は、姉にかまける母より、王太子の賢母たる側妃と過ごす時間が多かったらしい。

 実母は王太子を産んだ側妃を疎んでいたから、セカン王子の立ち位置はしばしばふらふらしていた。

 人は、植物に似ている。太い根が一本通るのみの人も居るだろうが、大多数は幾つかの根をのばしていく。

 王子には、これまで頼りなげな太さで、実母と側妃の名を持つ根があったろう。

 今や一方の根が枯れかけ、もう一方や別の根に拠って、セカン王子は新たに成長途中なのかもしれない。

 因みにトワなる花は、主に父、乳母、先生、そして幼馴染みと言う名の根を持っている。影響と栄養をたくさん与えてもらっている。

 特にレクスの根はこのところ、トワの心の蕾に大量の何かを送ってきていた。

 引き寄せられたままにトワがレクスにくっついていると、セカン王子は口をすぼめた。

「いつまでそうしている。今朝はそれほど寒くないだろう」

 ハタとしてトワが身を離すと、殿下の御前ですから並んでいただけですが、とレクスがしれっと応じる。

 そこへ執事があたふたと、どうぞお茶を、と促しに来て、一同は応接間へ移動した。



 例の男爵領から王家直轄領になった地区を、セカン王子が任されたのだという。

 得意げに殿下は胸を反らせた。

「そなたを信用している、と父上と異母兄(あに)上に言われたのだ」

 彼にはこれが初統治だそうで、優秀な王宮文官を多く付けてもらい、先日赴任したらしい。

 引き継ぎの後、違法農地を更地にした場所などの視察も終わり、幾らか落ち着いたので隣接の領主に挨拶回りをすることにしたのだとか。

「ライジカーサは、隣接とは言えないんじゃないでしょうか……」

 トワはぽそりと言う。近くはあるが、境を接しているわけではない。馬車で数日はかかる位置関係だ。

「立ち寄れと言ったのは君だ」

「う――はい、申しました」

 完全なる社交辞令でしたとは言えず、トワは引き下がる。

 セカン殿下は、仕種は王族らしく品が良く、茶を静かに含んだ。これは食後の一杯だ。

 突然のあり得ない時刻の賓客だったが、モユが年の功で大して動じることも無く、てきぱきと軽食を用意してくれたのだ。

 茶器だけが残された卓を囲んでいるのは、王子殿下と従者二名、伯爵令嬢と幼馴染み、彼等の家庭教師という面々だ。

「ま、言われなくても来たがな! ライジカーサはこの辺では評判が良いのだ。治安や産業成績も上向いているそうではないか。色々参考にしようと思って来たのだ」

「こんな朝からですか」

 レクスが半眼を閉じて言う。すまなそうにしたのは端で小さくなっている王子の若い従者二名で、指摘された当の本人は何処吹く風と言った顔だ。

「昨夜遅くに着いたのだが、ここには押しかけずにちゃんと一番高い宿に泊まった。ライジカーサに金を落としてやったのだ。だが、朝食代は浮かそうと思ってな」

 恩着せがましい割にせこいです、殿下。

 場に居たセカン王子以外の全員が、同じ感想を共有したと思う。

「それで、具体的に何を御覧になりたいでしょう」

 先生が話の軌道を戻し、王子と従者を交互に見る。「御予定が既にお決まりでなければ、案内を手配いたしますが」

「名物トワ饅頭を土産にしたい。何処で買える。それと、数日もつような物なのか」

 茶を噴きそうになって、トワは情けなくも噎せる。口を手巾で覆いつつ、涙目で問うた。

「な、何の参考ですか、それは……っ」

「単に食べたいだけだ、トワ饅頭」

 御領地への持ち帰りはあまりお勧めできません、とヌーノが冷静に話を進め、レクスがほんの少し口を曲げた。

「庶民の食べ物です。殿下のお口には合いませんよ」

「だが縁起物らしいではないか」

 口を突き出す王子に、先生が補足を入れる。

「それはいつの間にか流布してしまいまして、事実になるかは運命神(リ・コウ)のみが御存知です」

「ふむ、まぁな」

「味は、許可を得た業者だけが作っており、五感神(アカ・シ)の加護を得たモノになっているとわたくしなどは思っております」

 背丈は変わらぬ程だが、まだ十七歳の王子だ。十歳近く年上のヌーノからすれば生徒と似たり寄ったりなのだろう。丁寧に解説する。「ただ、そうですね、もっと寒い時期の方が美味しく召し上がっていただけたかもしれません」

 まだ雪のちらついていた冬の日、公務で外に出た帰り、レクスが〝券〟を出してきて、トワは馬車を途中下車して買いに走ったものだ。帰ってから、みんなで湯気に目を細めて食べたのは格別だった。

 現在、夏向きの具を研究中です、と先生が熱心に続け、ほぅ、とそれなりに殿下は耳を傾けている。

 王子は昼過ぎには領地への帰路につかなくてはならないそうで、結局、染料用の草花畑から饅頭露店へと案内する方向でまとまった。

 執事が伯爵令嬢の執務予定を大急ぎで調整し、同行する時間を工面する。

 馬車へ乗り込む寸前、屋敷の掃除を始めていたメイにヌーノが出くわし、殿下の前で〝出発を祝う踊り〟なるモノを披露してしまったのは御愛嬌だった。




 トワはセカン王子を見送った翌日には、早くもその尊貴の存在を忘れかけていた。

 が、翌月末、殿下がまた朝方に押しかけてきて、否が応でも思い出させられた。

 今度はバトラが見事な対応力で、応接間に案内の末、正確に知らせてきた。相変わらずしどろもどろの態をさらしたのはトワぐらいである。

 王子一行はちゃっかり朝食に同席し、何をしに来たのかと思えば、自領のこのふた月の収支をどう思うか、という、真面目なのか冗談なのか判断しかねるネタを提示してくる。

 追い返すわけにもいかず、レクスとヌーノと一緒に、走り書きされた記録を拝見させてもらう。

 収入の少なさに、三人で寸時絶句。

 詳しく尋ねれば、領民の多くは先の違法開拓や誘拐の一件が発覚する前から、ごろつきを避けたのか逃げ出していたらしい。領地は深刻な過疎となっている。

 利用可能な農地も人出が足りずに、荒れ気味。作物の種蒔きや植え付けも充分にできなかった。

「文官の中には少数だが、温泉があるので王侯貴族の一大別荘地にしてはどうかと言う者が居る。領主が代わった今、その手の振興地に思い切るのも一手だろう」

 セカン王子は迷うように顎を撫でつつ言った。

 文官の意見は、それぞれ優秀なだけに他にも様々出ている。多くついて来てもらったのはいいが、こういう時は却ってまとまらない事態になっていた。

「しかし俺の一存で決めるには荷が重い。異母兄上に御相談しようと思ったのだが、王都はちと遠いし、異母兄上は不在のことも多い。それで、先人たる君達の意見も聞いてみようと思ったのだ」

 ヌーノが、考え考えといった口ぶりで応じる。

「和平締結以降、他国から人の流入がかなり減りましたからね。ですが、流出も同じです。つまりは、自国内で人が動いただけ。御領地が安定したと知れば、元々居た人々が戻ってくるのではないでしょうか」

 文官にも同じようなことを言う者があった、と真剣な顔でセカン王子は顎を引く。レクスが先生に賛同した。

「あまり性急に変化させてしまうと、そういう人達が戻り辛くなりそうです」

「わたし、別荘なんてこれ以上要らないわ。温泉に入りたければ、公共施設さえ整っていれば、別荘なんて無くても入りに行くわよね」

 思わず素で喋ってしまってから、まじまじとこちらを見る王子に気づく。両手で口を押さえてトワが身をすくめれば、隣でレクスが肩を震わせて笑いをこらえていた。

 唇をすぼめて肘で小突けば、少年はするりとかわす。

 じゃれる二人の前で、殿下が咳払いした。

「まぁ、今の意見も一応、参考にする」

〝一応〟に力が入っていたけれど、トワはぎごちなく笑んで頷いておく。

「給金に僅かなり色を付けていただけるならば、ライジカーサで臨時の出稼ぎ人を募集してみましょうか。収穫期にはひとまずその手合いで人を確保して、収穫祭を温泉付近で盛大に行うとか……」

 去年のライジカーサで最も収益が上がった時期を思い出しつつ、トワは提案してみる。

 それはいいですねぇ、と珍しくすぐに先生が褒めてくれた。はにかむトワの隣で、レクスも乗ってくる。

「温泉饅頭作って売りましょうか」

「――おぉ、売りたい!」

 王子まで身を乗り出す。

 中身について議論を始めた二人に、どんだけ饅頭が好きなの……とトワは内心で引き気味に彼等を眺めやった。

 この日も昼過ぎには、今少し腰を据えてやってみるぞ、と殿下は元気に従者と帰っていった。

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