証言
お父様、アイネ王女が密談しているのを目撃しました。とっても怪しげで、いかがわしい雰囲気で――レクと……!
トワは悶々とグレイス伯爵への告げ口を脳内で繰り返し、離宮の内庭を一人で歩いていた。
下手をしたら顔同士が触れ合いそうな状態で楽しそうにしていた二人が蘇ってきて、不覚にも目頭が熱くなる。
幼馴染みが自分と踊ることも想定してこの服を選んでくれたのかと、都合良く勘違いして舞い上がってしまった分、墜落した衝撃がきつい。
小さく溜め息をつき、雪の除かれた小道からトワは視線を上げた。
広間の窓が開けられ、王女が淡金髪の綺麗な少年と一緒に庭へ出たので、客の半数近くも思い思いに外へ足を向けた。トワはしょんぼりと広間の隅に居たのだけれど、どうしてか次から次に踊りを申し込まれた。断るのも気力がもたなくなってきて、結局こそこそと出てきたのだ。
景色もろくに楽しまないまま、うつむきがちにふらふら歩いてしまった。皆と離れてしまっている。遠く東屋の辺りで集まる人々の、若々しい声の明るさが判る程度。
東屋は屋根の形が違ったり蔦を絡めたりと、何種類かが点在していた。人が集まっている所のは、低い果樹に囲まれるように建ち、庇が大きく張り出している。
トワが立ち止まった割合近くには、藤棚が巡らされた東屋が在った。冬場の今は枯れ木が絡まっているかのようだ。柱の下方に、少しだけ蔦が這っていた。
やや足が痛んできていたので、トワはその東屋に歩み入った。石造りの椅子に、冬の薄い日が差している。手を添えて座りかけたところで、待て待て、とやにわに明瞭な声がした。
中腰の変な格好で目を投げると、立ち木の合間からセカン王子が出てくる。
え――今日居たの、と失礼な感想をよぎらせたトワの横手へ大股に近寄ると、殿下は懐から取り出した手巾を椅子に広げた。広げて、ぽんと肩を押してくる。流されるまま、手巾の上に腰を落としてしまい、トワはあわあわと立ち上がろうとした。
「いいから座れ。今更、不敬もクソもあるだろうか。君はこの俺からの贈り物をお父上に横流ししたではないか、トワ・アルラ・グレイス」
「うぁ――え、えぇ、はい……」
「グレイス伯からの書簡を持って来た召使の顔を、君にも見せたかった。猛烈に甘い匂いが立ち込める中、お二人はどういう御関係に、という好奇心がだだ漏れだったぞ」
「ぷ」
思わず噴いてしまったトワの隣に、王子はふわりと座り込んだ。長い足を優雅に組んで、こちらに爽やかな笑顔を向けてくる。
「うむ。君は俺の横で笑っているべきだな。そうすれば恐らく絵になる」
身を縮めていたトワは、台詞に良くない兆候を嗅ぎ取る。恐る恐る申し出た。
「殿下は王国第二王子であられます。あまり、わたしなどを相手になさるべきではないと存じます」
セカン王子は軽く口を曲げた。
「じゃあ、君が今現在、最も絵になる相手はどうなるんだ」
「……あの、絵になるというのは……?」
ん? と言いたげな顔になってから、王子は視線を泳がせた。
「まぁ、なんだ、聞けばトワ殿は僻地で統治修行中らしいな。君子も危うきに近寄らず、君も近づかぬに越したことはない」
並べられた御託の過半数は意味不明だったが、トワは口をすぼめる。
「ライジカーサは良い所です。殿下も近くにお越しの際はお立ち寄りくださいませ」
「あぁ、異母兄上と遠乗りに出た時にでも寄らせてもらおう」
「遠乗りで寄れるような所にはございませんけど」
「王都から二、三時間では……」
「せめて二、三週間は見ていただかないと……」
「なんと、今日はそんな所から来たのか?」
無理でしょ! 九日前にも城で会ったでしょ! 翌日から変な贈り物してきたのは誰宛てのつもりだったの!?
トワが言いたい事々を一気に溜め込むと、王子は何やら読み取ったような言葉を続けた。
「移動術という魔術があると聞く。大変危険らしいが、かなりの遠距離でも一瞬で移動してしまうそうだ」
顔に出てしまっていたかと頬へ手をやるトワに、セカン王子は興味深げに訊いてきた。「異母兄上はかなりの術力があるが、俺も姉上も殆ど父上から継げなかった。レクス殿はどうなのだ」
唐突に名前が出てきたこともあって、トワは正直に言うべきか逡巡した。けれど、幼馴染みには守護精霊がついている。
「彼は、全くのようです。わたしも全然ですので、移動術とやらはできません」
「あれ、そういえば今日、レクス殿はどうしたのだ。招待したようなことを姉上が上機嫌で召使と話していたが」
くるくると変わる話題にトワは嫌な記憶を忘れかけていたのだが、あっと言う間に思い出した。
「御一緒しています……王女殿下と」
沈んだ声音で応じると、セカン王子は目を丸めた。
「広間の入口付近で睨みを利かせていたんだがな――もしや、今日は女装じゃないのか」
女装の件を知っていたのかという点に先ず驚き、次いで、何故たった一人の金髪に気づかないのかが不思議になる。この際、女装していたかどうかなど、関係あるのだろうか。無いと思う。
まじまじと見やるトワに、王子は自慢げに宣言した。
「俺はまっとうに女性が大好きだからな。今日も女性ばかり見ていたとも」
わざわざちょっかいをかけてきたのだから、そこは〝君ばかり見ていた〟と言ってほしいものである。
そうですか……と、無難と言う名のいい加減な相槌を打ったトワに、セカン王子はひょいと爆弾発言を投げてきた。
「因みに姉上は、母上の意向もあって、行き遅れつつあるのに王族関係の血筋に拘っている。その上、美男が大好きだ。特に線が細めで女々しそうな男。レクス殿のことを漏れ聞いてからは血筋の点でまみえたがっていたが、アレは容姿もさぞや姉上の好みにぴったりだろう」
トワはややの間茫然としてから、遂に、我慢できずに立ち上がった。
「殿下っ、ちょっと急用を思い出しましたっ」
敷いていた手巾をぶんぶん振って、ちゃかちゃか畳んで王子に突き出す。「お話しさせていただいて光栄でした、御機嫌ようっ」
レクスやモユが見ていたら、全然淑女じゃない、と嘆かれそうな言動で、トワは帯と包衣の裾を揺らし小道を走り出す。
人が集まっている東屋には金色が見えない。
レクの莫迦、レクの莫迦、レクの莫迦――!
葉の落ちている鈴懸の隙間を半泣きで突っ切ったら、トワ、と呼び声がした。横合いから、急ぎ足にレクスが現れる。
「まったく貴女は。外を見たがっているとは思ったけど、令嬢がこんな場所を一人でうろつかないでください。精霊が居なかったら人にも頼んで捜し回るところです」
「レクがっ、アイネ殿下といちゃいちゃしに、行っちゃうからっ」
泣きべそをかきかけているトワの顔を見ると、レクスはざっと全身も確かめてくる。後ろに回って、ほんの少し傾いていたらしい帯を整えてきた。
「はいはい、晩餐のお誘いはお断りしましたよ。そろそろ帰る人も居るようです、私達もそうしましょう」
「……殿下は……?」
レクスは、少々視線を逸らした。
「トワは迷子癖があり、非常によく食べてよく飲み、酒乱の気があって、誰か慣れた者が面倒を見ないと大変なことになる御令嬢となりました。宜しくお願いします」
「…………」
「あぁ事実こうして、迷子になっていましたね。せっかくですから、帰ったら大いに食べて飲んでください」
しゃあしゃあとレクスは言ってのける。
自己責任で逃げ出せないなら婚期真っ只中の年上になんて言い寄ったりするんじゃないわよ、レクの莫迦ぁっ。
「肩叩き券を二枚にしておくんだった」
トワは、ぶつぶつとぼやいたのだった。
離宮からグレイス伯爵公邸に帰り着くや、レクスが表情を硬くした。迎えた執事へ、ダド様にお話が、と告げる。
手にした灯りで足元に光を投げかけ、執事はすぐに廊下を歩き出す。肩掛や小物を他の使用人に手渡していたトワは、ちょっと迷った末に二人を追った。レクスが遮らないので、そのままついて行く。
伯爵の私室に辿り着くと、お嬢様方がお戻りです、と執事が扉口で告げる。お入り、と聞こえてきた。
室内に入る前、先生を呼んできてください、とレクスが執事に頼む。一礼して歩み去る姿を目で追ってから、トワは幼馴染みの横顔を見た。真顔で唇を結んで、日が落ちたからか顔色がいささか青白く見える。
「ひょっとして、アイネ王女と話して、何か気づいたの?」
レクスが無言でこちらに目を流す。トワが息を呑むと、安楽椅子に座していたダドが近くの長椅子を示した。
「まぁ、お座り。疲れたろう。トワ、鈴を。お茶を用意してもらおう」
用向きを受けに来た使用人と入れ違いに、一定の杖音が聞こえてきて、ヌーノが到着する。
レクスは、椅子の片端で考えを纏めるように一点を見つめている。トワが立ち上がり、先生が肘掛椅子に腰を下ろすのを助けた。
いきなり呼び出されたが、ヌーノは何も訊かない。父も黙っている。広い部屋にはしばらく沈黙が降り、やがて茶の一式が届いた。夕食の時間を遅らせると告げなかったが、執事が呼びに来る気配は無い。
湯気ののぼる陶器が各自に渡ると、さて、とダドが口火を切った。
「めかし込んだ若い二人に並んで座られると、父としては落ち着かない。綺麗だねぇ、トワ。咲き始めの花のようだよ。お前も、とうとう結婚か」
「お父様!」
飲みかけの器をひっくり返しそうになって、トワは叫ぶ。
冗談に決まってるだろう、と父が笑ってレクスを見た。
少年は茶番劇に参加せず、伯爵を見返した。
「私は、遠い西の領地におられる筈のアイネ殿下が、流動的な孤児の数を折々正確に把握し、人数分の便りを贈られる点に、引っかかりを覚えていました」
ゆっくりと紡がれた言葉に、ダドは顎を引く。
尚も慎重な口調でレクスは続けた。
「故に、ライジカーサ孤児院の職員や周辺について、かなり調べました。結果、内通者は居ないという前提の上で、申し上げます。関係者及びライジカーサ領主以外では、監査官と孤児かどわかし犯しか知らない筈の事をアイネ殿下は御存知です」
いつの間にか、ヌーノが薄い木板を手にしていて、筆を走らせている。
レクスはその動きを一瞥してから、トワの誕生日以降、孤児院であった動きを掻い摘んで話した。
ポタが孤児の男の子を連れて帰った事。
共にライジカーサへ戻った時、その甲斐甲斐しい様を警備隊の一人が見ていた。それまで評判も芳しくない孤児院を彼は気にかけていなかったが、それをきっかけに見る目を変えた。
養子を迎えたいとの話が持ち込まれたのは、監査官が来るほんの少し前。
監査官が来た時、孤児院に籍を置く子供の数は二十。本当は、ポタが連れて来た子供も含めて二十一だった。が、登録手続きが遅れていたのと、近日誰かが養子に決まりそうだった為、役場に記載された数値は二十のままだった。
それを、あの生真面目な監査官の長は〝二十一〟と同僚に記録させたのだ。
『そこで子供は生きているのですから、きちんと記録しておかなくては。居ない者としたままは宜しくありません』
レクスの語りに、トワもヌーノも思い出して頷く。
「監査官はそう記録したけれど、役場の方はまだ訂正していないわ。年が明けたら一斉に記録し直すという話だった。年末には里親希望者の家へお試し家族に出る予定の子が居たし、上手く行けば、記録訂正は必要無いし」
「王都に監査報告が届いていれば、他に知っている者が居ても不思議ではありませんが、監査官と記録は今現在失われています」
静かに、レクスは宙空に乞うた。「風、証言をお願いします」
何かのお告げでもしに来たかのように、半透明の精霊が出現した。
低く厳かに、独特の微震する声が響く。
〈確かにアイネはライジカーサの孤児の人数を二十一と言った。ソータスの言葉で〝近いうちにまた書きましょう。二十一人分〟。次いで公用語でも〝二十一〟と〉
その数字はライジカーサの近場に居る男爵からもたらされるという情報も精霊は証言し、宜しい、と伯爵は両手を組んだ。
「精霊にだけ、今一度、宰相閣下の御前で証言を願う。後は我々が引き受けた」
偽りを口にしないという、精霊の本質の貴重さを実感した。
若い娘の姿をしていた風との約束を思い出し、トワは改めて胸奥で感謝する。
あらましがしたためられた板をヌーノが向け、内容を確認した後、ダドは脱力したような少年に向き直った。
「本日、王女殿下とお話しされたことは忘れておしまいなさい」
トワの横で長椅子にしなだれたレクスは、ゆるりと笑んだ。
「何のお話でしょう」
伯爵は笑みを返すと立ち上がり、使用人を呼ぶ鈴を鳴らした。
天候と相談しながらグレイス伯爵令嬢一行はライジカーサへ向かい、その月の下旬には守護精霊のお蔭もあって無事に到着した。
領主がひと月半留守にしていたわけだが、代理のバトラが町役達と上手くやってくれていた。トワは署名に追われる程度で済む。
割と近くに在った領地の、男爵家が家長処刑のうえ取り潰しとなった――
二之月も終わり頃、そんな噂が先ず流れて来た。
大幅に規定を超えた農地を拓き、何処から集めたのか、子供ばかりを酷い環境下で働かせていたらしい。
これまでは監査官に賄賂を贈ったり、監査の頃だけ誤魔化しをしていたのだが、先年、新任監査官が惑わされなかった。告発するつもりだったようだ。
それに気づいた男爵は囲っていたごろつきを使い、監査官達が領内を出てから襲撃、殺害、監査記録を燃やしたという。王国正規兵の取り調べで、ごろつき共が簡単に暴露した。
違法な開拓と人的資源の独占、加えて贈賄、誘拐、殺人、証拠隠滅と次々明るみになれば、家を残せるわけもなく。
件の地は今後、王家直轄領となるようだ。
今回の件が白日の下にさらされるまでには、精霊がひと役買ったらしい。その精霊は王国監査官殺害を重く見た宰相の要請に応じ、王太子が精製した優れモノ。雲を掴むような状況下で犯人に繋がる証拠を見事見いだし、証言も行ったという。
どうやら証拠を漏らしたのは第一王女とか。何故ならば、違法な誘拐に手を貸していたとして、彼女の王族権剥奪が決まったから。近日、王の別荘を管理している一貴族に降嫁するらしい。
この処分に王妃が相当騒いだそうなのだが、王妃は王妃で無理な増収をはかり、処刑された男爵とかなり似たような事を王女の領地でしてしまっていたと発覚。溺愛する娘の仕業にすることもできず、最終的には白状した。
王妃はこの先全ての公務に関わることを禁じられ、北の最果てに在る離宮へ送られた。事実上の幽閉だろう。
一連の審判や処理に国王がすっかり気力を削られてしまい、今後一、二年で王太子が即位しそうな状況になっているとか……
【国王陛下は大陸に平和をもたらした大業を成し、王太子殿下はそんな陛下の術力を継がれた誠実な方。王妃陛下に追従していた者達は勢いを失ったし、残された第二王子殿下は元々王太子殿下を支持しておられる。
次の世代となっても、この国は大丈夫そうだ。安心しました。
後は、お前の幸せを願うのみです。】
西方のグレイス伯爵からもそんな便りが届いた頃には、東方のライジカーサにもようやく遅い春が訪れようとしていた。